fétiche(フェティッシュ) 〜欲望を満たすもの〜

久遠ユウ(くおんゆう)

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神秘

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「で、二人は付き合ってるんだな」

 千乃の家にやって来て早々、そこへ座れと言われた千乃は、ソファにふんぞり帰っている眞秀をそっと見上げた。
「お前は何を偉そうにしている。俺と千乃の問題で、お前は関係ないだろ」

 ネクタイを絞めながら藤永が言うと、
「問題? ありありだ。ゆきは俺の大事な親友だ。それを、アニキみたいな人間に簡単にやれるわけないだろっ」
「なんだ、その言い草は。親友だろうがお前には関係ない。ったく、ひとり娘を嫁にやる父親みたいなこと言いやがる」
「アニキこそ。ゆきを幸せにする自信、あんのかよっ」
「ある、大いにある。だから部外者は黙っておけ」
「ぶ、部外者ってなんだよ。俺の方がゆきと付き合い長いんだからな」
「それがどうした。俺なんかは昨夜も千乃と──」
「あー、あー、真希人さん。それ以上はぁ」

 突然何を言い出すのかと、千乃が慌てて藤永の口を手で覆うと、兄弟二人が急に大笑いし出した。

「なんだ、千乃。俺は、昨夜も一緒に飯を食ったって言おうとしただけなのに。何か別のことでも想像したのか? ん?」
「ゆき、やらしいなぁ。俺もそんなこと聞き出そうとしてなかったのになぁ」
 
 図られた……。頭の中にこの二文字がよぎった。

 ニヤニヤしてこちらを見てくる兄弟に腹が立ち、千乃は持って来てくれたクロワッサンをやけくそのように頬張った。

「千乃、怒んなよ。眞秀にはもう俺から話してあったんだ、千乃と真剣に付き合うからって」
 藤永の言葉に、パンを口いっぱいにしたままで凝視した。
「ゆき、よかったな。ちょっとびっくりしたけど、弟として言うよ。俺のアニキはお前をひとりになんかにしない。俺より、ちょとだけお前を幸せにしてくれるから」
「ちょっとじゃない。宇宙以上だ」
 なんだそれと、呆れ顔の弟に言われる兄。二人の温かなやり取りと思いやりに、千乃の涙腺が緩みそうになる。

「ほら、アニキが変なこと言うからゆきが泣きそうになってるじゃないか。ったく、先が思いやられるよ」
「なあ、お前、もう帰れば? せっかく千乃とまったり朝を過ごしてたのに。医学部は忙しいんだろ? さっさと大学行け」
 虫でも追い払うように藤永が手を振ると、「今日は午後からだ」と、反抗的な態度を向けている。

「そんなことより、ゆきを襲った犯人は兄さんが捕まえたんだよなっ。話を聞いた時、気が気じゃなかったんだからな。本当にゆきが無事でよかったよ……」
「そうだな、危なかった……。本当に間に合ってよかったよ」
 さっきまでの和やかな空気は一転し、真顔になった眞秀が心底安堵した表情を見せている。藤永も膝に自身の体重を預け、上半身を項垂れさせていた。
「ごめん、眞秀。心配かけて……」
「ゆきが謝ることないだろ。こっちは被害者なんだ。けどアニキ、ゆきにチラッと聞いたけど、捕まえたやつってあの連続殺人としては逮捕できないんだって? なんでなんだ?」

 眞秀の言葉で藤永の表情が一気に曇った。
「……ないんだよ、決定的な証拠が。今回の由元の罪状は、千乃への監禁と殺人未遂だ。他の事件では立件できない。眞秀、俺はまだやらなければいけないことがある。だから、千乃のこと頼むな」
「何、その言い方。まるでゆきが兄さんのモンみたいじゃん」
「みたい、じゃなくて、千乃は俺のもんだ」
 あまりにもキッパリと藤永が言うから、千乃も眞秀も目を丸くした。

「我が兄をこれほどメロメロにするとは、さすがゆき。俺の親友だ。早起きしてパン屋に行った甲斐があるな」
 聞いてて千乃は恥ずかしくなり、眞秀の分の珈琲を淹れに台所へと逃げ込んだ。







「それよりお前は大学どうなんだ。医者になれそうか?」
「失礼だな。いくら兄さんでも怒るよ、毎日頑張ってるのにさ。それに最近は遺伝学に力入れてんだ。教授の話が面白くてさ。俺、将来はゲノムの研究したいかも」
「遺伝学?」
「そうそう。この間は生殖細胞の話を講義で聞いてさ。それって、親から子どもへと遺伝情報を伝達するための特別な細胞なんだよ」
「生殖細胞? 何だそれ。俺にはさっぱりわからん」
 目を輝かせて力説する眞秀を前に、意味不明な単語が理解できず、藤永は首を傾げていた。

