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鎌鼬
お部屋探しと黒いファイル
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慌ててパーテーション裏から「いらっしゃいませ」と呼びかけつつ、カウンターへ向かう。
今度は若い女性客だ。年齢、雰囲気からして売買希望の客ではないだろうと悠弥は踏んだ。
「お待たせいたしました、お部屋をお探しですか?」
繁忙期の明けた四月半ば。賃貸部門が二人体制の朝霧不動産で、二人ともが接客に入る状況はなかなか珍しい。
「一人暮らしの部屋を探そうと思ってるんですけど」
やはり部屋探しの客だ。
営業を続けていると、外見だけで客の属性がわかってくる。服装、身につけているものや、乗っている車、そして口調。
悠弥はそれが誇らしくもあり、そして厭らしいクセだとも感じていた。
「一人暮らし用のお部屋をお探しですね、どうぞこちらへ」
歳は自分とそう変わらないだろう。
素直に悠弥の言葉に応じ、女性は悠弥の前に腰掛ける。
(そうだよな、これが普通だよなあ)
当たり前の流れなのだが、悠弥は思わずほっとした。
名刺を渡し、アンケート用紙に記入を促す。その間に、茶を淹れてくる。
この季節のもてなしの茶は、あたたかいものを出すか冷たいものを出すかで迷うところだ。先ほどの少年にはあたたかい茶を出した。気持ちを落ち着けるにはあたたかいものが良い。
女性は、褐色のライダースジャケットに黒い皮パンツという出で立ち。バイクで来たのだろう。風を切って走るには、少し肌寒い季節だ。
急須に熱い湯を注ぐと、緑茶が程よく香りたつ。盆に茶卓と湯飲みを乗せ、カウンターへ戻る。
茶を差し出しつつ、悠弥は記入しているアンケート用紙をちらりと見やった。
『柏木美琴 23歳』
現住所は東京都となっている。職業欄は空白だが、大半の人が未記入で提出する部分なので、特に問題はない。
希望エリアはこの周辺。間取りはワンルーム、1K。提示された賃料は、賃料相場よりいくらか低めの額だ。引越し理由の欄は「その他」に丸がつけられた。
盆を置きに給湯室へ戻りつつ、悠弥は営業の算段をつける。条件に合いそうな物件の候補をいくつか頭の中であげていく。
席へ戻ると、ちょうどアンケートの記入が終わったところだった。丁寧にこちらに向けて差し出されている。
「ありがとうございます。エリアは……このあたりでお部屋をお探しなんですね」
アンケートに目を落とし、ざっと再確認する。
「はい。あの……連帯保証人って必要ですよね?」
「そうですね、通常ですと身内の方でお一人、立てていただいております」
「そう……保証人不要とか、保証会社加入でオッケーなものがあれば、それでお願いしたいんです」
連帯保証人は、契約者が賃料を払えなくなった場合に、本人の代わりに支払いをする者のこと。貸主は契約者に賃料等を請求する代わりに、連帯保証人に支払いを求めることができるのだ。
不動産賃貸契約において、まだ多くの場合は連帯保証人が必要だ。連帯保証人が立てられない場合は、保証会社に加入することになる。こちらは、所定の手数料を支払えば、連帯保証人を代行してくれる会社である。
朝霧不動産にも、提携している保証会社がある。すでに悠弥もその契約方法は経験済みだ。
「かしこまりました。お探しします」
エリアと保証人不要の条件を満たすもの……。カウンターに備え付けのデスクトップPCで、物件情報を検索する。先ほど目星をつけた物件の空き状況を確認すると、一件がすでに満室だった。
他にも探してはみるが、なかなか条件が難しい。一番ネックになるのは立地だ。この周辺、つまり駅に近い立地で希望賃料が低めとなると、勧めることのできる物件は限られてくる。
「そうですね……こちらはいかがでしょう」
物件情報をモニターに映し出し、続けてアピールポイントを軽く述べる。
「場所、どのへんですか?」
悠弥が言葉を切ってから一呼吸おくかおかないかで、美琴は必要最小限の言葉で質問を返した。
「ちょうどこの近くですよ。徒歩圏内です」
うーん、と小さく唸ってから、呟くように美琴が続ける。
