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「あれ、凛君じゃない。学校の帰りなんて、珍しいわね」
エレベーターを待っていると、勢田逸美に声をかけられた。
「あ、師長さん。こんにちは」
「もしかして、小児病棟?」
「はい。今日は、母さんから連絡あって来たんです。けど、ちょっとよくわかんなくて」
頭をかきながら恐縮していると、ふと思い出したように、凛は深々と頭を下げた。
「あの、いつもお野菜、ありがとうございます。もらったじゃがいもで、カレーと肉じゃが作りました」
「あの野菜、旦那の趣味だから不恰好でしょ? だから食べてもらえると、うちも助かるのよ」
看護師の制服がよく似合う逸美が、にかっと笑ってメガネの位置を直した。
「不恰好だなんて……すごく美味しかったです」
「あら、嬉しい。旦那も喜ぶわね。けど相変わらず、凛君が料理担当なのね。高校生なのにしっかりしてるわ。それに気も利くし。うちに娘がいたらお婿さんに欲しいくらいね」
一葉よりさらにパワフルな逸美の冗談に重なるよう、彼女の胸ポケットでPHSが鳴った。
「じゃあね、凛君。夏になったら、とうもろこし持ってくるから。また食べてね」
そう言って、逸美は検査室に向かってスタスタと歩いて行った。
逸美が見えなくなったタイミングでエレベーターが到着し、乗り込んで七階を押した。
扉が開くと、目の前はナースステーション。
一葉が働くそこでは、いつも医師や看護師たちが慌ただしく動いている──はずなのに、今日は様子が違う。
電子カルテに向かう医者の姿はなく、行き交う看護師の姿も見えない。
一葉の姿も、どこにもなかった。
廊下の真ん中で左右を見渡していると、どこかの病室から泣き声が聞こえてきた。
小児科では珍しくない、その声の原因は様々だ。
治療の痛み、家族を恋しがる寂しさ……。けれど、今日のそれは、なぜか胸を締めつけるような泣き声だった。
時折、咳き込んでもいる。
なんか、苦しそうだな……。
気になって廊下を進むと、問題の病室らしい前には人だかりができていた。
顔見知りの看護師に声をかけようとしたら、中から一葉が出てきた。
「凛、よかった! ちょっと、こっち来てっ」
強い口調とともに、グイッと手を掴まれる。
そのまま病室に連れて行かれると、窓際のベッドまで背中を押された。
カーテンをゆっくり開けると、女の子がパジャマを脱ぎかけながら、べそをかいている。
「母さん、この子……どうしたの……?」
一葉にかけた言葉は、再び泣き出した女の子の声にかき消されてしまった。
聞こえなかったのか、一葉は必死で女の子を宥めている。
耳元でもう一度声をかけたけれど、その返事を待つ間もなく、泣きじゃくる女の子の口から、はっきりとした言葉が飛び出した。
「か、かえるの! お兄ちゃんと、海に行くって、やくそくしたのにぃ! 海行って、青い石、みつけるのぉ……ゴホッ、ゴホッ……!」
すすり泣く声と、辛そうな咳が胸に刺さる。
涙と咳で途切れながらも、彼女の必死な思いが、しっかりと凛の耳に届いた。
「ほら、深月ちゃん。そんなに泣いたら、お咳が止まらないでしょ? お熱もあるのに……」
一葉が優しく背中を撫でようとするが、深月はそれを振り払うように、また叫んだ。
「やだっ! みつき、青い石を、あげるって、ゴッホ、ゴホ、やくそくしたのっ……!」
わかった。この子は、お兄さんと一緒にシーグラスを探しに行きたかったんだ。
でも具合が悪くなって、それが叶わなかった──。
入院して、治療を受けなきゃいけないほど、つらい状態なんだ……。
凛は鞄から巾着袋を取り出すと、それを持って女の子の前にしゃがみ込んだ。
パジャマを脱ぎかけた肩に、ちょんちょんと、指で触れてみる。
「ねえ、これ、見てみて?」
制服姿の凛に気付くと、深月はハッとしたように顔を上げた。
涙に濡れた瞳でじっと見上げてくる。
その目に、ほんの一瞬、泣き止む気配があった。
凛は、巾着袋から取り出した一番大きな、青いシーグラスを手のひらに乗せ、ゆっくりと深月に差し出した。
「これ、きれいだと思わない?」
「き……れい。これ、お兄ちゃん、の?」
小さな手が、触れたくてたまらないのに、どこか戸惑いながら凛の手に近づいてくる。
凛は青いかけらをそっと摘み上げると、深月の手のひらにやさしく乗せた。
「それ、もし気に入ってくれたら、深月ちゃん、もらってくれない?」
「いいのっ!」
「もちろん。あ、まだあるよ。青以外にも、白とか、オレンジとか。見る?」
「見る! 見たいっ」
「じゃあ、風邪ひいちゃうから、先にパジャマ着ようか。あと、この可愛いクマさんのカーディガンもね」
「わかったっ」
さっきまでの大泣きが嘘のように、深月は急いでパジャマを着始めた。
カーディガンは、一葉がそっと肩にかけてあげながら、凛にウィンクをしてくる。
「お兄ちゃん、早く早くっ!」
