あやかし不動産、営業中!

七海澄香

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雨女

降り続く雨

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 雨が降り続いていた。

 山深い里。静かに草木を揺らし、大地へ染み入る雨。
 朽ちた祠の傍にじっと佇み、女は見つめていた。

 在りし日の里。皆が雨を喜び、誰もが笑顔だったあの日。
 けれど。

 今ここにあるのは壊れゆく廃屋と、草木に侵された畑。
 里から人の声が消えて、どれくらい経っただろうか。

「誰も戻らぬ。待つだけ無駄だ」

 でも、といいかけた言葉を飲み込んだ。

「皆、山を捨てて行った。もはやここに人は戻らぬ」

 知っていた。
 でも、忘れられなかった。
 賑やかな祭りの日を。人々の祈りを。美しい里の景色を。

「お前もさっさと出て行け。このままでは山が崩れてしまうわ」

 女は歩き出した。
 降りやまぬ雨を連れて。
 頬をつたう雫を連れて。



 雨が降り続いていた。

「こんなに雨が続くと気分悪いっスよねー」
「そうですね。そろそろ晴れてくれないと、気が滅入りますよね」

 悠弥は客の男の言葉に適当に相槌を打った。

「マジ最悪、洗濯物とか全然乾かないしぃ」
 家事なんてやる気があるのか、と言いたくなるような、長い爪の女がそう言った。
「あ、それなら大丈夫ですよ。こちらの物件は浴室乾燥機がついてます」

 ちょうど女がトイレと洗面所を見学していたところだった。ここぞとばかりに浴室の設備の説明をしてみる。
 雨の日が続いても洗濯物を乾かすことができる、衣類乾燥機能付き。

「いいじゃん! めっちゃ助かるよ、梅雨のときとか!」
「でもさァ、家賃高ェじゃん。7千円も予算オーバーはヤバくね?」
「じゃあ、ケータがタバコやめればいいじゃん」
「お前なァ……」

 そこから先は、結婚予定のカップルの小競り合いだった。
 魅力的な設備のある、ちょっと高いけれど綺麗な部屋か、予算以内でおさまるそれなりの部屋か。
 そこから派生して、互いの生活態度への苦言に発展していく。

(あー、はじまったよ。こうなると今日は決まんないな……)
 悠弥は二人に気づかれないよう小さくため息をつき、リビングから窓の外を眺めた。

 晴れた日であれば、とても日当たりが良く、明るいであろう南向きの部屋。こんな日は、その魅力がなかなか伝えきれなくてもどかしい。

 低く広がる灰色の雲。小雨が町を静かに湿らせている。
 もう十日になるだろうか。
 降ったり止んだりを繰り返しながら、雨が続いていた。まだ梅雨入り前だというのに。

(そろそろお天道様にお出でいただかないと、うちの売り上げもガタガタですよ)

 垂れ込める雲を睨み、胸中で毒づいた。
 雨の日の賃貸物件の案内は不毛だ。

 足元も悪ければ部屋の中も薄暗い。建物の外観はどんより曇り空に全く映えない。
 なにより気分がスッキリしないときに、人は大きな買い物をしない。

 案の定、小競り合いのカップルもおきまりのセリフを吐いた。
「ちょっとすぐには決められないんで、家に帰ってよく検討していいッスかね」
 もちろん、と、にこやかに答え、それ以上の営業はかけなかった。
 


 駐車場で客の車を丁寧に見送った。
 部屋に戻り、窓の施錠を確認し、ブレーカーを落とす。最後に備え付けのスリッパを丁寧に並べ直し、外から玄関を施錠。鍵を所定の場所へ戻す。

