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第23話  たまんねぇ感覚

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もうじき夜になるので、この村唯一の宿屋に向かった。
外から訪れる人が少ないのか、宿屋の規模も控えめだ。

中に入るとほとんど人が居ないらしく、随分と静かだった。
その静けさのなかでパイプを楽しんでいたお爺さん。
店主とおぼしきその人は、僕たちに気づくとニコリと微笑んだ。


「ようこそ。旅の方……か、ね?」


言葉を言い切る前に、その表情は驚愕の色に染まった。
目を見開いて、口と鼻からは煙草の煙がモクモクと漏れ出ている。


「ひと部屋借りたいんですが、空いてますか?」
「うむ。3名様じゃと、90ディナになるが……よいかの?」
「わかりました。それで構いません」


前金として宿代を手渡した。
お爺さんの手はプルプルと震えている。
初対面の人だから仕方ないけど、その態度には少なくないダメージを受けてしまう。


「お嬢さん、そのぅ……大丈夫かい? お連れさんは大事に扱ってくれてるかい?」


その声はおずおずとオリヴィエに向けられた。
彼女はいつもの調子で答えた。


「ええ、もちろん。心は優しく、魂は高潔。とても紳士的に接してくれます」
「そうなのかい。人は見かけに寄らんとは聞くが……これまた極端な例じゃのう」
「私としてはもう少しグイグイ来てほしいくらいです。それはもう本能の赴くままに」
「うん……? ワシにはようわからんが、あまり無茶をしてはいかんぞ」


お爺さんの警戒心が薄れたのか、表情がいくらか和らいだ。
オリヴィエは『本能の赴くままに』なんて言ったけど、何の話だろう?
肉を手掴みで食べたり、木の天辺で叫んだりすればいいのかな。


それから案内された部屋へと入り、僕は荷物の整理を始めた。
テーブルの上に愛用の麻袋を広げる。
しばらく経ってから、こっちの方に2種類の視線が飛んできていることに気づいた。

片方の視線は黒猫のミクロだ。
ベッドの上でペタンと体を伏せて、平たくうつ伏せのまま爛々とした目で見ている。
ユラユラ揺れる袋の紐が気になっているようだ。

もう片方の視線はオリヴィエだ。
ミクロと同じようにうつ伏せになり、目を輝かせながら僕を見ている。
こんな状態になったのも、宿屋のお爺ちゃんの言葉が原因だろう。

『この村で唯一自慢できるのは温泉じゃ。混浴だから若いものには不便かもしれんが、いいものじゃぞ』

あのお爺さんに悪気はない。
それはもう痛いくらいにわかっている。
でもその結果、オリヴィエはすっかり乗り気になってしまった。
こうなったら押し止めるのは難しいかもしれない。

しきりに「髪がベタベタしますねぇ」とか「こんな所に泥が」とか呟いている。
きっと僕の近しい未来は決まってしまったのだろう。
もはや腹を括るしかない。


「オリヴィエさん、僕はこれからお風呂に行こうと思う……」
「そうですね行きましょう清潔感は大事ですから!」


疾風を伴うような返事だった。
普段はおっとり気味に話すオリヴィエの言葉とは思えないほど。

まぁ、混浴でも問題は無いと思う。
体はタオルで隠しちゃうだろうし。


「グスタフさんも行かないかい?」
「あぁ……先に行っててくれ。ちょっと手紙を書きたいんだが、これがどうにも苦手でなぁ」


もうひとつの小さいテーブルに向かって体を縮めてると思ったら、そんな事をしていたらしい。
故郷にいるという婚約者にでも送るんだろうか。
邪魔するのも悪いので、2人で温泉へと向かった。

温泉がある建物の入り口には立て看板が掲げられていた。
どうやら注意書みたいだ。

ーー男女ともにタオルで隠すなど、周りに配慮してください。

なんだかんだ言ってオリヴィエはマナーを守る子だから、これで暴走することは無いだろう。

中に入ると、そこは脱衣所だった。
男女兼用になっているのは混浴だからだろう。
僕たちは並んで服を脱ぎ始めた。
もちろんオリヴィエの方なんか見れないから、明後日の方に顔を向けながら。
タオルを腰に巻いて、僕は準備を終えた。


「オリヴィエさん。僕はもう大丈夫だよ」
「私もです。行きましょうか」


僕が先頭になって浴場に向かった。
オリヴィエは僕の後ろにピッタリと付いてくる。
なんだか様子がおかしいな。


「ねぇ。どうしてそんな歩き方なの?」
「それは周りのお客さんへの配慮の為ですね」
「どういう事?」
「私は今完全なる裸族ですから。レインさんの影に隠れないと見えてしまいます」


ええー何それ?!
こういう時は普通、体に何か巻くでしょう?
それにそんなに近くを歩くから……。

ふにゅん。

当たった!
今なんか柔らかい何かが当たったよ!?


