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第4章「奇妙な家」

第34話「シガーカッター」

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(UnsplashのTalles Alvesが撮影)

「かしまの件……?」

 聡が不明瞭《ふめいりょう》な顔をしていると、隣からするっと返事をしたのが、音也だ。

「おかげさまで、なんとか話が通《とお》りそうです」

 わけがわからず、眼をきょろきょろさせる。
 横井《よこい》は顎《あご》を軽くつまむようにして目を細《ほそ》めた。

 一瞬だけ、横井の人のいい表情が老練《ろうれん》な政治家らしく、酷薄になった。

「ほお、どういう風の吹きまわしかな……あの人にそういう融通《ゆうづう》がきくとは思わんかった。
 よっぽど聡がかわいいか。それともほかにがあったか」

 音也は黙って横井に頭を下げた。
 横井もそれ以上何もいわず、第一秘書の佐久《さく》を連れて店を出ていった。
 定食屋の引き戸が閉まった瞬間、聡は隣に座る華麗な秘書を見た。

「『かしまの件』って、何のことだ?」

 音也はパキンと割り箸を割ると、

「ただの世間話だ」

 そばを食べ始めた。

 すぐにまた、入口があく。店を出たばかりの佐久が顔を突っ込み、

「松ヶ峰、明日の午後に事務所に来い」
「はあ」
「オヤジがな、さ来週《らいしゅう》、東京にいく。
 明日くわしく話すが、幹事長の今村《いまむら》先生のパーティがあるんだ。お前、むこうで落ち合え。
 行けばオヤジが今村先生に顔つなぎをしてくれるぞ」

 聡が何か言う前に音也がすばやく立ち上がり、ぴったり四十五度に長身をかがめた。

「ありがとうございます。なにがあっても同行させていただきます」

 佐久は、音也の流麗なようすをみて安心したように続けた。

「まったく、運のいいやつだ。
 選挙前に幹事長と会えるなんて、ひろった宝くじがあたるようなもんだぞ?」

 と、店の入口をしめた。

「東京?」

 あっけにとられて聡がつぶやく。
 音也は安っぽいスーツの襟をととのえて、背筋を伸ばした。

「明日くわしく聞こう。パーティの時間によっては、東京泊まりだな。
 コルヌイエホテルを取っておくか?」
「そうだな、泊まるならコルヌイエだな」

 つぶやきながら、ついさっき聞いた言葉の何かが聡の中でひっかかっていた。

 東京……幹事長の今村先生……パーティ……コルヌイエホテル。
 いや、違う。もっと不安な言葉だ。

 ついさっき聞いたばかりの言葉。なんだったか……。

 食べ終わった音也が立ち上がろうと身体を深くかがめた瞬間、胸ポケットから何かが落ちた。
 銀色の金属片。
 角《かど》の丸くなった三角形で、中央には穴が開いている。
 鋭そうな金属の刃が見えた。

 葉巻用のシガーカッターだ。
 聡にとっては、子どものころから見慣れた北方御稲《きたかたみしね》のシガーカッター。
 それに気づいた瞬間、聡の気がかりは空中に消えてしまった。

「なぜ、おまえがそれを持っている?」

 音也の端麗な顔に、かすかな当惑が浮かんでいた
 それでも、いつもと同じバリトンで答える。

「あずかっているんだよ」
「御稲先生のシガーカッターをか?
 カッターなしじゃ、あっちが困るだろ」
「さあね」

 音也はあっさりと答えて、何の気もないようにテーブルからシガーカッターをさらいとった。

「禁煙でもするんじゃないか。
 聡、弁護士の三木先生と約束があるんだろう。送っていく」

 聡に何も言わせないうちに、音也はいってしまった。
 モヤモヤが、消えていかない……。
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