ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 凛はそっと、隣の海翔を盗み見た。
 長めの前髪が額にかかって、それが風で揺れている。
 ただ、それだけのことなのに見惚れてしまう。
 学校ではいつも結んでいるその髪が、今日は自由に踊っている。ちょっと大人っぽい。

 どうしよう。海翔、浴衣、めちゃ似合ってる。

 見つからないよう、会話の合間にチラ見する。
 目が合いそうになると、知らん顔を──
「凛。今ので、五回目」
 ドキッと、漫画の吹き出しのような文字が頭に浮かぶ。
「な、何が?」
 とぼけてみたけれど、海翔はお見通しだった。

「さっきから、チラチラ俺を見てきては、知らん顔してること、だ」
 言い訳や、うまい言い逃れが思い浮かばず、こよりを結うように浴衣の袖口を摘んで下を向く。

 つい、見てしまうのは不可抗力だ。だって──

「カッコ良すぎる海翔が悪い……」
 顔を背けて呟くように言った。
 夏祭りで賑わうここでは絶対に聞こえてない。そう思っていたのに、甘かった。

「そりゃ、どうも。けど、俺からすれば、凛の方が可愛いけどな」
 突然の言葉に頭がフリーズした。
 心臓が早鐘を打つように、ドキドキと高鳴る鼓動が耳に届く。
 嬉しさや恥ずかしさで、顔が赤くなったいるのも自分でわかった。

 周囲の音が全てかき消され、自分たち以外が一時停止されて、二人だけしか存在しない。
 そんな、感覚に浸ってしまう。
 もじもじしながら、「そ、それは、どうも」と、海翔の真似をするのがやっとだった。

 そっと顔を上げると、海翔が楽しそうに微笑んでいる。
 その顔を見たら、恥ずかしさを吹き飛ばして、自然と笑顔がこぼれていた。

 屋台が連なる通りを、肩を並べて二人で歩く。
 この町に引っ越してきたときは、想像もできなかったことだ。

 同じ高校、同じクラス。再び海翔に出会えたことを、運命が導いた──なんて映画みたいなセリフが浮かぶのは仕方ないと思う。
 夏の風に乗って届く海翔の笑顔は、これまでとは違う。そう思うのは間違いじゃない。
 からころと鳴る下駄の音さえも、特別な二人を演出する効果音に聞こえた。

 二人で歩くうちに屋台の賑わいが途切れ、裏道に差し掛かると、涼しい風がすっと頬を撫でた。
 祭りの喧騒から少し離れた公園のベンチを見つけると、海翔が足を止める。

 凛の手を握り、「ちょっと座ろ」と、とびきりの笑顔を向けてきた。
 並んで腰掛けると、遠くの屋台から、たこ焼きの焼ける音と香ばしい匂いが漂ってくる。

「……なあ、凛」
 呼ばれて顔を上げると、海翔の表情は少し曇っていた。
 どこか苦しそうな顔。そんな表情は似合わないし、させたくない。
 何でも話してほしい、そう、瞳に願いを込めて海翔の言葉を待った。
 静かな間のあと、海翔がぽつりと口を開く。

「やっぱり、まだ引っかかってる。……あんなに大事な思い出を、忘れてたなんて」
 凛が首を振るより先に、海翔は続けた。

「あの夏の一週間は……本当に楽しかった。でも、もしかしたら、俺は思い出すのが怖かったのかもしれない。俺は母さんとは反対で、昔の……父さんがいた頃の記憶ごと閉じ込めていたのかもな」
 凛は頷くかわりに、隣で小さく瞬きした。
 遠くを見つめる横顔が、祭りの灯りの彼方に溶け込むのを見つめながら。

「凛と過ごしたあのときが、本当に特別で楽しくて。また来年も会おうって約束しただろ?」
 海翔の声が、少し震えている。凛は小さく頷くしかなかった。
「だから俺、夏が来るのをずっと楽しみにしてた……でも、お前、来なかった」
 握った手に自然と力がこもる。凛も思わず強く握り返した。
 後悔と申し訳なさが、胸をぎゅっと締め付けてくる。

 ──海翔が昔のことを思い出してくれあの日、凛はこの町に来れなかったことを伝えていた。
 約束を破ったことが後ろめたくて、心の奥で重くのしかかっていた。
 転校初日に海翔を見つけたときも、カイトに恋していたせいで、どうしても言えなかった──と。

「その上、家が火事になって、全部めちゃくちゃになった──。でも、夏になったら凛に会えるって、そう信じてたんだ、凛の笑顔を見れば俺は大丈夫、って」

 海翔の言葉が胸に突き刺さる。
 もう、悲しませたくない。海翔を守りたい。でもそれをうまく言葉にできない。
 凛は伝える代わりに、握る手に力を込めた。

「でも、次の年も、その次も凛は来なくて。俺は……家族も家もなくて、凛からも忘れられたみたいに思ってさ」
 その言葉が、凛の胸を貫く。
 小さなカイトが抱える悲しみに、寄り添えなかった自分が悔しい。
 夏が訪れるたびに、かけらのような後悔が大きくなっていた。

「凛との夏も幻だったんじゃないかって……思うくらい、つらかったのかも……な」
 悲しみを含んだ笑みを向けられ、泣きそうになった。
 
「凛が転校してきたとき、あのときの男の子だって思わなかった。でもお前を見て、どこか懐かしい気配を感じた。初めて会うはずなのに、なぜか知っているような……そんな不思議な感覚だった。
 そう言って、海翔が凛の方を見た。「な」って、微笑みと一緒に。
 その瞳の中には、あの夏に見た幼い海翔がちゃんといた。

 祭りの喧騒の中、少し潮を含んだ風がそっと二人の浴衣の裾を揺らす。
 その風とともに、海翔の悲しみが静かに凛の心に沁みてくる気がした。
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