29 / 43
花瓶の穴
6 出来損ない
しおりを挟む
◇
泣き喚く子ども二人をどうにか宥めた如信尼は、床の上に投げ出されたアヤメの花に気がついた。
隣人が持ってきたものだ。
「お花に罪はないわ」
アヤメを拾い上げ、花瓶になる物はないかときょろきょろする。
首の長い、青い器が転がっていた。
桶の水を満たし、花を生けたそれを、如信尼は本堂に運んでいった。
◇
3日後。ようやく俺は、釈明の機会を与えられた。
もっともその頃には、如信尼様は、独歩とおえんから、あらかたの話は聞き終えていた。二人は互いに罵り合い、それゆえ、俺への疑いは、晴れたらしい。
まずは、一安心だ。
「そうでしたか。独歩がそこまで強情を」
ほう、と、如信尼様は深いため息を吐いた。
「おとなしい独歩にしては、珍しいことです。彼はおえんを、先輩格として見ていましたし」
寺に来たのは、おえんの方が先だ。5年前、まだへその緒の取れていない赤子が、山門の下に捨てられていた。それが、おえんだ。
「花瓶に孔は、いけませんけどね。水が漏れました」
「ああ、やっぱり!」
泣き喚いていたおえんと独歩は、器には穴が開いていると如信尼様に注進することを忘れたらしい。
「やっぱり?」
如信尼様の目に嫌な光が灯った。
「おかげで、お線香とお供えのお饅頭が、台無しになりましたけどね。あと、役者絵も」
俺の背筋に寒気が走った。だって如信尼様は、売れない役者の贔屓筋だ。さすがにご本尊の顔に役者絵が貼り付けられていることはなくなったが、供物台に役者絵が供えられていることはままある。
「五右衛門さんが持ってきた花瓶ですってね?」
俺が諸悪の根源だといわんばかりの、険しさだ。
俺は慌てた。
「如信尼様への御進物です。日頃のお世話に、感謝をこめて、ですね」
「そうしたものは不要だと言ったでしょ」
「あの、濡れちまったんですか?」
「何が?」
「役者絵」
「……」
沈黙があった。部屋の温度が氷室並みに下がった気がする。
「諸行無常万物流転」
やがて呪文のように如信尼様は唱えた。
「五右衛門さんが気にすることはありません。全て形をとどめないのが世の習い」
ようやく彼女がそう言ってくれた時には、俺は冷や汗でびっしょりになっていた。
「すると、許して下さるんで?」
「許すも何も。二枚目役者、葉桜勘之助殿の絵姿が濡れて破れたしまっても、私は全く気にしていません」
気にしてる! つか、これは絶対怒ってる!
恐ろしさに俺は、わなわな震えた。
こほん。
如信尼様が小さな咳ばらいをしなさった。
「ところで、五右衛門殿。これは随分、高価な花瓶だそうじゃないですか」
話題が変わって、俺はほっとした。
「磁器です。出来損ないですみません」
自分で言うのは、忸怩たるものがあったが、仕方がない。如信尼様の大事の役者絵を台無しにしたとあっては、ただで済むはずがない。
「出来損ない?」
美しい眉を、如信尼様が顰めた。
「世の中に、出来損ないなんて、存在しないのですよ」
感激した。
「俺、人からよく、出来損ない、って言われるんですけど」
「何事にも例外はあります。ですが、この花瓶の孔は、出来損ないということではないようですよ。独歩が言っていました。わざと開けたようです。蓋と取っ手をつける為に」
「金の?」
「ええ、金の」
静かに、如信尼様は微笑む。
「如信尼様は、それを、信じなさるので?」
「どうして疑う必要がありましょう」
思わず俺は、彼女の顔に見惚れてしまった。弥勒菩薩もかくやというほど、優しいお顔だ。
「問題は、独歩が癇癪を起したことです。穏やかなあの子が……。五右衛門さん。その時のことを、詳しく話してくれますか?」
如信尼様に乞われるままに、俺は、当時の状況を話した。
「すると、磁器に金の蓋や取っ手はあり得ない、と言われて泣き出した訳ですね、独歩は」
「言ったのは、おえんです」
「わかっています。ですが、泣くほどのことでしょうか?」
まるで、お前も何かしたんじゃないか、と言わんばかりの強い目の力で、俺を射すくめる。
何も言われない先から、俺は首を横に振った。
「磁器に金の取り合わせは、独歩にとっては、とても大切な思い出と結びついているんじゃないでしょうか」
「思い出?」
「なにか、子どもの頃の……」
わずかに、如信尼様の顔色が変わった。「五右衛門さん。あなたは、独歩について、何か知っているのですか?」
泣き喚く子ども二人をどうにか宥めた如信尼は、床の上に投げ出されたアヤメの花に気がついた。
隣人が持ってきたものだ。
「お花に罪はないわ」
アヤメを拾い上げ、花瓶になる物はないかときょろきょろする。
首の長い、青い器が転がっていた。
