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鎌鼬
颯太と白蔵主
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翌日の朝は、爽やかな目覚めとは言い難かった。
どんよりと重い頭と、開かない瞼。胃のあたりには膨満感。
あのあと。テンションが上がった美琴の「おかわり」に何度付き合ったか、数えるのも億劫になった。
入店から相当時間は経っていたものの、ストーカーと思しきものの存在が気にかかり、美琴を宿泊先のビジネスホテルまで送りとどけた。どちらかというと悠弥のほうが千鳥足ではあったが。
それから悠弥が家に帰り着いた頃には、東の空が白み始めていた。
歩いてもなんとか出勤できる距離で良かった。本当に良かった。そうでなければ、まだ飲酒運転になりかねない。
そんな状態で出勤するのは社会人としてどうなんだ、と思いつつも朝霧不動産の入口をくぐる。すでに遥は出勤しているようだ。
いつもより力の入っていない朝の挨拶に、遥はいつも通りの明るい声で応えた。
「おはようございます、悠弥さん」
声の方向を見ると、奥のソファに人影がある。
そこは、特別な来客を迎えるときに使う応接スペースだ。
遥はその人物たちと談笑していたようだ。手招きをして悠弥を呼んでいる。
「ちょうど悠弥さんの話をしていたところですよ。今日からメゾン江崎に入居する雲居颯太くんと、保護者の白蔵主さま」
悠弥は咄嗟に営業スマイルを顔に貼り付け、懐から名刺入れを取り出し、二人に丁寧に挨拶した。
「白蔵主と申すものでございます」
律儀に起立し、深く一礼をする初老の男に、悠弥は見覚えがあった。
「あなたは昨日の……」
袈裟を着けた僧侶の装束。
僧侶の方も、悠弥に気づいていたようだ。
「おお、やはり貴方さまでしたか。颯太が厄介になります。これ、お前も挨拶せんか」
言われて颯太――木の葉払いの少年は渋々立ち上がった。
首をこくりと下げ、小さく一礼する。
「雲居颯太……です」
「悠弥さんにはメゾン江崎で住み込み管理人もしてもらっているんです。何か困ったことがあったら、102号室に居ますから。ね、悠弥さん」
「はい。なんでもご相談ください」
颯太は悠弥と目を合わせようともせず、うつむいたまま再び席に着いた。
悠弥も向かいのソファに腰掛ける。
白蔵主が装束を捌く様は、ずいぶんと貫禄があった。
「申し訳ない。颯太は山育ちでしてな。まだ人間に慣れておらんのですよ」
「お気になさらず、白蔵主さま。はじめは、みんなそうですから。颯太くんも、あんまり気張らずにね」
颯太は遥の言葉には少し表情を緩めて頷いてみせた。
当たり前のように進む会話。まだはっきりとしない頭の中で、悠弥はぼんやりと考えていた。
(つまり……この白蔵主という僧侶もあやかしなのか)
両者の関係を勘ぐっているのがわかったのか、白蔵主は悠弥に向けて話をはじめた。
「儂は古い狐のあやかしでございます。どうぞ、お見知り置きを」
深々と一礼し、白蔵主は続ける。
「こちらのおかみさんとは長い付き合いでしてなぁ。時々、こうしてお客を紹介しておるんですよ。おかみさんが留守なのは残念じゃったが、お嬢ちゃんが、もうこんなに立派に仕事をなされているとは、心強いことで。良き伴侶も得たようじゃし」
白蔵主は、からかうような笑みを浮かべ、遥に向けて言った。
それを受け、遥は顔を赤らめつつ、慌てて訂正する。
「ちがいますよ! そういう関係じゃないですっ。悠弥さんには社員としてお仕事してもらっているだけですから!」
いや、そんなに全力で否定しなくても……と悠弥は黙って苦笑した。
「はははは。これは失礼。少々先走ってしまったようじゃな。東雲さん、お嬢ちゃんと颯太のこと、ひとつよしなにお頼み申しますぞ」
「承知いたしました」
遥は耳まで真っ赤に染めて、口を少し尖らせている。
「さて、颯太。お前は先に部屋へ行っていなさい。そろそろ荷が届くころじゃ。道はもうわかるな」
「はい」
促され、颯太は席を立った。
「夜には悠弥さんもそちらへ行きますから、何かあったら遠慮なく言ってね、颯太くん」
「大丈夫、人間の世話にはならないよ」
「これ、颯太! そういう物言いをするでない!」
眉間にしわを寄せ、厳しい顔を向ける白蔵主を振り返ることもせず、颯太は店を後にした。
