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千山万水五行盟(旅の始まり)
027:陰森凄幽(二)
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一時辰[*1]ほど鬱蒼とした闇の中を歩き続けたあと、急に辺りが明るくなった。先ほどは進む道を見つけるのも困難なほどぎっしりと植わっていた木々は、いまは通る道が容易に視認できるほどには間隔があいている。空を覆い隠していた枝葉の隙間からは日の光が差し込んでおり、少し前までの陰鬱さが嘘のようだ。
もしやと思い、期待を込めて目を凝らすと、少し盛り上がった丘の向こうにはいくつもの屋根と井戸や柵が見えていて、明らかに人が住む場所だと思える景色が見える。近づけば近づくほど周りの景色は明るくなってゆき、先ほどまで森しかなかったのが嘘のように思えてくる。周囲を高い崖に囲まれてはいるが、その下には豊かな緑が広がっており、畑仕事をするものや牛を引くものが見えた。
――間違いなく、人の住む場所だ。
「あった! きっとあれが清林峰だ!」
思わず煬鳳は走り出す。ずっと暗い場所ばかり歩いていたので、明るい場所が恋しくて仕方がない。少しでも早く清林峰の中に辿り着きたかった。
「いたっ!」
突然足元から聞こえる声にぎょっとする。そして同時に何か大きなものに躓いたことに気づいたが時すでに遅し。天地が逆転したかと思うと、煬鳳は頭から地面に転がった。
「うわーっ!」
誰かの腕が素早く煬鳳の脇腹に差し入れられる。当然ながらそれは凰黎の腕で、反対の脇腹にも片腕を差し入れると、抱きかかえるようにして凰黎は転がる煬鳳を止めたのだった。
「あいたたた……」
「煬鳳、怪我は!?」
顔色を変えて凰黎が体中べたべたと触る。怪我の有無を調べているようだったが、どこも痛くないので怪我はしなかったはずだ。
「大丈夫。地面も柔らかいし目は回ったけど怪我はしてないよ」
煬鳳の言葉を聞いてもなお凰黎は怪我がないかと心配そうにしていたが、本当に怪我をしていないことが分かるとようやく肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
「良かった……。それにしても、いったい何に躓いたんですか?」
その言葉でようやく、先ほど何かに躓いて転んだのだと思い出す。
「そうだ、俺、何か大きくて柔らかいものに……」
先ほど歩いていた場所を見ると、地面に人が転がっている。彼もまた煬鳳にぶつかって痛かったのか「あいたたた」と言いながらごろごろとのたうち回っていた。
「大丈夫か、あんた。怪我はないか? ……って聞こうと思ったけど随分痛そうだな」
「何かに蹴っ飛ばされたと思ったら、ああいたた。酷いよ! 僕はただ薬草を探していただけなのに」
痛そうに体をさすりながら、青年は立ち上がる。地味で薄汚れた服に、薬草を入れるための籠を背負っている。靴はぼろぼろでもう少ししたら穴が空きそうなほど。この人物が清林峰の人間ならば、やはり森での暮らしは彼らにとってはあまり良い暮らしとは言えないだろう。
「本当に悪かったって、この通りだからさ」
「もう、ワザとじゃないって分かってるから、もういいですよ。それで、何か?」