桶の水を満たし、花を生けたそれを、如信尼は本堂に運んでいった。
◇
3日後。ようやく俺は、釈明の機会を与えられた。
もっともその頃には、如信尼様は、独歩とおえんから、あらかたの話は聞き終えていた。二人は互いに罵り合い、それゆえ、俺への疑いは、晴れたらしい。
まずは、一安心だ。
「そうでしたか。独歩がそこまで強情を」
ほう、と、如信尼様は深いため息を吐いた。
「おとなしい独歩にしては、珍しいことです。彼はおえんを、先輩格として見ていましたし」
寺に来たのは、おえんの方が先だ。5年前、まだへその緒の取れていない赤子が、山門の下に捨てられていた。それが、おえんだ。
「花瓶に孔は、いけませんけどね。水が漏れました」
「ああ、やっぱり!」
泣き喚いていたおえんと独歩は、器には穴が開いていると如信尼様に注進することを忘れたらしい。
「やっぱり?」
如信尼様の目に嫌な光が灯った。
「おかげで、お線香とお供えのお饅頭が、台無しになりましたけどね。あと、役者絵も」
俺の背筋に寒気が走った。だって如信尼様は、売れない役者の贔屓筋だ。さすがにご本尊の顔に役者絵が貼り付けられていることはなくなったが、供物台に役者絵が供えられていることはままある。
「五右衛門さんが持ってきた花瓶ですってね?」
俺が諸悪の根源だといわんばかりの、険しさだ。
俺は慌てた。
「如信尼様への御進物です。日頃のお世話に、感謝をこめて、ですね」
「そうしたものは不要だと言ったでしょ」
「あの、濡れちまったんですか?」
「何が?」
「役者絵」
「……」
沈黙があった。部屋の温度が氷室並みに下がった気がする。
「諸行無常万物流転」
やがて呪文のように如信尼様は唱えた。
「五右衛門さんが気にすることはありません。全て形をとどめないのが世の習い」
ようやく彼女がそう言ってくれた時には、俺は冷や汗でびっしょりになっていた。
「すると、許して下さるんで?」
「許すも何も。二枚目役者、葉桜勘之助殿の絵姿が濡れて破れたしまっても、私は全く気にしていません」
気にしてる! つか、これは絶対怒ってる!
恐ろしさに俺は、わなわな震えた。
こほん。
如信尼様が小さな咳ばらいをしなさった。
「ところで、五右衛門殿。これは随分、高価な花瓶だそうじゃないですか」
話題が変わって、俺はほっとした。
「磁器です。出来損ないですみません」
自分で言うのは、忸怩たるものがあったが、仕方がない。如信尼様の大事の役者絵を台無しにしたとあっては、ただで済むはずがない。
「出来損ない?」
美しい眉を、如信尼様が顰めた。
「世の中に、出来損ないなんて、存在しないのですよ」
感激した。
「俺、人からよく、出来損ない、って言われるんですけど」
「何事にも例外はあります。ですが、この花瓶の孔は、出来損ないということではないようですよ。独歩が言っていました。わざと開けたようです。蓋と取っ手をつける為に」
「金の?」
「ええ、金の」
静かに、如信尼様は微笑む。
「如信尼様は、それを、信じなさるので?」
「どうして疑う必要がありましょう」
思わず俺は、彼女の顔に見惚れてしまった。弥勒菩薩もかくやというほど、優しいお顔だ。
「問題は、独歩が癇癪を起したことです。穏やかなあの子が……。五右衛門さん。その時のことを、詳しく話してくれますか?」
如信尼様に乞われるままに、俺は、当時の状況を話した。
「すると、磁器に金の蓋や取っ手はあり得ない、と言われて泣き出した訳ですね、独歩は」
「言ったのは、おえんです」
「わかっています。ですが、泣くほどのことでしょうか?」
まるで、お前も何かしたんじゃないか、と言わんばかりの強い目の力で、俺を射すくめる。
何も言われない先から、俺は首を横に振った。
「磁器に金の取り合わせは、独歩にとっては、とても大切な思い出と結びついているんじゃないでしょうか」
「思い出?」
「なにか、子どもの頃の……」
わずかに、如信尼様の顔色が変わった。「五右衛門さん。あなたは、独歩について、何か知っているのですか?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転
小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。
人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。
防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。
どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる