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第12章「あれは、夢か?」
第95話「イギリス車の愛好者は、イギリス車の“頑固さ”を愛している」
しおりを挟む「ええ。見には、今でこそドイツのBMWが作っている車ですが、もともとはイギリス車です。
BMWにうつったとはいえ、いまだにイギリス車の頑固さを色濃く残していますよ」
ここで井上は銀色のフレームの奥から目を光らせて、聡を見た。とにかくもう、圧倒的な美貌だ。
「ご存じですか、イギリス車の愛好者は“イギリス車の頑固さ”を愛しているのだそうです。
日本車の乗りやすさを捨て、フランス車のエスプリやイタリア車の華やかさには目もくれない。
かわりに、サスはがちがち、ハンドリングはねじ伏せなくてはならないような車だからこそ、イギリス車が好きなんですよ」
井上のたとえは妙を得ていて、聡は思わず笑った。
「分かる気がします。たしかにこの車の気むずかしさの魅力は、
日本車が束《たば》になっても、かなわないですね」
「そのぶん、うまく機嫌をとれたときはうれしいんです。
ちょうど好みの女性を、まんまと落とした時の気分ですよ」
ふっと、車内に沈黙が落ちた。
運転席の井上も隣にすわる聡も、脳裏に同じ女性を思い描いていた。
薄暗いコルヌイエホテルのスイートルームの前に立つ、りんとした柳の若木のような女性。
井上の静かな声が、聡に尋ねた。
「――ゆうべは、どこまでご覧になりましたか」
いつのまにか、聡の目の前には鈍色《にびいろ》の水をたたえた皇居の堀があらわれ、半蔵門《はんぞうもん》が見えてきた。
井上はなめらかに車を右折させ、東京駅に向かうべく内堀通《うちぼりどお》りへ入っていく。
道路ぞいには街路樹が並び、すでに乳白色の花をつけ始めている。車窓を行きすぎる木々を見上げて、聡は答えた。
「最後まで、見てしまったと思います。
井上さんが、俺の部屋に向かいあったスイートのドアを開けて出てくるところから、ドアを閉じるまで」
ふう、とかすかに井上が息を吐いた。聡は木々を眺めながら、その息のつややかさに驚いた。
このホテルマンはただの有能なホテルマンじゃない。
色つやのありすぎる、大人の男だ。
井上のテノールの声が、あきらめたようにあふれた。
「では、最初から最後までごらんになったわけですね。おれの、どうしようもない“いたずら”を」
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