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雪女
鈍感
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「え?」
「だって、相手があやかし……しかも雪女だったらわかるよ。俺、雪女に会ったことあるけど、あいつら人間の格好してても体は冷たいし、暑さにめっぽう弱いし。旦那なら、雪女を抱きしめることだってあるだろ」
そうだ。確かに、手を触れただけで、冷たいと感じた。一瞬手が触れただけならごまかせるかもしれないが……。
「子どももいるもんな……」
「マザリモノか」
「マザリモノっていうのか、あやかしとの間の子のこと」
スパゲティーを頬張りながら、颯太が答える。
「あんまりいい言葉じゃない。人間との混血を快く思わないあやかしもいる……」
「こら颯太、口の中のものを飲み込んでから喋りなさい」
美琴の注意に、慌てて残りを飲み込む颯太。
ごめんなさい、と美琴に謝ってから、続ける。
「よくそいつらが蔑んで呼ぶ。俺はこの呼び名、あんまり好きじゃない」
でも、他に呼び方もないから区別するときはマザリモノというけれど、と付け足した。
「子どもがいるなら、なおのことそうだ。きっと旦那は気づいてる。でも言わない……というか言えないんだ。雪女には独特の理がある」
理。前にも聞いた言葉だ。あやかしたちは、その理に基づいて存在しているという。
「理って……ルールみたいなもの?」
「うーん、もっと深い意味はあるけど……今はそれでいいと思う。雪女は人間に出会ったとき、その姿を見たものを帰さないのが本来のやり方だ」
「帰さないっていうと……命を奪う、とかそういうこと?」
「そうだ。生かして返さない。雪女を見た人間が、そのことを他人に話すと、雪女は消えてしまうから」
「消えてしまうって……死ぬってことか?」
颯太は手にしていたフォークを置いて、少し悩んだ。
「厳密には違う……けど、人間の姿を保てなくなるから、人としては死んだも同然かもしれない」
少し調べた昔の伝承にも、正体がばれたら消えたとか、風呂に入れたら氷柱になってしまった、という話があった。
「なんで生かしておいたのかは分からないけど。もしかしたら、その旦那は雪女に口止めされたのかもな。雪女に会ったことは内緒にしろって。だから、誰にも言えない。嫁が雪女かもしれないと思っても」
なるほど、とつぶやいて、悠弥はつまみの唐揚げを頬張った。
あの家族は、自分たちのルールでうまくやっているのだ。やはり、悠弥が口を出すべきことではないのかもしれない。
「俺が思っていたよりずっと、あの旦那さんは思慮深い人なのかもな……」
「でもまあ、そうと決まったわけじゃない。悠弥みたいに鈍感で、気づいてないだけかもしれない」
「俺みたいにって……そりゃ自覚はしてるけど……改めて言われると結構ショックなんだぞ、それ」
口を尖らせて毒づく。その問題はすぐに解決する手段が見つからないままだ。
「ところで、その話と遥とケンカした話って、どういう関係があるの?」
もう一つ残ったままの、解決する手段が見つからない問題を美琴が蒸し返した。
「ケンカってわけでもないんだけどなぁ」
「口きいてもらえないとか、なんかムッとしてるとかでしょ。遥って怒らせると静かに怒り続けるタイプだと思うけど」
「……まさにそんな感じだよ」
ため息混じりに言って、悠弥は頬杖をつく。
あの雰囲気の中で仕事を続けるのはかなり息苦しい。もしも、遥との関係が修復できないようなら、朝霧不動産を辞めることも考えなければならないかもしれない。
はじめは気楽に考えていたが、こう長引くと悩まずにはいられない。
「サッサと謝っちゃえばいいのに。そうすればすぐ解決するかもしれないでしょ」
「俺が悪いってことを前提にしてないか、それ」
「違うの?」
「経緯くらい聞けよ。それに……何を謝っていいかわからないんじゃ、よけい拗れるだろ」
「わかったわかった、美琴さんが特別に聞いてしんぜよう」
今日は予約の客もないようで、暇を持て余しはじめた美琴が身を乗り出して話を促した。
悠弥は大きく息を吐くと、思い当たる会話をかいつまんで話すことにした。
遥の表情が曇り、堰を切ったようにまくし立てられた、あのときのことだ。
「同じ話を、遥さんとしてたんだ。隠し事をして相手と付き合うっていうのはどうなのかって」
今の夫婦の話題のことね、という美琴の言葉を肯定して頷き、会話の最後を思い出す。遥の様子が変わったのは、あの言葉を言ったときだったと思う。
「裏切られているような感じがして、俺は嫌だって言ったんだ……」
裏切られた、という言葉を皮切りに、遥の表情が暗く、うつむいたままになった。
カウンターの向こう側の美琴と、悠弥の左隣で黙々とスパゲティーを平らげた颯太が顔を見合わせた。二人して半眼になったまま、視線をこちらに向ける。
「なんだよ……二人とも……」
二人同時に長い溜息をつき、深刻な表情で美琴が切り出した。
「そのまんま、それを遥に言っちゃったの?」
黙って頷く。
「それで、遥はなんて?」
「その後は……あやかしが人間に正体を明かすことは怖いことだ、やっと居場所を見つけたのに、あやかしであることを隠すたったひとつの嘘くらい、何がいけないんだって……急に怒ったみたいになって」
二人分の溜息が再び降りかかる。
「悠弥、やっぱり鈍感なんだな……。俺、さすがに気づいてると思ってた」
「私も……。いくら鈍感でも毎日そばにいたら……ねぇ」
悠弥は少し苛立つ自分に気づき、意識的に声のトーンを抑えた。
「なんだよ、それ。なんの話だよ」
「だって、相手があやかし……しかも雪女だったらわかるよ。俺、雪女に会ったことあるけど、あいつら人間の格好してても体は冷たいし、暑さにめっぽう弱いし。旦那なら、雪女を抱きしめることだってあるだろ」
そうだ。確かに、手を触れただけで、冷たいと感じた。一瞬手が触れただけならごまかせるかもしれないが……。
「子どももいるもんな……」
「マザリモノか」
「マザリモノっていうのか、あやかしとの間の子のこと」
スパゲティーを頬張りながら、颯太が答える。
「あんまりいい言葉じゃない。人間との混血を快く思わないあやかしもいる……」
「こら颯太、口の中のものを飲み込んでから喋りなさい」
美琴の注意に、慌てて残りを飲み込む颯太。
ごめんなさい、と美琴に謝ってから、続ける。
「よくそいつらが蔑んで呼ぶ。俺はこの呼び名、あんまり好きじゃない」
でも、他に呼び方もないから区別するときはマザリモノというけれど、と付け足した。
「子どもがいるなら、なおのことそうだ。きっと旦那は気づいてる。でも言わない……というか言えないんだ。雪女には独特の理がある」
理。前にも聞いた言葉だ。あやかしたちは、その理に基づいて存在しているという。
「理って……ルールみたいなもの?」
「うーん、もっと深い意味はあるけど……今はそれでいいと思う。雪女は人間に出会ったとき、その姿を見たものを帰さないのが本来のやり方だ」
「帰さないっていうと……命を奪う、とかそういうこと?」
「そうだ。生かして返さない。雪女を見た人間が、そのことを他人に話すと、雪女は消えてしまうから」
「消えてしまうって……死ぬってことか?」
颯太は手にしていたフォークを置いて、少し悩んだ。
「厳密には違う……けど、人間の姿を保てなくなるから、人としては死んだも同然かもしれない」
少し調べた昔の伝承にも、正体がばれたら消えたとか、風呂に入れたら氷柱になってしまった、という話があった。
「なんで生かしておいたのかは分からないけど。もしかしたら、その旦那は雪女に口止めされたのかもな。雪女に会ったことは内緒にしろって。だから、誰にも言えない。嫁が雪女かもしれないと思っても」
なるほど、とつぶやいて、悠弥はつまみの唐揚げを頬張った。
あの家族は、自分たちのルールでうまくやっているのだ。やはり、悠弥が口を出すべきことではないのかもしれない。
「俺が思っていたよりずっと、あの旦那さんは思慮深い人なのかもな……」
「でもまあ、そうと決まったわけじゃない。悠弥みたいに鈍感で、気づいてないだけかもしれない」
「俺みたいにって……そりゃ自覚はしてるけど……改めて言われると結構ショックなんだぞ、それ」
口を尖らせて毒づく。その問題はすぐに解決する手段が見つからないままだ。
「ところで、その話と遥とケンカした話って、どういう関係があるの?」
もう一つ残ったままの、解決する手段が見つからない問題を美琴が蒸し返した。
「ケンカってわけでもないんだけどなぁ」
「口きいてもらえないとか、なんかムッとしてるとかでしょ。遥って怒らせると静かに怒り続けるタイプだと思うけど」
「……まさにそんな感じだよ」
ため息混じりに言って、悠弥は頬杖をつく。
あの雰囲気の中で仕事を続けるのはかなり息苦しい。もしも、遥との関係が修復できないようなら、朝霧不動産を辞めることも考えなければならないかもしれない。
はじめは気楽に考えていたが、こう長引くと悩まずにはいられない。
「サッサと謝っちゃえばいいのに。そうすればすぐ解決するかもしれないでしょ」
「俺が悪いってことを前提にしてないか、それ」
「違うの?」
「経緯くらい聞けよ。それに……何を謝っていいかわからないんじゃ、よけい拗れるだろ」
「わかったわかった、美琴さんが特別に聞いてしんぜよう」
今日は予約の客もないようで、暇を持て余しはじめた美琴が身を乗り出して話を促した。
悠弥は大きく息を吐くと、思い当たる会話をかいつまんで話すことにした。
遥の表情が曇り、堰を切ったようにまくし立てられた、あのときのことだ。
「同じ話を、遥さんとしてたんだ。隠し事をして相手と付き合うっていうのはどうなのかって」
今の夫婦の話題のことね、という美琴の言葉を肯定して頷き、会話の最後を思い出す。遥の様子が変わったのは、あの言葉を言ったときだったと思う。
「裏切られているような感じがして、俺は嫌だって言ったんだ……」
裏切られた、という言葉を皮切りに、遥の表情が暗く、うつむいたままになった。
カウンターの向こう側の美琴と、悠弥の左隣で黙々とスパゲティーを平らげた颯太が顔を見合わせた。二人して半眼になったまま、視線をこちらに向ける。
「なんだよ……二人とも……」
二人同時に長い溜息をつき、深刻な表情で美琴が切り出した。
「そのまんま、それを遥に言っちゃったの?」
黙って頷く。
「それで、遥はなんて?」
「その後は……あやかしが人間に正体を明かすことは怖いことだ、やっと居場所を見つけたのに、あやかしであることを隠すたったひとつの嘘くらい、何がいけないんだって……急に怒ったみたいになって」
二人分の溜息が再び降りかかる。
「悠弥、やっぱり鈍感なんだな……。俺、さすがに気づいてると思ってた」
「私も……。いくら鈍感でも毎日そばにいたら……ねぇ」
悠弥は少し苛立つ自分に気づき、意識的に声のトーンを抑えた。
「なんだよ、それ。なんの話だよ」
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