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千山万水五行盟(旅の始まり)
030:陰森凄幽(五)
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「それって、いったいどんな効果があるんだ? それとも毒か?」
「違います」
煬鳳の問いに清粛は首を振る。
それから周囲に目を向けたあとで、声を潜め言葉を続けた。
「……他言無用の話なのですが、この世にある病の大半は治せるのではないかと期待している薬を我々は作ろうとしています」
大げさな話だと思ったが、しかし清粛の話すことが真実であるならば、それは誰もが欲する薬となることだろう。
同時に……その薬を手に入れるためにどれほどの争いが起こるのか、考えるだけで恐ろしい。
「その材料が採取できる薬木の名は『索冥欷』といい、一見すると龍血樹にも似ている姿をした樹木ですが、十年に一度だけ綺麗な白い花を咲かせるのです。龍血樹 から採れる麒麟竭は果実ですが、索冥欷は花に薬効があります」
清粛が言うことには、その花の名は『索冥花』と呼ばれ、どんな怪我も病も驚くほどの速さで快癒する効能があるという。
本当にそれほどの効果が望めるといういうのなら、まさに索冥花は神薬の名に相応しいといえるだろう。
しかし、なぜ索冥花が今まで世に出てこなかったのか?
答えはすぐに清粛よりもたらされた。
なんでも索冥欷は非常に繊細な木で、花が咲いたら朝露と共に木ごと枯れ果て消えてしまう、存在すら忘れられた伝説の木だったからなのだそうだ。
「たまたま父が旅先で奇跡的に残っていた索冥欷の根を見つけ、清林峰に根を持ち帰りました。清林峰は、ありとあらゆる手段を講じてようやく索冥欷の改良種を作り出すことに成功したのです。それで、かつてのようなことがあってはいけないと、森の外には一切口外せず厳重に守っていたのに……」
『かつてのこと』と清粛は言った。『かつて』というのは、いったい何時、何のことだろうか、煬鳳は考える。しかし聞いた情報の中から的確なものを選ぶなら、それは『清林峰が五行盟から離れた一件』に関わりがあるのではないか。
疑問は尽きないが、いま口に出すことは憚られる。煬鳳は結局それらのことを清粛にはぶつけることはせず、心の中に仕舞っておくことにした。
それから煬鳳たちは最初の被害者が死亡した場所も崖上と崖下、それぞれの現場を見せて貰った。
既に日も経っているため痕跡などは残されてはいなかったが、事前の説明の通り被害者の手と周辺には、貴重な薬草を乾燥させたものが散らばっていたということだった。
「ところで清公子。我々は今夜、あの薬草園で張り込みを行いたいのですが」
「えっ!?」
ボロ屋敷に戻る途中、突然凰黎がそんなことを言ったので煬鳳は驚いて凰黎の顔を見る。振り返った清粛も驚いた顔で凰黎のことを見ていた。何故、今夜、唐突に彼はそんなことをやると言い出したのか。あまりにも突然すぎて、誰にも理由が分からない。
申し訳ないのですが、と付け加えて清粛は凰黎に尋ねる。
「いきなり今夜、ですか? もちろん構いませんが……しかし何故?」
「いえ、もしかしたら私の思い過ごしかもしれませんが……今晩何かが起きそうな気がするのです」
「そ、それは……?」
「いえ、まだそうと決まったわけではありませんので。しかし、用心に越したことはないと思うのです。ですが、我々は外から来た者。清公子か代わりの誰かに付き添って頂けると有り難いのですが」
清粛はその言葉に暫し考える。
「でしたら薬草園には見張りの当番が毎日交代で決められています。……今夜は私が見張り役と交代で、皆様とご一緒いたしましょう」
「有り難うございます、感謝いたします。清公子」
当番の者に話をつけてくるからと清粛は途中で煬鳳たちと別れ、峰主の屋敷へと帰っていった。
「しかしなぜ凰殿は今夜、何かあると考えたのですか?」
それまで黙っていた雷靂飛が口を開く。ここに来てからというもの、彼は比較的おとなしい。それもこれも、細やかな考えを巡らすのが苦手な彼は、この複雑難解な事件を解決するための糸口を全く見つけられていないからだ。それこそ、凰黎がいなかったら本当にどうしていいか分からなくなってしまったかもしれない。
そんなわけで、いつの間にか雷閃候は凰黎に対して尊敬を込めた態度で接するようになっていた。
ついでにここでは『凰霄蘭』と呼んで欲しいと凰黎が言ったので、彼もその希望に合わせいまは『凰殿』と呼んでいる。何故そう呼ぶのかということは、全く理解していないようではあるのだが。
「大したことではないのです。先ほど薬草園に入ったときに清林峰の者ではない足跡を見つけました。地面は湿っていたので比較的新しい足跡だと感じました。ですが薬草園には見張りがいます。……もし行動を移すのだとしたら……」
興奮気味に両の拳を握りしめ、雷靂飛は凰黎に詰め寄った。
「人目につきにくい夜間を狙うしかない、ということですね! なるほど!!」
本当に暑苦しくて鬱陶しい奴だと煬鳳は思う。
(ほんと、清林峰と霆雷門が元は一つだったなんて、全然信じられないな!)
