ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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14ー1

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「危ないっ、リンッ!」

 海翔の叫ぶ声。
 その声を聞いたと同時に、一瞬、体がふわっと浮き上がった。
 まるで、あのときと同じように、無重力になった世界で、凛の意識が白く弾けた。
 硬い壁に背中が叩きつけられたような衝撃。
 肺から全ての空気が押し出されるような苦しさを味わうと、耳の奥で轟音と共に膜が破れたような気がした。

 冷たい水に全身を覆われ、体温と水温の急激な変化が凛を襲う。
 足が宙をかき、体が斜めになって、自分の体なのに制御不能になる。
 そのとき、突如、足に激痛が走った。
 内側から筋肉が捻じれるような感覚を味わう。

 ヤバい……足、つった──。

 慌てて手をバタつかせると、視界はぐわんっと反転し、空と海の色が入れ替わった。
 見上げた視界に、突堤のコンクリートが、遥か上空へと遠ざかっていく。
 陸から切り離される孤独感と恐怖が、凛の中に生まれた。
 息を吸おうとしても、体がどんどん沈んでいく。
 足掻こうとするほど痛みが増す悪循環の中で、重力に逆らえずに沈んでいく絶望感を突きつけられたそのとき──

 バシャンっと、何かが水中に飛び込む音がした。
 視界がぼやける中、深い青の世界の向こうに、水面がキラキラと光っているのが見えた。
 その輝きに向かって必死に伸ばした凛の手を、誰かが掴んで引っ張ってくれる。

 海翔っ──?

 滲む視界で見えたのは、海翔だった。
 子どものとき、助けてくれたカイトと同じように、その瞳が『大丈夫だ』と言っている。
 グングン光へと引っ張られ、水面に顔を出すと目の前に大好きな人がいた。
 ようやく息が吸えてホッとする凛を、荒い息遣いの海翔が凛をジッと見つめている。
 水滴を纏う顔は、不安と安堵が入り混じったような、切ない表情をしていた。

「……い、ち、の、せ……く──」
「お前……もしかして、『リン』なの……か」

 雷に打たれたように心臓が痺れ、一瞬、息が止まった。
 世界から音が消え、二人だけがそこから切り取られたような感覚になる。
 周りの景色も波の音もぼやけ、ただ、海翔の声だけが胸の奥に響いていた。
 海翔の瞳は瞬きもせず、答えを待っているように凛を見つめている。 

 いま、カイトは、『リン』って、言った……?

 聞き間違いではないかと、頭の中で海翔の声を繰り返し、自分に問いかけた。
 驚きと喜びが入り混じり、呼吸するのも忘れてしまうほど、その言葉に心を奪われてしまった。
 答える変わりに、凛の瞳からは堰を切ったように雫があふれ出す。

「リン……なのか。あの、小学三年の夏、一緒に過ごしたリンなのか……」

 熱を帯びた声で、海翔がゆっくり問いかけてくる。
 喉の奥に言葉が詰まって声が出ない。答えたいのに音にならない。
 再会した瞬間から幼い恋心は膨らみ続け、今にも胸を突き破りそうだった。

 ずっと言いたくて、思い出してほしくて──。

 凛は両手で口を覆うと、何度も深く頷いた。
 その拍子に力が抜け、体が沈みそうになる。
 海翔が片手で水をかき、もう片方で凛を強く抱きしめてくれた。
 迷いのない腕の力と温もりが、凛の冷えきった心を溶かしていく。

「……嘘だろ……なんで、俺、わかんなかったんだ……」
 海の中で二人は浮かんだまま、海翔が悔いるように呟いた。
 その声が鼓膜に落ち、ごめん──の言葉も重なる。
「あやまんない、で……。普通、忘れるよ……」
 いつの間にか足の痛みはなくなり、凛は必死で立ち泳ぎしながら首を左右に振った。

 おぼつかない凛に気付いたのか、海翔が抱き抱えたまま、突堤まで連れて行ってくれる。
 陸に上がっても泣き止むことができず、凛は地面に座り込んだまま海翔を見つめていた。
 海翔も同じ視線になり、海水に混ざった涙を、指で拭ってくれる。

「リン……あのときの、リンが、佐伯、凛……。名前、一緒なのに、俺はなんで──」

 涙を掬っていた手が、いつの間にか頬に触れていた。
 噛みしめるように凛の名前を繰り返す声が、胸の奥に沁みていく。
「……思い出してくれて、嬉しい」
 泣きながら微笑むと、海翔は隙間ひとつなく抱きしめてきた。
 今度は両腕で、しっかりと。

「お前、ずりぃ。ずっと俺のこと知ってたんだな。何で、黙ってたんだ……」
 切ない声が、こそばゆくて、たまらなく嬉しい。
「言えないよ……初恋の人に、そんなこと」
 本心を告げても、海翔の腕は緩まない。むしろ強さを増していく。

「初恋って……俺のこと、か」
 たどたどしい問いに、「うん」と当たり前の答えを返す。
 その瞬間、海翔の顔が凛の肩に深く沈み、猫のように甘える仕草を見せた。
 息が首筋をかすめて、思わず心ごと肩が震える。

「くそっ。凛はひどいやつだ。でも、かわいい」
 叱られて戸惑いに揺れる思考は、海翔の唇が凛の唇に触れた瞬間、ぴたりと止まった。
 胸が大きく跳ねて、息が詰まる。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
 呆然とする凛に、唇のやわらかさが確かに現実だと伝えている。
 初めてのキスは、甘い息遣いに混ざって塩の味がした。

 顔が離れると、恥ずかしさに思わず下を向いてしまう。
「凛……」
 優しく名前を呼ばれ、そっと顔を上げる。
 目が合って、二人とも照れたように笑ってしまった。

「リン……凛……」
 繰り返される名前はくすぐったくて、胸が熱くなる。
 海翔の声が海風と混ざって、身体中に浸透されて喜びに変わった。
 頬を撫でてくれる手を見つめていると、また顔が近づく。
 そっと抱き寄せられ、二度目のキスを交わした。
 体はまだ濡れていたのに、凛の心は陽だまりのように温かった。
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