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第16話  まごころ

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オリヴィエが絶好調だ。
今までにないくらい上機嫌だ。
そのせいか、讃美歌らしきものを鼻唄で延々と歌っている。
こんな一面は初めて見る。


「なんだか、随分とゴキゲンなんだね」
「そうでしょうかぁー、フフフーン」
「そうとしか見えないよ。ずっとその調子じゃない」
「楽しそうな所悪いが、切り替えてくれ。敵だぞ」
「ほんとだ! みんな隊列を!」
「わかりましたー、フッフーン」


うーん、なんか緊迫感が……。
今も歌が聞こえてるけど、なんだか落ち着かないなぁ。


「オリヴィエさん、戦闘中にそれはちょっと」
「いや、構わない。続けてくれ」
「グスタフさん?」
「オレに考えがある。頼む」


そう言ってグスタフは鉄トカゲに向かっていった。
低い、早い、固いの三拍子揃った難敵だ。
僕は後ろから牽制のタイミングを見計らっていたけど、その必要は無かった。


ーーギィェェエーッ


グスタフが一刀両断にしてしまったからだ。
素人の僕が見てもわかるくらい、鮮やかな太刀筋だった。


「すごいね、グスタフさん。今のは技か何かなの?」
「いや、オレにそこまでの力はない。たぶんオリヴィエのおかげだ」
「ルルー私でルルルーですかーフフフーン」
「話すときくらいは控えようか」


オリヴィエはちょっとションボリしてしまった。
今のは僕が悪いんだろうか。


「歌のお陰だったとしたら、オリヴィエには『巫女』の才能があるかもな」
「巫女、ですか。初耳ですが、レインさんはご存じですか?」
「ううん、僕も聞いたことないよ」
「オレも噂話でしか知らねぇんだが、歌によって力を授けたり、万民に神託を伝えたり出来るらしい」


なんだか凄い話になってきた。
万民にというのは、たくさんの人と意思疏通出来るってことなのかな?


「まぁこの件に関しちゃオレも素人だ。間違ってるかもしれん」
「でも歌のおかげで戦いが楽になるのなら嬉しいね」
「では、戦闘中に手の空いた時は歌えば良いのですね?」
「ああ。しばらくはそうしてくれ」


言われてみれば、彼女の歌を聞いてると元気が湧いてくる気がする。
それと不思議な安らぎも、かな。


それから僕たちは、港町に向けて森の中を進んだ。
その途中で、川のせせらぎが聞こえてきた。
連日の野宿のせいで体が汚れているので、休憩がてら水浴びをすることに。

まずはオリヴィエが浴びに行き、僕たちはのんびり体を休めていた。
それほど時間をかけずにオリヴィエが戻ってくる。


「レインさん、お待たせしました。交代しましょう」
「ありがとう、じゃあ行ってくるね」
「ごゆっくり。さぁミクちゃん、待ってる間遊びましょうか」
「みーやぅ」
「お腹が空きましたか? それともおねむですか?」
「みーやぅ」


オリヴィエは黒猫のミクロと遊ぶようだ。
ほんとにオリヴィエにだけ懐いてるよなぁ。
僕が触ろうとするとフーッて言うし。
付き合いならこっちの方が長いのにね。

川の水は透き通っていて、その冷たさがより清涼感を与えてくれた。
流れの緩やかさを楽しみつつ、ゆっくりと汚れを落としていると、遠くから鼻唄が聞こえてきた。
それはどんどん大きくなる。
もしかしてこっちに近づいてるの?

そちらを凝視していると、ガサガサと草むらが音をたて、やっぱりオリヴィエがやってきた。
腕にちょっと不機嫌なミクロを抱えながら。
……ていうか、僕は水浴び中なんだけど?!


「レインさん、お着替えここに置いておきますね」
「あぁ、うん。ありがとう……?」
「そんなに慌てないでください。もう夫婦なのですから、隠し事はいりません」
「め、夫婦?! それってどういう事?」
「それでは、ごゆっくりー」
「ねぇ、ちょっと!」


突然どうしたんだ。
一体何が彼女をそこまで……。


ーーオリヴィエさんの方が好きだなぁ。


あれかーーっ!
きっとそうだ、そうに違いない。
あの言葉をすごく好意的に受け止めたんだろう。
あの一言でここまでグイグイ来るなんて、たくましすぎるよ。


3人が水浴びを終えた後に食事をとり、結局そこで野宿をすることにした。
準備は簡単で、焚き火を起こし、見張りの順番を決め、寝るときに纏(まと)う厚手の布を用意するだけ。

最初の見張りはグスタフなので、僕とオリヴィエは始めから寝ていられる。
寝ていられるんだけど。

……二つの寝床が随分と近くに見えるね。

もう合体と言った方が早いかな。
当人はというと、既に布を頭から被っていた。
チラリと目だけ出したかと思うと、僕と目が合うなりサッと隠れてしまう。
それは一体何のアピールなんだろう?
興味を持ったミクロが、前足で布にちょっかいを出してるよ。


「うん、そっか。そうだよなぁ。オレはちょっと長めの小便にでも行くかなっと」
「グスタフさん。今宵は良い月が出てますので、月見酒なども良いのでは?」
「お、いいねぇ。一人でゆっくり楽しもうかね」


