「何もない、静かな部屋」 キスを待つ頬骨シリーズ2.5

水ぎわ

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第7章「今野哲史」

第49話「気分転換」

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 今野の目の前で、環《たまき》の肩はふんわりと丸かった。少しでも力を入れたら、そのまま小さく縮んでとけてしまいそうだった。

「……あのおばさんのいう事は間違ってるよ。何も、環ちゃんのせいじゃない」
「いいえ、私が悪いんです。
 私が、いてはいけないところにいるから話がこじれていく。
 いつもそうなんです、あの財団法人の話だって」
「ざいだんほうじん? なにそれ」

 今野が聞き返しても、環はそばにいる若い男のことなど忘れはてたように、小さな手で顔をおおって泣き始めた。

「私が頼《たよ》りないから、紀沙《きさ》おばさまに余計なご心配をかけてしまった……あのお金はぜんぶサト兄さんが受け取るべきです。
 だって紀沙おばさまの子供はサト兄さんだけなんですから。
 そこへ私が割り込んで―――」
「ちょっとまって!
 オレ、話が全然分からないし、まあ分かりたいとも思わねえんだけど。
 環ちゃんが困っているってことは、伝わったよ。
 そうだ、ちょっと気分転換しに行こう」
「きぶん、てんかん?」

 環がようやく顔をあげた。
 平凡な顔のなかで、唯一美しいと言える目元が、ぽってりと赤く腫《は》れあがっていた。
 今野は思わずその目じりに指を伸ばしそうになってあやうく手をとめた。
 
 この子は、オレが簡単に触れていい子じゃない。
 今野にも理性がある。環は上司の妹分で、そして絶対的に、ヴァージンだ。
 男と付き合ったこともないだろう。

 だから。
 手を伸ばしてはいけない。
 今野は無理やり笑い、

「環ちゃんを、オレの秘密の隠れ家に連れて行ってあげるよ。
 聡さんにも音也《おとや》のアニキにも、ないしょだぜ?」
「……えっ?」

 環が首をかしげる。
 その角度がまた、ふんわりした羽毛を持つ小鳥のエナガのようで、今野の手のひらに汗をかかせる。


★★★
 今野が選んだのは、松ヶ峰《まつがみね》邸の広い裏庭にある椎《しい》の木《き》だ。
 高さが5メートルほどもあり、緑のつやつやした葉がこんもりと茂って巨大なブロッコリーのよう。
 今野は環に向かってにやりとした。

「さ、登ろうか」
「のぼる? これを?」

 環が予想どおりの返答を返してきたのがうれしくて、今野は勢いよく自分のスーツのジャケットを脱いで放り出した。
 170センチの身体が太い椎の木の幹《みき》にとりついて登りはじめる。

 登りつつ、下にいる環に向かい、

「オレさ、仕事で失敗して音也さんにめちゃくそ叱られた時には、ここへ来て木に登ってんの。
 コイツは枝《えだ》ぶりが良くて登りやすいし、葉が茂っているから見つからないんだ」
「あの、あの今野さん」

 下から、環の困ったような声がする。今野は子猿のようにスルスルと木を登ってゆきながら、

「環ちゃんもやってみなよ。そんなに高いところへ行かなくてもいいんだ。このへんの低い枝でも十分楽しい―――わわっ!」

 今野が3メートルほどの高さまで登ったところで、たちまち環が追いつき、追い越していった。

「うそだろ、早すぎるわ環ちゃん」

 今野は紺色のスカートをはいた環のふっくらした身体を見上げて、茫然とつぶやいた。
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