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花瓶の穴
9 白野屋の客
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◇
将監河岸の陶器商、白野屋では、店主の春兵衛が、不審な客に目を付けた。
まず第一に、身なりが粗末だった。
白野屋では、陶磁器を扱っている。比較的手の出やすい価格で販売しているが、それでも、高価であることに、変わりはない。陶磁器は、こんなみすぼらしいなりの町民風情に、買えるような代物ではないのだ。
それなのに、男は、しつこかった。番頭の矢八郎に、あれやこれや出してこさせては、鹿爪らしい顔で、ひねくり回している。
まだ若い男だ。
裕福なお店のぼんぼんが、陶磁器集めの趣味に嵌ることはある。だが、この若者からは、そうした鷹揚さは、全く感じられなかった。一言でいえば、貧乏くさい。
「あたしに貸してごらん」
奥の倉庫から出てきた番頭から、春兵衛は、花瓶を受け取った。
「馬鹿だね、矢八郎、お前さんは。あんなみすぼらしい客に、こんな高価な花瓶が買えるものかね。質の悪い冷やかしだよ」
「壱拾州屋さんは、いつも、すり切れた着物を着ていらっしゃいますが」
番頭の矢八郎が返す。壱拾州屋というのは、いつも大量に磁器を買い付けてくれる、太筋の客だ。
「壱拾州屋の大旦那は、もうご老人だろ。今店に来てる客は、若い。若いもんは、外見に気を遣うものだ。ありゃ、ただの貧乏人だよ」
「さすが、旦那さんだ」
感心して見送る矢八郎の視線を背に、春兵衛は店に戻った。
「いらっしゃいませ、お客様」
愛想のよい笑顔で、若い客に向かう。
「あれ? さっきの番頭さんは?」
「あいにくと矢八郎は、所用ができまして。店主のあたしがお相手をさせて頂きます」
「俺ぁ、さっきの番頭さんが、気に入ったんだが。まあ、いいや。花瓶を見せてくんな」
番頭に対して、変に馴れ馴れしい客を、春兵衛は、不快に思った。
「申し訳ございません、お客様。これは、大層、高価なものでございまして」
「わかってるよ?」
「値が高いのでございます。うっかり不調法があったら大変です」
「俺が、割っちまうとでも?」
「万が一、です。万が一そのような不幸があった場合、私どもは、お客様にご迷惑をおかけしたくないのでございます」
「俺は、平気だよ。割れるのは、あんたんとこの商品だもん」
「場合によっては、お客様に弁償して頂くこともあるかと」
「何だって!?」
「ですから、万が一です。万が一、お客様ご自身の手が、するりと滑ったら……」
「違ぇねえ。己の落ち度は償わなくっちゃな」
店の上がり框に腰かけた男は、意外にあっさりと認めた。
春兵衛に向かって身を乗り出す。
「実は、俺の友達にね。穴の開いた花瓶を売りつけられたやつがいるんだ」
「穴の開いた花瓶、でございますか?」
「そうだ。そっから水が漏れてよ。それで友達は、女にフられたそうだ」
「はあ……。花瓶から水が漏れて、女性にふられなすった……」
彼は、相手の男を、じっくりと観察した。間の抜けた顔をしている。。
「なんでも、花瓶から漏れた水に濡れて、その女の大事なものを台無しにしちまったんだそうだ。線香とか饅頭とか、役者絵とか、な」
線香と饅頭と役者絵。変な取り合わせだ。
「陶器に、エミ(割れ目)でも入っていたのでしょうか」
「いや、それがな。花瓶のくびれの辺りに、小さな丸い孔が空いていたんだと」
「小さな丸い孔……」
春兵衛の頭に、幽かな警告灯が灯った。
「大方、虫にでも喰われたんだろうが、それにしても、買ってすぐのことだからよ」
「お客様。陶磁器は、虫に喰われることはありません」
杞憂か。この客は、ただの愚か者だ。
「やい! 白野屋春兵衛! 俺を雇ってくれる約束はどうなったんだよ!」
その時、店の外から、大きな声が聞こえた。
「おっ! 騒ぎかい!?」
飛び上がるようにして、男が立ち上がった。どうやら、野次馬根性の強い性質のようだ。
小さく、春兵衛は舌打ちをした。
「春兵衛! 出てこい、春兵衛!」
店の外で騒いでいる男には、心当たりがあった。
一方でこの若い客は、磁器の孔を、話題に振ってきた。
たとえ阿呆であっても、この若い男にも、注意が必要だ。
奥から、番頭の矢八郎が走ってきた。矢八郎は春兵衛と目を合わせ、頷いた。
「お客様。こちらの皿なら、お客様にもお手が出せますよ?」
店の棚から赤絵(色絵)の小皿を取り出し、柔らかな声で、矢八郎が言う。
「いや、俺は、花瓶が欲しいの」
言いながらも、番頭が気に入ったという男は、框に腰を下ろした。
