3 / 7
3 花嫁の引き渡し
しおりを挟むメレンクールとロシュフォイユの間には、リーニャ河が流れている。
花嫁の引き渡しは、河の真ん中のタスイマ島にある宮殿で行われた。
わたしは、ここまで着て来たメレンクールの衣服を脱ぎ、ロシュフォイユのドレスに着替えた。
体の線に沿った、驚くほど軽いドレスだった。サイズは……ちょっと大きめ。というより、かなりぶかぶか。これでは、デザインの長所をいかすことができない。
着替えを手伝ってくれたのは、メレンクールからついてきた侍女たちだった。彼女らを含め、一緒に来た人々は、ここで引き返すのだ。
「デジレ様、どうぞお元気で」
大使から御者まで、一人一人、挨拶して、去っていく。みんな、悲しみを堪えた顔つきをしているが、それでもどこかほっとしたように見える。
わたしのそばには、乳母だけが残った。
「あなたも帰るのです」
わたしから離れようとしない乳母に向かい、ロシュフォイユの女官が言った。
メレンクールからは大勢の付き人がついてきたが、ロシュフォイユから来たのは、この女官だけだ。
乳母は胸を張った。
「わたしは、ひい様が赤子の頃からそばにおりました。嫁がれる時も必ずご一緒すると、ひい様のお母さま……前の王妃殿下に約束しました。ええ、わたしはロシュフォイユについてまいります。国王陛下も承諾なさいました」
普段はおとなしい乳母がきっとして言い放った。
ロシュフォイユの女官は、眉一つ動かさなかった。
髪を結い上げ、ハイネックのドレスを着た彼女は、普通の人間と違いがないように見える。でもこの人は人間じゃない。竜人だ。
「死にたいのですか?」
彼女は尋ねた。
「なんですって?」
乳母はいきり立った。
「ですから、死にたいのかと聞いているのです」
「どういうことですか! わたしはただ、どこまでもひい様についていき、お守りしたいだけです!」
わたしの前に立ちはだかるようにして、乳母は仁王立ちになった。
女官は肩を竦めた。
「竜の国には、瘴気が満ち満ちています。人間は、その中で長く生きることはできません。あなたのような年寄りなら、なおさら」
乳母はいきり立った。
「私が年寄り? なんてことを! いや、そこじゃない。そんなところへ、うちのひい様を連れて行くというのですか!?」
竜の瘴気。初耳だった。そういえば、代理結婚式の時、フリート叔父は、竜の国について何か言いかけて黙ってしまった。彼は、このことを知っていたのだろう。
「そういえば、」
乳母はわたしに向かい、憤激したように言った。
「一緒に来た従者たちはずっとそわそわしていました。この部屋から出て行くときは嬉しそうでしたし。彼らは、ロシュフォイユの瘴気を知っていたんですわ。だから、大急ぎで帰ったんです」
「あなたもお帰りなさい」
せいいっぱい余裕を見せて、わたしは繰り返した。
「あなたも帰るのよ」
「とんでもない! たとえ死ぬことになろうとも、私はひい様とご一緒に、」
「アーヤ、あなたには感謝してるわ」
叫ぶアーヤを、途中で遮った。皺だらけのその手を、両手で包み込む。
母が死んで、父が新しい王妃を娶ってから、宮殿の人は、どこかわたしによそよそしかった。ベアトリス王妃と異母妹のロゼッタが華やかに暮らす一方で、わたしに掛けられる経費は著しく削られた。王家の居候《いそうろう》だの無駄飯食らいだの罵られ、敗戦が近くなると、食べるにも事欠くありさまだった。
そんな中で、乳母のアーヤだけが、前と変わらず、わたしに接してくれた。自分にあてがわれた乏しい食料の中から、食事を分けてくれることさえあった。
わたしを庇ったことで、彼女は従者の中で浮いていた。だから、竜の国の瘴気について教えて貰えなかったのだろう。
そう気がついて、申し訳なさでいっぱいになった。この上は、なんとしても、彼女を無事に祖国へ帰らせなければならない。
「今まで、充分によくしてもらったわ。ここで国に戻っても、天国のお母さまもきっと、許して下さるわ」
「いいえ! いいえ!」
「あのね、アーヤ。わたしは、セティから、あなたを取り上げたくないの」
セティはアーヤの息子だ。本来、アーヤのお乳はセティのものだった。ところが、彼女がわたしの乳母になったものだから、赤子のセティは、わたしから母親を取り上げられてしまった。
ただ、幸いなことにアーヤのお乳は豊富だった。それに、母を亡くしたわたしに宮殿の人々は関心がなかったから、わたしは、アーヤの里で育てられた。
わたしとセティは、アーヤの乳を飲み、一緒に育った。
「ひい様……」
息子の名前を出されて、アーヤの目に涙が浮かんだ。
「決してお父様を責めないでね。父上だってお辛いのよ。ロシュフォイユに王女が嫁ぐのは、敗戦国の義務なの」
「でもそれは、ロゼッタ王女の義務だったはずです!」
「しっ!」
わたしは慌ててアーヤを黙らせた。横目で隣国の女官を窺う。彼女は、わたしたちの会話には興味はない様子だ。
「あなたが騒いだら、民にも動揺が広がり、王家の威信は保てなくなる。そんなことになったら、セティの昇進にも差し障るわ」
アーヤの息子セティは、騎士団に入団したばかりだ。
騎士団長は、フリート叔父だ。セティが勇敢かどうかはわからないけど、叔父なら間違いなく、彼をしかるべき立場につけてくれるだろう。高級将校になれば、セティが危険な戦場に立つ機会も減るはずだ。
涙を拭きながら、何度も何度も振り返り、アーヤは去っていく。物凄く頑張って、私は微笑んだ。笑いながら手を振った。
とうとう扉の向こうの廊下に、乳母の姿が見えなくなった。堪えていた涙がほろりと零れた。
「俺に嫁ぐことがそんなに悲しいのか?」
恐ろしい声に、広間の空気がびりびりと震えた。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王家の血を引いていないと判明した私は、何故か変わらず愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女であるスレリアは、自身が王家の血筋ではないことを知った。
それによって彼女は、家族との関係が終わると思っていた。父や母、兄弟の面々に事実をどう受け止められるのか、彼女は不安だったのだ。
しかしそれは、杞憂に終わった。
スレリアの家族は、彼女を家族として愛しており、排斥するつもりなどはなかったのだ。
ただその愛し方は、それぞれであった。
今まで通りの距離を保つ者、溺愛してくる者、さらには求婚してくる者、そんな家族の様々な対応に、スレリアは少々困惑するのだった。
〖完結〗終着駅のパッセージ
苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。
彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。
王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。
夫と婚姻してから三年という長い時間。
その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。
※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する
3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
婚約者である王太子からの突然の断罪!
それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。
しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。
味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。
「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」
エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。
そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。
「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」
義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる