石川五右衛門3世、但し直系ではない

せりもも

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贔屓の筋

5 川から上がった青鬼

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 「長治親分さん! 大変だ!」
蔓屋幾三郎は、番所に飛び込んだ。
「あっしの店の版木が、姿愛之助の版木が盗まれました!」

 だが、誰も、蔓屋になど気がつかない。

 番所内は、騒然としていた。
 人が大勢出入りし、同心の長治親分の周りには、手下どもが集まっている。

「親分、大事件です! かの有名な大泥棒、石川五右衛門3世が、あっちの店の版木を盗んでいきやがりました!」


「ごちゃごちゃうるせえな」
手下の一人が振り返った。
「愛之助? 五右衛門3世? 誰だそりゃ」

「愛之助は、現在絶賛売り出し中の、有名看板役者ですよ!」
やや……というか、大分、盛って答える。ここにいる連中は、どうせ、芝居なんぞ観ないから、問題はない。

「五右衛門3世は……、えと……」
 かの有名な石川五右衛門のなんかだろうとは、思っていた。
 孫とか? ひ孫か。
 だが、正面切って誰かと問われると、蔓屋には、答えられなかった。
 蔓屋は、出版業を生業にしている。虚偽の流布は、職業倫理に反する。


 「おお、知ってるぜ」
意外なことに、長治親分が顔を上げた。
「この春に、あちこちの長屋の上から、小判をばらまいたやつだ」

「ああ、あれか!」
 手下の一人、蛭の与吉が手を打った。
「小判を使おうとしたやつらを、かたっぱしからお縄にしてやった一件の! そういや、あいつら、異口同音に、なんとか3世に貰ったって、言ってたな」

「五右衛門3世」
蔓屋が繰り返す。

与吉は大きく頷いた。
「おお、それそれ、五右衛門3世。だがよ。貧乏人が貧乏人に小判を施すたあ、面妖な話だぜ」

「怪しい奴であることは確かだな」
長治親分が頷く。

「そいつに、あっしの店の版木が盗まれたんでさあ。ゆうべ、寝ている間に」
 ようやく話が元に戻り、蔓屋はほっとした。

 長治親分が立ち上がった。
「あいわかった。蔓屋、あんたの話は、後で聞く」

「え? 後で?」
 蔓屋は呆然とした。

 証拠保全ということで、店の中はそのままにしてある。
 同心の親分さんの検分が、身近に見られる滅多にない機会だ。店には、絵師を待たせてある。
 何事も、ただでは済まさないのが、版元だ。


「悪いが、川から仏が上がってな。今はそいつで手いっぺえだ。居空きだけなら、急ぐことはあるめえ。戸締りをきちんとして、また、夕刻にでも来てくんな」







 土左衛門は、女だった。
 身に着けていた高価な着物から、すぐに身元が分かった。

 小栗おぐり杢左エ門もくざえもんの妻女、お藤である。

 結婚して3年。子がなく、その上、夫婦仲も良くなかった。

 小栗家は、武士の家柄だ。
 跡継ぎが欲しい杢左エ門は、近く、離縁の意思があった。

 ……「お藤は、入水自殺したのではないか……」
 知らせを聞いて、真っ先に杢左エ門は、そう、口にしたという。



 「親分。長治親分!」

 医者の天寿庵が呼んでいる。
 死体の検分が済んだようだ。
 川から上げられた死体は、手下どもの手で、川べりの小屋まで運び込まれていた。


「ほらほら、もちっと近く寄って」

 長治が近づいていくと、天寿庵は言った。彼自身は、むしろにおかれた死体の上に、殆ど覆いかぶさるようにして、覗き込んでいた。

「まだ、壊相まではいっておらぬから、臭くはなかろう?」

 言ってるそばから、ぷんと、泥の臭いが立ち上る。この医者は、鼻が悪いのかと、長治は思った。


 ちなみに、壊相というのは、人の体が、その死から灰になるまでを、9つの段階に分け、そのうちの、2番目のことである。
 腐乱が進み、皮膚が壊れ始めた状態だ。
 毎度のように天寿庵の説教を聞き、長治はすっかり覚えこまされてしまっている。


 涼しい顔で、医者は続けた。
「今はまだ、腸相じゃな。9相の最初の段階だ。即ち、はらわたに腐った気が溜まった状態である」

「死の最初の状態ですね? するってえと、死後どのくらいでしょう?」
「うーん、この陽気だからの。3日から5日というところかな」
「3日から5日……」

「うむ。さっきも言った通り、臭気は未だ体内にとどまっている。だがもし、お前さんが、今この場で腑分けしてほしいと言うなら……」
「いえ、ご遠慮致します」

 即座に、長治は断った。
 この医者のやりたいようにさせていたら、この先、一ヶ月は、飯が喉を通らないだろう。

「なんじゃ。意気地がないのう」
天寿庵は、明らかに失望したようだった。
「このホトケは、まだ、女人の相を保っておるではないか。青鬼になるのは、もう半日くらい、先であろう」

「ホトケが、青鬼に? 世も末じゃないですか」
 思わず軽口を、長治は叩いた。

 天寿庵が、にやりとわらった。
「ほら。腹が青くなり始めているだろう? これがやがて、全身に広がり、また、腐敗した気がいよいよ溜まって、体全体が膨れ上がる。即ち、青鬼じゃ」

「で、死因なんですが。やっぱり、溺死ですか? するってえと、自殺? 他殺?」

 長治は尋ねた。
 講義を途中で遮られ、明らかに、天寿庵はむっとしたようだった。

「まだ、先がある。赤鬼と黒鬼の話は聞きたくないか?」
「だいたい、想像がつきます……」

 天寿庵はため息を吐いた。
「長治親分。おぬしとの付き合いは、長くなり過ぎた気がする……」

「実は、天寿庵先生。小栗家から、お藤は自殺したのではないか、と言ってきてるんですよ」
 委細構わず、長治は続けた。
 天寿庵に付き合っていると、話が進まない。

「自殺? 馬鹿言え」
口の悪い医者が、悪態をつく。
「これが自殺であるもんか。親分、ここを見てごらん。この、喉の……」

 遠慮なく指し示す指の先に、長治は目を向けた。
 お藤の喉には、傷があった。
 大きな刃物で、ざっくり切られた、大きな傷だ。

「これは……」
長治は息を飲んだ。
「手下どもは、何も言ってなかったのに」

「やつら、土座衛門には経験がないと見えるな」
にやりと、天寿庵は笑った。
「ホトケを、川べりのこの小屋に運び込むだけで、精いっぱいだったとみえる」

「あとで、叱っておきましょう」
「いや、無理もないぞ」

どういうわけか、手下どもへの慈悲の心を、天寿庵は発揮した。

「なにせ、通常より膨れた死体だからな。とっくの昔に血も止まっていて、着物は濃い色だ。生前ならいざしらず、そもそも、じっくり見つめたいシロモノじゃないし。あんたの手下どもが気がつかなくても、無理はなかろうよ」

「あれ?」
得意げな天寿庵の傍らで、長治はつぶやいた。
「帯に何か挟まってる」

「草じゃな」
一緒に覗き込み、天寿庵がつぶやいた。
「ま、たいしたことじゃあるまいて。それより、儂の見立ては聞きたくないか?」

「聞きたいです、もちろん!」

 さっきから聞いてるのに、あんたがもったいぶって話をそらしまくってるんじゃないか。
 心の中で毒づきつつ、長治は力いっぱい頷いた。






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