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千山万水五行盟(旅の始まり)
026:陰森凄幽(一)
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玄烏門で数日、蓬静嶺で数日を過ごした煬鳳と凰黎の二人は、清林峰へ向かうべく垂州を横断する船に乗った。
門弟たちに配った犀安名物の食べ物は大好評だった。皆われ先にと沢山積み上げられた包子や塩漬け肉を手に取って、酒を片手に大騒ぎ。しかし、かつて飲んだくれて大暴れし、近隣の町に迷惑をかけた思い出のある煬鳳は彼らが飲みすぎるのを良しとはせず、すぐに全ての酒がめを茶に替えさせた。
ごろつき、荒くれもの、山賊――これらの印象がふもとの人々から消えるのはまだもう少し……いやかなり先かもしれない。
夜真と善瀧は二人からの土産をいたく喜んで受け取ってくれた。佩玉には元々込められていた呪力に加え、凰黎がもう一重特別な力を込めたそうだ。
「我々が留守のあいだ、玄烏門は夜真と善瀧が留守を守らねばなりません。ですから、その手助けになるようにと思いまして」
善瀧は蓬静嶺の門弟だが、纏め役に欠ける玄烏門のためにいまは夜真と共に玄烏門にいる。蓬静嶺はといえば嶺主も五行盟に滞在中で凰黎も不在だが、まだ蓬静嶺には有能な兄弟子の塘湖月がいるので心配はない。彼は凰黎が幼い頃より嶺主に代わって門弟たちを纏めることも多かったし、もし凰黎が蓬静嶺にいなかったのならきっと彼が次期嶺主を務めていたことだろう。
「そういや、凰黎は蓬静嶺の皆に土産を買ったのか?」
目的の岸に辿り着く前の数刻ほど前。地平に消えた岸辺を見ながら煬鳳は凰黎に尋ねた。凰黎は何故?と言わんばかりの顔をしてさらりと言う。
「買いませんよ? 私が犀安に行くのは一度や二度ではありませんし」
「……」
張り合っているわけではないのだが、なんだか妙に負けた気がする煬鳳だった。
「ああ、でも師兄には面倒をかけていますから、お礼も兼ねて洒落た扇子を一把贈りました」
「扇子?」
「剣を使えぬ場所も稀にありますから。護身用に、ね?」
「……」
実用的というかなんというか。しかし凰黎の兄弟子は……彼の幼い頃から既に相当な実力であったように思うので、それから十年以上経った今となれば相当な持ち主だろう。ならば扇に頼らずとも剣がなくとも、傍にあるものでなんとかなるのではないか。
(いや、土産ってのは別に必要だからあげる、とかそういうもんじゃないよな……)
なにせ凰黎のことだ。きっと色々な考えがあってのことなのだろう。
それより、気になるのは清林峰のことだ。
凰黎は彼らが、世間から隔絶された森の奥に隠れ住んでいると言っていた。しかし、そんな生活をしているのに『神医』などという存在はいるのだろうか?
仮にいたとして――何をもって『神医』と呼ぶのか、少なくとも助けた人数なのか治癒させた病なのか、重い怪我を治したことでそう呼ばれるに至ったのか。
しかしいくら小さな界隈で重い何らかの症状を治したとして、それが評判になるほどの腕前なのだと何をもって決めるのか?
