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鎌鼬
故郷
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明確に契約したいとは言われないまでも、かなり気に入ってくれているようだった。
ここで畳み掛けて契約を取っても良いのだが、悠弥もそんな営業方法は前職でこりごりしていたし、美琴には何か決めきれない別の理由があるような気がした。
大家の江崎と再び軽く話をして、物件をあとにする。
帰りの車内は、行きよりも話が盛り上がった。
「じゃあ、ラジオとかテレビにも出たんですね! すごいじゃないですか」
「ううん、ちょっとだけだもん。そんなスゴいことじゃないよ」
「いやいや、ご謙遜を……俺ももっと、テレビとか見てれば良かったな。今度出るときは、教えてくださいね」
美琴はクスクスと笑って、オッケー、覚えておくね、と返した。
隣町との境のあたりにさしかかると、後部座席から美琴が運転席に身を乗り出してきた。
「東雲さん、ちょっと遠回りしてもらってもいいかな」
「いいですよ! どちら方面へ行きましょうか」
美琴が告げたのは、隣町の大きな公園だった。
昔住んでいた家の近くで、久しぶりにちょっと見てみたいとのことだ。
公園の駐車場に入り、車を停める。
美琴は近くの自販機へ小走りで向かい、悠弥に冷たいペットボトルを渡した。
そのまま見晴らし台へのぼり、町並みを眺める。
「ごめんなさい、仕事、さぼらせちゃったかな」
「いいえ、全然問題ないです。これも仕事のうち、ていうか、いや、その……、こういうの、嫌いじゃないですし、はい」
ペットボトルのお茶をひとくち。
「この町に住んでたの。中学の頃まで」
あの辺りに住んでいた家がある、と言って、細い指で住宅街の端のあたりを指し示した。
「最近、売りに出されたみたい。知ってる?」
「いや……まだ売買物件の方はあんまり詳しくなくて。すみません。社長なら知っているかもしれませんけど」
その家は実家なのか、家族はどうしているのか。疑問は湧くのだが、どうにも聞きづらい。
連帯保証人不要の物件を探すということは、保証人になってくれる身内がいないか、頼みづらい関係にあるかのどちらかであることが多い。家が売りに出されたことすら知らなかったというのだから、家族とは疎遠なのだろう。
そっかあ、と残念そうにつぶやいたあと、美琴は気を取り直したように小さく微笑んだ。
「もう戻らないつもりで家を出たんだ」
眼下の町並みをその瞳に映しながら、どこか寂しげに美琴が言った。
高校進学で家を出てから、最近まで一度もこの町に足を踏み入れたことがなかったという。
「家族とうまくいってなくてさ。避けたかったんだよね。それに、音楽に打ち込むつもりで、結果を出すまでは……って思いもあったかな」
がむしゃらになって歌った、遊んだ、働いた。
そうしていくうちに、やっと音楽活動も軌道に乗った。うまくいっているはずだった。
「それでもずっと心に引っかかってたっていうか……。落ち着かないの。家にいても、帰りたいって思う。それに気づいてから、何もしたくなくなってた。音楽活動も、もう限界かなって。何も浮かばなくなっちゃって、歌いたくもなくなって」
そんなとき、一度だけこの町に戻ってみたのだという。
「田舎の空気吸って、よく通った道をバイクで走って。ずっと会ってなかった地元の友達にも会ってみたりして。それから向こうへ戻ったら、不思議とまたやる気が出てきてね」
そんな折、同じく東京で活動していた音楽仲間である先輩が、地元に戻りカフェを始めるという話を持ってきた。美琴はそれに乗るか否か、まだ悩んでいたのだ。
カフェの先輩には、今日返事をするのだという。
「ねえ東雲さん。こっちに戻ってきて、どう? なんかさ、向こうの暮らしに慣れちゃったし……不安なんだ」
悠弥はうーん、とひとつ唸った。
「正直なところ、不便ですよ、こっちは。電車もバスも本数が少なすぎて使えないし、流行りの商品も遅れて入荷するし、楽しみにしていた映画は来ないし」
並んで町を眺めながら、美琴は黙って悠弥の言葉の続きを待っていた。
「でも、俺は好きです。山に囲まれて、町があって、人がいる。なんかホッとするんです。これといって何かがあるわけじゃないけど、帰りたくなる。故郷ってそういうものなのかなって、俺も思い始めたところです」
「故郷……。うん、そうなのかもね」
「不安、ですよね。でも、何かあったら相談してみてください。だから……こっちに帰ろうと思えたなら、ぜひ帰ってきてください」
