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最終章「薤露青(かいろせい)」~清春×佐江 編
第68話「 わからないし、わかりたくもない」
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(UnsplashのAnja Bauermannが撮影)
革の手袋の中で、佐江の爪が空回りする。
思わず、清春の左耳の下に歯を立てた。
「きよ…さ…んっ」
佐江があまく昇り詰める瞬間、清春はその腕で軽々と佐江を抱き、悦楽のあまり崩れそうになる女の身体を支えた。
そのまま、佐江の骨が折れそうになるほどしっかりと抱きしめる。
「きみは、きれいな鳥みたいだな。軽くてこころもとなくて、いつも鋭くいってしまう」
ほんの短い間だけ、清春はゆったりと佐江を抱いた手を離さなかった。
まるで、これは自分のもので、自分以外の男には一秒だって渡さないというように。
やがて清春の身体がゆるやかに動き始め、手早く佐江のドレスを整えてゆく。佐江は清春の手が今度は無駄なくシルクのドレスをもとの位置に戻すのを、ぼんやりと感じていた。
そして声にならない声で、清春に言う。
『あなたこそ、真っ黒な鳥のよう。
いつだって天上から滑空してきて、あたしの肉をくちばしでえぐり取って飛び去ってしまう。
どうやっても忘れられない悦楽の記憶だけを残して』
佐江のドレスを整えた後も、清春はしばらくじっと彼女を抱きしめていた。清春の襟もとから、彼が使っているトワレが香る。柑橘系のシャープな匂いだった。
やがて佐江の耳に、清春がつぶやく低い声が聞こえてきた。
「……さんてん、いちよんいちご、きゅうに、ろくごさんご…」
「キヨさん、何か言っています?」
佐江が名を呼ぶと、清春は大きく息を吐いて答えた。
「円周率だよ」
「えんしゅうりつ?」
「男の身体を一気にしずめるには、これが一番効果的なんだ。どこまで言ったかな……そうだ、ろくごさんご、はちきゅうななきゅう、さんにさんはち……」
ふっ、と佐江はおかしくなった。
漆黒の制服を着た、寸分のスキもない美貌のホテルマンが佐江を抱きしめながら円周率を唱えている。
思い通りにならない自分の身体と、思い通りにならない異母妹に恋する女にもだえるように。
佐江が清春の身体をすこしだけ押すと、清春はしかたがないと言うふうに身体を離した。
「……ごめんなさいキヨさん。あたしまた、自分ばっかり」
「きみのせいじゃない。でも、ちょっと黙ってくれ」
「キヨさん」
佐江が名を呼ぶと、清春は怒ったように言った。
「なぜこんなことをしたのかって、聞くなよ? おれにだって理由なんてわからない。
わからないし、わかりたくもないんだ。
ただきみをあ……」
そこまで言って、清春は口を閉じた。
言いすぎた、とでもいうように。
佐江もつつましく目を伏せた。
聞きすぎた、というように。
清春はひとつ大きな息を吐いてから、ほんの少しだけ佐江から離れた。
佐江の顔を大きな手で包み込み、なごりのように、じっと見つめた。
やわらかく最後のキスをする。
「……おれが先に出るから、ドアを一度だけノックしたら外へ出てきなさい」
ふわっと柑橘のトワレの香りを残して、清春はドアから出て行った。
重いスチールドアを閉じるときだけ、清春の指先がためらった。
『わかるだろ、君をここから出したくないんだ。
そしておれも、出ていきたくない。
ここから一歩出たら、きみはまた、おれの異母妹に恋する女だ――』
清春の去ったリネン室からは、なぜか、太陽のような匂いが立っていた。
革の手袋の中で、佐江の爪が空回りする。
思わず、清春の左耳の下に歯を立てた。
「きよ…さ…んっ」
佐江があまく昇り詰める瞬間、清春はその腕で軽々と佐江を抱き、悦楽のあまり崩れそうになる女の身体を支えた。
そのまま、佐江の骨が折れそうになるほどしっかりと抱きしめる。
「きみは、きれいな鳥みたいだな。軽くてこころもとなくて、いつも鋭くいってしまう」
ほんの短い間だけ、清春はゆったりと佐江を抱いた手を離さなかった。
まるで、これは自分のもので、自分以外の男には一秒だって渡さないというように。
やがて清春の身体がゆるやかに動き始め、手早く佐江のドレスを整えてゆく。佐江は清春の手が今度は無駄なくシルクのドレスをもとの位置に戻すのを、ぼんやりと感じていた。
そして声にならない声で、清春に言う。
『あなたこそ、真っ黒な鳥のよう。
いつだって天上から滑空してきて、あたしの肉をくちばしでえぐり取って飛び去ってしまう。
どうやっても忘れられない悦楽の記憶だけを残して』
佐江のドレスを整えた後も、清春はしばらくじっと彼女を抱きしめていた。清春の襟もとから、彼が使っているトワレが香る。柑橘系のシャープな匂いだった。
やがて佐江の耳に、清春がつぶやく低い声が聞こえてきた。
「……さんてん、いちよんいちご、きゅうに、ろくごさんご…」
「キヨさん、何か言っています?」
佐江が名を呼ぶと、清春は大きく息を吐いて答えた。
「円周率だよ」
「えんしゅうりつ?」
「男の身体を一気にしずめるには、これが一番効果的なんだ。どこまで言ったかな……そうだ、ろくごさんご、はちきゅうななきゅう、さんにさんはち……」
ふっ、と佐江はおかしくなった。
漆黒の制服を着た、寸分のスキもない美貌のホテルマンが佐江を抱きしめながら円周率を唱えている。
思い通りにならない自分の身体と、思い通りにならない異母妹に恋する女にもだえるように。
佐江が清春の身体をすこしだけ押すと、清春はしかたがないと言うふうに身体を離した。
「……ごめんなさいキヨさん。あたしまた、自分ばっかり」
「きみのせいじゃない。でも、ちょっと黙ってくれ」
「キヨさん」
佐江が名を呼ぶと、清春は怒ったように言った。
「なぜこんなことをしたのかって、聞くなよ? おれにだって理由なんてわからない。
わからないし、わかりたくもないんだ。
ただきみをあ……」
そこまで言って、清春は口を閉じた。
言いすぎた、とでもいうように。
佐江もつつましく目を伏せた。
聞きすぎた、というように。
清春はひとつ大きな息を吐いてから、ほんの少しだけ佐江から離れた。
佐江の顔を大きな手で包み込み、なごりのように、じっと見つめた。
やわらかく最後のキスをする。
「……おれが先に出るから、ドアを一度だけノックしたら外へ出てきなさい」
ふわっと柑橘のトワレの香りを残して、清春はドアから出て行った。
重いスチールドアを閉じるときだけ、清春の指先がためらった。
『わかるだろ、君をここから出したくないんだ。
そしておれも、出ていきたくない。
ここから一歩出たら、きみはまた、おれの異母妹に恋する女だ――』
清春の去ったリネン室からは、なぜか、太陽のような匂いが立っていた。
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