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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)

040:犀安騒動(三)

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「失礼します」

 凰黎ホワンリィとともに煬鳳ヤンフォンが入ると、皆の視線が一斉に煬鳳ヤンフォンに集中した。

(な、なんだ!?)

 驚いて後退った煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィが支えてくれる。我に返って足を踏みしめ、もう一度室内の様子を観察する。広々とした部屋に大きな机。そこには五行盟ごぎょうめい掌門しょうもんや長老たちとその弟子が数名ずつ座っている。異なっているのは、雪岑谷せきしんこく谷主こくしゅが閉閑修行中であるために、長老と弟子しかいないことくらいか。

 そして彼らの煬鳳ヤンフォンを見る視線からは不気味なほどの敵意と畏れが、盟主の部屋の中に渦巻いているように感じられた。

 視線の中に、蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅである静泰還ジンタイハイもいる。彼から感じるのは幸い、畏れでもなく敵意でもない、どちらかと言えば心配や不安といった感情だった。
 彼は何と言っても凰黎ホワンリィの親のような存在だ。特に凰黎ホワンリィと共に暮らすようになってからは顔を合わせる機会も少なくはない。だから、その静泰還ジンタイハイに敵意を向けられていないと分かって内心煬鳳ヤンフォンはほっとした。

「皆さん! 我々は盟主様より依頼を受けた清林峰せいりんほうの事件を解決して参りましたので、そのご報告にあがった次第です」

 部屋に渦巻く様々な感情を打ち消すように、凰黎ホワンリィが叫ぶ。

「その報告は既に他のものより報告を受けている! それより問題はそこではない!」
「そうだ! 黒冥翳魔こくめいえいまが蘇ったそうではないか!」

 ――黒冥翳魔こくめいえいまだって?

 その名前には薄っすらと憶えがある。確か、五行盟ごぎょうめいができた切っ掛けになった、伝説の大罪人の名だ。しかし、その人物が蘇ったというのは一体どういうことだろうか。確か彼は肉体を滅ぼされ、それでもなお災厄をもたらそうとしたために五行盟ごぎょうめいによって封じられたはずなのだ。

「皆、落ち着いて欲しい。一方的に問い詰めるだけでは何も聞くことはできないだろう」

 大きく二度、鸞快子らんかいしが手を叩き五行盟ごぎょうめい一同に呼びかけた。それが功を奏したのか部屋の中に淀む悪意が霧散して、皆の気分も落ち着いたようだ。

「盟主様、私のほうから彼らに質問をしても?」
「構わぬ。儂は面倒な質問が苦手でな、そなたに全て任せよう」
「有り難く」

 瞋九龍チェンジューロンの返答に恭しく頭を下げた鸞快子らんかいしは、座る五行盟ごぎょうめい代表たちの脇を通りながら煬鳳ヤンフォンたちに向かって問いかける。

清林峰せいりんほうでの君たちの活躍がどんなものであったかは、あらかた報告を受けて既に我々は知っている。なんでも清林峰せいりんほうが頼んで来たのは連続殺人事件の犯人捜し、そして犯人は貴重な清林峰せいりんほうでの神薬を盗んで使っていた神医であったとか」

 貴重な神薬、という言葉に周囲がざわつく。
 普通、いまの話で驚くべきところは『神医だと言われていた者が神薬を盗んで使っており、あろうことか連続殺人事件の犯人だった』ということのほうが驚くと思うのだが、皆が興味をいだいた場所はどうやら違うようだ。
 ……反応があまりに正直すぎて、煬鳳は薄笑いを禁じ得ない。

「はい。相違ありません」
「では次に。貴重な神薬とは清林峰せいりんほうの切り札ともなりうる、奇跡の力を持つ薬であったのだとか?」
「ええ。しかしその薬は未完成であったうえに今現在その薬は全て使い切ってしまったため、存在しておりません」

 使い切ったという言葉にまた皆がざわつく。

「お前達は清林峰せいりんほうから貴重な薬を譲り受けたそうではないか!」
「はい。残り僅かな薬を、彼――煬昧梵ヤンメイファンの持病を治すためにと我々に下さいました。当然ながら薬は既に服用してしまったため、この世には存在しておりません」
「そういうものは五行盟ごぎょうめいに収めるのが通例だろう!」
「報酬であればそうしたでしょう。しかし薬を頂いたのはあくまで治療のための処方として彼に渡されたものです。しかも未完成であり力のない者が使用すれば危険が伴うことも説明を受けた上でなお服用を勧められたのです。五行盟ごぎょうめいに収める道理はどこにもありませんが」
「なんだと!? 無礼な!」

