13 / 76
鎌鼬
重要事項説明
しおりを挟む
美琴は軽い調子で物騒なことを言いつつ、大して気にする様子もなく、足取り軽く悠弥の隣を歩く。
悠弥はあたりを警戒しつつ歩みを進めることになった。
先ほど待ち合わせの時にちらりと見えた人影が、ライブで見かけたあの男とよく似ていたのだ。よれたシャツにモスグリーンのズボン。
気配は後ろから消えない。通り過ぎた猫と思しきものの気配とは違うような気がする。
予約した店の前に着いても、その気配は消えなかった。その店はビルの三階にある。自動ドアを入り、エレベーターホールに着く頃、ようやく気配を感じなくなった。さすがに店の中にまでは付いてこないようだ。
エレベーターが3階に上がり、和風テイストのエントランスで予約の名を告げる。はやりの全席個室タイプ。こみいった話をするにはちょうどいい。
「こっちにもこんな雰囲気の店があるんだね」
女子ウケもよさそうな内装だ。駅周辺の店は、かつての活気を取り戻そうと店内をリフォームして新装開店してみたり、メニューを変えてみたり、涙ぐましい努力をしているようだった。
二人用の座席に向かい合い、とりあえずの注文を済ませた。
「お酒を飲む前に聞いてほしいことがあるんです」
「なーに? 妖怪の話ならあとでゆっくりしようよ」
違いますよ、と言いつつ悠弥は手持ちのビジネスバッグから書類を取り出した。
「契約前の重要事項説明、ここでちょっとさせてください」
「本気ぃ? そういう空気じゃないでしょ、この場合」
「いいえ、ここまでは仕事ですから。というか今しないと入居手続きが間に合いません」
不動産の賃貸契約の前には、資格者による重要事項説明がある。これは法律で決められた業者側の義務である。
契約する物件について、住所や名称から抵当権設定の有無、賃料その他の契約条件や特約についてなどが記載されている。
これを宅地建物取引士という資格者がその資格者証を提示して読み上げる。
とはいえ、アパートなどの賃貸契約の重要事項説明は売買契約ほど難しくない。ほとんどの場合が文字通り、ただ読み上げるだけで終わる。
資格者証の提示をし、対面での説明をしなければ宅建業法違反となる。だが説明する場所に規定はない。つまり、ファミレスだろうと居酒屋だろうと、かまわないのだ。
「もー、仕方ないなぁ」
おあずけを食らった子どものように頬を膨らませて不満を漏らす。
「仕方ないですよ、柏木さんが明後日には入居したい、なんて言うから」
「私の引越しを待ってる知り合いの子が、決まったなら早く空けてほしいって言うもんだからさ」
悠弥はテーブルに書類を広げ、対面する美琴に取引士証を見せてから、書類の説明に入る。
「上から読んでいきますから、一緒に目を通してくださいね」
「はーい」
朝霧不動産の名称、住所からはじまり、メゾン江崎の情報を読み上げる。契約に関する情報に入るところで、店員から声がかかり、個室の引き戸が開く。
生ビールとお通し、そしてサラダが運ばれてきた。
一旦中断し、それらをテーブルの隅に置きなおす。
説明を再開しようとした悠弥を美琴が遮った。
「ねーえ、泡がなくなっちゃうよぉ。ビールが一番おいしいのは注いだ直後だよー」
先に乾杯くらいはいいでしょ、とジョッキを手渡してくる。
「ひと口だけですよ」
「うんうん。オッケー! じゃ、とりあえず、おつかれさまっ!」
「おつかれさまです」
ジョッキを掲げて乾杯し、美琴は勢い良くビールを体へ流し込んだ。
「ひと仕事終えた後のビールはおいしい!」
心底嬉しそうに言ってから、中身が半分ほどに減ったジョッキを置く。
(いや、ひと口が多すぎだろ……)
「よーし、じゃ、続きいってみよーう」
上機嫌の美琴に少々圧倒されつつ、悠弥は淡々と説明を再開した。
悠弥はあたりを警戒しつつ歩みを進めることになった。
先ほど待ち合わせの時にちらりと見えた人影が、ライブで見かけたあの男とよく似ていたのだ。よれたシャツにモスグリーンのズボン。
気配は後ろから消えない。通り過ぎた猫と思しきものの気配とは違うような気がする。