沢山の命を救ったり、病を治した医者なら探せば清林峰の他にだっているはずだ。凰黎はどうして、敢えて清林峰にいるという神医を選んだのか。信頼性はどこまであるのか、疑問は尽きない。
「なあ。清林峰は隔絶された森の奥で暮らしてるんだよな。それなのになんで神医なんて呼ばれる奴がいるんだ?」
「煬鳳の言いたいことは良く分かりますよ。実は……隠れ住んでいるとは言っても、彼らだけで自給自足ができるわけではないのです。だから正確に言えば、必要最低限のやりとりのみで生活している、が正しいと言えましょう」
凰黎が言うにはこうだ。
清林峰の者たちは元々医術薬学に長け、草木を自在に扱い、そして禁呪を使いこなすという。そして清林峰の一部の者たちは、森の中で一生を終えることを良しとはせず、各地でその手腕をいかんなく発揮しているのだとか。
それゆえに、彼らが『神医』であるとか『名医』だったり、清林峰の出身だという事実は否が応でも広がっていくのだそうだ。
彼の話した話は、煬鳳にとって納得がいくところではあったのだが、一つだけ驚いたことがあった。
「禁呪? 木の門派が?」
「そう。彼らは主に医術的な観点から術を用います。医療全般に長けている清林峰の門弟たちは通常の医療行為の他に、禁呪も扱えるものがほとんどと聞き及んでいます。もちろんこのことは木行の力とは関係ないものなのですが」
禁呪は確かに医術の一つに数えられると聞く。あまりこの辺りで見かけることはないが、睡龍の外の地では呪禁博士を筆頭にして呪禁師以下いくつかの官職があるそうだ。
しかし、元は五行盟である彼らがそのような術を扱うことができる、というのは意外だった。
予想外だったことがもう一つ。船旅の途中で、五行盟からの使者として霆雷門の門弟――雷靂飛が乗り込んで来たのだが、彼はどうやら清林峰へ付いてくるつもりらしい。
(せっかく二人だけの旅だと思ったのに……)
正直に言えば、酷くがっかりで、凰黎との二人旅だと浮かれていた煬鳳はとても残念な気持ちになった。
霆雷門の気質なのか、吊り目で少し不機嫌に見える雷靂飛は、掌門である雷閃候とも実に雰囲気がよく似ている。見た目は煬鳳より一回り体格が大きく、いかにも屈強な男といった印象を受ける。ぱっと見の印象は生真面目、質実剛健という雰囲気だが、口を開くと些か言葉が足りず、粗忽さがにじみ出るのだ。そういったところも実に雷閃候の駄目なところをよく受け継いでしまったように、煬鳳には思えて仕方がない。
しかも、彼は船旅の間じゅうずっと煬鳳たちに話しかけてくるので鬱陶しいことこの上なかった。話すことといったら『自分はどれだけ強いか』という武勇伝や『盟主より佩玉を賜った俺は凄い』といった自慢であったりと、正直に言って全く興味のないことばかりなのだ。他人に自分の武勇伝を聞かせる暇があるのなら少しでも修練に励めと言いたいし、彼の師匠にもそう言ってやりたかった。
「五行盟の盟主様は瞋砂門の掌門なんだろ? なんで霆雷門から使者が選ばれたんだ?」
彼らと清林峰の面々は、抱く信念の違いから道を違えたのだ。思うに、その違えた片方である彼らを使者に立てるのはあまり妥当とは思えない。
しかし、煬鳳の疑問に使者である雷靂飛はきっぱりと言い切った。
「瞋砂門の奴らはみな気が荒い。この前も建物一帯焼き払ってしまったほどだ。清林峰は森の中にあるだろう? 気の短い奴らが清林峰でカッとなって暴れたら、我を忘れて山火事になってしまうだろう。蓬静嶺からは既に静公子が決まっている。雪岑谷は谷主が閉閑修行で不在なこともあり、あまりこういったことに関わりたがらない。従って残ったのは我々霆雷門だったというわけだ」
しかしあまりにこれは、身も蓋もない言い方ではないだろうか。
理由は分かったが、これではただの消去法だ。
確かに森が火事になる可能性がある以上、冷静な人材が少ない瞋砂門は適任ではない。しかしながら、木行とはいえ雷も落ちる場所によっては山火事まっしぐらだと思うのだが、他よりはまし……ということなのだろう。
(先行き不安だ……)
それでも、少なくとも雷閃候が来なくて良かったと思うしかない。
船を降りたあとは、雷靂飛の案内によって迷陣のある入り口まで難なく辿り着くことができた。傍には鸞快子の説明の通り、小屋がある。
「この中にいる人が門番か」
「そのようですね」
凰黎と確認しあい、煬鳳は小屋の戸を叩く。ほどなくして現れた老人に、凰黎は清林峰に行きたい旨を説明して紹介状を見せた。
「あんたたち、間が悪いねぇ」
「間が悪い? どういうことだ?」
突然ぶしつけな老人の言葉に驚いたが、しかしその言葉に煬鳳は聞き返す。
「つい少し前のことだよ。森から蒼い光が飛んで行ったんだ。……あれは凶兆だよ。悪いことが起きるのを予見しているんだ。悪いことは言わない、迷陣の道を開いても慣れたものがいなければ通り抜けることは難しい。日を改めたほうがいいさね」