煬鳳は凰黎の手を取ると「いいから行こうぜ」と少し不貞腐れながらボロ屋敷へと足を速めた。
* * *
「煬鳳」
凰黎の白くて綺麗な指が煬鳳の頬を撫でる。
くすぐったさに耐え切れず煬鳳が肩を竦めると、凰黎に抱きしめられた。急に何事かと凰黎の顔を見れば、その顔は少し悪戯めいた笑いを含んでいる。
「さっきは、焼きもちを焼いていたんですよね?」
「……」
雷靂飛を下の階に押し込めて、煬鳳と凰黎は二階の部屋で夜が来るのを待つことにしたのだが、戸を閉め一息つくなりこれだ。
「さ、さっきのは別に何でもない!」
慌てて否定したけれど、椅子の背もたれに貼り付けるが如く凰黎に詰め寄られ身体を動かすことができなくなってしまう。
決して強く押さえつけられているわけではないのだが……凰黎という人は器用なもので、どうすれば効率よく煬鳳の動きを封じることができるかをよく知っている。
「焼きもちを焼いてくれた――のですよね?」
「そ、そ、それは……。ただ、あいつがあんまり凰黎に詰め寄ってたから……わっ」
必死で凰黎に「あいつに気づかれたらどうするんだ」と言おうとしたのだが、言葉に出す前に彼が胸元に顔を埋めてきたものだから、もはやそれどころではなくなってしまった。
「ちょ、ちょっと!」
必死で暴れ、待ってくれと訴えようとすれば、凰黎は煬鳳の両腕を素早く椅子の後ろに回し、左手で抑え込んでしまう。残った右手の行き先に翻弄されて身を捩らせると、今度は凰黎の唇が首筋を掠めてゆく。いよいよ感情の逃げ場がなくなって、漏れそうになる声を必死で堪えようと歯を食いしばったが、凰黎が容赦するつもりはないようだ。
それでも堪えきれず、いよいよ声が出そうになった瞬間に、今度は唇を塞がれてしまった。
(凰黎の……馬鹿ーーっ!!)
声にならない抗議の声をあげてはみるものの、嫌かと言えば本心では嫌ではなく……むしろ様々な感情が渦巻いた煬鳳の鼓動は、早鐘のようにずっと刻み続けてている。そんな心の内を見抜いたように流す凰黎の視線は蠱惑的で、いっそう煬鳳の心はかき乱されてしまうのだ。
ここが清瑞山の小屋の中であったのなら、恥ずかしがったりしないのに。
せめて雷靂飛が同じ家の中にいなければ、迷うことなく凰黎の胸に飛び込んでいるだろうに。
些細なことばかり気にしてしまう、そんな自分が情けなくも恨めしい。
――どれほどそうしていただろうか。
煬鳳が椅子から解放されたのは、色んな感情の応酬に疲れ果て、ヘトヘトになったあとだった。
「全く……油断も隙もない!」
寝台に降ろされた煬鳳は堪らず凰黎に抗議する。対する凰黎は満足そうににこにこと笑っているのだから、たちが悪い。
「すみません。煬鳳が焼きもちを焼いてくれるなんて、嬉しくてつい」
焼きもちを焼いたのは確かなのだが、それを認めるのも指摘されるのも恥ずかしい。なんと言い返していいか分からずに、煬鳳は丸くなってそっぽを向いた。
凰黎はそんな煬鳳の耳元で甘く囁く。
「拗ねないで、煬鳳。そんな可愛く拗ねていると、もっと悪戯したくなってしまいます」
「………………!」
我が家ならとにかく、ここでは駄目だ!
