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1章

『女神の加護』って何?

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 元アイネル王国領だったオルタの街は、隣国ヴィアラントに攻め取られた際の略奪によって廃墟となっていた。
 数年間ほぼ放置されていたような状態で、街中に雑草が生え、城壁も建物の外壁もあちこち崩れている。これを直すのは大変な仕事になりそうだ。

 俺は建物に賊や凶暴な野生生物が入り込んでいないか確認しながら街の中を見回っていた。
 これからこのオルタを復興していくのだ。最初のトラブルは少ないに越したことはない。街中だけでも安全は確保しておきたい。

 投降してきたヴィアラント兵たちは今まであまり良い環境で生活できていなかったようだし、ここで少しでもましな生活ができるといいのだけれど。

 そんなことを考えながら扉の朽ちた建物の中を調べていると、入り口のあたりに知った気配が近付いてきた。
 俺の教え子であるアイネル王国王子、イオリスの気配だ。

「巧斗!」

 名前を呼ばれて振り返る。見れば息を弾ませ、どうも俺を捜していた様子だ。

「どうしました、殿下。俺に何かご用でも?」

 どこか緊張したような面持ちを不思議に思って、首を傾げて訊ねてみる。しかし王子はそれに答えず、大股で俺の元に来て、こちらの両肩をがしりと強く掴んだ。

「結婚しよう!」
「……は?」

 いきなり何を言うかと思ったら……。
 大真面目な顔で脈絡のない科白をのたまうイオリスに、俺はぽかんと口を開けてしまった。だって、意味が分からない。

「……殿下、錯乱してます? 何か変な薬効のある悪いものでも食べました?」
「これは運命だったのだ。まさか巧斗が『女神の加護』の持ち主とは……。俺がお前と結婚すれば、再び王家に『女神の加護』の血が入る。アイネルは安泰だ」

 駄目だ、何か陶酔してる。

「根本的な指摘をしていいですか? そもそも俺男なんですけど……」
「俺は気にしない」

 気にするとか気にしないとか、そういう問題なんだろうか。
『女神の加護』とはそんなに重要な能力なのかな。こんな一回りも離れた年上のおっさんでも構わないと言ってしまうほど。

「……もしかして『女神の加護』って、幸運上昇とヒーリング以外にも何かいい効果があるんですか?」
「もちろんだ。……そうだな、どうせお前は俺のものになる運命なんだから、……実地で教えてもいいよな? 大丈夫、優しくする」
「え? あの、殿下、近いんですけど……」

 何故だかイオリスの顔が近付いてくる。両肩を掴まれているし、体格差は歴然だし、このままだと顔がぶつかるんだけど、どうしよう。

 身動きできずに困惑していると、俺に覆い被さる王子の背後に、今度は別の知った気配がやってきた。
 あ、この研がれた気配。彼女だ。

「師匠に不埒な真似をしたら許さんと言ったろうが!」
「ぐふっ!」

 自分よりずっと大きい上に鎧を着込んでいたイオリスを、蹴り一つで見事に吹き飛ばす。その力もだが、国の王子をためらいなく足蹴にする度胸もすごい。
 現れたのは『神の御印』を持つ俺の弟子、美由だった。

「師匠、大丈夫? ごめんね、このアホ殿下の教育が足りなくて。後できっちり待てとお預けを躾けておくからね」

 王子そっちのけで俺に駆け寄ってくる。いいのだろうか。

「美由、俺より殿下の方が壁にめり込んでひどいことに……」
「いいのよ、自業自得の弟弟子に、兄弟子からの愛のムチだから。……それより、もう戻りましょ。一人で居ると今みたいに襲われて危ないわ」
「襲われる?」
「……あ、もしかして襲われてた自覚ないのね。んもう、心配だなあ」

 王子に対して危機を感じていなかった俺には、美由の言葉があまりぴんと来ない。
 けれど、今のイオリスとのあれが「襲われる」という状況だったのだとしたら、その原因は『女神の加護』だ。だって、俺にそれがあると知る前の王子はあんなことしなかった。