 一連の作業を終え、営業車に乗り込んだ。
 今日の接客予定はこの一件だけだ。時刻は昼を少し回った頃。

 コンビニにでも寄って昼食を調達してから店に帰ろうかと段取りをつける。そしてエンジンをかけたそのとき。
 女の姿が目に入った。

 アパートの駐車場正面、街路樹の下に佇む人影。
 雨の中、傘もささずに。
 女は伏していた顔を上げ、曇り空に向けて天を仰いだ。綺麗な人だな、と何の気なしに思った。

 雨の風景としては風情があるようにも思えるが、いかんせん、しだれ柳の細い枝の下では雨宿りするには心もとない。

 幸い、お客様用のビニール傘は車に常備している。
 悠弥はそれを手に、車を降りた。
 女がこちらに気づいたようで、悠弥の足取りをじっと見つめている。

「あの、大丈夫ですか? よかったら、傘をお貸ししますよ」
 広げた傘を掲げながら、悠弥は女に声をかけた。

 女は驚いた様子でか細い声を発した。
「え……? 私に……ですか?」

 目を丸くし、こちらの目をじっと見つめてくる。
 悠弥は思わず高鳴る胸をごまかしつつ、足元に視線を逸らした。

「ええ、どちらまで行かれるんですか? お嫌でなければ、お送りすることもできますけれど」
 悠弥は「朝霧不動産」のロゴマークのついた軽自動車を指差した。

 これがマイカーだったなら、良くてナンパ、悪ければ不審人物と思われかねない。だが営業車なら、不信感もあまりあるまい。このあたりではそこそこ名の通った老舗の不動産屋である。

「ちょうどひと仕事終えたところで、店に戻るだけなんです。あ、駅前なんですけどね。朝霧不動産っていう不動産屋です」

「私のこと……」
 女は声を詰まらせて、潤んだ目で悠弥を見つめる。

「ありがとう……ございます……」
 女が少しだけ笑みをこぼした。
 同時に、雨がすうっと引いて、薄日が差してくる。

「あ、雨が……」
 降っていた霧雨があがり、濡れた木々が太陽の光を浴びてきらめいた。

「雨、止んじゃいましたね。でも、よかったらどうぞ」
 悠弥はにこやかにそう言い、車に歩み寄って後部座席のドアを開けた。

 女は深々とお辞儀をして、ゆっくりと運転席の後ろに乗り込んだ。
 悠弥も運転席に乗り込み、エンジンをかける。

「とりあえず、駅前に向かいますね。降りたい場所の近くになったら教えてください」
 女が小さく「はい」と答えたのを確認し、車を走らせた。

「いやぁ、久しぶりの晴れ間ですね。最近ずっと降ってましたから、少しの晴れ間でも嬉しいですよね」
 初対面の会話には、当たり障りのない話題を。
 そう思って天気の話を振った悠弥だが、想像とは違う答えが返ってきた。

「ごめんなさい」
 その声が本当に申し訳なさそうな弱々しいもので、悠弥は慌てて首を振った。
「いやいや、あなたが謝ることないじゃないですか」

「私のせいなんです」
 雨が自分のせいだという。

「ああ! もしかして、雨女なんですか? 俺も昔そうでしたよ。高校のときバスケ部だったんですけど、遠征のたびに雨が降って、チームメイトから迷惑がられてました」

 笑い話として語ったつもりだが、女はその話に笑顔を見せることもなく、尚更しゅんとしてしまった。

「雨女、ですか……。私もみなさんにご迷惑をかけているのでしょうね……」
「そんなこと……」
 迷信ですよ、と言いかけたところで、悠弥はふと違和感を抱いた。

 バックミラーに映る女は、見た目は二十代半ばくらいの若い女性である。シンプルなデザインの白いワンピースを着ていた。車に乗り込むときに見えた足元は、白いレースの靴下に赤い靴。

 女性のファッションには明るくない悠弥だが、少々時代遅れの服装だという印象を受ける。
 そして、荷物をひとつも持っていない。女性なら、外出のときにハンドバッグのひとつも持たないというのは、不自然ではないか。

 また、雨が降り出した。
「私がいるから……雨が降るんです」

 悠弥は黙って女の話に耳を傾けた。
「私は雨を呼ぶために生まれたもの。里の人々の祈りの元に、一帯の雨を司ってきました」
 でも、と続ける彼女の表情は、再び立ち込めてきた雨雲と同じように暗く澱んでいた。

「里には人がいなくなり、残された祠も壊れてしまいました。それからというもの、私の周りには雨が降り続くのです」

 雨が強くなってきた。
 車のワイパーを一段階早い動きに切り替える。
 悠弥は意を決して女に問うた。

「もしかして……あなたは……」
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