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鎌鼬
朝霧不動産の秘密
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「えーっ! メゾン江崎を決めたんですか?!」
一風変わった少年客の案内と契約処理を終え、バックヤードのソファで遥がひと息ついたところ。悠弥はそそくさとお茶を出し、美琴の契約の件を伝えた。
思いのほか驚かれ、悠弥の方が目を丸くする。
「エリアも良かったし、なにより転職でこっちに来るっていう話だったんで、ちょうどいいかと……」
「確かに条件は合っているかもしれませんけど……」
湯飲みを両手で包むように持ちながら、遥は少し言い淀む。
「彼女、合言葉を知っていましたか?」
「合言葉?」
おうむ返しに口走ってから、少年客を接客する前に遥が言ったことを思い出した。
「さっきの……秘密の合言葉があるって話ですか?」
「そう。彼が最初に言っていたのが合言葉なんです。『木の葉払いで保証人は大天狗様』この言葉を合言葉に、特別な物件を紹介することがあるんですよ」
もちろん美琴はそんな合言葉など言わなかった。
「うーん、悠弥さんにも、ちゃんとお教えしておくべきでしたね」
遥はお茶をひとくちすすり、立ったままの悠弥を上目遣いに見つめながら話し始める。
「あの物件は『木の葉払いの物件』といって……『人ならぬもの』に貸す部屋なんです」
「はい?」
「さっきの彼、ちょっと変わった子だと思いませんでした?」
「ええ、まあ……」
「あの子の正体は、鎌鼬なんです」
「正体? かまいたち?」
「イタチの姿をした妖怪です。つむじ風に乗って現れ、人を斬りつけるというのがよくある伝承ですね」
遥が何を言っているのかわからない。
顔にそのままそう書いてあったのだろう。遥は悠弥の表情を伺いつつ、ひとつひとつ噛み砕くように語る。
「山で薬師の修行をしていたのだけれど、お師匠さんに言われて人間社会で暮らすことになったそうで。それでうちを訪ねてきたんです」
突然降って湧いたかのような聞き慣れない話に、悠弥は目を丸くしたままだ。
「そういう、まだ人間社会に縁のない新米妖怪たちを支援するのが、朝霧不動産の役目なんです。彼らが当面、家賃を気にすることなく、人間社会に馴染むために暮らす家となる場所が『木の葉払いの物件』です」
木の葉払いの名前の由来は、その昔、妖が仕事を見つけて稼げるようになるまで、木の葉を化かしたお金で家賃を支払っていたことから。もっとも、現在ではあえて木の葉で払う者はなく、仕事が見つかったら支払い始めるのが通例なのだ、と矢継ぎ早に遙は言葉を続けた。
「え、え?」
からかわれているのかとも思ったが、彼女はいたって真剣な眼差しをこちらへ向けていた。
「あの黒いファイルには、木の葉払いの物件だけが入っているんです」
「じゃ、じゃあ、メゾン江崎に入居しているのは……」
「もちろん、妖怪たちばかり」
「冗談ですよね?!」
普通は人間には紹介しないんですけれどね、と悪戯っぽく笑う。
「悠弥さんは……なんかそういうの平気そうだったから」
隣人には引っ越しの挨拶以来ほとんど会っていないが、変わった様子はなかったように思う。
しかし言われてみれば、一風変わった人が多いような気もしてくる。
「最近入ったばかりの子たちも増えたし、人間社会を熟知した管理人さんがいて欲しいな、と思っていたところに悠弥さんが来てくれて……」
「そんな理由で俺を妖怪たちの中に放り込んだっていうんですか?!」
悠弥は反射的にそう声を上げてから、ふと冷静さを取り戻した。
「遥さん、そもそも……妖怪なんていきなり言われてもですね……」
妖怪が存在する、という前提で話が進んでいるが、世間一般では、それは民話や伝承であり、実在しない御伽話のはずだ。
「私たちは彼らを『あやかし』と呼ぶのですけれど……」
と前置きしてから、遥は淡々と続ける。
「朝霧不動産は、私の曽祖父の代からあやかしと縁が深かったそうなんです。あやかしたちの住処を提供して、現世で生きる手助けをする」
時には悪さをする鬼やあやかしを祓うこともあるが、基本的にはあやかしたちの話を聞き、共存の方法を模索してきた。
そんな役目を代々受け継いできたのだという。
悠弥は、それこそ狐狸にでも化かされているのではないかという気分になっていた。