『女神の加護』とやらには、王家が手に入れたくなるような、俺の知らない秘密があるのだろうか? イオリスもさっき、他にも効果があると言っていたし。

「……なあ、美由。俺の『女神の加護』って、どんな能力なのか知ってる?」
「……え? な、何、突然。幸運上昇とヒーリングでしょ、ジョゼも言ってたじゃない」

 あ、少し動揺を見せた。美由ですら、俺に告げづらい内容があるのだ。
 それに、先日『女神の加護』の詳細を語ると言った時に彼女が退室を勧められたことも考えれば、美由の知る以外の内容もあるということだ。

「そうか。美由も今まで『女神の加護』について俺に黙ってたってことは、そんな簡単な内容じゃないってことだもんな。そうでなければ、いくら機密事項だとしても本人に言わないってことはないだろう」
「うっ……鈍感なくせに洞察力は鋭い……」
「まあ、結局お前も詳しくは知らないんだろ? ジョゼとギース様は詳細を知っている様子だったから……そうだな、ギース様に訊いてみようかな」
「いやいや駄目! ギース兄様では変態が過ぎる! 絶対途中で興奮し始めるもん! ……かと言ってジョゼでは師匠が無理だし、殿下もこれじゃあ安心できないし……」

 俺のことなのに、美由が腕を組んで悩み始めてしまった。

「いいよ、美由。だったら俺が自分で『女神の加護』に関する資料を探す」
「あ、そうか、資料なら王宮の書庫に行けば……。でも師匠、こっちの世界の文献読めるの? 日本語と表記が違うけど」
「一応勉強したから、古語とかじゃなければ読むだけなら何とか」
「そっか、古語は駄目か。だったら、私がジョゼから書類を借りてくるわ。あの男は調べた資料を全部自分で口語に訳してまとめてる。きっと『女神の加護』に関する資料もあるはずよ」

 頼もしい弟子は軽くジョゼへの使いを請け合った。
 正直、ジョゼという男はその性格から、俺以外の人間にも距離を置かれている。
 そんな男と真正面から渡り合えるのは、アイネル王とギースと、そして美由くらいだ。

 師匠としての贔屓目でなく、彼女はその強さも最上。度胸もあり、決断力もリーダーシップもある。まさしく英雄ヒーローの素質の持ち主。俺とは違う。

「はあ、あの小さかった美由がこんなに成長して……。俺もおっさんになるわけだよなあ」
「何それ。師匠はおっさんと言うほど老けてないよ? それどころか昔よりずっと可愛くなったし」
「若い子に可愛いと揶揄されるのは、おっさんだからだよ。尖る気力もなくなって、丸くなっちゃったからな」
「そういう可愛いじゃないんだけど……。やっぱり師匠は自分の魅力には鈍感よね。ほんと、心配だわ……」

 美由はモテない俺を時々こうして褒めるけれど、これこそ弟子の贔屓目だと思う。さっき王子が変なことを言っていたのだって、俺の価値ではなく、『女神の加護』に価値があるからだろう。

「『女神の加護』って、こんなおっさんに付いてても欲しがるくらいなんだから、余程いい能力なんだろうな」
「いや、ほぼみんな師匠狙い……まあいいか。でもさ、内容知るの怖かったりしない? 今までわざわざ隠されてたんだし」
「内容を聞いても聞かなくてもすでに俺にある能力なんだ、知ってる方が無駄に不安を広げなくて済むだろ。役に立つ能力なら使った方がいいし」

「使った方がって……いや、それは……。危険なのであの男どもには絶対言わないでね……」

 何が危険なんだろう。美由がまた動揺している。
 まあ、『女神の加護』の能力が分かれば知れることだ。俺はそこで突っ込むことはせず、美由と陣幕に戻ることにした。
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