慌てた煬鳳は飛び起きると、寝台の縁にちょこんと座った。
「喉が渇いたでしょう。水でも飲んで落ち着いて」
「あ、ありがと……」
茶碗に入った水を一口飲むと、喉から染みわたって心地よい。井戸からくみ上げた水だろうか。そう考えていると、凰黎が「谷の湧き水を汲んだものだそうですよ」と教えてくれた。
「そっか。あの薬草園で貴重な薬草を育てるのなら、綺麗な水は必須だもんな。おおかたあの谷全体に湧き水が広がっているんだろう」
「恐らくは。土が湿っているのもその影響でしょう」
煬鳳はいま凰黎と二人しかいないことを思い出し、先ほど疑問に思ったことを問いかける。凰黎ならばきっと疑問の答えを知っているのではないかと思ったからだ。
「なあ、さっき清粛が『かつてのようなことがあってはいけないと、森の外には一切口外せず厳重に守っていたのに』って言ってたよな」
「ええ」
「かつてのようなこと、っていったい何があったのか、凰黎は知ってるか?」
「聞いた話ではありますが、大体は。……清林峰と霆雷門が一つだった頃、一つの門派が二つに分かれる切っ掛けとなった出来事です。以前煬鳳が言ったように、当時の清林峰は強大な力を持ちながら医術にも優れ、いまの瞋砂門に負けぬほど強く大きな門派の一つでした」
清林峰は医者としても積極的に人々を助けていたため、彼らに助けを求めて多くの者が遠方から訪れた。そのため五行盟の内部において重要な決断を下すときも、瞋九龍か清林峰の前峰主、清樹の意見に従うかで五行盟内部で真っ二つに意見が分かれたほど。
しかし前峰主である清樹は豪烈な性格の瞋九龍に比べ、己の意見をなにがなんでも通すような性分でもなかったため、別段内部で争いが起こることもなかったそうだ。
そしてそれから長い年月が経ち、あることが起こった。
貴重な霊薬の類を狙い、盗賊や彼らに便乗した、たちの悪い門派の者たちが一斉に清林峰へ襲撃をかけてきたのだ。仮にも清林峰は五行盟の一つであったにもかかわらずだ。
何故彼らがそこまでの暴挙を働いたのかは分からない。しかしあとで調べて分かったことなのだが、『清林峰に不老不死の薬がある』という噂がまことしやかに流れたのだという。
結果、不老不死を求めたものや、その薬を売ろうとしたものが真偽を確かめる間もなく押し寄せたのだ。
それが七日ほど絶え間なく続き、辺りは火の海に包まれた。清林峰は辛うじて持ちこたえたが、近隣に住む人々は巻き添えになり、家々は焼き払われ、それは酷い状有様だったという。
「清林峰は五行盟だったんだろ? 他の門派は救援に駆け付けなかったのか?」
凰黎の話を黙って聞いていた煬鳳だったが、思わず口を挟んでしまった。煬鳳の言葉を聞いた凰黎の表情は少し曇る。
「情けないことですが、当時の五行盟は既に形骸化しており全く正義の同盟でも何でもありませんでした。事なかれ主義が災いして、五行盟も中小の門派も全てが終わったあとでようやくやってくる始末。しかも、あろうことかどさくさに紛れて彼らは清林峰の持っている貴重な薬草や霊薬等の類を盗み出してしまった者もいたのだそうです」
開いた口が塞がらなかった。
火事場泥棒も良いところだ。しかも、清林峰を助けたのならまだしも、戦いが終わったあとに傷口に塩を塗るようなまねをした。
――ありえない。
それは清林峰が五行盟を去っていったのも頷ける。彼らは五行盟を見限ったのだ。しかし同時に霆雷門は、そんな彼らと真っ向から向き合うことを決意したのだろう。二度と同じ轍を踏ませないために。
それがいまも同じ思いであるのかは分からないが、しかし……。
考えは全く異なるが、しかし両方の考えも納得できないものではなかった。
戸を叩く音に気づいた煬鳳が扉を開けると、そこにいたのは少し前に清林峰の入り口で別れた黒明だった。いや、別れたというより一方的にどこかに消え去ってしまったというか。
――――――――――
※索冥花と刹曾飲は存在しないのですが、麒麟竭は実在する生薬です。
「違います」
煬鳳の問いに清粛は首を振る。
それから周囲に目を向けたあとで、声を潜め言葉を続けた。
「……他言無用の話なのですが、この世にある病の大半は治せるのではないかと期待している薬を我々は作ろうとしています」
大げさな話だと思ったが、しかし清粛の話すことが真実であるならば、それは誰もが欲する薬となることだろう。
同時に……その薬を手に入れるためにどれほどの争いが起こるのか、考えるだけで恐ろしい。
「その材料が採取できる薬木の名は『索冥欷』といい、一見すると龍血樹にも似ている姿をした樹木ですが、十年に一度だけ綺麗な白い花を咲かせるのです。龍血樹 から採れる麒麟竭は果実ですが、索冥欷は花に薬効があります」
清粛が言うことには、その花の名は『索冥花』と呼ばれ、どんな怪我も病も驚くほどの速さで快癒する効能があるという。
本当にそれほどの効果が望めるといういうのなら、まさに索冥花は神薬の名に相応しいといえるだろう。
しかし、なぜ索冥花が今まで世に出てこなかったのか?
答えはすぐに清粛よりもたらされた。
なんでも索冥欷は非常に繊細な木で、花が咲いたら朝露と共に木ごと枯れ果て消えてしまう、存在すら忘れられた伝説の木だったからなのだそうだ。
「たまたま父が旅先で奇跡的に残っていた索冥欷の根を見つけ、清林峰に根を持ち帰りました。清林峰は、ありとあらゆる手段を講じてようやく索冥欷の改良種を作り出すことに成功したのです。それで、かつてのようなことがあってはいけないと、森の外には一切口外せず厳重に守っていたのに……」
『かつてのこと』と清粛は言った。『かつて』というのは、いったい何時、何のことだろうか、煬鳳は考える。しかし聞いた情報の中から的確なものを選ぶなら、それは『清林峰が五行盟から離れた一件』に関わりがあるのではないか。
疑問は尽きないが、いま口に出すことは憚られる。煬鳳は結局それらのことを清粛にはぶつけることはせず、心の中に仕舞っておくことにした。
それから煬鳳たちは最初の被害者が死亡した場所も崖上と崖下、それぞれの現場を見せて貰った。
既に日も経っているため痕跡などは残されてはいなかったが、事前の説明の通り被害者の手と周辺には、貴重な薬草を乾燥させたものが散らばっていたということだった。
「ところで清公子。我々は今夜、あの薬草園で張り込みを行いたいのですが」
「えっ!?」
ボロ屋敷に戻る途中、突然凰黎がそんなことを言ったので煬鳳は驚いて凰黎の顔を見る。振り返った清粛も驚いた顔で凰黎のことを見ていた。何故、今夜、唐突に彼はそんなことをやると言い出したのか。あまりにも突然すぎて、誰にも理由が分からない。
申し訳ないのですが、と付け加えて清粛は凰黎に尋ねる。
「いきなり今夜、ですか? もちろん構いませんが……しかし何故?」
「いえ、もしかしたら私の思い過ごしかもしれませんが……今晩何かが起きそうな気がするのです」
「そ、それは……?」
「いえ、まだそうと決まったわけではありませんので。しかし、用心に越したことはないと思うのです。ですが、我々は外から来た者。清公子か代わりの誰かに付き添って頂けると有り難いのですが」
清粛はその言葉に暫し考える。
「でしたら薬草園には見張りの当番が毎日交代で決められています。……今夜は私が見張り役と交代で、皆様とご一緒いたしましょう」
「有り難うございます、感謝いたします。清公子」
当番の者に話をつけてくるからと清粛は途中で煬鳳たちと別れ、峰主の屋敷へと帰っていった。
「しかしなぜ凰殿は今夜、何かあると考えたのですか?」
それまで黙っていた雷靂飛が口を開く。ここに来てからというもの、彼は比較的おとなしい。それもこれも、細やかな考えを巡らすのが苦手な彼は、この複雑難解な事件を解決するための糸口を全く見つけられていないからだ。それこそ、凰黎がいなかったら本当にどうしていいか分からなくなってしまったかもしれない。
そんなわけで、いつの間にか雷閃候は凰黎に対して尊敬を込めた態度で接するようになっていた。
ついでにここでは『凰霄蘭』と呼んで欲しいと凰黎が言ったので、彼もその希望に合わせいまは『凰殿』と呼んでいる。何故そう呼ぶのかということは、全く理解していないようではあるのだが。
「大したことではないのです。先ほど薬草園に入ったときに清林峰の者ではない足跡を見つけました。地面は湿っていたので比較的新しい足跡だと感じました。ですが薬草園には見張りがいます。……もし行動を移すのだとしたら……」
興奮気味に両の拳を握りしめ、雷靂飛は凰黎に詰め寄った。
「人目につきにくい夜間を狙うしかない、ということですね! なるほど!!」
本当に暑苦しくて鬱陶しい奴だと煬鳳は思う。
(ほんと、清林峰と霆雷門が元は一つだったなんて、全然信じられないな!)
煬鳳は凰黎の手を取ると「いいから行こうぜ」と少し不貞腐れながらボロ屋敷へと足を速めた。
* * *
「煬鳳」
凰黎の白くて綺麗な指が煬鳳の頬を撫でる。
くすぐったさに耐え切れず煬鳳が肩を竦めると、凰黎に抱きしめられた。急に何事かと凰黎の顔を見れば、その顔は少し悪戯めいた笑いを含んでいる。
「さっきは、焼きもちを焼いていたんですよね?」
「……」
雷靂飛を下の階に押し込めて、煬鳳と凰黎は二階の部屋で夜が来るのを待つことにしたのだが、戸を閉め一息つくなりこれだ。
「さ、さっきのは別に何でもない!」
慌てて否定したけれど、椅子の背もたれに貼り付けるが如く凰黎に詰め寄られ身体を動かすことができなくなってしまう。
決して強く押さえつけられているわけではないのだが……凰黎という人は器用なもので、どうすれば効率よく煬鳳の動きを封じることができるかをよく知っている。
「焼きもちを焼いてくれた――のですよね?」
「そ、そ、それは……。ただ、あいつがあんまり凰黎に詰め寄ってたから……わっ」
必死で凰黎に「あいつに気づかれたらどうするんだ」と言おうとしたのだが、言葉に出す前に彼が胸元に顔を埋めてきたものだから、もはやそれどころではなくなってしまった。
「ちょ、ちょっと!」
必死で暴れ、待ってくれと訴えようとすれば、凰黎は煬鳳の両腕を素早く椅子の後ろに回し、左手で抑え込んでしまう。残った右手の行き先に翻弄されて身を捩らせると、今度は凰黎の唇が首筋を掠めてゆく。いよいよ感情の逃げ場がなくなって、漏れそうになる声を必死で堪えようと歯を食いしばったが、凰黎が容赦するつもりはないようだ。
それでも堪えきれず、いよいよ声が出そうになった瞬間に、今度は唇を塞がれてしまった。
(凰黎の……馬鹿ーーっ!!)
声にならない抗議の声をあげてはみるものの、嫌かと言えば本心では嫌ではなく……むしろ様々な感情が渦巻いた煬鳳の鼓動は、早鐘のようにずっと刻み続けてている。そんな心の内を見抜いたように流す凰黎の視線は蠱惑的で、いっそう煬鳳の心はかき乱されてしまうのだ。
ここが清瑞山の小屋の中であったのなら、恥ずかしがったりしないのに。
せめて雷靂飛が同じ家の中にいなければ、迷うことなく凰黎の胸に飛び込んでいるだろうに。
些細なことばかり気にしてしまう、そんな自分が情けなくも恨めしい。
――どれほどそうしていただろうか。
煬鳳が椅子から解放されたのは、色んな感情の応酬に疲れ果て、ヘトヘトになったあとだった。
「全く……油断も隙もない!」
寝台に降ろされた煬鳳は堪らず凰黎に抗議する。対する凰黎は満足そうににこにこと笑っているのだから、たちが悪い。
「すみません。煬鳳が焼きもちを焼いてくれるなんて、嬉しくてつい」
焼きもちを焼いたのは確かなのだが、それを認めるのも指摘されるのも恥ずかしい。なんと言い返していいか分からずに、煬鳳は丸くなってそっぽを向いた。
凰黎はそんな煬鳳の耳元で甘く囁く。
「拗ねないで、煬鳳。そんな可愛く拗ねていると、もっと悪戯したくなってしまいます」
「………………!」
我が家ならとにかく、ここでは駄目だ!