老人は至って真面目な顔でそう言った。
煬鳳は思わず凰黎と顔を見合わせる。よもや清林峰の陣を守る者が、大真面目にそのようなことを言うとは思わなかったからだ。
「ご心配くださり有り難うございます。ですが、我々は清林峰の峰主様からの要請を受け、五行盟の盟主様より遣わされたのです。多少の困難に臆していては、何も成すことができないでしょう。どうか我々を信用して、通していただけないでしょうか」
凰黎は怒るでもなく、老人を諭すようにかみ砕くように話す。最初は躊躇っていた老人も凰黎に説得されて、渋々迷陣の向こうへ煬鳳たちを通すと言ってくれた。迷陣への入り口へ向かうため、老人は、皆を先導するように前方を歩く。まだ朝だというのに森の中は薄暗く、雲の中に太陽が隠れていたならば、正確な時間を計るのは難しいだろう。奥の方には闇が広がっていて、その先に進んだら本当に戻ってくることはできないのではないかと思うほど。
「儂の役目は迷陣の門番じゃから、清林峰の中で起こっていることはよう分らん。ただ、ここ数か月のあいだに何人か行方の分からなくなったものがいて、何人か死んだ者がいると聞く。……あんたたちも、他人事ではないかもしれん。じゃからくれぐれも迷陣を抜けるとき注意なされよ」
「しかと心に留めおきます」
老人が足を止めたのは森の入り口から随分離れた場所だった。他の場所と全く違いが分からないのだが、門番である彼にはそこが特別な場所であると分かるらしい。
「さ。少し離れていなさい」
皆を後ろに下がらせたあとで老人が呪文を唱えると、暗闇の向こうに茂る木々が枝を揺らし葉を重ね合わせて音を出す。暫くすると枝を伸ばし絡み合った木々が、門の入り口のようなものを形作った。
「門ができた! ……これは……清林峰の力なのか?」
煬鳳は思わずしげしげと近寄って見てみるが、微弱な霊力を感じることと草木であること以外の事実は見つけられない。
「これは単なる迷陣の仕掛けじゃ。二度と世俗に関わらぬよう、当時の長老たちが命と引き換えにこの広大で精巧な迷陣を敷いたのだと」
老人の言葉は淡々としており、感傷めいたものは感じられない。煬鳳は門番である彼が、何故ここまで無関心を装っているのか不思議に思えた。
門弟たちに配った犀安名物の食べ物は大好評だった。皆われ先にと沢山積み上げられた包子や塩漬け肉を手に取って、酒を片手に大騒ぎ。しかし、かつて飲んだくれて大暴れし、近隣の町に迷惑をかけた思い出のある煬鳳は彼らが飲みすぎるのを良しとはせず、すぐに全ての酒がめを茶に替えさせた。
ごろつき、荒くれもの、山賊――これらの印象がふもとの人々から消えるのはまだもう少し……いやかなり先かもしれない。
夜真と善瀧は二人からの土産をいたく喜んで受け取ってくれた。佩玉には元々込められていた呪力に加え、凰黎がもう一重特別な力を込めたそうだ。
「我々が留守のあいだ、玄烏門は夜真と善瀧が留守を守らねばなりません。ですから、その手助けになるようにと思いまして」
善瀧は蓬静嶺の門弟だが、纏め役に欠ける玄烏門のためにいまは夜真と共に玄烏門にいる。蓬静嶺はといえば嶺主も五行盟に滞在中で凰黎も不在だが、まだ蓬静嶺には有能な兄弟子の塘湖月がいるので心配はない。彼は凰黎が幼い頃より嶺主に代わって門弟たちを纏めることも多かったし、もし凰黎が蓬静嶺にいなかったのならきっと彼が次期嶺主を務めていたことだろう。
「そういや、凰黎は蓬静嶺の皆に土産を買ったのか?」
目的の岸に辿り着く前の数刻ほど前。地平に消えた岸辺を見ながら煬鳳は凰黎に尋ねた。凰黎は何故?と言わんばかりの顔をしてさらりと言う。
「買いませんよ? 私が犀安に行くのは一度や二度ではありませんし」
「……」
張り合っているわけではないのだが、なんだか妙に負けた気がする煬鳳だった。
「ああ、でも師兄には面倒をかけていますから、お礼も兼ねて洒落た扇子を一把贈りました」
「扇子?」
「剣を使えぬ場所も稀にありますから。護身用に、ね?」
「……」
実用的というかなんというか。しかし凰黎の兄弟子は……彼の幼い頃から既に相当な実力であったように思うので、それから十年以上経った今となれば相当な持ち主だろう。ならば扇に頼らずとも剣がなくとも、傍にあるものでなんとかなるのではないか。
(いや、土産ってのは別に必要だからあげる、とかそういうもんじゃないよな……)
なにせ凰黎のことだ。きっと色々な考えがあってのことなのだろう。
それより、気になるのは清林峰のことだ。
凰黎は彼らが、世間から隔絶された森の奥に隠れ住んでいると言っていた。しかし、そんな生活をしているのに『神医』などという存在はいるのだろうか?
