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第四章 深夜の羅城門
34 母と姉と、大納言
しおりを挟む漂の君の名を出した途端、沙醐の目の前で、扉がぴたりと閉められた。
ここは、都の外れ。漂の君の母・務の君が、上の娘と暮らしている館だ。
門前払い同然の扱いを受け、沙醐は途方に暮れた。
自分の産んだ娘がさらわれたというのに、務の君は、心配ではないのか。
怒りさえ、湧いてくる。
こうなったら、庭のどこからか忍び込んでやろうと思った。使用人ではなく、母親を捕まえて、直接、話を聞くのだ。
「もうし。もうし」
歩き出した沙醐の後ろで、声が聞こえた。
沙醐より少し年上の、姫君が立っている。漂の君の、姉君だ。
「蛍邸の方。どうかこれへ」
手招いている。優しい顔をして微笑み、沙醐を庭の中に招じ入れてくれた。
少し歩くと、東屋があった。
「邸に入ると、母の悋気に触れます。申し訳ありませんが、ここで」
姉君は、妹である漂の君と、あまり似ていないようだった。漂の君には、椿の花のようなあでやかさがあったが、この姫君には、それがない。代わって、山茶花のような清楚さがあった。
「漂の話になると、母はまるで、人が変わったようになります」
東屋に落ち着くと、姉君はため息をついた。
「普段は、とても優しい母なのですが」
「なぜ、お母上は、漂の君を里子に出しておしまいになったのでしょう」
沙醐が問うと、姉君は、悲し気に目を伏せた。
「私にもわからぬのでございます。ただ、……」
「ただ?」
「母の不幸の原因は、全てあの子だと、申しております。あの子が生まれたから、父の足が遠のき、このような……」
小さな庭に、ぼんやりと、姉君は目をやった。確かに、手入れが行き届いてない。
蛍邸ほど、荒れ果ててはいない。だが、皇族が住むには、小さすぎた。それに、ここは、都の外れだ。
「わたくしにはよくわかりません。なぜ、母は、赤子のうちに手放した漂を、あんなにも憎むのか。まるで、そうすることによって、かろうじて、自分を支えているかのよう……」
悲しそうな姉君に、沙醐は、かける言葉もなかった。
「漂はさらわれたと、あなたはおっしゃいました」
きっとした目で、姉君は、沙醐を見た。詳しく知りたいのだ。
母親である務の君が、ろくに話も聞かずに、沙醐を追い出したのとは、全く違う。この姉君は、まともだと、沙醐は感じた。
「下手人の一人を、検非違使が捕らえました。隆範という男です」
「隆範!」
姉君の目に、驚愕の色が浮かんだ。
「その男、もしや、僧ではございませぬか?」
「ご存知なのですか?」
驚いて、沙醐は問い返した。姉君は頷いた。
「父の、臣下だった者です」
「お父上……華海親王の?」
「はい。父が出家した折には、自分も一緒に剃髪したそうです。大変忠義な者でした」
「隆範のこと、もっと詳しく教えて下さい!」
勢い込んで、沙醐は尋ねた。
「住まいとか、人間関係とか、今、どういう暮らしをしているか……」
その辺りから、漂の君の監禁場所がわかるかもしれない。
「それが……」
姉君は、困ったように目を伏せた。
「ご覧の通り、母と私は、このように寂れたところで、ひっそりと暮らしています。父の昔の従者たちとも、すっかり縁が切れてしまいました。隆範のことも、今、あなた様が名を口にするまで、忘れていたくらいです」
「……そうですか」
見えたと思った糸は、辿る前に、ぷっつりと切れてしまった。沙醐は、すっかりしょげかえってしまった。
「申し訳ありません」
身を縮ませるようにして、姉君が謝った。
沙醐が、漂の君の母の元から帰ってくると、蛍邸の前に、黒塗りの、大きな牛車が止まっていた。遠くからでもわかるほど、大勢の付き人達が、たむろしている。
じろじろと自分を見つめる付き人達の間を通り、沙醐は、門に向かう。
中から、立派な身なりの男が出てきた。
目の詰まった生地の直衣姿で、頭には、光り輝くような烏帽子をかぶっている。物腰も堂々としている。自分に自信のある者の歩き方だ。
門前の従者たちが、一斉に、平伏した。
男は頷き、牛車に乗り込んだ。
傍らに佇み、道を空けた沙醐には、目を向けることさえなかった。
牛車は、重そうに軋み、埃っぽい道を、ゆっくりと去っていった。
大勢の従者がそれに続く。
「何、あれ?」
思わず、沙醐はつぶやいた。
「大納言が来たんだよ」
いつの間にか、足元に来ていた一睡が教えてくれた。
「大納言?」
「影道さ」
「……」
まるで答えになっていなかった。
この国の政治を牛耳っている大納言が、なぜ、蛍邸を訪れたのだろう。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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