「敷金と……礼金もかぁ。契約の費用があんまり多くないところが良くて」
悠弥は苦笑を浮かべつつ、割引ができる物件かどうか、手元のファイルで内部情報を確認する。広告料も出ないうえ、条件交渉不可。立地条件が良いだけに、貸主側としても譲歩したくないところなのだろう。
費用面では打つ手がなく、悠弥は次の物件を提案することにした。
「お話し中ごめんなさい、少しよろしいですか」
遥が丁寧にお辞儀をして、美琴と悠弥に声をかけた。
「私、ご案内に行ってきますね。2件まわったら、すぐに戻ります」
「わかりました。いってらっしゃい」
遥はにこりと微笑んで、失礼いたしました、と美琴に向けて再び頭を下げた。
ちらりと遥のデスクを見ると、先ほどの少年が席を立って出入口へ向かうところだった。遥は手にしていた黒いファイルを後ろの棚に戻し、デスクを軽く片付けてから店を出た。
(あれ、あんなファイルあったかな)
悠弥がいつも使っているのは、オンライン上の物件情報システムと、貸主情報がファイリングされた青いファイルだった。地域別に分けられ、背表紙にはその地域名のラベルが貼られている。遥のデスクに残された黒いファイルには何もラベルがついていない。
悠弥は美琴にもう一件の物件資料を提示し、軽く説明をする。今度は駅近で礼金はゼロだが、賃料が少し高めとあってあまり食いつきが良くない。
「もう少し探してみましょう」
この物件が気に入らないとなると、条件に合うものはもう思い当たらない。あとは条件を広げてもらうためのトークに入り、エリアや賃料の譲歩を引き出すしかないが……。
悠弥は立ち上がり、遥が棚に戻した黒いファイルを手に取った。
ファイリングされた物件資料は見慣れたレイアウトだが、内容は初めて目にするものばかりだった。
そのほとんどが郊外の立地で、築年数が三十年に手が届こうかという古い物件ばかり。
しかし、金額は破格といっても良いくらいの安値だ。
(事故物件のファイルか?)
思いつつページをめくり、最後の物件を目にしたとき、悠弥は思わず声をあげそうになった。
(これ、うちのアパートじゃないか)
悠弥の住むアパート、メゾン江崎の情報であった。
メゾン江崎は、悠弥がここに就職すると同時に遥から勧められ、住み始めた1Kの部屋だ。社宅のような扱いで、入居者兼管理人として一階の部屋に住んでいる。
(そういえばうちのアパート、条件にピッタリだ)
メゾン江崎は、なぜかオンライン上には掲載されていない。貸主の意向だと聞いているが、空き部屋はまだあるのに積極的な募集をかけていない物件だった。
立地も費用面でも丁度いい物件だが、入居には一つ条件があると聞いていた。
(新生活をはじめる若者向け、だよな)
メゾン江崎は、連帯保証人不要、保証会社にも加入しなくて良い。入居審査は朝霧不動産独自の審査基準による。そのため、通常は遥が予約を受けた客にのみ紹介しており、悠弥が客に紹介することはなかったのだ。
よく見れば、ファイル内の他の物件資料にも、保証人不要と鉛筆の走り書きがされている。ということは、このファイルは保証人不要の物件を集めたものなのだろう。
悠弥は黒いファイルを手に持ったまま、自分の席へ戻る。
「柏木さん、もしかして転職とかでこの町にいらっしゃるんですか」
「そうです。まあ、アルバイト勤務ですけど」
「それなら、ちょうどいい物件があります」
黒いファイルを美琴の方に向けて差し出し、説明を加える。
「こちらの物件は、同条件のものと比べても、かなりお得な家賃設定になっています。というのも、オーナーが新生活をはじめる若者たちを応援したいという意向で、安価な設定にしているんです」
へえ、とつぶやいて再び資料に目をやり、美琴はもう一件のアパートの資料と見比べている。
悠弥が部屋探しをしていたとき、遥に教えてもらったことをそのまま述べる。
「ですので、ご紹介の条件としては、就職や転職したばかりの方や、求職中の方に限っています。柏木さんなら、ちょうどこの条件にも合います。気に入っていただければ、かなりお得かと」
いくらか強く勧めすぎたかな、と悠弥は一旦言葉を切った。
資料に添付された地図を見ている美琴に、ゆっくりと切り出す。
「もしよかったら、今から見に行ってみませんか?」
「……じゃあ、お願いします」
意外にもあっさりと良い返事をもらい、悠弥は安堵した。
「では、準備いたします」
今度は若い女性客だ。年齢、雰囲気からして売買希望の客ではないだろうと悠弥は踏んだ。
「お待たせいたしました、お部屋をお探しですか?」
繁忙期の明けた四月半ば。賃貸部門が二人体制の朝霧不動産で、二人ともが接客に入る状況はなかなか珍しい。
「一人暮らしの部屋を探そうと思ってるんですけど」
やはり部屋探しの客だ。
営業を続けていると、外見だけで客の属性がわかってくる。服装、身につけているものや、乗っている車、そして口調。
悠弥はそれが誇らしくもあり、そして厭らしいクセだとも感じていた。
「一人暮らし用のお部屋をお探しですね、どうぞこちらへ」
歳は自分とそう変わらないだろう。
素直に悠弥の言葉に応じ、女性は悠弥の前に腰掛ける。
(そうだよな、これが普通だよなあ)
当たり前の流れなのだが、悠弥は思わずほっとした。
名刺を渡し、アンケート用紙に記入を促す。その間に、茶を淹れてくる。
この季節のもてなしの茶は、あたたかいものを出すか冷たいものを出すかで迷うところだ。先ほどの少年にはあたたかい茶を出した。気持ちを落ち着けるにはあたたかいものが良い。
女性は、褐色のライダースジャケットに黒い皮パンツという出で立ち。バイクで来たのだろう。風を切って走るには、少し肌寒い季節だ。
急須に熱い湯を注ぐと、緑茶が程よく香りたつ。盆に茶卓と湯飲みを乗せ、カウンターへ戻る。
茶を差し出しつつ、悠弥は記入しているアンケート用紙をちらりと見やった。
『柏木美琴 23歳』
現住所は東京都となっている。職業欄は空白だが、大半の人が未記入で提出する部分なので、特に問題はない。
希望エリアはこの周辺。間取りはワンルーム、1K。提示された賃料は、賃料相場よりいくらか低めの額だ。引越し理由の欄は「その他」に丸がつけられた。
盆を置きに給湯室へ戻りつつ、悠弥は営業の算段をつける。条件に合いそうな物件の候補をいくつか頭の中であげていく。
席へ戻ると、ちょうどアンケートの記入が終わったところだった。丁寧にこちらに向けて差し出されている。
「ありがとうございます。エリアは……このあたりでお部屋をお探しなんですね」
アンケートに目を落とし、ざっと再確認する。
「はい。あの……連帯保証人って必要ですよね?」
「そうですね、通常ですと身内の方でお一人、立てていただいております」
「そう……保証人不要とか、保証会社加入でオッケーなものがあれば、それでお願いしたいんです」
連帯保証人は、契約者が賃料を払えなくなった場合に、本人の代わりに支払いをする者のこと。貸主は契約者に賃料等を請求する代わりに、連帯保証人に支払いを求めることができるのだ。
不動産賃貸契約において、まだ多くの場合は連帯保証人が必要だ。連帯保証人が立てられない場合は、保証会社に加入することになる。こちらは、所定の手数料を支払えば、連帯保証人を代行してくれる会社である。
朝霧不動産にも、提携している保証会社がある。すでに悠弥もその契約方法は経験済みだ。
「かしこまりました。お探しします」
エリアと保証人不要の条件を満たすもの……。カウンターに備え付けのデスクトップPCで、物件情報を検索する。先ほど目星をつけた物件の空き状況を確認すると、一件がすでに満室だった。
他にも探してはみるが、なかなか条件が難しい。一番ネックになるのは立地だ。この周辺、つまり駅に近い立地で希望賃料が低めとなると、勧めることのできる物件は限られてくる。
「そうですね……こちらはいかがでしょう」
物件情報をモニターに映し出し、続けてアピールポイントを軽く述べる。
「場所、どのへんですか?」
悠弥が言葉を切ってから一呼吸おくかおかないかで、美琴は必要最小限の言葉で質問を返した。
「ちょうどこの近くですよ。徒歩圏内です」
うーん、と小さく唸ってから、呟くように美琴が続ける。
「敷金と……礼金もかぁ。契約の費用があんまり多くないところが良くて」
悠弥は苦笑を浮かべつつ、割引ができる物件かどうか、手元のファイルで内部情報を確認する。広告料も出ないうえ、条件交渉不可。立地条件が良いだけに、貸主側としても譲歩したくないところなのだろう。
費用面では打つ手がなく、悠弥は次の物件を提案することにした。
「お話し中ごめんなさい、少しよろしいですか」
遥が丁寧にお辞儀をして、美琴と悠弥に声をかけた。
「私、ご案内に行ってきますね。2件まわったら、すぐに戻ります」
「わかりました。いってらっしゃい」
遥はにこりと微笑んで、失礼いたしました、と美琴に向けて再び頭を下げた。
ちらりと遥のデスクを見ると、先ほどの少年が席を立って出入口へ向かうところだった。遥は手にしていた黒いファイルを後ろの棚に戻し、デスクを軽く片付けてから店を出た。
(あれ、あんなファイルあったかな)
悠弥がいつも使っているのは、オンライン上の物件情報システムと、貸主情報がファイリングされた青いファイルだった。地域別に分けられ、背表紙にはその地域名のラベルが貼られている。遥のデスクに残された黒いファイルには何もラベルがついていない。
悠弥は美琴にもう一件の物件資料を提示し、軽く説明をする。今度は駅近で礼金はゼロだが、賃料が少し高めとあってあまり食いつきが良くない。
「もう少し探してみましょう」
この物件が気に入らないとなると、条件に合うものはもう思い当たらない。あとは条件を広げてもらうためのトークに入り、エリアや賃料の譲歩を引き出すしかないが……。
悠弥は立ち上がり、遥が棚に戻した黒いファイルを手に取った。
ファイリングされた物件資料は見慣れたレイアウトだが、内容は初めて目にするものばかりだった。
そのほとんどが郊外の立地で、築年数が三十年に手が届こうかという古い物件ばかり。
しかし、金額は破格といっても良いくらいの安値だ。
(事故物件のファイルか?)
思いつつページをめくり、最後の物件を目にしたとき、悠弥は思わず声をあげそうになった。
(これ、うちのアパートじゃないか)
悠弥の住むアパート、メゾン江崎の情報であった。
メゾン江崎は、悠弥がここに就職すると同時に遥から勧められ、住み始めた1Kの部屋だ。社宅のような扱いで、入居者兼管理人として一階の部屋に住んでいる。
(そういえばうちのアパート、条件にピッタリだ)
メゾン江崎は、なぜかオンライン上には掲載されていない。貸主の意向だと聞いているが、空き部屋はまだあるのに積極的な募集をかけていない物件だった。
立地も費用面でも丁度いい物件だが、入居には一つ条件があると聞いていた。
(新生活をはじめる若者向け、だよな)
メゾン江崎は、連帯保証人不要、保証会社にも加入しなくて良い。入居審査は朝霧不動産独自の審査基準による。そのため、通常は遥が予約を受けた客にのみ紹介しており、悠弥が客に紹介することはなかったのだ。
よく見れば、ファイル内の他の物件資料にも、保証人不要と鉛筆の走り書きがされている。ということは、このファイルは保証人不要の物件を集めたものなのだろう。
悠弥は黒いファイルを手に持ったまま、自分の席へ戻る。
「柏木さん、もしかして転職とかでこの町にいらっしゃるんですか」
「そうです。まあ、アルバイト勤務ですけど」
「それなら、ちょうどいい物件があります」
黒いファイルを美琴の方に向けて差し出し、説明を加える。
「こちらの物件は、同条件のものと比べても、かなりお得な家賃設定になっています。というのも、オーナーが新生活をはじめる若者たちを応援したいという意向で、安価な設定にしているんです」
へえ、とつぶやいて再び資料に目をやり、美琴はもう一件のアパートの資料と見比べている。
悠弥が部屋探しをしていたとき、遥に教えてもらったことをそのまま述べる。
「ですので、ご紹介の条件としては、就職や転職したばかりの方や、求職中の方に限っています。柏木さんなら、ちょうどこの条件にも合います。気に入っていただければ、かなりお得かと」
いくらか強く勧めすぎたかな、と悠弥は一旦言葉を切った。
資料に添付された地図を見ている美琴に、ゆっくりと切り出す。
「もしよかったら、今から見に行ってみませんか?」
「……じゃあ、お願いします」
意外にもあっさりと良い返事をもらい、悠弥は安堵した。
「では、準備いたします」
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