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鎌鼬
メゾン江崎
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物件に向かう車内では、いつも他愛ない世間話をする。
この時間に計算された営業トークをし、契約の糸口とする営業マンも多い。しかし悠弥は単純に客とのコミュニケーションの場としている。
一件目の物件は、比較検討のために少々条件から外れていたマンション。駅へは徒歩5分ほどだが、希望賃料からは少々足が出る。築32年だが、内装をリノベーションしてある小洒落たワンルームだった。
古さは気にならないというが、向かいの建物との距離が近く、一階のこの部屋は日当たりが悪いのが気になるようだった。
内覧が終わると、だいぶ打ち解けた雰囲気になった。
「今は都内にお住まいなんですよね。移動はバイクですか?」
店舗脇に赤いバイクが停められていたことを確認済みである。
「そう。車の免許も持ってるけど、バイクの方が好きだし、都内はバイクの方が便利だから」
田舎では車かバイクが必須、という話から、美琴がこの県出身という話を聞き出した。中学を卒業して、すぐに東京に出たこと。現在はルームシェア中で、既に次の入居予定者は決まっているらしい。退去を待たれているから、できるだけ急ぎで引越したいという。
「どんなお仕事をしているんですか?」
この質問は探りを入れる、という意味と、単純な興味。
悪い癖だな、と自分でも思う。
属性の悪い客は、早々に案内を切り上げる。そんな癖がついていた。
少しの間を置いて、美琴はぽつりと答えた。
「音楽関係、かな」
「へえ! 歌とか、楽器とかやるんですか」
「うん、歌も。こっちでの仕事は、ライブカフェの店員だけど。来月、知り合いの店がオープンするから、そこのスタッフなんだ」
そうすると、採用証明や給料明細は比較的簡単に出してもらえそうだな。
反射的にそう考えて、悠弥はまた自己嫌悪した。つい打算的にものを考えてしまう。
そんなことを思っていたら、会話に少し間が空いた。
「ね、東雲さんはこの仕事、長いの?」
その間を埋めるように、今度は美琴から質問が投げかけられた。
「不動産業界は4年目になります。去年までは都内の会社にいたんですが、地元に戻って3ヶ月です」
「そうだったんだ。じゃあ私と同じ、帰省組なんだね」
世間話を終える頃、ちょうど2件目の物件、メゾン江崎に到着する。
葡萄畑の間の坂道を登り、最後のカーブを曲がると建物が見えてくる。
軽量鉄骨造二階建。築年数は25年のアパート。駅からの距離は徒歩15分で、先ほどのマンションよりは遠くなるが、自転車圏内といったところだ。
現在の空室は全4室。案内するのは、最上階の角部屋。
部屋の鍵を開け、スリッパを用意する。
女性と二人きりの案内になるときは、悠弥も気をつかう。
玄関扉は開けたままにし、客との距離にも気をつける。美琴のショートブーツをきちんと揃え、自分も部屋へあがろうとしたとき。
「おや、朝霧さんとこの……東雲さん、だったかな」
老人に声をかけられた。
手に箒を持ち、にこやかに話しかけてくる。品の良さそうなおじいさんだ。悠弥も彼のことを知っていた。このアパートのオーナーだ。
「江崎さん、お世話になっております」
丁寧にお辞儀をしてから、江崎の手元の箒を見やり、続ける。
「わざわざすみません、掃除なら自分がやりますから……」
悠弥は管理人を兼ねて入居している身分である。オーナーに清掃をされては立つ瀬がない。
「いやいや、いいんだよ。趣味みたいなもんだからね。ところで、そちらさんはお客さんかな。この部屋は、先月退去したばかりでね。と、そんなことは知っているか。今度のお客さんはどんな子だい?」
(まだ住むと決まったわけじゃないんだけどな……)
悠弥は眉をよせて困った顔を作る。客の個人情報をペラペラとしゃべるほど阿呆ではない。まだ検討段階なので、ご入居いただけるかはわからないんですけれど、と前置きをして少し話す。
