上 下
29 / 177
千山万水五行盟(旅の始まり)

028:陰森凄幽(三)

しおりを挟む
「間に合わせの場所で申し訳ないのですが……」

 清粛チンスウ煬鳳ヤンフォンたちを連れて、まずは当面の客棧きゃくさん代わりの家へと彼らを案内してくれた。
 しかし、案内された屋敷の外見は、どう見積もっても綺麗とは言い難い。黒ずんだ壁にひび割れてガタガタの瓦。あまつさえ花窓には蜘蛛の巣がかかっている。妖邪ようじゃでも出そうなほどの荒れっぷりに、流石の煬鳳ヤンフォンも引いてしまった。

「なにせ滅多に人が来ることもないもので、宿泊するための施設自体が無いのです。少し掃除しただけのボロ家で申し訳ありませんが、好きに使って頂いて構いません」

 申し訳なさそうに清粛チンスウは言うのだが、果たしてこんな場所で満足に休めるのだろうか、と雷靂飛レイリーフェイの表情に不安がよぎったのを煬鳳ヤンフォンは見た。凰黎ホワンリィは普段と変わらずに「我々のために有り難うございます」などと言っているが、彼の本心は果たしてその表情と同じものなのだろうか。

「私の母が毎日様子を見に参りますので、風呂の支度や身の回りのこと、なんでも仰って下さい。厨師はおりませんが、母のつくる料理は絶品です。不便な場所ですが、少しでも寛いでいただければ」

 峰主ほうしゅの孫である清粛チンスウの母ならば、峰主ほうしゅの娘だ。いくらなんでも峰主ほうしゅの娘にそこまで世話をして貰うのはなんだか気が引ける。煬鳳ヤンフォンはどうやってそれを断ったらいいかと考えていたが、凰黎ホワンリィに「相手の好意は有り難く受けましょう」と諭されて結局そのまま彼らの好意に甘えることにした。

 外は崩れそうに見えたボロ家だったが、中に入ってみれば思いのほか綺麗に掃除が行き届いている。床には埃が積もってもいなかったし、卓子たくしや椅子、棚などの部屋に備え付けられている全ての家具はみな丁寧に拭き掃除をしたようだ。古い戸などはそのままではあったが、手が触れる場所や足を載せる場所などのうち、危なっかしく見える場所は念入りに修繕されていた。

「元はこのあたりで一番裕福な一族がこの家に住んでいたんです。でも、長男がどこかの王国専属の医者になったとかで、一族揃ってみな清林峰せいりんほうを出て行ってしまいました。寂しいものですが、やはり少しでも暮らし向きが良い人たちは、ここでの質素な暮らしでは我慢できないのでしょう。清林峰せいりんほうで暮らす人々は毎年減っていく一方です」

 そう言って清粛チンスウは中庭に目を向ける。伸び放題だった草木を慌てて整理したのか、風に乗って草木の蒼青しい香りが鼻腔をくすぐった。

「こちらに神医と呼ばれる方がおられるとお伺いしました。我々はその方に診て頂きたいことがあったのですが、もしやその方が……?」

 それまでこちらの要件を口にしなかった凰黎ホワンリィが神医のことを言ったので、煬鳳ヤンフォンは少し驚いた。もしかすると、清粛チンスウの話を聞いて神医も去ってしまったのか不安になったのかもしれない。

「神医? ……ああ! 榠聡檸ミンツォンニン先生のことですね!」

 誰のことかをすぐに察したのか、手を叩いた清粛チンスウはことさら笑顔になって凰黎ホワンリィに言った。

「ご安心ください、先生はいまもここで暮らしていらっしゃいますよ。後ほどご紹介いたしましょう」

 清粛チンスウの言葉に煬鳳ヤンフォンは少しだけほっとする。
 実は無駄足だったのではないかと少し不安だったのだ。

 それから持って来た荷物を部屋に置き一息ついた煬鳳ヤンフォンたちは、ようやく清粛チンスウから五行盟ごぎょうめいに持ち込まれた依頼の詳細を聞くことになった。

「皆様をお呼びしたのは他でもありません。ここ数か月のあいだに清林峰せいりんほうの弟子たちが何者かに殺されてしまうという事件が起こったのです。しかも一人や二人ではありません。約七人です」

 清粛チンスウの説明によれば、約七人というのは『一人はまだ遺体が見つかっていないから』ということのようだ。
 一人目が殺されたのは薬草園の中。清林峰せいりんほうでは貴重な薬草を育てているため、鳥や獣に食い荒らされぬよう見張りを立てている。最初の被害者は夜の番をしていた青年だった。
 死因は絞殺。青年の手には犯人の手をかきむしったと思われる血と肉片がついていた。

「死んだ若者は十六歳。清林峰せいりんほうの者ですが戦いとは無縁の生活を送り、医術に打ち込み、いずれはここを出て医者になる事を夢見ていた若者でした」

 二人目、三人目はそれぞれ別の日に清林峰せいりんほうに近い森の中で死んでいた。一人は鋭利な刃物で前から胸を刺し貫かれ、もう一人は背後から何度も刺されて、だ。傷口から推測するに、凶器は長剣の類ではなく比較的短い刃物と推測される。

 最初の事件とは無関係だと思ったが、三人まで殺されると無関係とは思い難い。
 四人目は崖下で倒れているところを発見された。崖の上に誰かと争った跡があったことから、恐らく上から落ちたのだろうと推測される。
 五人目は広場で倒れ、死んでいた。人目につかぬ場所でもなく、皆が普段通るような場所だ。夜の犯行とみて間違いはなかったが、それにしても清林峰せいりんほうの広場というのはあまりにも大胆不敵。

「彼らは清林峰せいりんほうを守る役目を持っており、その日も森の警戒に当たっておりました」

 六人目、七人目は森に出て、一人は見つかったがもう一人は見つからず仕舞い。それがほんの四日ほど前。

「初めは外からやってきた何者かの仕業なのではないかと考えたのです。しかしご存じの通り清林峰せいりんほうのある森には強力な迷陣が敷いてあります。そして清林峰せいりんほうに辿り着くためには五行盟ごぎょうめいを含む、清林峰せいりんほうとの取り引きがある一部の組織が発行した通行許可証と、それを入り口の門番が見て確認した上で彼らを通すか決める。この二つの手順が必要です」

 とうぜん森の入り口では門番が一人ずつ確認をするだろうし、通行許可証は清林峰せいりんほうが開発した特殊な印が押印されており、外部の者がこの迷陣に無断で踏み入れば必ずそれは清林峰せいりんほうの知るところとなる。
 つまり、外部の者が清林峰せいりんほうの人間を殺すことは、かなり難しいことなのだ。

「ここまでお話しすれば、皆様なら察して頂けると思うのですが……。このたび我々が五行盟ごぎょうめいの方をお呼びしたのは」
清林峰せいりんほうの誰かによる犯行だ、とお考えになったからですね」

 凰黎ホワンリィの言葉に、清粛チンスウは静かに頷いた。

「仰る通りです。外部の者の仕業にしては期間が長すぎます。もしも清林峰せいりんほう自体を狙うのなら、一人二人と殺さずに一気に攻めれば済む話。そして戦う術を持たぬ者ならいざ知らず、清林峰せいりんほうを守るものが殺されたのは……」

 そこまで話すと清粛チンスウは口を噤む。
 恐らく、殺された者の何人かは抵抗した様子が無かったのではないか。知り合いだと油断して突然命を奪われた、そのような見立てからやむを得ず五行盟ごぎょうめいに頼ったのだろうと彼の話し方から煬鳳ヤンフォンは思った。
 凰黎ホワンリィは口に出さずとも分かっているようだ。目を伏せ静かに清粛チンスウの話を聞いていたが、顔を上げると口を開く。

チン公子の仰りたいことはよく理解しております。……そうだ。一番最後に亡くなった方はまだ埋葬されていないのでは? それに、亡くなった他の五人の方々の遺体も入念に調べたのですよね?」

 その言葉を聞いて清粛チンスウは驚いたのか思わず立ち上がる。そして何度か頷き、興奮気味に言葉をつづけた。

「は、はい。ご存じの通り、我々は他の門派とは異なり、戦うために力を使いません。生きた者なら身体を流れる気を感じ取り、異変を見つけ出し、治療します。時には術を使い、時には薬草を使い。またある時は普通の医者と同じようなことも行うのです」
「では、遺体の検分はどなたが?」
峰主ほうしゅの代理として父が行い、私と先生が立ち会いました」
「先生?」
「あっ……あれです。先ほどホワン殿が仰っていた……」

 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと顔を見合わせた。先ほど凰黎ホワンリィが言っていた、そして先生と呼ぶならば……。

「もしかして、神医?」

 ぱちり、と手を叩き清粛チンスウ煬鳳ヤンフォンを指差した。

「そうそう! その方です!」

 世界は狭い。
 特にこのような山奥ではなおさらだ。

    * * *

 ボロ屋敷を出た煬鳳ヤンフォンたちがやってきたのは崖に面した洞穴だった。洞穴の入り口には強力な結界が施されており、清粛チンスウの持つ特別な佩玉はいぎょくを使ってようやく入ることができるらしい。

