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第16章「風の行方を追え」
第136話「たとえ世界じゅうが俺の敵にまわっても」
しおりを挟む(UnsplashのRubens Nguyenが撮影)
押し迫ってきた、次の衆議院の議員選挙。出馬しないという選択は、聡にゆるされていない行為だ。
選挙は、聡ひとりのものではない。
背後には四代の松ヶ峰家があり、ささえてきた巨大な後援会『吉松会《きっしょうかい》』があり、亡母・松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》が一生をかけて準備してきた強固な支持基盤、名古屋の上流婦人の集まりである『純白《じゅんぱく》』の巨大な票田《ひょうでん》がある。
これらの人々はただ一点、松ヶ峰聡を国政に出すという点で結束している。
そこには莫大な金と、カネ以上の何かが存在し、聡はそれをひとりで背負わねばならない。
なぜなら。
聡は『松ヶ峰聡』だからだ。
もはやどんな言いわけもかなわないほど、聡はこの家と地盤に結びつけられている。
たかが愛のために出馬《しゅつば》を取りやめるなどと言う世迷言《よまいごと》は、許されない。
聡には、それが分かっている。
音也は聡以上に、わかっている。
音也はできの良い子犬を撫でるように、聡の頭を撫で続けた。
その指一本一本に、音也の10年にわたる愛情がこもっている。
聡を、愛しているとうたっていた。
音也の低いバリトンが聞こえた。
「いい子だ。最後に俺を自由にしてくれて、ありがとう、聡」
そういうと、松ヶ峰聡の華麗な秘書は軽やかに立ち上がった。
青いチューリップをえがいたタイルの床にしゃがみこんでいる聡の目の前には、グレーのレザー素材でできた細身のパンツしか見えなくなる。
そして足音も立てずに、音也は部屋から出ていく。
次の瞬間、聡ははじかれるように立ちあがり、音也に向かって叫びあげた。
「そうかよ。じゃあこれからおれは、手当《てあ》たりしだいに男と寝てやる。セックススキャンダルってやつを、自前で作ってやるよ!」
「サト」
「スキャンダルまみれになれば話が変わる。おれがどん底まで堕ちきればいいんだ」
「聡、お前は何を言って――」
さすがに音也も足を止めた。
聡は美貌の親友をあざ笑うように口もとをひん曲げた。
「そうだな。まずはコンから襲ってやる。あのヤロウに、おれを抱くだけの度胸があるかどうか知らねえけどな、ふんじばって、おれがヤツをレイプすることはできる。その動画をネットで流せばいいんだ」
「さとし」
「それでもおれは衆院選に出るぜ。出りゃ当選する。当たり前だ。『吉松会《きっしょうかい》』と『純白』と人間国宝の後ろ盾がありゃ、ビリだろうが補欠だろうが当選できる。おまえを、スキャンダル議員の秘書の座から逃がさねえぞ!」
「言っていることがまともじゃない、聡」
さすがに音也も完璧な美貌を蒼白にして、つぶやいた。
聡は平板《へいばん》な顔のまま、音也に近づいた。その細くて長い首をおおうシャツの襟ボタンを、食い入るようににらみつけながら続けた。
「そうかもな。だが、おれはもう誰に何と言われようがかまわねえんだ。惚れた男を失くしたことを悔やみながら生きていくよりは、よっぽどいい」
とん、と聡は音也の肩に額をのせてつぶやいた。
「おまえは、おれを捨てるなよ、音也」
「サト」
「おれがおまえを捨てても、おまえはおれを捨てるな。たとえ世界じゅうが俺の敵にまわっても、おまえはおれを守るんだ」
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