青年は籠を背負い直しながら煬鳳を見る。身なりこそ貧しさを感じるが、肉付きは煬鳳とそう変わらない。顔色は悪いが頬もこけることはなく、背丈も煬鳳より少し高い程度の中肉中背のごく一般的な青年だ。およそ武芸事ができるようには見えないが、どうやら清林峰の面々が争いを好まない、というのはいまも受け継がれていえるようだ。
「俺は煬昧梵。実は清林峰に用があって来たんだけど……」
「なんだ、それなら早く言って下さいよ。さあ、皆行きましょう行きましょう」
そう言うと青年はぐいぐいと煬鳳の背を押してくる。煬鳳がまずいと思ったときには、青年の手を凰黎が掴んでいた。
「そんなに押さなくても大丈夫ですよ。私は凰霄蘭と申します。まずは峰主様にご挨拶したいのですが」
「凰……?」
凰黎の名前を聞いた青年は、門番の老人と同様に僅かに眉を顰めたが、すぐに元の表情に戻る。
「僕は黒明と言います。宜しく! さ、行きましょう行きましょう!」
そして何事もなかったように自らも名乗り、今度は雷靂飛の手を取って清林峰の方へと歩いて行った。
「我々は五行盟の盟主様より命を受けてこちらにやってきた。なんでも清林峰で困ったことが起きているとか」
「う~ん、詳しいことは偉い人に聞いて下さい。僕は末端の門弟で、あまり細かいことは分からないので」
雷靂飛を入り口まで連れて行った黒明は、雑に彼を門番の方に押しやった。見た目こそ貧弱な青年だが、やることは案外豪快な性格だ。呆気にとられていると煬鳳たちも彼に促され、慌てて持って来た通行許可と神医に渡す紹介状を見せ、あれよと言うあいだに気づけば峰主へと面会する運びとなったのだった。
「私は清林峰峰主の清義晗。此度はこちらの都合で清林峰に来て頂き、五行盟の皆様には感謝申し上げる」
峰主の住まいというからには、どれほど大きな屋敷だろうかと思った矢先に案内されたのはごく一般的な……いや、一般的よりやや下の民家だった。黒明の身なりもそうであったが、入り口に立っていた門番の身なりとてお世辞にも普通とは程遠い。やはり皆どこか五行盟の誰かと比べても――貧しさを感じずにはいられなかった。
修理をする手も足りないのか、家の中はあちこち綻びが見える。壁や床板も日焼けして色が変わっているし、使用人らしきものも一人二人。
そういえば清林峰自体にも人々の数が少なく、そして活気がないように思える。やはり森の中で他との交流もほとんどないと、おのずとそういったものが減っていくのだろうか。
(足音が聞こえる……)
恐らくは峰主だろう。
峰主は煬鳳たちが部屋の中に入ってくると、立ち上がって出迎えた。
「私は蓬静嶺、嶺主代理の凰霄蘭と申します。本をただせば清林峰も五行盟の一員です。場所が離れたとて繋がりが消えるわけではありません。五行盟を頼って下さったことを嬉しく思います。全力を持ってご期待に添えるよう努めさせて頂きます」
実のところ煬鳳と凰黎は神医に会うついでにここに来ることになっただけで、さほど五行盟の面子をかけてやってきたわけでもない。しかし凰黎は清義晗に対して丁寧に、そして堂々と挨拶をした。それこそ、本当の五行盟代表である雷靂飛よりも凰黎の方が纏め役に見えるのだから大したものだ。
(それにしても、妙だ。清林峰は仮にもひとつの門派なのに、なんで五行盟に助けを求めたんだ?)
凰黎と雷靂飛に対する彼の歓待ぶりから察するに、渋々と言うわけではないらしい。むしろ本当に助けを求めているように見える。
彼らも争いを好まぬとはいえ、決して無力ではないはずなのだ。しかも経緯から考えれば五行盟と清林峰とは、そこまで親密な関係でもないように煬鳳には思えた。
なのに何故彼は五行盟を頼ったのか?