慌てた煬鳳は飛び起きると、寝台の縁にちょこんと座った。
「喉が渇いたでしょう。水でも飲んで落ち着いて」
「あ、ありがと……」
茶碗に入った水を一口飲むと、喉から染みわたって心地よい。井戸からくみ上げた水だろうか。そう考えていると、凰黎が「谷の湧き水を汲んだものだそうですよ」と教えてくれた。
「そっか。あの薬草園で貴重な薬草を育てるのなら、綺麗な水は必須だもんな。おおかたあの谷全体に湧き水が広がっているんだろう」
「恐らくは。土が湿っているのもその影響でしょう」
煬鳳はいま凰黎と二人しかいないことを思い出し、先ほど疑問に思ったことを問いかける。凰黎ならばきっと疑問の答えを知っているのではないかと思ったからだ。
「なあ、さっき清粛が『かつてのようなことがあってはいけないと、森の外には一切口外せず厳重に守っていたのに』って言ってたよな」
「ええ」
「かつてのようなこと、っていったい何があったのか、凰黎は知ってるか?」
「聞いた話ではありますが、大体は。……清林峰と霆雷門が一つだった頃、一つの門派が二つに分かれる切っ掛けとなった出来事です。以前煬鳳が言ったように、当時の清林峰は強大な力を持ちながら医術にも優れ、いまの瞋砂門に負けぬほど強く大きな門派の一つでした」
清林峰は医者としても積極的に人々を助けていたため、彼らに助けを求めて多くの者が遠方から訪れた。そのため五行盟の内部において重要な決断を下すときも、瞋九龍か清林峰の前峰主、清樹の意見に従うかで五行盟内部で真っ二つに意見が分かれたほど。
しかし前峰主である清樹は豪烈な性格の瞋九龍に比べ、己の意見をなにがなんでも通すような性分でもなかったため、別段内部で争いが起こることもなかったそうだ。
そしてそれから長い年月が経ち、あることが起こった。
貴重な霊薬の類を狙い、盗賊や彼らに便乗した、たちの悪い門派の者たちが一斉に清林峰へ襲撃をかけてきたのだ。仮にも清林峰は五行盟の一つであったにもかかわらずだ。
何故彼らがそこまでの暴挙を働いたのかは分からない。しかしあとで調べて分かったことなのだが、『清林峰に不老不死の薬がある』という噂がまことしやかに流れたのだという。
結果、不老不死を求めたものや、その薬を売ろうとしたものが真偽を確かめる間もなく押し寄せたのだ。
それが七日ほど絶え間なく続き、辺りは火の海に包まれた。清林峰は辛うじて持ちこたえたが、近隣に住む人々は巻き添えになり、家々は焼き払われ、それは酷い状有様だったという。
「清林峰は五行盟だったんだろ? 他の門派は救援に駆け付けなかったのか?」
凰黎の話を黙って聞いていた煬鳳だったが、思わず口を挟んでしまった。煬鳳の言葉を聞いた凰黎の表情は少し曇る。
「情けないことですが、当時の五行盟は既に形骸化しており全く正義の同盟でも何でもありませんでした。事なかれ主義が災いして、五行盟も中小の門派も全てが終わったあとでようやくやってくる始末。しかも、あろうことかどさくさに紛れて彼らは清林峰の持っている貴重な薬草や霊薬等の類を盗み出してしまった者もいたのだそうです」
開いた口が塞がらなかった。
火事場泥棒も良いところだ。しかも、清林峰を助けたのならまだしも、戦いが終わったあとに傷口に塩を塗るようなまねをした。
――ありえない。
それは清林峰が五行盟を去っていったのも頷ける。彼らは五行盟を見限ったのだ。しかし同時に霆雷門は、そんな彼らと真っ向から向き合うことを決意したのだろう。二度と同じ轍を踏ませないために。
それがいまも同じ思いであるのかは分からないが、しかし……。
考えは全く異なるが、しかし両方の考えも納得できないものではなかった。
戸を叩く音に気づいた煬鳳が扉を開けると、そこにいたのは少し前に清林峰の入り口で別れた黒明だった。いや、別れたというより一方的にどこかに消え去ってしまったというか。
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※索冥花と刹曾飲は存在しないのですが、麒麟竭は実在する生薬です。
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