「レインさん。これが俗に言う『たまんねぇ感覚』ってやつです。いかがですか?」
「俗に言うったって、僕は初耳なんだけど?」


気が動転して的はずれなコメントを返してしまった。
まぁ冷静だったとしても的確な解答なんか出来ないけどさ。

幸いなことに、入浴者は他に2人しか居なかった。
どちらも地元の人らしきお爺さんだ。
若い人が居なくてホッとした。


「時間帯の関係かな。お爺さんしかいないね」
「そうですね。若い女性が居なくてよかった」
「あれ、男性じゃなくて?」
「そうですが……もしかして男性の体の方が見たいタイプですか?」


違います!
僕はそういう人ではありません!
今のは僕の視線の先を気にしてのコメントだったのか。
気まずくなり出した空気をごまかすように、僕たちはお湯に浸かった。


「ちょっと熱いけど、気持ちいいねぇ」
「そうですね。1度慣れてしまえば良い具合ですね」


旅の疲れが溶けていくような心地だ。
体も弛緩しきって、自然と手足が投げ出される。
オリヴィエも同じ気持ちなのか、とてもリラックスしているみたいだ。


「あら、これはいったい……?」
「うん? 何かあったの?」
「あちらのお爺さんたちの様子が……」
「あー……うん。どうしたんだろうね」


先客の2人の様子が確かにおかしかった。
ひとりは空を見上げて涙を流し、もうひとりは震える両手を高く掲げている。
やたらプルプルしてるけど、それはガッツポーズで良いんだろうか。


「本人に聞いてみましょうか?」
「いや、そっとしといた方が良いと思うよ」
「何やら『生きてて良かった、冥土の土産が出来た』と言っているようですが……」
「絶対そっとしといた方が良いよ」


それからその2人はこちらに深々と頭を下げて、風呂からあがっていった。
今の態度はどう受け止めたらいいんだろう。


「変わった方々でしたね」
「そうだね。ちょっと変だったよね」
「去り際にポツリと『この記憶さえあれば』なんて言ってましたけども……」
「すぐにでも忘れた方が良いんじゃないかな」


僕もピンと来てないけど、たぶんロクでもない話だと思う。
聖職者相手になんて事を言うんだか。
……そういえば、この子は一応聖職者なんだよなぁ。
これまでの態度のせいで、たまに忘れそうになるよ。


「レインさん。どうですか?」
「どうですって、何が?」
「ここいらで1度、荒れ狂うオオカミになってみませんか?」
「うん、ちょっと何言ってるかわかんないな」
「言い方を変えましょう。若さゆえの過ちをここで……あら?」
「オリヴィエさん、大丈夫?」


立ち上がろうとした彼女がお湯の中に倒れ込んでしまった。
体を起こさせると、妙に頭をフラフラとさせている。


「湯あたり、でしょうか? なんだか頭が……」
「そうなんだ。もう出た方が良いね」
「体から力が抜けてしまって。おぶって貰えませんか?」
「わかったよ。無理しないでいいからね」
「どうもすみません」


いつもの感覚で安請け合いしてしまったけど、彼女は一糸纏ってない姿だった。
それはつまり、ダイレクトという事だ。
何がとは言わないが、直に当たるのだ。

実際背中に担いである間中、それははっきりと押し付けられた。
かつて経験したことの無い感覚が、僕の意識を遠くへと連れ去ろうとする。
そして冷静さが吹き飛んで行きそうな僕の耳に、小さな囁きが聞こえた。


「たまんねぇ感覚カーニバル」


その一言でなんとか自分を保つことが出来た。
今のは結構危なかった気がする。
というかそんな軽口を叩く余裕があるなら、自分で歩いてよね。

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