 彼らの怒りの一つはどうやら『貴重な霊薬を飲み切ってしまった』ということらしい。黒明ヘイミンのこともあり、早めにあの薬を飲むことにしたが、凰黎ホワンリィが急がせたのはきっと彼らのこういう意見が出ることも予想したうえだったのかもしれないと煬鳳ヤンフォンは思った。

(もしかしたら副作用の話も、ある程度言い訳として成り立つようにあらかじめ凰黎ホワンリィ清粛チンスウと示し合わせておいたのかも……)

 聡明な凰黎ホワンリィのことだ。わざわざ薬を飲むのを急がせたあたり、彼は神薬を五行盟ごぎょうめいの面々が奪い合うことを大方予想していたに違いない。そうでなければ、いくら未完成であり切実な状態であったとしても、未完成の薬をおいそれと煬鳳ヤンフォンに飲ませたりはしないはずだ。

「お静かに。盟主様としては、元よりジン公子が清林峰せいりんほうに赴いたのは煬昧梵ヤンメイファンの体を神医に診てもらうのためであり、盟主様からの依頼であった清林峰せいりんほうからの頼み事を聞くという件は彼らの好意で引き受けてくれたこと。彼らは本来であれば五行盟ごぎょうめいが請け負うはずの仕事を、揺爪山ようそうざんの一件で手一杯だった我等の代わりに解決してくれたのだ。よって、清林峰せいりんほうの診察で彼らから渡されたのが神薬であったのであれば、それは彼らが飲むべきものである――というのが盟主様の見解だ。異論はあるか?」

 そうまで言われては、誰も異を唱えることなどできはしない。
 正直に言って、ここまで鸞快子らんかいし煬鳳ヤンフォンたちの肩を持ってくれるとは思わなかったので煬鳳ヤンフォンは驚いた。仮に瞋九龍チェンジューロンの手伝いをしているとはいえ、ここまではっきりと、五行盟ごぎょうめいの代表たちの文句を突っぱねることができるとは。

凰黎ホワンリィの知り合いはやっぱり凰黎ホワンリィと同じで凄いんだな……)

 彼の堂々たる演説を聴き、煬鳳ヤンフォンは感心してしまった。

「さて、それでは薬の件はこれで終わりにしよう。次に問題は……黒冥翳魔こくめいえいまについてだ」

 鸞快子らんかいしの呼んだ名を聞いて皆がざわつく。

「問題は清林峰せいりんほうを出たあとに起こった。清林峰せいりんほうで殺されたものの一人に借尸戻魂しゃくしれいこん術を使い、黒冥翳魔こくめいえいまが蘇ったということ」
「えっ!? じゃあ、あいつが噂の黒冥翳魔こくめいえいまだったのか!?」

 思わず叫んだ煬鳳ヤンフォンはギロリと皆に睨まれる。慌てて凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの口を手で押さえると「静かに」と言って黙らせた。

 しかし、あの黒明ヘイミン黒冥翳魔こくめいえいまであったというのなら、納得がいくというもの。なにせ彼は借尸戻魂しゃくしれいこんを使い死体に宿っていたにもかかわらず、清林峰せいりんほうの人間に気づかれることもなく動き回っていたのだから。
 そして何より、彼が使った――強力な炎。

煬昧梵ヤンメイファン、君の予想は正しい。きみたちが『黒明ヘイミン』と呼んでいたものの正体はかの黒冥翳魔こくめいえいまこと『翳黒明イーヘイミン』で間違いはないだろう。折しも最近頻発している地震などの調査を行っている際に、黒炎山こくえんざんの封印が一部解けていることを発見したばかりだった」
鸞快子らんかいし。確かに黒冥翳魔こくめいえいまと思しき者と我々は一度衝突しました。しかし煬昧梵ヤンメイファンの働きによって彼はまた体を失っていずこかに消えて行ったのです」
「それは承知している」

 凰黎ホワンリィの言葉に鸞快子らんかいしは頷く。そして盟主の方を彼は見た。鸞快子らんかいしから視線を送られた瞋九龍チェンジューロンは「あー、ゴホン」と咳ばらいをしたあと悠々と立ち上がる。

煬昧梵ヤンメイファン。そなたが使っていた翳炎えいえんについて、私は尋ねたい」
「俺に? 黒い炎――じゃなくて、翳炎えいえんのことを?」
「そうだ。見た者の話では、黒冥翳魔こくめいえいまですらそなたの使う翳炎えいえんに驚いていたそうではないか。まるで――自分と同じ炎であるかのように」

