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マダムの恋文
しおりを挟むそんなある日、地味なドレス姿の女性が訪れた。地味ではあるが、どっしりとした質感の、上等な生地の服だ。栗色の髪がきれいにカールし、顔はレースのベールで覆われていた。
「シグモント・ボルティネさんですね?」
入り口で声を掛けてきた。おつきの少女を連れている。
「はい、マドモアゼル」
書きかけの代筆から顔を上げ、応えた。
「マダムよ」
「失礼しました、マダム」
最初に奥さんではなくお嬢さんと呼びかけるのは、こういう商売の鉄則だ。実年齢より若く見られる方が無難だから。やりすぎると嫌味になるから、注意が肝要だけど。
それにしても、この「マダム」は、随分若く見える。そして、言葉に軽いなまりがある。
「恋文の代筆をお願いできなくて?」
おずおずと貴婦人は切り出した。妙に物慣れない感じだ。
「もちろんです、マダム」
足音を忍ばせるようにして、彼女は室内へ入ってきた。玄関ドアは開けたままだ。なにしろ一間きりしかないから、外から丸見えである。
「では、まず聞き取りをさせて下さい」
彼女が席に着くと、俺は申し出た。
「聞き取り?」
「ええ。どういったラブレ……恋文を書くか、その基礎となる情報が必要なんです」
ちらりと、貴婦人の目が開け放した玄関へ向けられた。
「扉を閉めてもよろしいでしょうか、マダム」
これからどんなことが語られるかわからないが、ある程度のプライバシーが曝け出されることは間違いない。誰かに聞かれることを恐れるなら、ドアは閉めておいた方がいい。
貴婦人はためらった。
男と一緒の部屋にいることを警戒しているのだろうか。けど、おつきの少女がいることだし、何よりこのボロ長屋では、ちょっと大きな声を出せば、周囲に筒抜けだ。
「そうしてちょうだい」
結局、彼女は同意した。俺は立ち上がり、玄関を閉めた。
「まずは、お相手のお名前を窺います」
「あなた、でいいわ。夫なんです」
「ご主人ですか」
気の毒に、彼女の結婚生活はうまくいっていないのだと、俺は推測した。
手紙のあて先が夫という例は、ないことはない。自分の元に戻ってきてくれるようにという哀願から三行半(離別・離婚宣言)まで、今まで書いた手紙は多岐に亙る。
「私、子どもが欲しいんですの」
思い切ったように貴婦人は言った。切羽詰まった眼をしている。
「それなのに、夫は、私の寝所を訪れてくれないんです」
「それは……困ったことですね」
お相手の悪口を言ってはいけない。これも、鉄則。
「周囲から子どもを産むことを期待されているんです。それが、私が嫁いできた理由ですから。出産は、私の義務です。それなのに、私のお腹はいつまで経ってもぺっちゃんこ。だってそうでしょう? いったいどうやって子を作れと言うの? 夫が床を共にしてくれないのに」
堰を切ったように貴婦人は話し始めた。気の毒に、よっぽど悩んでいたようだ。
それにしても、子どもを産むことが義務? このご婦人は、かなり身分のある方に違いない。
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