あやかし不動産、営業中!

七海澄香

文字の大きさ
上 下
24 / 76
雨女

新しい名前

しおりを挟む
「雨女さん、ですか」
 朝霧不動産の給湯室で、声を潜めつつ遥が言った。

「そうみたいです。あやかし……ってことですよね」
 答えに窮し、遥は口を真一文字に結んで天井を仰いだ。
 うーん、と唸り、手にした急須を静かに回す。

 ひとしきり考えていたが、答えは出なかったようだ。
「そのようですが……。初めてですね、そういうお客さんは」

 困ったような表情を浮かべつつ、遥は慣れた手つきで緑茶を注ぐ。
 朝霧不動産では、あやかしへの物件紹介も行っている。この町では唯一のあやかし専用物件取扱店である。
 もちろん公にはしていないが、あやかしたちの間ではそこそこ有名だという。

 その客のほとんどが、誰か別のあやかしからの紹介で来店する。
 今回のように、町で出会ったのが偶然あやかしであった、ということは稀なのだそうだ。

「元々は山奥の廃村にいたそうですが、祠が壊されてしまって帰る場所がないらしいんですよ。なんとかなりませんか」

「まあ……住むところはもちろん提供できますよ。メゾン江崎、まだ空きがありますし」
「俺のとなりですか」
「ええ、もちろん。その方が何かと安心ですし」

 朝霧不動産には、他にもあやかし専用物件が何軒かあるが、悠弥が管理人兼入居者として入ってからというもの、遥は優先的にメゾン江崎を紹介することにしているようだった。

「問題はそれより、彼女のまわりに雨が降り続く、という事態ですよ。メゾン江崎に入居したとして、この町にずっと雨が降るというのでは困ってしまいますし」

「確かに……」
「とにかく、もう少し詳しく話を聞いてみましょう。この長雨が本当に彼女のせいなら、解決できれば晴れ間が戻って来るということですし」

 遥もこの長雨には困り果てている様子だった。
 溜まっていく洗濯物、汚れる足元、そして落ち込む売上げ。気分が晴れるはずもない。
 売上至上主義ではないが、さすがにこう動きがないと経営上よろしくない。

 繁忙期を終え、客足も遠のく時期だ。そこに追い打ちをかけるようにこの長雨である。まして梅雨入りにはまだ早い。このまま梅雨に突入してしまうかと思うと、いろいろと気がかりだった。

 温かい茶を盆に乗せ、遥が給湯室を出た。悠弥も後に続き、雨女とカウンター越しに向かい合う。
「どうぞ。温まりますよ」

「ありがとう。ここは、あやかしたちが集うお店なのだそうですね」
「ええ、そうなんです。偶然にも、こうしてお役に立てそうで良かったです」
 遥はいつもの笑顔で答える。

「悠弥さんが、雨女さんに気づいたというのは驚きですけれど」
 雨女のようなあやかしは、人間には気づかれにくいという。雨女は狐や狸などの「動物」が元となるあやかしとは違うらしい。

 実際、雨女に声をかけた人間は、悠弥が初めてだったそうだ。
「悠弥さん、結構鈍感ですからねぇ。でも、雨女さんとは相性が良かったのかもしれませんね」
 にこやかな遥に対し、雨女は愛想笑いを浮かべるが、その表情は明るいとは言い難い。

「そういうもんですか」
「そういうもんですよ。ご縁っていう言い方もありますね」
 さて、と遥がつぶやき、カウンターに少し身を乗り出した。
「お話、聞かせてください。何があったんですか」

 ことの発端を、雨女はぽつりぽつりと語り始める。
「あれは、ふた月ほど前のことでした。日の落ちる頃、若者たちが里に訪れたのです。廃屋ばかりになった里には、前から若者たちが集うことがありましたが……その時は一段と賑やかで」

 男女二人組がそれぞれ里をぐるりと一周し、戻っていったという。
「その途中のことでした。家屋を覗き込んでは声を上げたり、何かが割れるような音も聞こえました。それが私の祠に近づいてきて――」

 ひとりの男が、祠に手をかけたという。
 石の段の上に作られた、ひとかかえほどの木造の祠だった。
 村が廃村となってから数十年もの間、風雨にさらされ、すっかり古びてしまっていた。

 連れの女の制止を振り切って、男は錠のついた扉をこじ開けようと、石を打ち付けて叩き、ついには蹴り壊した。
 古い木の割れる音、恐れを含んだ女の叫び声。
 そして、彼らは壊れた祠を残し、立ち去ったという。

「それからしばらくして、里では雨が降りやまなくなってしまいました。私の力が、おかしな具合に作用してしまっているようで……。山の主さまから、山を下りるよう言われたのですが、行くあてがあるわけでもなく……」

 同じ場所に長居してはいけないと思い、少しずつ移動をしながら、この町にたどり着いた。
 その間、雨女の周りには雨が降り続いていたそうだ。

「そして悠弥さんに出会った、というわけですか」
 こくりと頷く。
「山のぬしさま……というと、もしかして山姫さまですか」

「ご存知なのですか」
「まあ、この一帯の山の主といえばあの方ではないかと……」
「ちょっと待ってください、山の主ってなんですか」
 話を聞いていた悠弥が、たまらず質問した。

「山のあやかしや獣たちを束ねるあやかしの長のことです。この一帯の山々の主は、山姫というあやかしなんですよ。噂によると、ちょっと気が強いというか気難しいというか、ねぇ」

 言いながら遥は雨女に苦笑いを向けた。
 雨女は、少し眉を寄せてから微笑んだ。
「山のことを一番に考える、良い主さまです。全ては山を守るためのことですから」

 雨が降り続いては山崩れを起こしかねない。山を守るために、雨女を追い出したのだという。
 雨女は決して山の主のことを悪く言わなかった。

(もし追い出されたのが俺だったら、文句の一つも言ったかもしれないな……)

 自分の故意や過失でもないのに、そんな突然の処遇に抗議くらいはするだろう。それに賃貸物件では、家賃を滞納したからといって、いきなり玄関の鍵を交換して無理やり退去させるなどということは、いくら大家といえど違法となる。
 今回の場合は、入居者が周りに迷惑行為を行っている場合と同じと考えると……。

「祠があったということは……雨女さんは、あやかしというより……神様、ですよね」
 遥のその言葉を聞き、悠弥はようやく職業病から我に返った。

 あやかしと神様。悠弥には、そのあたりの線引きは、とんとわからなかった。とはいえ、祠に祀られていたとなれば神様と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。

「日照りが続いた年のことでした。里のものたちが祠に向かい、祈りを捧げたのです」
 そうして生まれたのが自分であると、雨女は語った。

「祠がなくなって、雨を制御できなくなったということなら……もしかして住処が見つかれば雨を制御できるかもしれませんね」

 落ち着いて過ごせる場所が確保できれば、雨を司る力が戻るかもしれないと遥がいう。
「そういうもんですか」
「そういうもの……だといいんですけれど」

 その推測に自信があるわけではないようで、眉尻を下げたまま続けた。
「私たちにできることは、まず住処の提供ですから。そこから先は、その後で考えましょう」
 そういうことでいかがでしょう、と雨女に話を振ると、彼女は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」
「きっと大丈夫ですよ! ね、悠弥さん」
「はい。とにかくやってみましょう」

 雨女の潤んだ瞳が、窓から差し込んだ夕日に照らされ、たいそう美しく輝いた。
 まただ。
 悠弥は気づいた。
 雨女が笑うと雲が晴れる。

「では早速、入居の準備をしましょう。とりあえず、悠弥さんの隣のお部屋が空いてるので、そこに入居してください。今空いているあやかし用のお部屋の中では、一番いいお部屋ですよ」

 そして遥は後ろの棚から書類を取り出し、雨女に契約の説明をはじめる。
 律儀にも朝霧不動産では、あやかし向けにも重要事項説明は欠かさない。
「あ、そうだ。名前を決めないといけませんね」

 あやかしたちは多くの場合、個々を特定するような呼び名を持たない。おそらく必要がないのだろう。動物たちが互いを名前で呼ぶことがないように。
 人間社会で暮らすために、はじめてその呼び名を決めるのだ。

「何か呼ばれていた名前とか、ありますか?」
 雨女は少し考えてから、首を横に振った。
「それでしたら、呼ばれたい名前とか……」
 その問いかけにも、雨女は静かに首を横に振る。

「そうですね……じゃあ……」
 遥は雨女をしばし見つめる。
「しぐれ、なんてどうですか」
 デスクのメモに「時雨」と書き、雨女に見せる。

「時雨……」
「雨に由来する名前がいいかな、と。良い時に降る雨、という意味をこめて。苗字は……悠弥さん、何か良さそうな苗字ありません?」

「そんな感じでつけていいんですか?」
「大丈夫です。身分証明書とかが必要になったら、あとでなんとかしますから」
「いや、そういうことじゃなくて……」

 人の名前をそう簡単に決めて良いものかと思うが、契約書を作る上でも名前は必須である。今、決めてしまうしかなさそうだ。
 悠弥は必死に頭を巡らせた。

 時雨に会ったのは、しだれ柳の下だった。雨の雫が滴って、とても風情のある風景。
「柳……」

 悠弥はカウンターのパソコンに向かい、インターネットで姓名判断のサイトを開いた。
 姓に柳、名に時雨、と打ち込む。

「天格 凶」
 どうやらあまりよろしくない画数らしい。悠弥は苗字の方を幾つか試してみた。
 遥もモニターを覗き込む。

 3回目に打ち込んだ姓で、ようやく吉と出た。
「やっと吉が出ましたよ! 柳橋時雨、なんてどうですか」
「やなぎはし、しぐれ。うん、いいじゃないですか!」

 名前の響きを確かめるようにゆっくりとつぶやいて、遥は先ほどのメモに苗字を書き加えた。
 差し出されたフルネームのメモを手に、雨女は新しい自分の名をはじめて声に出した。

「柳橋時雨……素敵な名前。ありがとう」
 微笑んだ横顔は、夕日色に染まっていた。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

竜頭

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:17

アララギ兄妹の現代心霊事件簿【奨励賞大感謝】

ホラー / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:5

【完結】御食事処 晧月へようこそ

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:14

【完結】万華鏡の館 〜あなたの人生、高額買取り致します〜

ミステリー / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:2

処理中です...