「いやはや、本当に申し訳ない。儂の躾が足りなんだようじゃ」
「颯太くん、人間があまり好きではないようですね……」
困ったように言う遥に、白蔵主は細い目を更に細め、ひとつ小さなため息を漏らす。
「颯太は人間との間に因縁があってな。あまり人を好いてはおらんのですよ」
「因縁、ですか」
口を挟んだ悠弥に、「左様」とその細い目でしっかりとこちらを見据えて応える。
「颯太が鎌鼬であることは知っておるのですな? あれには兄と姉がおりましてな。ですが、人間にやられてしもうてね」
「殺された……ってことですか」
「うむ。鎌鼬はその昔、人に危害を加えるあやかしとして知られておったでな。実際、颯太の兄姉たちも人を襲ったことのある者であった。故に、人間に追われ、遂には退治されてしもうた」
「颯太くんは逃げのびたんですね?」
「兄姉たちが颯太を守ったんじゃよ。颯太はひとり、人の街で彷徨い、果たして儂のところにたどり着きましてな。それから、共に山を拠点に暮らしておったというわけじゃ」
「どうして颯太に一人暮らしを?」
悠弥が問う。
「颯太は人間を憎んでおる。しかし、人間と対立して現世で生きてゆくのは難儀なことじゃ。それに、人間にも心根の良いものたちもあり、すべてが憎むべき相手ではない。それを知って欲しいと思いましてな」
悠弥に対する颯太の態度は、人間全般に対しての態度なのだろう。
家族を殺めた者たちと同じ種族である人間。好きになれというのは酷かもしれない。
「颯太くんは、まだ素直になれないだけじゃないでしょうか。心の内では、きっとわかっているんだと思います」
白蔵主は「ふむ」と遥の言葉を噛みしめるように相槌を打った。
「お嬢ちゃんはそう感じたんじゃな」
「はい。それに、そうでなければ、いくらお師匠様の言いつけとはいえ……人間として暮らす修行に挑もうとなんて、しないでしょうから」
「うむ。そうであってほしいと、儂も思うておる」
「悠弥さんに対する態度が、人間嫌いの指標になりそうですね」
颯太が悠弥に対して心を許す様子が見えれば、人間嫌いもだいぶ解消されているということだろう。
「俺……ですか」
「颯太くんにとっては、悠弥さんが人間の代表のようなものですから。しっかりお願いしますよ!」
悠弥は二日酔いの重たい頭に、さらに重責を乗せることとなった。
どんよりと重い頭と、開かない瞼。胃のあたりには膨満感。
あのあと。テンションが上がった美琴の「おかわり」に何度付き合ったか、数えるのも億劫になった。
入店から相当時間は経っていたものの、ストーカーと思しきものの存在が気にかかり、美琴を宿泊先のビジネスホテルまで送りとどけた。どちらかというと悠弥のほうが千鳥足ではあったが。
それから悠弥が家に帰り着いた頃には、東の空が白み始めていた。
歩いてもなんとか出勤できる距離で良かった。本当に良かった。そうでなければ、まだ飲酒運転になりかねない。
そんな状態で出勤するのは社会人としてどうなんだ、と思いつつも朝霧不動産の入口をくぐる。すでに遥は出勤しているようだ。
いつもより力の入っていない朝の挨拶に、遥はいつも通りの明るい声で応えた。
「おはようございます、悠弥さん」
声の方向を見ると、奥のソファに人影がある。
そこは、特別な来客を迎えるときに使う応接スペースだ。
遥はその人物たちと談笑していたようだ。手招きをして悠弥を呼んでいる。
「ちょうど悠弥さんの話をしていたところですよ。今日からメゾン江崎に入居する雲居颯太くんと、保護者の白蔵主さま」
悠弥は咄嗟に営業スマイルを顔に貼り付け、懐から名刺入れを取り出し、二人に丁寧に挨拶した。
「白蔵主と申すものでございます」
律儀に起立し、深く一礼をする初老の男に、悠弥は見覚えがあった。
「あなたは昨日の……」
袈裟を着けた僧侶の装束。
僧侶の方も、悠弥に気づいていたようだ。
「おお、やはり貴方さまでしたか。颯太が厄介になります。これ、お前も挨拶せんか」
言われて颯太――木の葉払いの少年は渋々立ち上がった。
首をこくりと下げ、小さく一礼する。
「雲居颯太……です」
「悠弥さんにはメゾン江崎で住み込み管理人もしてもらっているんです。何か困ったことがあったら、102号室に居ますから。ね、悠弥さん」
「はい。なんでもご相談ください」