しかしそのようなことを清義晗に尋ねることもできず、煬鳳は三人のやり取りを部屋の端で見守ることにした。
「清粛。清粛はいるか?」
いよいよ本題に、というところで清義晗は大きな声で誰かの名を呼んだ。さほどの広さもないせいか、暫く待つと「参りました」という声が聞こえる。
姿を見せたのは煬鳳たちとそう変わらない年格好の青年。着ている服は多少の経年による綻びを感じざるを得ないものの、清潔感がある。屈託のない爽やかな笑みを向ける青年の表情からは敵意はなく、所作の一つ一つが上品で丁寧だ。
「清粛、と申します。五行盟から来られた方ですね」
「お、俺はええと……煬昧梵、です」
清粛は煬鳳たちに笑顔で挨拶をする。つられて煬鳳も柄にもなく挨拶をしてしまった。峰主の孫ともなるとある程度それらしい雰囲気があるものだが、彼の佇まいは峰主の孫というよりは村の朴訥な若者といった雰囲気だ。このような純朴な若者が峰主の孫で良いのかと思う反面、無駄に敵意や作為を感じるよりは随分ましに違いない。
率直に言って、とても実直そうな好青年だと煬鳳は思った。
「清粛は優しい子でして、普段から私の身の回りの手伝いをよくやってくれております。今回の件は彼に一任しておりますので、この後のことは清粛よりお聞きください」
清義晗は清粛に後のことを任せ、煬鳳たちを送り出した。
――――――
[*1]一時辰……2時間くらい
もしやと思い、期待を込めて目を凝らすと、少し盛り上がった丘の向こうにはいくつもの屋根と井戸や柵が見えていて、明らかに人が住む場所だと思える景色が見える。近づけば近づくほど周りの景色は明るくなってゆき、先ほどまで森しかなかったのが嘘のように思えてくる。周囲を高い崖に囲まれてはいるが、その下には豊かな緑が広がっており、畑仕事をするものや牛を引くものが見えた。
――間違いなく、人の住む場所だ。
「あった! きっとあれが清林峰だ!」
思わず煬鳳は走り出す。ずっと暗い場所ばかり歩いていたので、明るい場所が恋しくて仕方がない。少しでも早く清林峰の中に辿り着きたかった。
「いたっ!」
突然足元から聞こえる声にぎょっとする。そして同時に何か大きなものに躓いたことに気づいたが時すでに遅し。天地が逆転したかと思うと、煬鳳は頭から地面に転がった。
「うわーっ!」
誰かの腕が素早く煬鳳の脇腹に差し入れられる。当然ながらそれは凰黎の腕で、反対の脇腹にも片腕を差し入れると、抱きかかえるようにして凰黎は転がる煬鳳を止めたのだった。
「あいたたた……」
「煬鳳、怪我は!?」
顔色を変えて凰黎が体中べたべたと触る。怪我の有無を調べているようだったが、どこも痛くないので怪我はしなかったはずだ。
「大丈夫。地面も柔らかいし目は回ったけど怪我はしてないよ」
煬鳳の言葉を聞いてもなお凰黎は怪我がないかと心配そうにしていたが、本当に怪我をしていないことが分かるとようやく肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
「良かった……。それにしても、いったい何に躓いたんですか?」
その言葉でようやく、先ほど何かに躓いて転んだのだと思い出す。
「そうだ、俺、何か大きくて柔らかいものに……」
先ほど歩いていた場所を見ると、地面に人が転がっている。彼もまた煬鳳にぶつかって痛かったのか「あいたたた」と言いながらごろごろとのたうち回っていた。
「大丈夫か、あんた。怪我はないか? ……って聞こうと思ったけど随分痛そうだな」
「何かに蹴っ飛ばされたと思ったら、ああいたた。酷いよ! 僕はただ薬草を探していただけなのに」
痛そうに体をさすりながら、青年は立ち上がる。地味で薄汚れた服に、薬草を入れるための籠を背負っている。靴はぼろぼろでもう少ししたら穴が空きそうなほど。この人物が清林峰の人間ならば、やはり森での暮らしは彼らにとってはあまり良い暮らしとは言えないだろう。
「本当に悪かったって、この通りだからさ」
「もう、ワザとじゃないって分かってるから、もういいですよ。それで、何か?」
青年は籠を背負い直しながら煬鳳を見る。身なりこそ貧しさを感じるが、肉付きは煬鳳とそう変わらない。顔色は悪いが頬もこけることはなく、背丈も煬鳳より少し高い程度の中肉中背のごく一般的な青年だ。およそ武芸事ができるようには見えないが、どうやら清林峰の面々が争いを好まない、というのはいまも受け継がれていえるようだ。
「俺は煬昧梵。実は清林峰に用があって来たんだけど……」
「なんだ、それなら早く言って下さいよ。さあ、皆行きましょう行きましょう」
そう言うと青年はぐいぐいと煬鳳の背を押してくる。煬鳳がまずいと思ったときには、青年の手を凰黎が掴んでいた。
「そんなに押さなくても大丈夫ですよ。私は凰霄蘭と申します。まずは峰主様にご挨拶したいのですが」
「凰……?」
凰黎の名前を聞いた青年は、門番の老人と同様に僅かに眉を顰めたが、すぐに元の表情に戻る。
「僕は黒明と言います。宜しく! さ、行きましょう行きましょう!」
そして何事もなかったように自らも名乗り、今度は雷靂飛の手を取って清林峰の方へと歩いて行った。
「我々は五行盟の盟主様より命を受けてこちらにやってきた。なんでも清林峰で困ったことが起きているとか」
「う~ん、詳しいことは偉い人に聞いて下さい。僕は末端の門弟で、あまり細かいことは分からないので」
雷靂飛を入り口まで連れて行った黒明は、雑に彼を門番の方に押しやった。見た目こそ貧弱な青年だが、やることは案外豪快な性格だ。呆気にとられていると煬鳳たちも彼に促され、慌てて持って来た通行許可と神医に渡す紹介状を見せ、あれよと言うあいだに気づけば峰主へと面会する運びとなったのだった。
「私は清林峰峰主の清義晗。此度はこちらの都合で清林峰に来て頂き、五行盟の皆様には感謝申し上げる」
峰主の住まいというからには、どれほど大きな屋敷だろうかと思った矢先に案内されたのはごく一般的な……いや、一般的よりやや下の民家だった。黒明の身なりもそうであったが、入り口に立っていた門番の身なりとてお世辞にも普通とは程遠い。やはり皆どこか五行盟の誰かと比べても――貧しさを感じずにはいられなかった。
修理をする手も足りないのか、家の中はあちこち綻びが見える。壁や床板も日焼けして色が変わっているし、使用人らしきものも一人二人。
そういえば清林峰自体にも人々の数が少なく、そして活気がないように思える。やはり森の中で他との交流もほとんどないと、おのずとそういったものが減っていくのだろうか。
(足音が聞こえる……)
恐らくは峰主だろう。
峰主は煬鳳たちが部屋の中に入ってくると、立ち上がって出迎えた。
「私は蓬静嶺、嶺主代理の凰霄蘭と申します。本をただせば清林峰も五行盟の一員です。場所が離れたとて繋がりが消えるわけではありません。五行盟を頼って下さったことを嬉しく思います。全力を持ってご期待に添えるよう努めさせて頂きます」
実のところ煬鳳と凰黎は神医に会うついでにここに来ることになっただけで、さほど五行盟の面子をかけてやってきたわけでもない。しかし凰黎は清義晗に対して丁寧に、そして堂々と挨拶をした。それこそ、本当の五行盟代表である雷靂飛よりも凰黎の方が纏め役に見えるのだから大したものだ。
(それにしても、妙だ。清林峰は仮にもひとつの門派なのに、なんで五行盟に助けを求めたんだ?)
凰黎と雷靂飛に対する彼の歓待ぶりから察するに、渋々と言うわけではないらしい。むしろ本当に助けを求めているように見える。
彼らも争いを好まぬとはいえ、決して無力ではないはずなのだ。しかも経緯から考えれば五行盟と清林峰とは、そこまで親密な関係でもないように煬鳳には思えた。
なのに何故彼は五行盟を頼ったのか?
しかしそのようなことを清義晗に尋ねることもできず、煬鳳は三人のやり取りを部屋の端で見守ることにした。
「清粛。清粛はいるか?」
いよいよ本題に、というところで清義晗は大きな声で誰かの名を呼んだ。さほどの広さもないせいか、暫く待つと「参りました」という声が聞こえる。
姿を見せたのは煬鳳たちとそう変わらない年格好の青年。着ている服は多少の経年による綻びを感じざるを得ないものの、清潔感がある。屈託のない爽やかな笑みを向ける青年の表情からは敵意はなく、所作の一つ一つが上品で丁寧だ。
「清粛、と申します。五行盟から来られた方ですね」
「お、俺はええと……煬昧梵、です」
清粛は煬鳳たちに笑顔で挨拶をする。つられて煬鳳も柄にもなく挨拶をしてしまった。峰主の孫ともなるとある程度それらしい雰囲気があるものだが、彼の佇まいは峰主の孫というよりは村の朴訥な若者といった雰囲気だ。このような純朴な若者が峰主の孫で良いのかと思う反面、無駄に敵意や作為を感じるよりは随分ましに違いない。
率直に言って、とても実直そうな好青年だと煬鳳は思った。
「清粛は優しい子でして、普段から私の身の回りの手伝いをよくやってくれております。今回の件は彼に一任しておりますので、この後のことは清粛よりお聞きください」
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