33 / 164
第4章「奇妙な家」
第33話「鹿島の件」
しおりを挟む
(UnsplashのBen den Engelsenが撮影)
名古屋の名家、松ヶ峰家には、代々の当主は衆議院選にしか出馬しないという不文律《ふぶんりつ》がある。
そのため、愛知県選出の参院議員・横井謙吉《よこいけんきち》は聡を子供のようにかわいがっている。
参議院議員である横井と聡では、おたがいに有権者を食い合う危険性が少ないからだ。
将来的に聡の邪魔にならないからこそ、母親の松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》は、横井を聡の預け先に選んだのだった。
聡たちが事務所に入ると、横井は顔を皺《しわ》だらけにして迎えた。
「おう、来たか。待っとったんだわ、昼飯に行くぞ」
横井は聡の肩までしかない小兵《こひょう》で、頭はすっかり禿《は》げあがり、耳の脇にちょっと白髪が残っているだけだ。
細長《ほそなが》い顔のなかで、ぎょろりとした目ばかりがよく動く。
なるほど北方御稲《きたかたみしね》の言うとおり、顔つきは『イタチ』によく似ていた。
横井は音也と聡を連れて近所の定食屋に入り、店主に軽く手をあげると、おしぼりで顔を拭いて、適当に放り出した。
せわしなく聡に尋ねる。
「そっちの様子はどうだ」
「何とか、動いています。来月、仮《かり》の事務所開《じむしょびら》きをします。ええと、いつだったかな」
横井は顔をしかめ、
「大事な船出《ふなで》の日を忘れるやつがおるか、馬鹿もん。
日付は、大安《たいあん》を選んだだろうな」
と、質問の後半は秘書である音也に向けた。
「はい」
聡のかわりに音也が答える。横井はもう聡ではなく、音也に向かって、
「事務所開きの当日は、人をまわしてやろう。ほしいだけの人数を佐久《さく》に言え。
オープン日に人の出入りが少ないのはみっともないぞ」
「お願いいたします。あっ、先生のところからきていただいている今野《こんの》くん、よく働いてくれますよ」
「おお、あいつなあ。あれは政治屋になる気はこれっぽっちもないんだが、ひょっとするとひょっとするかもしらん」
横井は、少しうれしそうに笑った。
そこへ、そばが運ばれてくる。横井は大量のとうがらしをかけると箸を割り、目の前の二人にも食べるようにけしかけた。
「おまえらも食え、食え。
特に聡、お前は選挙戦が始まったら、食えんし寝られんからな。
今から肉をつけとけ。あんまり細っこすぎるのもイメージが良うないぞ」
「努力します」
聡はぼそぼそと答え、ざるそばに箸を伸ばす。
隣に座る音也は、ぴしりと背筋を伸ばしたままだ。
横井が一口、二口食べたところで入口ががらりと開き、男がひとり、慌てた様子で入ってきた。横井の政策秘書である 佐久《さく》だ。
「先生、こんな時間に飯なんか……おっ、松ヶ峰か。久しぶりだな」
「佐久さん、お疲れさまです」
聡は立ち上がって挨拶をした。
40代半ばの佐久は、横井事務所を統括《とうかつ》している第一秘書だ。
横井の事務所に出入りする政治家希望の若者にとっていわば兄貴分といえる。
「うん。お前もいよいよだな、がんばれよ。
先生、飯は途中にして事務所に戻ってください。これから党本部で打ち合わせです。遅れますよ」
「飯を食う時間もないのか」
ぼやきながら、横井は席を立った。
せわしげに歩く途中、ふと音也に目をやって尋ねた。
「そう言えば、鹿島の件はどうなった?」
ぴくっ、と音也のなだらかな眉毛が跳ね上がった。
名古屋の名家、松ヶ峰家には、代々の当主は衆議院選にしか出馬しないという不文律《ふぶんりつ》がある。
そのため、愛知県選出の参院議員・横井謙吉《よこいけんきち》は聡を子供のようにかわいがっている。
参議院議員である横井と聡では、おたがいに有権者を食い合う危険性が少ないからだ。
将来的に聡の邪魔にならないからこそ、母親の松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》は、横井を聡の預け先に選んだのだった。
聡たちが事務所に入ると、横井は顔を皺《しわ》だらけにして迎えた。
「おう、来たか。待っとったんだわ、昼飯に行くぞ」
横井は聡の肩までしかない小兵《こひょう》で、頭はすっかり禿《は》げあがり、耳の脇にちょっと白髪が残っているだけだ。
細長《ほそなが》い顔のなかで、ぎょろりとした目ばかりがよく動く。
なるほど北方御稲《きたかたみしね》の言うとおり、顔つきは『イタチ』によく似ていた。
横井は音也と聡を連れて近所の定食屋に入り、店主に軽く手をあげると、おしぼりで顔を拭いて、適当に放り出した。
せわしなく聡に尋ねる。
「そっちの様子はどうだ」
「何とか、動いています。来月、仮《かり》の事務所開《じむしょびら》きをします。ええと、いつだったかな」
横井は顔をしかめ、
「大事な船出《ふなで》の日を忘れるやつがおるか、馬鹿もん。
日付は、大安《たいあん》を選んだだろうな」
と、質問の後半は秘書である音也に向けた。
「はい」
聡のかわりに音也が答える。横井はもう聡ではなく、音也に向かって、
「事務所開きの当日は、人をまわしてやろう。ほしいだけの人数を佐久《さく》に言え。
オープン日に人の出入りが少ないのはみっともないぞ」
「お願いいたします。あっ、先生のところからきていただいている今野《こんの》くん、よく働いてくれますよ」
「おお、あいつなあ。あれは政治屋になる気はこれっぽっちもないんだが、ひょっとするとひょっとするかもしらん」
横井は、少しうれしそうに笑った。
そこへ、そばが運ばれてくる。横井は大量のとうがらしをかけると箸を割り、目の前の二人にも食べるようにけしかけた。
「おまえらも食え、食え。
特に聡、お前は選挙戦が始まったら、食えんし寝られんからな。
今から肉をつけとけ。あんまり細っこすぎるのもイメージが良うないぞ」
「努力します」
聡はぼそぼそと答え、ざるそばに箸を伸ばす。
隣に座る音也は、ぴしりと背筋を伸ばしたままだ。
横井が一口、二口食べたところで入口ががらりと開き、男がひとり、慌てた様子で入ってきた。横井の政策秘書である 佐久《さく》だ。
「先生、こんな時間に飯なんか……おっ、松ヶ峰か。久しぶりだな」
「佐久さん、お疲れさまです」
聡は立ち上がって挨拶をした。
40代半ばの佐久は、横井事務所を統括《とうかつ》している第一秘書だ。
横井の事務所に出入りする政治家希望の若者にとっていわば兄貴分といえる。
「うん。お前もいよいよだな、がんばれよ。
先生、飯は途中にして事務所に戻ってください。これから党本部で打ち合わせです。遅れますよ」
「飯を食う時間もないのか」
ぼやきながら、横井は席を立った。
せわしげに歩く途中、ふと音也に目をやって尋ねた。
「そう言えば、鹿島の件はどうなった?」
ぴくっ、と音也のなだらかな眉毛が跳ね上がった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
