83 / 164
第11章「俺の朝を、きみに」
第82話「フォークを持つ男」
しおりを挟む環は今野の手ぎわの良さにぽかんとしていた。
そのあいだに今野は、キチネットからカトラリーを出し、オーブンからパンを取り出しては並べ、バックパックから水のボトルまで取り出した。
慣れた仕草で、ボトルからクリスタルのグラスへ水を入れる。
とん、と最後にグラスをテーブルに置くところまでが、まるでショウのように華があった。
環のくちがふさがらない。
今野は笑った。
「ほら、卵が熱いうちに食って。うまいからさ」
「あ……ありがとうございます」
環は取り分けてもらったオムレツを前にして、まだ呆然としている。
今野は自分の皿からシルバーフォークで一切れのオムレツを取り、そのまま環の前に差し出した。
「ほら。ほんとにうまいんだぜ?」
環はもう、自分が何をしているのかよくわからなかった。
だからそのまま、差し出された今野のフォークからすなおに卵を食べた。
ベーコンの塩気と玉ねぎの甘み、チーズの濃厚さにオレガノやコショウの香りが一体となって環の口の中ではじけた。
「おいしい、です」
「だろ? 俺、料理人としちゃモノにならなかったんだけど、フリッタータだけはどこで作っても褒められるんだよね」
「フリッタータ、と言うんですか、このオムレツ」
「俺の家、イタめし屋だからさあ。ガキの頃からオムレツなんて言わねえの。フリッタータだね。
ほんとうはオーブンに入れて仕上げをするんだけど、今朝は省略」
ほら、と今野は次の卵を環にむかって差し出した。
銀色に光るフォークの先で、卵とベーコンと玉ねぎがたまらない匂いをさせて輝いている。
フォークを持つ男と、同じように。
環は自分が何をしているのかわからない。
黙って、今野が差し出す卵を食べつづけた。
やがて今野は大きな声で笑った。
「あんた食べっぷりがいいなあ、環ちゃん。なんかもう、どんどん食わせたくなってくるぜ」
気がつくとテーブルの大皿に盛られていた卵はほとんどなくなっていた。今野はにこにこしながら細長いパンを手にして割る。
かりっという高い音がして半分になったパンが差し出される。
「グリッシーニもうまいよ。これは俺が焼いたわけじゃないけどね」
今野はどんどん食べさせようとするが、さすがに環のお腹がいっぱいになってきた。
「もう、はいりません」
と言って、今野に向かってぺこりと礼をした。
「美味しかったです。ほんとうにおいしかった。あの私、何もできなくてすみません」
「しょうがねえじゃん、その足だもん。ああ、もう立ち上がるなよ、片付けくらいすぐ済ませるからさ」
今野はそう言うと、身軽にテーブルから立ち上がった。環はいそいで、
「……あっ、シンクの下に食洗器がありますから使ってください」
「ほんっと、よくできたキッチンだよなあ。このサイズでコンベクションから食洗器まで入っているんだ。いいよなあ、うちにも欲しいな」
「お家でもお料理をなさるんですか」
「うん。時間があれば。あと……」
「あと?」
環がそう尋ねると、今野はなぜかちょっとまぶしそうな顔をした。
「食わせてえコがいればね――あのさ、環ちゃん」
「はい」
環が返事をすると今野は開きかけた口を一度だけ閉じ、また口をひらいた。
言うべきことを、切り替えたというふうに。
「DVDが、見られる場所はある?」
「DVD?」
「俺さ、昨日の夜に気がついたことがあるんだよね。紀沙おくさんが映画のシーンを絵にしていた、城見《しろみ》監督のことで」
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