はしゃぐ深月の声に、涙も咳もすっかり消えていた。
エレベーターを待っていると、勢田逸美に声をかけられた。
「あ、師長さん。こんにちは」
「もしかして、小児病棟?」
「はい。今日は、母さんから連絡あって来たんです。けど、ちょっとよくわかんなくて」
頭をかきながら恐縮していると、ふと思い出したように、凛は深々と頭を下げた。
「あの、いつもお野菜、ありがとうございます。もらったじゃがいもで、カレーと肉じゃが作りました」
「あの野菜、旦那の趣味だから不恰好でしょ? だから食べてもらえると、うちも助かるのよ」
看護師の制服がよく似合う逸美が、にかっと笑ってメガネの位置を直した。
「不恰好だなんて……すごく美味しかったです」
「あら、嬉しい。旦那も喜ぶわね。けど相変わらず、凛君が料理担当なのね。高校生なのにしっかりしてるわ。それに気も利くし。うちに娘がいたらお婿さんに欲しいくらいね」
一葉よりさらにパワフルな逸美の冗談に重なるよう、彼女の胸ポケットでPHSが鳴った。
「じゃあね、凛君。夏になったら、とうもろこし持ってくるから。また食べてね」
そう言って、逸美は検査室に向かってスタスタと歩いて行った。
逸美が見えなくなったタイミングでエレベーターが到着し、乗り込んで七階を押した。
扉が開くと、目の前はナースステーション。
一葉が働くそこでは、いつも医師や看護師たちが慌ただしく動いている──はずなのに、今日は様子が違う。
電子カルテに向かう医者の姿はなく、行き交う看護師の姿も見えない。
一葉の姿も、どこにもなかった。
廊下の真ん中で左右を見渡していると、どこかの病室から泣き声が聞こえてきた。
小児科では珍しくない、その声の原因は様々だ。
治療の痛み、家族を恋しがる寂しさ……。けれど、今日のそれは、なぜか胸を締めつけるような泣き声だった。
時折、咳き込んでもいる。
なんか、苦しそうだな……。
気になって廊下を進むと、問題の病室らしい前には人だかりができていた。
顔見知りの看護師に声をかけようとしたら、中から一葉が出てきた。
「凛、よかった! ちょっと、こっち来てっ」
強い口調とともに、グイッと手を掴まれる。
そのまま病室に連れて行かれると、窓際のベッドまで背中を押された。
カーテンをゆっくり開けると、女の子がパジャマを脱ぎかけながら、べそをかいている。
「母さん、この子……どうしたの……?」
一葉にかけた言葉は、再び泣き出した女の子の声にかき消されてしまった。
聞こえなかったのか、一葉は必死で女の子を宥めている。
耳元でもう一度声をかけたけれど、その返事を待つ間もなく、泣きじゃくる女の子の口から、はっきりとした言葉が飛び出した。
「か、かえるの! お兄ちゃんと、海に行くって、やくそくしたのにぃ! 海行って、青い石、みつけるのぉ……ゴホッ、ゴホッ……!」
すすり泣く声と、辛そうな咳が胸に刺さる。
涙と咳で途切れながらも、彼女の必死な思いが、しっかりと凛の耳に届いた。
「ほら、深月ちゃん。そんなに泣いたら、お咳が止まらないでしょ? お熱もあるのに……」
一葉が優しく背中を撫でようとするが、深月はそれを振り払うように、また叫んだ。
「やだっ! みつき、青い石を、あげるって、ゴッホ、ゴホ、やくそくしたのっ……!」
わかった。この子は、お兄さんと一緒にシーグラスを探しに行きたかったんだ。
でも具合が悪くなって、それが叶わなかった──。
入院して、治療を受けなきゃいけないほど、つらい状態なんだ……。
凛は鞄から巾着袋を取り出すと、それを持って女の子の前にしゃがみ込んだ。
パジャマを脱ぎかけた肩に、ちょんちょんと、指で触れてみる。
「ねえ、これ、見てみて?」
制服姿の凛に気付くと、深月はハッとしたように顔を上げた。
涙に濡れた瞳でじっと見上げてくる。
その目に、ほんの一瞬、泣き止む気配があった。
凛は、巾着袋から取り出した一番大きな、青いシーグラスを手のひらに乗せ、ゆっくりと深月に差し出した。
「これ、きれいだと思わない?」
「き……れい。これ、お兄ちゃん、の?」
小さな手が、触れたくてたまらないのに、どこか戸惑いながら凛の手に近づいてくる。
凛は青いかけらをそっと摘み上げると、深月の手のひらにやさしく乗せた。
「それ、もし気に入ってくれたら、深月ちゃん、もらってくれない?」
「いいのっ!」
「もちろん。あ、まだあるよ。青以外にも、白とか、オレンジとか。見る?」
「見る! 見たいっ」
「じゃあ、風邪ひいちゃうから、先にパジャマ着ようか。あと、この可愛いクマさんのカーディガンもね」
「わかったっ」
さっきまでの大泣きが嘘のように、深月は急いでパジャマを着始めた。
カーディガンは、一葉がそっと肩にかけてあげながら、凛にウィンクをしてくる。
「お兄ちゃん、早く早くっ!」
はしゃぐ深月の声に、涙も咳もすっかり消えていた。
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