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第14章「惚れているからこそ、探さない」

第124話「」

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第124話「こっちが、泣きたくなるような愛情」

(UnsplashのAndrey Kが撮影)
 

 聡は突然かわった話題について行けなくて、一瞬だけ、言葉に詰まった。
 それから、あわてたように早口で北方にいった。

「東京から帰ってこなかったって、なにが――ああ、音也か。いやあれは別に。その、うちだって選挙直前なんだ。参謀がって、おかしくないでしょうが」

 北方は上着を着ながらフンと鼻を鳴らした。

「地下? そんな下準備はとっくに終わってるだろう。
 あの子と紀沙は、ずいぶん前から今度の選挙の準備をしていた。するべきことは、とっくに終わっているんだ。あとは、祭りを待つだけ」
「おれが、さらし者になる祭りだね。あいつの言うままに踊るだけだ。あやつり人形みたいなものだよ」

 にくにくしげに言うのを、北方がじっと見た。

「あの子の前で、そんなことを言うんじゃないよ。お前をまともな政治家にする、その一点だけであの子は持ちこたえているんだ。
 見ているこっちが、泣きたくなるような愛情じゃないか」
「あいじょう?」

 聡はぼうぜんと、立ち上がった北方を見た。銀髪のバレリーナは身長が170センチある。すわっている聡が見上げる高さだ。
 北方は心底《しんそこ》うんざりした様子で、

「だから無神経な男はイヤなんだ。
 あの子にとっちゃ、このままお前のところへ戻ってこないほうがよっぽど楽《らく》さ。戻ってこないほうに一万円を賭けるよ、あたしは」
「ばかな。帰ってきますよ、二週間後にはね」
「二週間後?」

 と北方は、ちょっとだけ目を見はった。

「なぜ、二週間なんだ」
「あいつは、コンにおれの2週間分のスケジュールを送ってきた。つまり二週間たったら、一度は戻ってくるんでしょう。後のことは知らないが」
「ああ、そういうことか。なんだ、意外とあの男のことがわかっているじゃないか聡」

 言われた聡は勢いをつけて立ち上がり、北方の前に立った。
 聡は百八十センチを優に超えているから見おろす角度になった。

「……センセ、おれの記憶にあるより小さくなったね」
「お前がバカに大きくなったんだ」

 そう言いながら、北方は聡のひたいにかかった前髪を、長い指ではらった。

「選挙の前に、髪を切りなさい。お前は見栄《みば》えだけがイノチの候補者だから」
「おふくろみたいなことを言うんだね」
「紀沙はもういない。の後始末をして歩くのが、あたしの仕事さ」

 北方はカフェのテーブルから請求書を取り、聡におしつけた。

「貴重な助言の数々は、コーヒー代でチャラにしてやるよ」

 ひらりと身をひるがえしたバレエダンサーは、あの踏みつける一足ごとに世界へ恩恵をほどこしているような歩き方で出ていった。
 60過ぎとは思えないしなやかな後ろ姿を見ながら、聡はニヤリと笑う。

「ガキのころ、おれがあの人に惚れなかったのは奇跡だね」

 そして松ヶ峰聡が惚れたのは、この世でたったひとりだけ。
 今は行方《ゆくえ》も知れない、親友だけ。

 聡は軽くため息をついた。
 音也のいない二週間が、暗い口をあけて聡を呑み込もうとしていた。
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