「今度、転職でこちらに引っ越してこられる予定の方です。ここは賃料条件も良いですし、手入れもされていてきれいですので、気に入っていただけるかもしれません」
と、物件をほめることも忘れない。
「ほう。仕事の決まっている入居者とは珍しい」
気を良くした大家は、その後も悠弥に話しかけ続ける。
「私も今は隠居の身でね。こうして大家業をするのが楽しみなんだよ。入居している子たちの話を聞くのも楽しいしね。ここの子たちが社会に出て、元気にやっているのを見ると嬉しくてねぇ」
部屋の中では美琴が、バルコニーに続く窓を開けるところだった。ここの売りはなんといってもバルコニーからの眺望だ。長い坂道を登っただけのことはある。美琴には一番にそれを伝えたかったのだが、オーナーを無下にすることもできない。
爽やかな風が、部屋に流れ込む。
美琴の黒髪がふわりと揺れる。明るい日差しに照らされたその横顔がきれいで、悠弥は少し見とれていた。
「べっぴんさんだね。お狐さんのようだ」
悠弥にしか聞こえないくらいの声で江崎が言う。
狐のよう、という表現に一瞬困惑するも、「そうですね」と返した。
美琴はそこから見える街の景色をしばらく眺めていた。
話が途切れた隙に、江崎に軽く会釈をして部屋に上がる。タイミング良く切り上げないと、老人の話は総じて止めどない。
キッチン、バス、トイレと、設備の清掃状況などを確認しつつ、美琴のいる部屋へ入る。
「いかがでしょう」
「うん、いいかんじ。景色は文句ないし、日当りも良いし」
「ここまでの坂道はちょっとキツイですけれど、その分見晴らしは抜群ですよね。それから、物件の管理についても心配ありません。実は……自分がここの管理人なんです」
「管理人もしてるの?」
「はい。ここの102号室に住込みで」
営業マンが住んでいるというのはどうにも言い出しづらいことなのだが、管理人ともなればいずれは言わなければならないだろう。
「へぇ。じゃあお墨付きってわけだ」
「ええ。まあ……お嫌でなければ」
言って悠弥は照れ笑いした。
江崎オーナーはにこにこと玄関先で佇んでいる。
「大家さんもいい人そうだしね」
美琴はそう言って口端を緩ませた。
この時間に計算された営業トークをし、契約の糸口とする営業マンも多い。しかし悠弥は単純に客とのコミュニケーションの場としている。
一件目の物件は、比較検討のために少々条件から外れていたマンション。駅へは徒歩5分ほどだが、希望賃料からは少々足が出る。築32年だが、内装をリノベーションしてある小洒落たワンルームだった。
古さは気にならないというが、向かいの建物との距離が近く、一階のこの部屋は日当たりが悪いのが気になるようだった。
内覧が終わると、だいぶ打ち解けた雰囲気になった。
「今は都内にお住まいなんですよね。移動はバイクですか?」
店舗脇に赤いバイクが停められていたことを確認済みである。
「そう。車の免許も持ってるけど、バイクの方が好きだし、都内はバイクの方が便利だから」
田舎では車かバイクが必須、という話から、美琴がこの県出身という話を聞き出した。中学を卒業して、すぐに東京に出たこと。現在はルームシェア中で、既に次の入居予定者は決まっているらしい。退去を待たれているから、できるだけ急ぎで引越したいという。
「どんなお仕事をしているんですか?」
この質問は探りを入れる、という意味と、単純な興味。
悪い癖だな、と自分でも思う。
属性の悪い客は、早々に案内を切り上げる。そんな癖がついていた。
少しの間を置いて、美琴はぽつりと答えた。
「音楽関係、かな」
「へえ! 歌とか、楽器とかやるんですか」
「うん、歌も。こっちでの仕事は、ライブカフェの店員だけど。来月、知り合いの店がオープンするから、そこのスタッフなんだ」
そうすると、採用証明や給料明細は比較的簡単に出してもらえそうだな。
反射的にそう考えて、悠弥はまた自己嫌悪した。つい打算的にものを考えてしまう。
そんなことを思っていたら、会話に少し間が空いた。
「ね、東雲さんはこの仕事、長いの?」
その間を埋めるように、今度は美琴から質問が投げかけられた。
「不動産業界は4年目になります。去年までは都内の会社にいたんですが、地元に戻って3ヶ月です」
