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53 助命嘆願
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魔術師は約束を破らなかった。
荒れ果てた草原には幾張りものテントが張られ、中のひとつにバートラフは寝かされていた。
わたしが入っていくと、クッションの上で本を読んでいた魔術師が顔を上げた。
「意識を取り戻したよ。君に会いたがっている」
「デジレ」
バートラフが身を起こす。
わたしは彼に駆け寄り、その手を握った。バートラフのたった一つの目の瞳孔が細くなる。
「僕を受け止めるなんて。君はなんて無謀なんだ」
「わたしはあなたの為なら、なんだってする。それにあなただって、わたしのことを、何度も助けてくれたじゃない」
ソスクレア宮殿で、ヨガのポーズをしていて態勢を崩した時。離れていたはずのバートラフが、いつの間にか下敷きになっていたけど、あれは、バランスを崩したわたしを受け止めようとしてくれたのだと、とうの昔に見抜いていた。
そして、うさぎのミミを見に行った帰り、岩場から真っ逆さまに落ちたわたしを助けようとして、バートラフは初めて竜体に変化した。
それから、ついさっき。塔から落ちてきたわたしを受け止めてくれた……。
「命を賭けるのは、僕の方なんだ。もちろん君の為に。君は僕の大切なひとで、失うわけにはいかない愛しい人なんだから」
彼は、甘えたように、けれどどこか遠慮がちにそっと、わたしの腕に頭をこすりつけてきた。
「お願いだから、ずっとそばにいて」
すぐ横で咳払いが聞こえた。
「ごほんごほん。あー、バートラフには戦況を話しておいた」
魔術師だった。
「竜たちは、最後の一体まで浮島に送り込み、我々は結界を張ることに成功した。そうですね、聖女」
彼は、わたしたちの背後に視線を送った。
聖女が、テントに入ってきたところだった。バートラフが心配で、彼女のことは草原に置き去りにしてきたのだ。
「その通りよ。みんなよくやったわ」
「貴女のおかげです、聖女アンジェリカ」
すかさず魔術師が忠誠を見せると、穏やかに聖女は首を横に振った。
「いいえ。騎士団のみんなの力がなければ、あの邪悪な竜たちを封じ込めることはできませんでした。騎士たちに感謝します」
こうした謙虚さと、仲間に手柄を譲る懐の広さが、聖女の人望となっているのだろう。
けれどわたしは騙されない。寛容は、アンジェリカが生来もつ素質ではない。彼女は意図的に謙虚さと騎士たちへの感謝を表し、それによって完璧に彼らを取り込み、意のままに操ろうとしている。
「あ、セティから転送されてきた」
魔術師が、空中から何かを掴みだした。
「聖女、これを。騎士たちの総意です」
光り輝く書状を魔術師は差し出した。
受け取った聖女は絶句した。
わたしのところからも、書状の表書きが見えた。細く畳まれた書状の上には、「助命嘆願」と書かれていた。
騎士たちは、聖女がバートラフの罪を許してくれるよう、願い出ているのだ。もし、彼に罪があったとしたら、だが。
「セティが取りまとめました」
魔術師が言い添える。
胸がいっぱいになった。
小説ではバートラフにトドメをさしたセティが、この世界では率先して、彼を救おうとしている。
聖女の体が強張った。一瞬だけ醜く固まったその顔は、次の瞬間、あれは幻だったのかと思うほどに溶け、彼女は柔らかく微笑んだ。
「いいでしょう。助命を受け容れます」
理想の聖女として、騎士や民たちを意のままに操るには、彼らの総意を無視することはできない。聖女の受諾は、当然の帰結といえた。
地上に竜の存在を許さない聖女は、バートラフに死を命じた。助命を許容することは、彼女自身が出した命令に反することだ。その上彼女は、自分を批判し、勝手に持ち場を離れたバートラフを、決して許してはいない。
それなのに聖女は、穏やかな笑みを浮かべ、あたかも恩赦は自分の意志であるかのように落ち着き払っている。わたしは舌を巻く思いだった。
もちろん、余計なことは言わない。これでバートラフは、優秀な聖騎士団の騎士たちから命を狙われずに済む。セティに殺されずに済むのだから。