「生殖細胞ってのは、体内で最も利己的な細胞でね。その中でも唯一、自己複製能をもつ細胞が精子幹細胞で、個体が遺伝情報を次世代に伝達するんだ」
「わかったわかった。お前はちゃんと医学の勉強やってる。俺は安心したよ」
「もー。兄さん、もっと興味持って──あ、こんな話はどう?」
「え、まだ講義は続くのか?」

 理解不能な話しに苦手意識が顔を出しかけたが、珈琲を飲もうとした手を止めてて藤永は眞秀の話に耳を傾けることにした。
 勉学に勤しむ弟の姿を久しぶりに見るのは嬉しい。藤永は腹を括って小難しい会話を楽しむことにした。

「兄さん、キメラって知ってる?」
「キメラ? それって確かギリシャ神話の怪獣かなんかの名前じゃなかったか」
「まあ、元はそこなんだけど、生物学で同一の個体の中に、異なる遺伝情報を持つ細胞が混じってることを言うんだよ」
「同じ個体の中に別の遺伝子? どう言うことだ、もっとわかりやすく言ってくれよ」

「うーん。例えば、母親のお腹の中でニ卵性双生児だったけど、一人が死産だった。それってバニシングツインって言うんだけど、子宮から消えたように見えた細胞も、実際は子宮に吸収されちゃうんだ。そして残ったもう片方の個体と混ざる。わかる?」

「子宮が子どもの残骸を吸収するのか? 女性の体って凄いな」
「だろ? 俺も初めて聞いた時びっくりしたよ。でね、面白いのはこっからで、小さな組織のまま、死んだ片方の血液型がB型だとして、成長して生まれたもう片方の子どもがA型だったとする」
「それで?」
 次第に興味深い話しに発展していくことに、藤永は引き込まれ、眞秀の話を前のめりになって聞いていた。

「キメラってのは、子宮内で二つの胚が融合して生じる、凄く稀な遺伝子現象なんだ。本来なら二卵性双生児として別々に生まれるのが、残った片方の子どもに、二人分の組織が体内で融合し、合併してキメラ状態のひとりの人間として誕生するんだよ」
「二人分の組織……」
「そうなんだよ。生まれてきた一人の子どもの中に、本来一緒に生まれてくるはずの、もう一人の遺伝子が備わって、そのまま成長するんだ。体の部位によっては、遺伝子が男だったり女だったりするんだよ。な、面白くないか?」
「体の部位によっては別人?」
「そう! ひとつの体に別のDNAが宿る。人間の体って不思議で神秘的だよ──って、兄さん、どうしたのボーッとしてさ」

 眞秀の話を聞いていた藤永の表情が好奇心の色から、次第に蒼白していった。唇に指を当て、何かを導き出そうと指先が急かすように唇に触れている。

「なあ、眞秀……さっき体の部位によってDNAが変わるって言ったよな」
「あ、うん。言ったけど?」
「その部位ってのは決まってたりすんのか? 例えば頭部から採取した髪や、血液に限るとか」
「ううん、決まってないよ。普通にDNAが採取出来るとこらから調べて分かるんだ。例えば血液を調べた結果、比率の違うA型とB型の二タイプが出たりする。他にも、血液はAだけど髪の毛からはB型が出たって言う例もあるんだ」
「AだけどB……同じ体に二つの遺伝子……」

 マグカップを握り締めたまま、藤永は口腔内で同じ言葉を繰り返していた。
 不思議に思った眞秀が声をかけても耳に届かず、藤永の思い詰めた表情は、静止画のように止まったままだった。

「──さん、兄さんってば。一体どうしたんだよ、さっきから黙りこくってさ。俺の話ってそんなに考えさせた?」
 眞秀に腕を揺さぶられ、藤永はある一つの仮説に辿り着くと、見開いた眼光に一閃いっせんが差し込んだ。

「眞秀! ありがとう!」
 藤永はソファから勢いよく立ち上がり、ジャケットを羽織った。
「ま、真希人さん、もう行くんですか?」
 珈琲を手にした千乃が不安げな顔で、藤永を見つめている。
「千乃、メシありがとうな。美味かった。事件が解決したら、また作ってくれるか」
 コートを羽織りながら千乃を見つめると、満面の笑顔で大きく頷いてくれた。
 最高の原動力をもらい、「行ってくる」と告げて藤永は部屋を後にした。
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