「随分入念に保管しているのですね」

 歩きながら凰黎ホワンリィが言った。決して広くはない洞窟の通路を二人ずつ並んで歩く。凰黎ホワンリィは先導する清粛チンスウを目で追い、周囲の様子に目を向けながら、片腕では煬鳳ヤンフォンの手を握っている。

「殺した者が去ったわけではない以上、油断することはできません。万に一つでも妖邪ようじゃに変ずるようなことがあれば……」

 足を止め清粛チンスウは言葉に詰まらせる。

「もしや……」

 それで察したのか、恐る恐る確認するように雷靂飛レイリーフェイが訊ねた。

「はい。実は一度だけ……」

 堪えるように、清粛チンスウは言葉を絞り出す。
 痛苦な表情の清粛チンスウを見て、彼らは本当にいま、窮地に立たされているのだと煬鳳ヤンフォンは思った。

「四人目の犠牲者は崖で争った末に落ちたと言いましたよね。崖上には二人分の足跡、それに崖下にも薬草の欠片が散らばっていました。犯人は慌てて取り去ろうとしたのでしょうが、乾燥させた薬草は落ちた衝撃と死体の下敷きになって粉々に砕けてしまい、月明かりだけで完全に持ち去ることはできなかったのだと思います。それで、我々はもっと手掛かりを探そうと暫くのあいだ、彼の遺体を空き家に保管することにしました」

 空き家、と聞いて煬鳳ヤンフォンたち三人は一瞬ぎょっとした。先ほど案内されたのも空き家だったからだ。しかし、慌てて清粛チンスウが否定した。

「あ、ち、違いますよ! 別の空き家です!」

 安堵のあまり、あからさまに三人とも大きく安堵の溜め息をついてしまう。洞窟の中は静かすぎて、溜め息の音すらよく響く。

「それに、その空き家はもう焼けて無くなってしまいました。……ある日の夜、棺桶から遺体が抜け出したのです」

 犯人を警戒して巡回の警備を増やしていたことで、門弟ではない者がひとりで棺桶の見張りを担当していたのだという。いきなり死体が棺桶から出てきたことに驚いた見張り役は、必死で家の外に飛び出し周囲に助けを求めた。幸いにも峰内を巡回していた弟子の一人がそれを発見したお陰で、事なきを得たのだ。
 被害は死体を閉じ込め家を燃やしたことによる民家の消失のみ。襲われた人達も幸い大きな怪我もなく無事だったという。

僵尸きょうしに変じた被害者は火葬されましたが、先に埋めた者たちにも同様のことがあってはいけないと考えて全て掘り返し、燃やした上で再び埋め直しました。しかし、さすがに殺された上に再びこのようなことを何度もするのは心苦しいですから……」
「それで、結界を張ってまで限られた人間以外入ることができないようにした。ってことか」
「しかしそのような事が容易く起こるものだろうか? もしや犯人が……」
「いや、それは有り得ない」

 雷靂飛レイリーフェイが言いかけた言葉を煬鳳ヤンフォンは遮った。

「少なくともたった一体、僵尸きょうしを生み出したところで大したことはできないだろう。仮にもここは清林峰せいりんほうなんだぞ? 恐らく立て続けに人が死んで、この土地自体に良くない気が溜まっていたんだと思う」
煬鳳ヤンフォンの言う通りです。恐らく、空き家は人の出入りも少なく、悪い気が溜まりやすい場所です。棺を置いたことで、その影響を死体が受けてしまったのでしょう」

 煬鳳ヤンフォンが言うと信じて貰えないことも、凰黎ホワンリィが語ると妙に真実味が出てくるようだ。それまで訝し気に聞いていた雷靂飛レイリーフェイの表情が、凰黎ホワンリィの話を聞いているうちに「それは確かにありそうだ!」という顔へと変わっていくのをまざまざと見せつけられてしまった。
 じつに分かりやすい性格だ。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

竜の国の人間様

BL / 連載中 24h.ポイント:5,979pt お気に入り:2,277

欠陥品オメガが運命と出会って幸せになりました

BL / 完結 24h.ポイント:198pt お気に入り:1,374

王家の影一族に転生した僕にはどうやら才能があるらしい。

BL / 連載中 24h.ポイント:5,475pt お気に入り:2,718

雪豹くんは魔王さまに溺愛される

BL / 完結 24h.ポイント:695pt お気に入り:2,992

逃げるための後宮行きでしたが、なぜか奴が皇帝になっていました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:1,776

半魔の竜騎士は、辺境伯に執着される

BL / 連載中 24h.ポイント:1,164pt お気に入り:8,790

処理中です...