仮にいたとして――何をもって『神医』と呼ぶのか、少なくとも助けた人数なのか治癒させた病なのか、重い怪我を治したことでそう呼ばれるに至ったのか。
しかしいくら小さな界隈で重い何らかの症状を治したとして、それが評判になるほどの腕前なのだと何をもって決めるのか?
沢山の命を救ったり、病を治した医者なら探せば清林峰の他にだっているはずだ。凰黎はどうして、敢えて清林峰にいるという神医を選んだのか。信頼性はどこまであるのか、疑問は尽きない。
「なあ。清林峰は隔絶された森の奥で暮らしてるんだよな。それなのになんで神医なんて呼ばれる奴がいるんだ?」
「煬鳳の言いたいことは良く分かりますよ。実は……隠れ住んでいるとは言っても、彼らだけで自給自足ができるわけではないのです。だから正確に言えば、必要最低限のやりとりのみで生活している、が正しいと言えましょう」
凰黎が言うにはこうだ。
清林峰の者たちは元々医術薬学に長け、草木を自在に扱い、そして禁呪を使いこなすという。そして清林峰の一部の者たちは、森の中で一生を終えることを良しとはせず、各地でその手腕をいかんなく発揮しているのだとか。
それゆえに、彼らが『神医』であるとか『名医』だったり、清林峰の出身だという事実は否が応でも広がっていくのだそうだ。
彼の話した話は、煬鳳にとって納得がいくところではあったのだが、一つだけ驚いたことがあった。
「禁呪? 木の門派が?」
「そう。彼らは主に医術的な観点から術を用います。医療全般に長けている清林峰の門弟たちは通常の医療行為の他に、禁呪も扱えるものがほとんどと聞き及んでいます。もちろんこのことは木行の力とは関係ないものなのですが」
禁呪は確かに医術の一つに数えられると聞く。あまりこの辺りで見かけることはないが、睡龍の外の地では呪禁博士を筆頭にして呪禁師以下いくつかの官職があるそうだ。
しかし、元は五行盟である彼らがそのような術を扱うことができる、というのは意外だった。
予想外だったことがもう一つ。船旅の途中で、五行盟からの使者として霆雷門の門弟――雷靂飛が乗り込んで来たのだが、彼はどうやら清林峰へ付いてくるつもりらしい。
(せっかく二人だけの旅だと思ったのに……)
正直に言えば、酷くがっかりで、凰黎との二人旅だと浮かれていた煬鳳はとても残念な気持ちになった。
霆雷門の気質なのか、吊り目で少し不機嫌に見える雷靂飛は、掌門である雷閃候とも実に雰囲気がよく似ている。見た目は煬鳳より一回り体格が大きく、いかにも屈強な男といった印象を受ける。ぱっと見の印象は生真面目、質実剛健という雰囲気だが、口を開くと些か言葉が足りず、粗忽さがにじみ出るのだ。そういったところも実に雷閃候の駄目なところをよく受け継いでしまったように、煬鳳には思えて仕方がない。
しかも、彼は船旅の間じゅうずっと煬鳳たちに話しかけてくるので鬱陶しいことこの上なかった。話すことといったら『自分はどれだけ強いか』という武勇伝や『盟主より佩玉を賜った俺は凄い』といった自慢であったりと、正直に言って全く興味のないことばかりなのだ。他人に自分の武勇伝を聞かせる暇があるのなら少しでも修練に励めと言いたいし、彼の師匠にもそう言ってやりたかった。
「五行盟の盟主様は瞋砂門の掌門なんだろ? なんで霆雷門から使者が選ばれたんだ?」
彼らと清林峰の面々は、抱く信念の違いから道を違えたのだ。思うに、その違えた片方である彼らを使者に立てるのはあまり妥当とは思えない。
しかし、煬鳳の疑問に使者である雷靂飛はきっぱりと言い切った。
「瞋砂門の奴らはみな気が荒い。この前も建物一帯焼き払ってしまったほどだ。清林峰は森の中にあるだろう? 気の短い奴らが清林峰でカッとなって暴れたら、我を忘れて山火事になってしまうだろう。蓬静嶺からは既に静公子が決まっている。雪岑谷は谷主が閉閑修行で不在なこともあり、あまりこういったことに関わりたがらない。従って残ったのは我々霆雷門だったというわけだ」