 その言葉に、煬鳳ヤンフォンは息を飲む。
 男が言っていたあの言葉。

『聞きたいのは俺の方だ。その翳炎えいえん、どうして使えるんだ?』

 煬鳳ヤンフォン翳炎えいえん翳黒明イーヘイミン翳炎えいえんがぶつかった瞬間、煬鳳ヤンフォンも気づいたのだ。彼の使う翳炎えいえんと、黒曜ヘイヨウの纏う翳炎えいえんが、同一のものであることを。

 言うべきか迷い、凰黎ホワンリィの顔を見る。凰黎ホワンリィは小さく首を振り『自分に任せて欲しい』と言っている。煬鳳ヤンフォンは頷くと、凰黎ホワンリィにこの場を任せることに決めた。

「お言葉ではありますが盟主様。確かに煬昧梵ヤンメイファン黒冥翳魔こくめいえいまが操る炎は似ておりました。しかし、だからといってこの世の中似ているからどうということはありません。火行の門派の者が火を操り、水行の門派もまた水を操るすべを覚えるように、ちょっと似ているというのはよくある話です」
「もっともらしいことを言って我等を惑わせる気か!」
翳炎えいえんを使うというのなら、この男は黒冥翳魔こくめいえいまが姿を変えているだけではないのか!?」
「そうだ! 今すぐ捕らえ尋問して吐かせなければならない。それが五行盟ごぎょうめいの使命なのだから!」
「お待ちください。仮に同じものであったとしても、似たものであったとしてもそれが何なのでしょうか? 彼は蓬静嶺ほうせいりょうの近くにある玄烏門げんうもん掌門しょうもんに育てられ、私はそれなりに幼い頃からどんな人間であるかを知っています」
玄烏門げんうもんだと? ごろつきばかりで評判の悪い、山賊やならずものと変わらぬ弱小門派ではないか!」

 誰かがそう叫んだが、微かに霆雷門ていらいもん掌門しょうもんである雷閃候レイシャンホウの表情が曇ったのを煬鳳ヤンフォンは見てしまった。

(その弱小門派に術も使わず負けた掌門しょうもんがいるからな……)

 ごろつきばかりなのも真実なので、あまり怒りも湧いてはこない。むしろこんなときにやり玉に挙げられてしまった雷閃候レイシャンホウが少々気の毒だ。

 しかし、そんなことよりも煬鳳ヤンフォンが気になったのは凰黎ホワンリィの言葉だ。煬鳳ヤンフォン自身は凰黎ホワンリィと会ったのは前掌門しょうもんに連れられ蓬静嶺ほうせいりょうを訪れるようになったあとのことだと思っていた。それも周囲の門派合同での比武に参加するようになってからのことだから、少なく見積もっても十三、四くらいの頃だと思っていたのだ。しかし、凰黎ホワンリィの今の発言から推測するに、彼はそれよりもっと昔から煬鳳ヤンフォンを知っていたように聞こえる。

(俺、いつ凰黎ホワンリィと初めて会ったんだろう?)

 今はそんなことを考えている場合ではない、しかし気になるものは気になる。あとで絶対に尋ねようと心に留めると煬鳳ヤンフォンはいったんその疑問を頭の水に追いやることにした。

 そしてどうやら、この部屋の中で最も息まいているのは雪岑谷せきしんこく瞋砂門しんしゃもんの一代弟子たちのようだ。盟主の瞋九龍チェンジューロンは表立って煬鳳ヤンフォンのことを責め立てようとはしないが、門弟たちがああもいきり立っているのを見ると本心ではどう思っているか怪しい限り。

「静かに。ここで皆が言い争っても仕方ないこと。いま一番の問題は黒冥翳魔こくめいえいまが魂魄だけとはいえ蘇ってしまったこと、そして黒冥翳魔こくめいえいまがこれからどうするつもりなのか。再びこの地に厄災をもたらすつもりなのか、復讐をするつもりなのか、ということではないだろうか?」

 鸞快子らんかいしの言葉に一同は黙る。鸞快子らんかいしも若いが、凰黎ホワンリィよりは上なので同じようなことを言ったとしても多少は耳を傾けてくれるようだ。

「だがしかし、もし煬昧梵ヤンメイファン黒冥翳魔こくめいえいまと繋がりがあるのなら、その男は我等にとって危険な存在ということになるのでは?」

 それでもまだ文句を言ってくる奴がいるのだからたちが悪い。黙って聞いていた煬鳳ヤンフォンもさすがに堪りかね、大声で叫んだ。

「あーもう! なら俺が黒冥翳魔こくめいえいまとは無関係だって自分で証明してくる! それでいいだろ!?」

 言ってからしまったと思ったがもう遅い。
 助けを求めて凰黎ホワンリィを見たが、すぐさま頭を抱える凰黎ホワンリィ鸞快子らんかいしの姿が目に入った。

 ――俺のばか! 余計なこと言っちまった……!
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