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最終章「薤露青(かいろせい)」~清春×佐江 編
第65話「おれを受け入れろ――おれを、愛せ、というキス」
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(UnsplashのKlara Kulikovaが撮影)
コルヌイエホテルの廊下に立っていた5分間ほど、佐江にとって長い時間はなかった。
このままパーティ会場に戻って、安原や理奈と合流することもできる。
何もかも忘れてエレベーターに乗り、ホテルから去ることもできる。
そして清春の言いなりになることも。
迷った末に、やはり佐江は残ることにした。
6年前にキスをして、佐江の身体にあざやかな爪痕を残した男に聞いてみたいことがある。
『なぜ、あれから何の連絡もしなかったんですか?』
『なぜ、何もなかったふりをするんですか』
そして最も聞きたいこと。
『なぜ、あの夜にあのキスをしたんですか?』
あの日、キヨハルがしたキスはただのキスではなかった。
何かが、始まるためのキス。
何かを、始めるためのキス。
佐江の唇にも胸にも皮膚にも、身体じゅうでいちばん柔らかい場所にも清春の唇の痕が残っている。
5分後、清春は時間きっかりにあらわれた。
佐江が立つパーティ会場前の空間にはだれもおらず、清春はただ会釈をしただけだった。
適正な距離を取ったままていねいに言った。
「お客さま。女性用のパウダールームなら、こちらでございます」
佐江を誘導する。佐江はただもう頭の中が空っぽになったような気がしながら、清春の後ろをついて歩いた。
長身の清春はホテルスタッフの制服を着ていてもあきれるほど優雅で端正だ。
ついさっきまで佐江の隣にいた安原は、おそらくなじみのテイラーに売りつけられた高額なスーツを着ていた。その安原よりも清春の安っぽい生地の制服のほうが、無駄なく美しく着こなされていた。
『このひとは、服の用途と自分の用途を完璧に理解しているんだわ』
佐江は清春の背中を見て思った。
ボーイの制服は細かいサイズに別れていないのだろう。細身のわりに肩幅の広い清春の身体からは服がやや浮いていた。それでも清春は、上手に身体を既製品に合わせていた。
みずから選んだホテルマンという仕事に、生活のすべてを合わせているように。
満ち足りている若い男のすがすがしい気負いが、広い背中から匂い立っていた。
それは、佐江から見ても目を奪われるような若い生き物の、熱っぽさだった。
続いて佐江の目は、サイズの合わない黒いジャケットの袖からのぞく純白のシャツを見る。
このシャツは清春の私物なのだろう。高級なコットンだけが持つ厚みがあり、制服のうすっぺらいジャケットと比べものにならないほど贅沢な光沢を放っていた。
まるでどんな場所のどんな立場に置かれても、自らの力で輝きを放つ男のように。
これまで、あのシャツのボタンに手をかけた女がどれくらいいるのだろう。
佐江は歩きながら、そんなことを考えていた。
女のきれいな指が艶のある純白のシャツをすべり、貝ボタンをはずして清春の身体を解放してゆく。
それは想像するだけでも身の内がふるえるような、美しい光景だった。
若く美しいケダモノが、欲望を思うままに放つ。
そのとき、清春の身体からはどんな匂いがするのだろう。
佐江は思わず、ふらりと足元をぐらつかせた。
「……だいじょうぶか?」
清春は後ろも見ずに、佐江に言った。
まるで背中にも眼がついているようだ。女の揺れを見透かす、手慣れた男の眼。
清春は足を止め、天井を見上げてつぶやいた。
「この先は、防犯カメラの死角になる」
「……えっ?」
佐江が思わず声を出すと清春は一瞬だけ振りかえり、きれいに笑って制服のポケットから鍵を取り出した。
壁に切りこまれたドアに鍵を差し込み、音もなく開ける。
「佐江、早く」
清春の短い言葉に誘導されて、佐江はするっとドアの中に入った。
中はコンクリートの打ちっぱなしで、あきらかにスタッフ用のエリアだった。部屋にはスチール棚が並び、洗濯が終わったリネンがぎっしりと積み上げられていた。
清潔な匂いがただよっていた。
「キヨさん、ここ……」
尋ねようとした佐江の唇を、清春がふわっと唇でふさいだ。
そのまま佐江の身体をたった今しめたばかりのドアに押し付けて、小さな顎をつかみなおす。
「声を、だすなよ。佐江」
そう言うと、清春はあらためて佐江にキスをしはじめた。
今度のキスは、本気のキスだ。
佐江の顎を長い指で固定して、どこにも逃げられないようにしてから念入りに唇の形をなぞっていく。
このあと何が起きるのか、佐江の唇は知っている。
『こうやって、キスの合間に男が合図をしたら、だまって口を開けろよ』
あの6年前の夜、清春はこう言って佐江に初めてのディープキスをしたのだった。
佐江の身体は、清春の愛撫をすべて覚えている。
男とまともにキスすらしたことがなかった佐江の身体を丁寧に愛撫して、キスと長い指だけで昇りつめさせた清春。
まだヴァージンの佐江が知っている快楽は、すべて清春とつながっていた。
清春と、だけ。
だから今、下唇を噛まれて何の抵抗もなく唇を開いてしまうのは仕方のないことなのだ、と佐江は考えた。
清春が、ふっくらした下唇を軽く噛む。
合図だ。