予約した店の前に着いても、その気配は消えなかった。その店はビルの三階にある。自動ドアを入り、エレベーターホールに着く頃、ようやく気配を感じなくなった。さすがに店の中にまでは付いてこないようだ。
エレベーターが3階に上がり、和風テイストのエントランスで予約の名を告げる。はやりの全席個室タイプ。こみいった話をするにはちょうどいい。
「こっちにもこんな雰囲気の店があるんだね」
女子ウケもよさそうな内装だ。駅周辺の店は、かつての活気を取り戻そうと店内をリフォームして新装開店してみたり、メニューを変えてみたり、涙ぐましい努力をしているようだった。
二人用の座席に向かい合い、とりあえずの注文を済ませた。
「お酒を飲む前に聞いてほしいことがあるんです」
「なーに? 妖怪の話ならあとでゆっくりしようよ」
違いますよ、と言いつつ悠弥は手持ちのビジネスバッグから書類を取り出した。
「契約前の重要事項説明、ここでちょっとさせてください」
「本気ぃ? そういう空気じゃないでしょ、この場合」
「いいえ、ここまでは仕事ですから。というか今しないと入居手続きが間に合いません」
不動産の賃貸契約の前には、資格者による重要事項説明がある。これは法律で決められた業者側の義務である。
契約する物件について、住所や名称から抵当権設定の有無、賃料その他の契約条件や特約についてなどが記載されている。
これを宅地建物取引士という資格者がその資格者証を提示して読み上げる。
とはいえ、アパートなどの賃貸契約の重要事項説明は売買契約ほど難しくない。ほとんどの場合が文字通り、ただ読み上げるだけで終わる。
資格者証の提示をし、対面での説明をしなければ宅建業法違反となる。だが説明する場所に規定はない。つまり、ファミレスだろうと居酒屋だろうと、かまわないのだ。
「もー、仕方ないなぁ」
おあずけを食らった子どものように頬を膨らませて不満を漏らす。
「仕方ないですよ、柏木さんが明後日には入居したい、なんて言うから」
「私の引越しを待ってる知り合いの子が、決まったなら早く空けてほしいって言うもんだからさ」
悠弥はテーブルに書類を広げ、対面する美琴に取引士証を見せてから、書類の説明に入る。
「上から読んでいきますから、一緒に目を通してくださいね」
「はーい」
朝霧不動産の名称、住所からはじまり、メゾン江崎の情報を読み上げる。契約に関する情報に入るところで、店員から声がかかり、個室の引き戸が開く。
生ビールとお通し、そしてサラダが運ばれてきた。
一旦中断し、それらをテーブルの隅に置きなおす。
説明を再開しようとした悠弥を美琴が遮った。
「ねーえ、泡がなくなっちゃうよぉ。ビールが一番おいしいのは注いだ直後だよー」
先に乾杯くらいはいいでしょ、とジョッキを手渡してくる。
「ひと口だけですよ」
「うんうん。オッケー! じゃ、とりあえず、おつかれさまっ!」
「おつかれさまです」
ジョッキを掲げて乾杯し、美琴は勢い良くビールを体へ流し込んだ。
「ひと仕事終えた後のビールはおいしい!」
心底嬉しそうに言ってから、中身が半分ほどに減ったジョッキを置く。
(いや、ひと口が多すぎだろ……)
「よーし、じゃ、続きいってみよーう」
上機嫌の美琴に少々圧倒されつつ、悠弥は淡々と説明を再開した。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
あ、まん。@田中子樹
ファンタジー
仕事一筋40年。
結婚もせずに会社に尽くしてきた二瓶豆丸。
定年を迎え、静かな余生を求めて山奥へ移住する。
だが、突如世界が“数値化”され、現実がゲームのように変貌。
唯一の趣味だった15年続けた積みゲー「モリモリ」が、 なぜか現実世界とリンクし始める。
化け物が徘徊する世界で出会ったひとりの少女、滝川歩茶。
彼女を守るため、豆丸は“積みゲー”スキルを駆使して立ち上がる。
現金化されるコイン、召喚されるゲームキャラたち、 そして迫りくる謎の敵――。
これは、還暦オジが挑む、〝人生最後の積みゲー〟であり〝世界最後の攻略戦〟である。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる