ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 海翔から渡されたお茶を、凛は喉を鳴らして一気に飲んだ。
 むせてしまうと、海翔が背中を優しく撫でてくれる。
「深月より子どもだな。ゆっくり飲めよ」
 その言葉で、凛の頭に深月の顔が浮かんだ。

「ね、深月ちゃん、一ノ瀬くんが帰ってくるの、待ってるんじゃない……?」
 本当はまだ一緒にいたかったけれど、海翔の部屋で拗ねて隠れていた深月のことを思うと、胸が痛む。

「ああ、深月なら今ごろ、母さんとスーパー銭湯に行ってるんじゃないか」
「スーパー銭湯?」
「そう。母さんが、気を紛らわせるのに連れて行ったみたいだな」
「そっ……か」
 ホッとしたような、でも少し申し訳ない気持ちが胸に湧く。
 お兄ちゃんを返してあげたい反面、もう少しだけこの時間に浸っていたい。

 ごめん、深月ちゃん。お兄ちゃん、ちょっとだけ、借りるね……。

 手の中のペットボトルを見つめていると、海翔の手が滑るように凛の髪に触れる。
 手の温もりの温かさを知ると、これまで以上に海翔への愛しさが増していくのを実感した。

 潮風が公園を吹き抜け、海翔の前髪を揺らす。
 教室の席からこっそり見ていた景色が、すぐ目の前にある。
 見つめすぎていたのか、海翔の瞳が少し見開く。
 僅かな動きが、『どうした?』と聞いているようで、恥ずかしくなった。

 内緒の行為を見透かされないよう、凛は視線を空に向けた。
 月は更に高く昇り、群青の空で静かに光っている。  
 やわらかな月明かりを眺めていると、「佐伯……」と静かに名前を呼ばれた。
 空から視線を海翔にスライドさせた凛は、思い悩んでいる色の瞳を見つめた。

「俺、佐伯に聞いてほしいこと、あるんだ……」と、海翔が静かに切り出す。
 凛の頭から離れた手は、膝の上で組むとそこに体を預けるように前傾姿勢になっていた。
 凛も話を聞く体制になるよう、海翔へと角度を変える。

 思い詰めているわけでもなく、かと言って、楽しい話を繰り出す風でもない。
 大切な何かを凛に伝えようとしている。そんな表情をしていた。

「……俺さ、家族と血、繋がってないんだ」

 海翔の声と一緒に、波の打ち寄せる音が微かに聞こえた。
 凛は一瞬息を止め、頭の中で言葉を繰り返した。

 血が繋がってない──

 その言葉を口にする海翔の心を汲み取りたくて、凛はこぶしを固くした。
 地面のどこか一点を凝視する横顔を見つめながら、海翔の声を一つも聞き漏らさないよう姿勢を正す。

「俺の……ほんとの母親は生きてるけど、きっと一生、会うことはない距離にいるんだ……」

 一生──? それはどういう意味だろう。それに父親は……。

 海翔の真意を受け止めたくて、凛は次の言葉を息をひそめて待った。

「小学校のとき、俺の家が燃えたんだ。……親父がつけたんだよ。俺はその日、友達の家に遊びに行ってて助かったけど、母さんは……目の前で全部見てたらしい、親父が死んでいくのも……」

 海翔の過去に言葉を失った。
 息を呑んだ凛に気付いたのか、少し笑って海翔が言葉を続けてくれる。

「一人になった俺を母さんの弟──、叔父さん夫婦が引き取ってくれたんだ。叔父さんたちには子どもがいなかったし、家も同じ地元だったから友達とも離れずに済んだ。おじさんたちのお陰で俺は、普通の子どもとして生きて来られたんだ」
「一人になった?……」
 凛の問いかけに、海翔が小さく頷く。

「……親父は死んだし、母さんは精神的ショックで、郊外の療養施設にずっといるんだ。何度か叔父さんに連れて行ってもらったけど、母さんは親父のことも、放火も──俺のことも、覚えてなかった。ずっと、外をぼんやり見つめてるだけでさ。でも、結婚する前のことは覚えてたみたいで……。幸せな思い出が残ってたのが、せめてもの救いだった」

 貼り付けた笑顔で話してくれるけれど、その奥には深い悲しみが滲んで見えた。
 海翔の手に自分の手を重ねると、向けられた微笑みはとても柔らかなものだった。
 
「親父が放火した理由……俺はよく知らないんだ。叔父さんにも聞かなかったし。ただ、不正の責任をかぶされた……とか、なんとか……大人たちが言ってた」

 耳の奥にちくりと痛みを感じ、短く息を吐いてから目を伏せた。
 そしてもう一度、海翔を見つめる。
 これまで見てきた海翔からはこんな過去、微塵も感じなかった。
 明るく振る舞う心の中に、こんな悲しみを抱えていたことが辛すぎる。

 冗談を言うような口ぶりが切なくて、海翔の手を握りしめていた。
 海翔の瞳が一瞬、見開かれると、応えるように凛の指先は握り返されていた。

「悪い、変な話して……。聞いてくれてさんきゅな。でも、佐伯には知っててほしかったんだ。俺のことを」
 頭を左右に振りながら、「……話してくれて、ありが、とう……」と伝えた。
 我慢していた涙がこぼれてしまった。

「なんで佐伯が泣く……」
「……ごめん。なんか、勝手に、涙が……」

 ぽつりと落ちた声は、ただ溢れた気持ちのかけらに過ぎない。
 気の利いた言葉が思い浮かばなくて、凛は少しだけ海翔に身を寄せた。

 そばにいたい。
 一ノ瀬くんにはずっと、ずっと笑っててほしい。
 俺にできることがあるなら、何でもしてあげたい……。

 心では言いたいことがあふれているのに、声に出して言う勇気がない。
 すぐ隣にいるのに、泣くことしかできないなんてかっこ悪すぎる。

「謝んなよ。俺が、聞いて欲しかっただけだから」
 吐息まじりに笑う海翔が、そっと凛の肩に触れる。
 凛は、ただ、うん、うんと、何度も小さく頷いた。
 海翔が髪を撫でてくるから、どっちが慰めているのかわからなくなる。

「叔父さんたちに引き取ってもらって、俺は幸せなんだ。けど、食いぶちが増えたのは事実だし。それに、しばらくして深月が生まれたから……」
 言い淀む言葉の先が想像できて、握っている手に力を込めた。
 バイトを頑張るのも、今の両親の負担を減らすためだと想像できる。

 きっと、深月ちゃんの面倒も率先してやっているんだろうな……。

 妹への思いやりがよぎると、凛はふと、初めて深月と病院で出会った日のことを思い出した。

 あのとき、深月の病院に真っ先に駆けつけたのは、母親ではなく海翔だった。  
 看護師たちも当然のように、両親ではなく兄に連絡したのかもしれない。  
 そんな風に思えるほど、普段の海翔からは深月への優しさと責任感があふれていた。
 
 囁くような波の音が公園を海辺のように感じさせ、凛の胸を静かに満たしていく。
 微かに潮の香りを運んでくる風が、海翔と初めて出会った海の記憶を呼び起こした。

 ただ、それは凛だけで、海翔はもう忘れていること。
 少しそれを寂しく思うけれど、いま、つながっているこの手の温もりがあれば、平気……だ。
 小さな海翔の悲しみの方が、きっと、もっと苦しかったはずだから。
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