『口を開けろ、おれを受け入れろ――おれを、愛せ』という、合図だ
そして佐江が唇を開く。
約束された快楽に向かって。
愛情、のようなものに包まれた愉悦に向かって――。
コルヌイエホテルの廊下に立っていた5分間ほど、佐江にとって長い時間はなかった。
このままパーティ会場に戻って、安原や理奈と合流することもできる。
何もかも忘れてエレベーターに乗り、ホテルから去ることもできる。
そして清春の言いなりになることも。
迷った末に、やはり佐江は残ることにした。
6年前にキスをして、佐江の身体にあざやかな爪痕を残した男に聞いてみたいことがある。
『なぜ、あれから何の連絡もしなかったんですか?』
『なぜ、何もなかったふりをするんですか』
そして最も聞きたいこと。
『なぜ、あの夜にあのキスをしたんですか?』
あの日、キヨハルがしたキスはただのキスではなかった。
何かが、始まるためのキス。
何かを、始めるためのキス。
佐江の唇にも胸にも皮膚にも、身体じゅうでいちばん柔らかい場所にも清春の唇の痕が残っている。
5分後、清春は時間きっかりにあらわれた。
佐江が立つパーティ会場前の空間にはだれもおらず、清春はただ会釈をしただけだった。
適正な距離を取ったままていねいに言った。
「お客さま。女性用のパウダールームなら、こちらでございます」
佐江を誘導する。佐江はただもう頭の中が空っぽになったような気がしながら、清春の後ろをついて歩いた。
長身の清春はホテルスタッフの制服を着ていてもあきれるほど優雅で端正だ。
ついさっきまで佐江の隣にいた安原は、おそらくなじみのテイラーに売りつけられた高額なスーツを着ていた。その安原よりも清春の安っぽい生地の制服のほうが、無駄なく美しく着こなされていた。
『このひとは、服の用途と自分の用途を完璧に理解しているんだわ』
佐江は清春の背中を見て思った。
ボーイの制服は細かいサイズに別れていないのだろう。細身のわりに肩幅の広い清春の身体からは服がやや浮いていた。それでも清春は、上手に身体を既製品に合わせていた。
みずから選んだホテルマンという仕事に、生活のすべてを合わせているように。
満ち足りている若い男のすがすがしい気負いが、広い背中から匂い立っていた。
それは、佐江から見ても目を奪われるような若い生き物の、熱っぽさだった。
続いて佐江の目は、サイズの合わない黒いジャケットの袖からのぞく純白のシャツを見る。
このシャツは清春の私物なのだろう。高級なコットンだけが持つ厚みがあり、制服のうすっぺらいジャケットと比べものにならないほど贅沢な光沢を放っていた。
まるでどんな場所のどんな立場に置かれても、自らの力で輝きを放つ男のように。
これまで、あのシャツのボタンに手をかけた女がどれくらいいるのだろう。
佐江は歩きながら、そんなことを考えていた。
女のきれいな指が艶のある純白のシャツをすべり、貝ボタンをはずして清春の身体を解放してゆく。
それは想像するだけでも身の内がふるえるような、美しい光景だった。
若く美しいケダモノが、欲望を思うままに放つ。
そのとき、清春の身体からはどんな匂いがするのだろう。
佐江は思わず、ふらりと足元をぐらつかせた。
「……だいじょうぶか?」
清春は後ろも見ずに、佐江に言った。
まるで背中にも眼がついているようだ。女の揺れを見透かす、手慣れた男の眼。
清春は足を止め、天井を見上げてつぶやいた。
「この先は、防犯カメラの死角になる」
「……えっ?」
佐江が思わず声を出すと清春は一瞬だけ振りかえり、きれいに笑って制服のポケットから鍵を取り出した。
壁に切りこまれたドアに鍵を差し込み、音もなく開ける。
「佐江、早く」
清春の短い言葉に誘導されて、佐江はするっとドアの中に入った。
中はコンクリートの打ちっぱなしで、あきらかにスタッフ用のエリアだった。部屋にはスチール棚が並び、洗濯が終わったリネンがぎっしりと積み上げられていた。
清潔な匂いがただよっていた。
「キヨさん、ここ……」
尋ねようとした佐江の唇を、清春がふわっと唇でふさいだ。
そのまま佐江の身体をたった今しめたばかりのドアに押し付けて、小さな顎をつかみなおす。
「声を、だすなよ。佐江」
そう言うと、清春はあらためて佐江にキスをしはじめた。
今度のキスは、本気のキスだ。
佐江の顎を長い指で固定して、どこにも逃げられないようにしてから念入りに唇の形をなぞっていく。
このあと何が起きるのか、佐江の唇は知っている。
『こうやって、キスの合間に男が合図をしたら、だまって口を開けろよ』
あの6年前の夜、清春はこう言って佐江に初めてのディープキスをしたのだった。
佐江の身体は、清春の愛撫をすべて覚えている。
男とまともにキスすらしたことがなかった佐江の身体を丁寧に愛撫して、キスと長い指だけで昇りつめさせた清春。
まだヴァージンの佐江が知っている快楽は、すべて清春とつながっていた。
清春と、だけ。
だから今、下唇を噛まれて何の抵抗もなく唇を開いてしまうのは仕方のないことなのだ、と佐江は考えた。
清春が、ふっくらした下唇を軽く噛む。
合図だ。
『口を開けろ、おれを受け入れろ――おれを、愛せ』という、合図だ
そして佐江が唇を開く。
約束された快楽に向かって。
愛情、のようなものに包まれた愉悦に向かって――。
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