「そうだったんだ。じゃあ私と同じ、帰省組なんだね」
世間話を終える頃、ちょうど2件目の物件、メゾン江崎に到着する。
葡萄畑の間の坂道を登り、最後のカーブを曲がると建物が見えてくる。
軽量鉄骨造二階建。築年数は25年のアパート。駅からの距離は徒歩15分で、先ほどのマンションよりは遠くなるが、自転車圏内といったところだ。
現在の空室は全4室。案内するのは、最上階の角部屋。
部屋の鍵を開け、スリッパを用意する。
女性と二人きりの案内になるときは、悠弥も気をつかう。
玄関扉は開けたままにし、客との距離にも気をつける。美琴のショートブーツをきちんと揃え、自分も部屋へあがろうとしたとき。
「おや、朝霧さんとこの……東雲さん、だったかな」
老人に声をかけられた。
手に箒を持ち、にこやかに話しかけてくる。品の良さそうなおじいさんだ。悠弥も彼のことを知っていた。このアパートのオーナーだ。
「江崎さん、お世話になっております」
丁寧にお辞儀をしてから、江崎の手元の箒を見やり、続ける。
「わざわざすみません、掃除なら自分がやりますから……」
悠弥は管理人を兼ねて入居している身分である。オーナーに清掃をされては立つ瀬がない。
「いやいや、いいんだよ。趣味みたいなもんだからね。ところで、そちらさんはお客さんかな。この部屋は、先月退去したばかりでね。と、そんなことは知っているか。今度のお客さんはどんな子だい?」
(まだ住むと決まったわけじゃないんだけどな……)
悠弥は眉をよせて困った顔を作る。客の個人情報をペラペラとしゃべるほど阿呆ではない。まだ検討段階なので、ご入居いただけるかはわからないんですけれど、と前置きをして少し話す。
「今度、転職でこちらに引っ越してこられる予定の方です。ここは賃料条件も良いですし、手入れもされていてきれいですので、気に入っていただけるかもしれません」
と、物件をほめることも忘れない。
「ほう。仕事の決まっている入居者とは珍しい」
気を良くした大家は、その後も悠弥に話しかけ続ける。
「私も今は隠居の身でね。こうして大家業をするのが楽しみなんだよ。入居している子たちの話を聞くのも楽しいしね。ここの子たちが社会に出て、元気にやっているのを見ると嬉しくてねぇ」
部屋の中では美琴が、バルコニーに続く窓を開けるところだった。ここの売りはなんといってもバルコニーからの眺望だ。長い坂道を登っただけのことはある。美琴には一番にそれを伝えたかったのだが、オーナーを無下にすることもできない。
爽やかな風が、部屋に流れ込む。
美琴の黒髪がふわりと揺れる。明るい日差しに照らされたその横顔がきれいで、悠弥は少し見とれていた。
「べっぴんさんだね。お狐さんのようだ」
悠弥にしか聞こえないくらいの声で江崎が言う。
狐のよう、という表現に一瞬困惑するも、「そうですね」と返した。
美琴はそこから見える街の景色をしばらく眺めていた。
話が途切れた隙に、江崎に軽く会釈をして部屋に上がる。タイミング良く切り上げないと、老人の話は総じて止めどない。
キッチン、バス、トイレと、設備の清掃状況などを確認しつつ、美琴のいる部屋へ入る。
「いかがでしょう」
「うん、いいかんじ。景色は文句ないし、日当りも良いし」
「ここまでの坂道はちょっとキツイですけれど、その分見晴らしは抜群ですよね。それから、物件の管理についても心配ありません。実は……自分がここの管理人なんです」
「管理人もしてるの?」
「はい。ここの102号室に住込みで」
営業マンが住んでいるというのはどうにも言い出しづらいことなのだが、管理人ともなればいずれは言わなければならないだろう。
「へぇ。じゃあお墨付きってわけだ」
「ええ。まあ……お嫌でなければ」
言って悠弥は照れ笑いした。
江崎オーナーはにこにこと玄関先で佇んでいる。
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美琴はそう言って口端を緩ませた。
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