颯太は悠弥と目を合わせようともせず、うつむいたまま再び席に着いた。
悠弥も向かいのソファに腰掛ける。
白蔵主が装束を捌く様は、ずいぶんと貫禄があった。
「申し訳ない。颯太は山育ちでしてな。まだ人間に慣れておらんのですよ」
「お気になさらず、白蔵主さま。はじめは、みんなそうですから。颯太くんも、あんまり気張らずにね」
颯太は遥の言葉には少し表情を緩めて頷いてみせた。
当たり前のように進む会話。まだはっきりとしない頭の中で、悠弥はぼんやりと考えていた。
(つまり……この白蔵主という僧侶もあやかしなのか)
両者の関係を勘ぐっているのがわかったのか、白蔵主は悠弥に向けて話をはじめた。
「儂は古い狐のあやかしでございます。どうぞ、お見知り置きを」
深々と一礼し、白蔵主は続ける。
「こちらのおかみさんとは長い付き合いでしてなぁ。時々、こうしてお客を紹介しておるんですよ。おかみさんが留守なのは残念じゃったが、お嬢ちゃんが、もうこんなに立派に仕事をなされているとは、心強いことで。良き伴侶も得たようじゃし」
白蔵主は、からかうような笑みを浮かべ、遥に向けて言った。
それを受け、遥は顔を赤らめつつ、慌てて訂正する。
「ちがいますよ! そういう関係じゃないですっ。悠弥さんには社員としてお仕事してもらっているだけですから!」
いや、そんなに全力で否定しなくても……と悠弥は黙って苦笑した。
「はははは。これは失礼。少々先走ってしまったようじゃな。東雲さん、お嬢ちゃんと颯太のこと、ひとつよしなにお頼み申しますぞ」
「承知いたしました」
遥は耳まで真っ赤に染めて、口を少し尖らせている。
「さて、颯太。お前は先に部屋へ行っていなさい。そろそろ荷が届くころじゃ。道はもうわかるな」
「はい」
促され、颯太は席を立った。
「夜には悠弥さんもそちらへ行きますから、何かあったら遠慮なく言ってね、颯太くん」
「大丈夫、人間の世話にはならないよ」
「これ、颯太! そういう物言いをするでない!」
眉間にしわを寄せ、厳しい顔を向ける白蔵主を振り返ることもせず、颯太は店を後にした。
「いやはや、本当に申し訳ない。儂の躾が足りなんだようじゃ」
「颯太くん、人間があまり好きではないようですね……」
困ったように言う遥に、白蔵主は細い目を更に細め、ひとつ小さなため息を漏らす。
「颯太は人間との間に因縁があってな。あまり人を好いてはおらんのですよ」
「因縁、ですか」
口を挟んだ悠弥に、「左様」とその細い目でしっかりとこちらを見据えて応える。
「颯太が鎌鼬であることは知っておるのですな? あれには兄と姉がおりましてな。ですが、人間にやられてしもうてね」
「殺された……ってことですか」
「うむ。鎌鼬はその昔、人に危害を加えるあやかしとして知られておったでな。実際、颯太の兄姉たちも人を襲ったことのある者であった。故に、人間に追われ、遂には退治されてしもうた」
「颯太くんは逃げのびたんですね?」
「兄姉たちが颯太を守ったんじゃよ。颯太はひとり、人の街で彷徨い、果たして儂のところにたどり着きましてな。それから、共に山を拠点に暮らしておったというわけじゃ」
「どうして颯太に一人暮らしを?」
悠弥が問う。
「颯太は人間を憎んでおる。しかし、人間と対立して現世で生きてゆくのは難儀なことじゃ。それに、人間にも心根の良いものたちもあり、すべてが憎むべき相手ではない。それを知って欲しいと思いましてな」
悠弥に対する颯太の態度は、人間全般に対しての態度なのだろう。
家族を殺めた者たちと同じ種族である人間。好きになれというのは酷かもしれない。
「颯太くんは、まだ素直になれないだけじゃないでしょうか。心の内では、きっとわかっているんだと思います」
白蔵主は「ふむ」と遥の言葉を噛みしめるように相槌を打った。
「お嬢ちゃんはそう感じたんじゃな」
「はい。それに、そうでなければ、いくらお師匠様の言いつけとはいえ……人間として暮らす修行に挑もうとなんて、しないでしょうから」
「うむ。そうであってほしいと、儂も思うておる」
「悠弥さんに対する態度が、人間嫌いの指標になりそうですね」
颯太が悠弥に対して心を許す様子が見えれば、人間嫌いもだいぶ解消されているということだろう。
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