美琴は見晴らし台のフェンスから身を乗り出し、両足を浮かせて伸びをするように空を仰いだ。
「うん。私、さっきの部屋に決める!」
ここで畳み掛けて契約を取っても良いのだが、悠弥もそんな営業方法は前職でこりごりしていたし、美琴には何か決めきれない別の理由があるような気がした。
大家の江崎と再び軽く話をして、物件をあとにする。
帰りの車内は、行きよりも話が盛り上がった。
「じゃあ、ラジオとかテレビにも出たんですね! すごいじゃないですか」
「ううん、ちょっとだけだもん。そんなスゴいことじゃないよ」
「いやいや、ご謙遜を……俺ももっと、テレビとか見てれば良かったな。今度出るときは、教えてくださいね」
美琴はクスクスと笑って、オッケー、覚えておくね、と返した。
隣町との境のあたりにさしかかると、後部座席から美琴が運転席に身を乗り出してきた。
「東雲さん、ちょっと遠回りしてもらってもいいかな」
「いいですよ! どちら方面へ行きましょうか」
美琴が告げたのは、隣町の大きな公園だった。
昔住んでいた家の近くで、久しぶりにちょっと見てみたいとのことだ。
公園の駐車場に入り、車を停める。
美琴は近くの自販機へ小走りで向かい、悠弥に冷たいペットボトルを渡した。
そのまま見晴らし台へのぼり、町並みを眺める。
「ごめんなさい、仕事、さぼらせちゃったかな」
「いいえ、全然問題ないです。これも仕事のうち、ていうか、いや、その……、こういうの、嫌いじゃないですし、はい」
ペットボトルのお茶をひとくち。
「この町に住んでたの。中学の頃まで」
あの辺りに住んでいた家がある、と言って、細い指で住宅街の端のあたりを指し示した。
「最近、売りに出されたみたい。知ってる?」
「いや……まだ売買物件の方はあんまり詳しくなくて。すみません。社長なら知っているかもしれませんけど」
その家は実家なのか、家族はどうしているのか。疑問は湧くのだが、どうにも聞きづらい。
連帯保証人不要の物件を探すということは、保証人になってくれる身内がいないか、頼みづらい関係にあるかのどちらかであることが多い。家が売りに出されたことすら知らなかったというのだから、家族とは疎遠なのだろう。
そっかあ、と残念そうにつぶやいたあと、美琴は気を取り直したように小さく微笑んだ。
「もう戻らないつもりで家を出たんだ」
眼下の町並みをその瞳に映しながら、どこか寂しげに美琴が言った。
高校進学で家を出てから、最近まで一度もこの町に足を踏み入れたことがなかったという。
「家族とうまくいってなくてさ。避けたかったんだよね。それに、音楽に打ち込むつもりで、結果を出すまでは……って思いもあったかな」
がむしゃらになって歌った、遊んだ、働いた。
そうしていくうちに、やっと音楽活動も軌道に乗った。うまくいっているはずだった。
「それでもずっと心に引っかかってたっていうか……。落ち着かないの。家にいても、帰りたいって思う。それに気づいてから、何もしたくなくなってた。音楽活動も、もう限界かなって。何も浮かばなくなっちゃって、歌いたくもなくなって」
そんなとき、一度だけこの町に戻ってみたのだという。
「田舎の空気吸って、よく通った道をバイクで走って。ずっと会ってなかった地元の友達にも会ってみたりして。それから向こうへ戻ったら、不思議とまたやる気が出てきてね」
そんな折、同じく東京で活動していた音楽仲間である先輩が、地元に戻りカフェを始めるという話を持ってきた。美琴はそれに乗るか否か、まだ悩んでいたのだ。
カフェの先輩には、今日返事をするのだという。
「ねえ東雲さん。こっちに戻ってきて、どう? なんかさ、向こうの暮らしに慣れちゃったし……不安なんだ」
悠弥はうーん、とひとつ唸った。
「正直なところ、不便ですよ、こっちは。電車もバスも本数が少なすぎて使えないし、流行りの商品も遅れて入荷するし、楽しみにしていた映画は来ないし」
並んで町を眺めながら、美琴は黙って悠弥の言葉の続きを待っていた。
「でも、俺は好きです。山に囲まれて、町があって、人がいる。なんかホッとするんです。これといって何かがあるわけじゃないけど、帰りたくなる。故郷ってそういうものなのかなって、俺も思い始めたところです」
「故郷……。うん、そうなのかもね」
「不安、ですよね。でも、何かあったら相談してみてください。だから……こっちに帰ろうと思えたなら、ぜひ帰ってきてください」
美琴は見晴らし台のフェンスから身を乗り出し、両足を浮かせて伸びをするように空を仰いだ。
「うん。私、さっきの部屋に決める!」
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