しかしあまりにこれは、身も蓋もない言い方ではないだろうか。
理由は分かったが、これではただの消去法だ。
確かに森が火事になる可能性がある以上、冷静な人材が少ない瞋砂門は適任ではない。しかしながら、木行とはいえ雷も落ちる場所によっては山火事まっしぐらだと思うのだが、他よりはまし……ということなのだろう。
(先行き不安だ……)
それでも、少なくとも雷閃候が来なくて良かったと思うしかない。
船を降りたあとは、雷靂飛の案内によって迷陣のある入り口まで難なく辿り着くことができた。傍には鸞快子の説明の通り、小屋がある。
「この中にいる人が門番か」
「そのようですね」
凰黎と確認しあい、煬鳳は小屋の戸を叩く。ほどなくして現れた老人に、凰黎は清林峰に行きたい旨を説明して紹介状を見せた。
「あんたたち、間が悪いねぇ」
「間が悪い? どういうことだ?」
突然ぶしつけな老人の言葉に驚いたが、しかしその言葉に煬鳳は聞き返す。
「つい少し前のことだよ。森から蒼い光が飛んで行ったんだ。……あれは凶兆だよ。悪いことが起きるのを予見しているんだ。悪いことは言わない、迷陣の道を開いても慣れたものがいなければ通り抜けることは難しい。日を改めたほうがいいさね」
老人は至って真面目な顔でそう言った。
煬鳳は思わず凰黎と顔を見合わせる。よもや清林峰の陣を守る者が、大真面目にそのようなことを言うとは思わなかったからだ。
「ご心配くださり有り難うございます。ですが、我々は清林峰の峰主様からの要請を受け、五行盟の盟主様より遣わされたのです。多少の困難に臆していては、何も成すことができないでしょう。どうか我々を信用して、通していただけないでしょうか」
凰黎は怒るでもなく、老人を諭すようにかみ砕くように話す。最初は躊躇っていた老人も凰黎に説得されて、渋々迷陣の向こうへ煬鳳たちを通すと言ってくれた。迷陣への入り口へ向かうため、老人は、皆を先導するように前方を歩く。まだ朝だというのに森の中は薄暗く、雲の中に太陽が隠れていたならば、正確な時間を計るのは難しいだろう。奥の方には闇が広がっていて、その先に進んだら本当に戻ってくることはできないのではないかと思うほど。
「儂の役目は迷陣の門番じゃから、清林峰の中で起こっていることはよう分らん。ただ、ここ数か月のあいだに何人か行方の分からなくなったものがいて、何人か死んだ者がいると聞く。……あんたたちも、他人事ではないかもしれん。じゃからくれぐれも迷陣を抜けるとき注意なされよ」
「しかと心に留めおきます」
老人が足を止めたのは森の入り口から随分離れた場所だった。他の場所と全く違いが分からないのだが、門番である彼にはそこが特別な場所であると分かるらしい。
「さ。少し離れていなさい」
皆を後ろに下がらせたあとで老人が呪文を唱えると、暗闇の向こうに茂る木々が枝を揺らし葉を重ね合わせて音を出す。暫くすると枝を伸ばし絡み合った木々が、門の入り口のようなものを形作った。
「門ができた! ……これは……清林峰の力なのか?」
煬鳳は思わずしげしげと近寄って見てみるが、微弱な霊力を感じることと草木であること以外の事実は見つけられない。
「これは単なる迷陣の仕掛けじゃ。二度と世俗に関わらぬよう、当時の長老たちが命と引き換えにこの広大で精巧な迷陣を敷いたのだと」
老人の言葉は淡々としており、感傷めいたものは感じられない。煬鳳は門番である彼が、何故ここまで無関心を装っているのか不思議に思えた。
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