そう言い残してグスタフは森に消えた。
ちょっとだけ待って、人生の先輩!
足をもたつかせながら後を追いかけた。


「グスタフさん!」


暗い森の中を探すのは少し大変だけど、思ったより遠くには行ってなかった。
見失ったら一大事だったよ。
グスタフはちょっとだけ驚いたような顔を向けている。
僕はすがるような気持ちで問いかけた。


「あの、どうしたらいいですか?」
「なんだ、やり方をしらないのか? まず相手の耳を……」
「そうじゃなくて! オリヴィエさんの扱い方!」


僕は思いきってぶつけてみた。
定まらない胸の内を。
自分がどうしたいのか、自分がどう思っているのかすらわからないこと。
まとまりの無い話を、グスタフは嫌な顔をせずに聞いてくれた。
そして僕が粗方吐き出すと、彼はゆっくりと諭してくれた。


「リーダー、今のをそのままオリヴィエに伝えたらいいんだ。そうすりゃ上手くいくぞ」
「そうかなぁ。傷つけちゃわないかな?」
「言ってもらえない時の方が辛いこともあるんだぞ? それにあの子は芯の強い子だ、安心してぶつかってこい」
「……うん、わかったよ。ありがとう」


背中で返事をしながらグスタフは去っていった。
これで僕はオリヴィエと向き合わざるを得ない。
勇み足とはほど遠い足取りでキャンプ地に向かった。

不安だ。
怖い、という方が正しいかもしれない。
彼女はこの世界で数少ない僕の理解者だ。
嫌われることは何よりも怖かった。
そして、悲しませることも、落胆させてしまうことも。

これから告げる話は、僕たちの関係を壊してしまうものかもしれない。
そう思うと、次の一歩が重くなる。
早く話して楽になりたい想いが歩を進めさせ、怖くて逃げ出したい気持ちが足を引き留める。

そんな覚束ない足取りのままで戻ってきた。
夜の森での炎は随分と目立つ。
オリヴィエは寝床から起き上がっていて、焚き火の前に座っていた。


「おかえりなさい。顔色が悪いですが、どこか体調でも?」
「うん、そうだね。お腹がちょっと痛くてさ」
「それは大変ですね。早く暖かい格好をしないと」
「あぁ、もう落ち着いたから平気だよ」


焚き火を前にならんで座る。
炎の揺らぎに倣(なら)ってオリヴィエの顔が赤く染まる。
それを横目で見ながら、美しいと思った。

容貌(ようぼう)がじゃない。
今の僕たちはボサボサの髪に、擦りきれた服を着ていて、美からほど遠い存在だった。
そんな中でも文句ひとつ言わず、明るく朗らかに居てくれる彼女の振る舞いに、本当の美を感じた。

ーー彼女は本当のところ、僕の事をどう思ってるんだろう?

今すぐ知りたいような、知るのが怖いような、心の所在がわからなくなった。
川が水で氾濫したように、僕の口からは言葉が溢れ始めた。


「あの、ごめんね。何というか、いくじなしで」
「急にどうしたんです?」
「僕は自分の気持ちがわからない。人を好きになるという気持ちも。オリヴィエの好意は嬉しく思うけど、好きなのかどうかも、わからないんだ。そんな曖昧な気持ちのまま向き合いたくないし、でも無下にし続けても傷つけちゃうだろうし。自分がどうすればいいのか、一体何をどうしたいのか、その……」


僕の話は全くまとまってなかった。
我ながら要領を得ていないと思う。
でも我慢の限界だった。
心のドアは重さに耐えかねて、大きく開かれてしまった。


ーー突然こんな事……。失望させてしまったかな。


恐る恐る彼女の方を見ると、穏やかに目を瞑っていた。
そして握られた手は胸元にあり、それがゆっくりと彼女の足元に落ちた。


「レインさんは本当に優しい方です。それは出会った時から変わりませんね。頑張り屋さんな所も、一人で耐えようとしてしまう所だって」
「そんな、優しくなんか」
「私にはそう見えます。ここまでの逆境に追い詰められても、ふて腐れず、真っ直ぐなままで。その中で私にまで気を遣ってくれていますもの」
「僕は……そんな立派な人じゃないよ」


彼女は曇りのない表情で僕を見ている。
それが真心を明かしてくれているような気にさせた。


「追い詰めてしまったようで、すみません。ちょっと舞い上がってしまったのです。これからはゆっくり向き合えるよう、気を付けますね」


そう言ってオリヴィエは手を差し出してきた。
それは何かを探しているように。
その手におずおずと触れると、優しく握られた。
柔らかく、暖かい手。

自然とお互いに笑顔が溢れた。
そうか、これで良かったんだ。

そして僕たちは、手を繋いだまま眠りについた。
夜が明けて目が覚めるまで、手を放さなかったみたいだ。
そんな僕たちをグスタフはニヤケ顔で迎えてくれた。

「そういえば見張り! 任せきりにしちゃったね」
「構わねぇよ。見張りを変わったら、その手を引き裂く事になっちまうだろ。だから起こさないでいたんだ」


うわ、なんか格好いい。
この人には敵う気がしないなぁ。




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