「番頭も出てきたことですし、ちょっと失礼しますよ」
言い置き、春兵衛は店の外へ出た。
将監河岸の陶器商、白野屋では、店主の春兵衛が、不審な客に目を付けた。
まず第一に、身なりが粗末だった。
白野屋では、陶磁器を扱っている。比較的手の出やすい価格で販売しているが、それでも、高価であることに、変わりはない。陶磁器は、こんなみすぼらしいなりの町民風情に、買えるような代物ではないのだ。
それなのに、男は、しつこかった。番頭の矢八郎に、あれやこれや出してこさせては、鹿爪らしい顔で、ひねくり回している。
まだ若い男だ。
裕福なお店のぼんぼんが、陶磁器集めの趣味に嵌ることはある。だが、この若者からは、そうした鷹揚さは、全く感じられなかった。一言でいえば、貧乏くさい。
「あたしに貸してごらん」
奥の倉庫から出てきた番頭から、春兵衛は、花瓶を受け取った。
「馬鹿だね、矢八郎、お前さんは。あんなみすぼらしい客に、こんな高価な花瓶が買えるものかね。質の悪い冷やかしだよ」
「壱拾州屋さんは、いつも、すり切れた着物を着ていらっしゃいますが」
番頭の矢八郎が返す。壱拾州屋というのは、いつも大量に磁器を買い付けてくれる、太筋の客だ。
「壱拾州屋の大旦那は、もうご老人だろ。今店に来てる客は、若い。若いもんは、外見に気を遣うものだ。ありゃ、ただの貧乏人だよ」
「さすが、旦那さんだ」
感心して見送る矢八郎の視線を背に、春兵衛は店に戻った。
「いらっしゃいませ、お客様」
愛想のよい笑顔で、若い客に向かう。
「あれ? さっきの番頭さんは?」
「あいにくと矢八郎は、所用ができまして。店主のあたしがお相手をさせて頂きます」
「俺ぁ、さっきの番頭さんが、気に入ったんだが。まあ、いいや。花瓶を見せてくんな」
番頭に対して、変に馴れ馴れしい客を、春兵衛は、不快に思った。
「申し訳ございません、お客様。これは、大層、高価なものでございまして」
「わかってるよ?」
「値が高いのでございます。うっかり不調法があったら大変です」
「俺が、割っちまうとでも?」
「万が一、です。万が一そのような不幸があった場合、私どもは、お客様にご迷惑をおかけしたくないのでございます」
「俺は、平気だよ。割れるのは、あんたんとこの商品だもん」
「場合によっては、お客様に弁償して頂くこともあるかと」
「何だって!?」
「ですから、万が一です。万が一、お客様ご自身の手が、するりと滑ったら……」
「違ぇねえ。己の落ち度は償わなくっちゃな」
店の上がり框に腰かけた男は、意外にあっさりと認めた。
春兵衛に向かって身を乗り出す。
「実は、俺の友達にね。穴の開いた花瓶を売りつけられたやつがいるんだ」
「穴の開いた花瓶、でございますか?」
「そうだ。そっから水が漏れてよ。それで友達は、女にフられたそうだ」
「はあ……。花瓶から水が漏れて、女性にふられなすった……」
彼は、相手の男を、じっくりと観察した。間の抜けた顔をしている。。
「なんでも、花瓶から漏れた水に濡れて、その女の大事なものを台無しにしちまったんだそうだ。線香とか饅頭とか、役者絵とか、な」
線香と饅頭と役者絵。変な取り合わせだ。
「陶器に、エミ(割れ目)でも入っていたのでしょうか」
「いや、それがな。花瓶のくびれの辺りに、小さな丸い孔が空いていたんだと」
「小さな丸い孔……」
春兵衛の頭に、幽かな警告灯が灯った。
「大方、虫にでも喰われたんだろうが、それにしても、買ってすぐのことだからよ」
「お客様。陶磁器は、虫に喰われることはありません」
杞憂か。この客は、ただの愚か者だ。
「やい! 白野屋春兵衛! 俺を雇ってくれる約束はどうなったんだよ!」
その時、店の外から、大きな声が聞こえた。
「おっ! 騒ぎかい!?」
飛び上がるようにして、男が立ち上がった。どうやら、野次馬根性の強い性質のようだ。
小さく、春兵衛は舌打ちをした。
「春兵衛! 出てこい、春兵衛!」
店の外で騒いでいる男には、心当たりがあった。
一方でこの若い客は、磁器の孔を、話題に振ってきた。
たとえ阿呆であっても、この若い男にも、注意が必要だ。
奥から、番頭の矢八郎が走ってきた。矢八郎は春兵衛と目を合わせ、頷いた。
「お客様。こちらの皿なら、お客様にもお手が出せますよ?」
店の棚から赤絵(色絵)の小皿を取り出し、柔らかな声で、矢八郎が言う。
「いや、俺は、花瓶が欲しいの」
言いながらも、番頭が気に入ったという男は、框に腰を下ろした。
「番頭も出てきたことですし、ちょっと失礼しますよ」
言い置き、春兵衛は店の外へ出た。
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