体中の力がどっと抜けた。
しかし、安心するのはまだ早かった。
荒れ果てた草原には幾張りものテントが張られ、中のひとつにバートラフは寝かされていた。
わたしが入っていくと、クッションの上で本を読んでいた魔術師が顔を上げた。
「意識を取り戻したよ。君に会いたがっている」
「デジレ」
バートラフが身を起こす。
わたしは彼に駆け寄り、その手を握った。バートラフのたった一つの目の瞳孔が細くなる。
「僕を受け止めるなんて。君はなんて無謀なんだ」
「わたしはあなたの為なら、なんだってする。それにあなただって、わたしのことを、何度も助けてくれたじゃない」
ソスクレア宮殿で、ヨガのポーズをしていて態勢を崩した時。離れていたはずのバートラフが、いつの間にか下敷きになっていたけど、あれは、バランスを崩したわたしを受け止めようとしてくれたのだと、とうの昔に見抜いていた。
そして、うさぎのミミを見に行った帰り、岩場から真っ逆さまに落ちたわたしを助けようとして、バートラフは初めて竜体に変化した。
それから、ついさっき。塔から落ちてきたわたしを受け止めてくれた……。
「命を賭けるのは、僕の方なんだ。もちろん君の為に。君は僕の大切なひとで、失うわけにはいかない愛しい人なんだから」
彼は、甘えたように、けれどどこか遠慮がちにそっと、わたしの腕に頭をこすりつけてきた。
「お願いだから、ずっとそばにいて」
すぐ横で咳払いが聞こえた。
「ごほんごほん。あー、バートラフには戦況を話しておいた」
魔術師だった。
「竜たちは、最後の一体まで浮島に送り込み、我々は結界を張ることに成功した。そうですね、聖女」
彼は、わたしたちの背後に視線を送った。
聖女が、テントに入ってきたところだった。バートラフが心配で、彼女のことは草原に置き去りにしてきたのだ。
「その通りよ。みんなよくやったわ」
「貴女のおかげです、聖女アンジェリカ」
すかさず魔術師が忠誠を見せると、穏やかに聖女は首を横に振った。
「いいえ。騎士団のみんなの力がなければ、あの邪悪な竜たちを封じ込めることはできませんでした。騎士たちに感謝します」
こうした謙虚さと、仲間に手柄を譲る懐の広さが、聖女の人望となっているのだろう。
けれどわたしは騙されない。寛容は、アンジェリカが生来もつ素質ではない。彼女は意図的に謙虚さと騎士たちへの感謝を表し、それによって完璧に彼らを取り込み、意のままに操ろうとしている。
「あ、セティから転送されてきた」
魔術師が、空中から何かを掴みだした。
「聖女、これを。騎士たちの総意です」
光り輝く書状を魔術師は差し出した。
受け取った聖女は絶句した。
わたしのところからも、書状の表書きが見えた。細く畳まれた書状の上には、「助命嘆願」と書かれていた。
騎士たちは、聖女がバートラフの罪を許してくれるよう、願い出ているのだ。もし、彼に罪があったとしたら、だが。
「セティが取りまとめました」
魔術師が言い添える。
胸がいっぱいになった。
小説ではバートラフにトドメをさしたセティが、この世界では率先して、彼を救おうとしている。
聖女の体が強張った。一瞬だけ醜く固まったその顔は、次の瞬間、あれは幻だったのかと思うほどに溶け、彼女は柔らかく微笑んだ。
「いいでしょう。助命を受け容れます」
理想の聖女として、騎士や民たちを意のままに操るには、彼らの総意を無視することはできない。聖女の受諾は、当然の帰結といえた。
地上に竜の存在を許さない聖女は、バートラフに死を命じた。助命を許容することは、彼女自身が出した命令に反することだ。その上彼女は、自分を批判し、勝手に持ち場を離れたバートラフを、決して許してはいない。
それなのに聖女は、穏やかな笑みを浮かべ、あたかも恩赦は自分の意志であるかのように落ち着き払っている。わたしは舌を巻く思いだった。
もちろん、余計なことは言わない。これでバートラフは、優秀な聖騎士団の騎士たちから命を狙われずに済む。セティに殺されずに済むのだから。
体中の力がどっと抜けた。
しかし、安心するのはまだ早かった。
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