「黙っていてごめんなさい。悠弥さんと、この数ヶ月一緒に働いて……本当のことを言っても大丈夫かなって、思ったところだったんです」
一風変わった少年客の案内と契約処理を終え、バックヤードのソファで遥がひと息ついたところ。悠弥はそそくさとお茶を出し、美琴の契約の件を伝えた。
思いのほか驚かれ、悠弥の方が目を丸くする。
「エリアも良かったし、なにより転職でこっちに来るっていう話だったんで、ちょうどいいかと……」
「確かに条件は合っているかもしれませんけど……」
湯飲みを両手で包むように持ちながら、遥は少し言い淀む。
「彼女、合言葉を知っていましたか?」
「合言葉?」
おうむ返しに口走ってから、少年客を接客する前に遥が言ったことを思い出した。
「さっきの……秘密の合言葉があるって話ですか?」
「そう。彼が最初に言っていたのが合言葉なんです。『木の葉払いで保証人は大天狗様』この言葉を合言葉に、特別な物件を紹介することがあるんですよ」
もちろん美琴はそんな合言葉など言わなかった。
「うーん、悠弥さんにも、ちゃんとお教えしておくべきでしたね」
遥はお茶をひとくちすすり、立ったままの悠弥を上目遣いに見つめながら話し始める。
「あの物件は『木の葉払いの物件』といって……『人ならぬもの』に貸す部屋なんです」
「はい?」
「さっきの彼、ちょっと変わった子だと思いませんでした?」
「ええ、まあ……」
「あの子の正体は、鎌鼬なんです」
「正体? かまいたち?」
「イタチの姿をした妖怪です。つむじ風に乗って現れ、人を斬りつけるというのがよくある伝承ですね」
遥が何を言っているのかわからない。
顔にそのままそう書いてあったのだろう。遥は悠弥の表情を伺いつつ、ひとつひとつ噛み砕くように語る。
「山で薬師の修行をしていたのだけれど、お師匠さんに言われて人間社会で暮らすことになったそうで。それでうちを訪ねてきたんです」
突然降って湧いたかのような聞き慣れない話に、悠弥は目を丸くしたままだ。
「そういう、まだ人間社会に縁のない新米妖怪たちを支援するのが、朝霧不動産の役目なんです。彼らが当面、家賃を気にすることなく、人間社会に馴染むために暮らす家となる場所が『木の葉払いの物件』です」
木の葉払いの名前の由来は、その昔、妖が仕事を見つけて稼げるようになるまで、木の葉を化かしたお金で家賃を支払っていたことから。もっとも、現在ではあえて木の葉で払う者はなく、仕事が見つかったら支払い始めるのが通例なのだ、と矢継ぎ早に遙は言葉を続けた。
「え、え?」
からかわれているのかとも思ったが、彼女はいたって真剣な眼差しをこちらへ向けていた。
「あの黒いファイルには、木の葉払いの物件だけが入っているんです」
「じゃ、じゃあ、メゾン江崎に入居しているのは……」
「もちろん、妖怪たちばかり」
「冗談ですよね?!」
普通は人間には紹介しないんですけれどね、と悪戯っぽく笑う。
「悠弥さんは……なんかそういうの平気そうだったから」
隣人には引っ越しの挨拶以来ほとんど会っていないが、変わった様子はなかったように思う。
しかし言われてみれば、一風変わった人が多いような気もしてくる。
「最近入ったばかりの子たちも増えたし、人間社会を熟知した管理人さんがいて欲しいな、と思っていたところに悠弥さんが来てくれて……」
「そんな理由で俺を妖怪たちの中に放り込んだっていうんですか?!」
悠弥は反射的にそう声を上げてから、ふと冷静さを取り戻した。
「遥さん、そもそも……妖怪なんていきなり言われてもですね……」
妖怪が存在する、という前提で話が進んでいるが、世間一般では、それは民話や伝承であり、実在しない御伽話のはずだ。
「私たちは彼らを『あやかし』と呼ぶのですけれど……」
と前置きしてから、遥は淡々と続ける。
「朝霧不動産は、私の曽祖父の代からあやかしと縁が深かったそうなんです。あやかしたちの住処を提供して、現世で生きる手助けをする」
時には悪さをする鬼やあやかしを祓うこともあるが、基本的にはあやかしたちの話を聞き、共存の方法を模索してきた。
そんな役目を代々受け継いできたのだという。
悠弥は、それこそ狐狸にでも化かされているのではないかという気分になっていた。
「黙っていてごめんなさい。悠弥さんと、この数ヶ月一緒に働いて……本当のことを言っても大丈夫かなって、思ったところだったんです」
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