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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)

053:狐死首丘(十一)

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「お前に渡そうと思ってたものがあったのを、寝る前に思い出してさ。ここを発つ前に渡さなきゃって持って来たんだ」
「へ?」

 彩藍方ツァイランファンは無造作に手に持っていたものを、煬鳳ヤンフォンの前に差し出す。真っ白な手巾の上に乗っているのは古びた香包で、持ち手の紐が焦げて切れてしまっている。しかし一目でそれが幼い頃身に着けていたものであると、煬鳳ヤンフォンは気づいた。

「これ……! もしかして!」
「俺が初めて鋼劍こうけんに戻ってきたときに見つけたんだ。噴火で逃げたときに落としたんだろう。もしお前に生きて会えたら、渡そうと思ってずっと持ってた」
「もうずっと昔に諦めてたんだ! 藍方ありがとな!」

 感極まって彩藍方ツァイランファンに抱き着いてしまったが、すぐに煬鳳ヤンフォンは体を離す。彩藍方ツァイランファンは少し照れ隠しでブツブツと文句を言っているようだったが、煬鳳ヤンフォンは心から彼に感謝の眼差しを向けた。

「いつまでも子供じゃねえんだから、しっかりしろよ。煬鳳ヤンフォン。……あ、それからもう一つ言わなきゃいけないことがあるんだ。お前の守り袋の中に入ってた石なんだけどな。昔見せて貰ったことがあっただろ」
「ああ。俺の名前が刻まれてたから、よく見せびらかしてたな」
「いまこうして彩鉱門さいこうもんで色んなことを覚えて気づいたんだけど、あの石。人界にんかいには存在しない鉱石だと思う」
「は!?」

 突然降ってわいた事実になんと答えて良いものか。煬鳳ヤンフォンは分からずに素っ頓狂な声をあげてしまった。

煬鳳ヤンフォン。……差し支え無ければ、その石を見せて頂いても良いですか?」
「もちろんさ。減るもんじゃないしな」

 そう言って煬鳳ヤンフォンは二つ返事で香包の中に手を入れる。実のところ、煬鳳ヤンフォン自身あの火事で両親の形見である香包を失ってから十五年、いちども中身を見る機会がなかったのだ。だから、香包の中にある鉱石に刻まれた己の名をもう一度確認してみたかった。
 彩藍方ツァイランファンもそれは同じだったようで、煬鳳ヤンフォンが香包から鉱石を取り出すさまを食い入るように見つめている。

「――ほら。これ」

 中に入っていた鉱石の欠片を、煬鳳ヤンフォンは三人に見えるように差し出した。小黄シャオホワンは石を見て何か感じるところがあったのか、すぐさま凰黎ホワンリィの後ろに隠れてしまった。

「やっぱりそうだ。この鉱石は俺が知らない力を持っている。間違いなく人界にんかいの鉱石ではないと思う」
「そんな……」

 では一体自分の両親はどこからやってきたのか?
 何故この人界にんかいにやってきたのか。今はどこでどうしているのか。
 しかしそれを知る手段はいま存在しない。
 いまさらその事実が分かったところで、それが一体何になるのだろうか?
 煬鳳ヤンフォンは突然判明した事実に、ただただ混乱するのみだった。

    * * *

 彩鉱門さいこうもんをあとにして、煬鳳ヤンフォンたちは一先ず黒炎山こくえんざんを下りはじめた。このあとどうするか、についてはいまもなお頭の痛いことこの上ない。

「あ~あ。絶対にどやされるだろうな。また妙な空気にならなきゃいいけど……はぁ」
ヤン大哥にいに、さっきからずっと溜め息ばっかり」
「まあ、大哥にいににも色々あってな」

 凰黎ホワンリィと交代で小黄シャオホワンを抱えながら山道を下りる。五行盟ごぎょうめいのことも頭が痛い話だが、実は小黄シャオホワンのことも気がかりだだった。
 成り行きで小黄シャオホワンと行動を共にしているが、小黄シャオホワンの身内は一体どこにいるのか、小黄シャオホワンはどこの誰なのか、今のところ全く手掛かりはない。

(とはいっても、ずっとこのままでいるわけにはいかないよな。こいつにも家族がいるだろうし……もしも将軍の息子なら、家臣たちだっているんだろうからなぁ)

 共に行動してしばらく経つが、小黄シャオホワンは自分のことを一切煬鳳ヤンフォンたちに語ってはいない。黒冥翳魔こくめいえいまのこともあって話す暇もなかったのだが、いずれは聞かねばならぬだろう。

小黄シャオホワン、喉が渇きませんか? 少し休憩を取りましょうか」

 もうすぐ山を下りるというところで、凰黎ホワンリィがそう言った。先ほどまでは岩場が多かったが、ようやく緑が茂る場所までやってきたらしい。耳を澄ませば水の流れる音が聞こえる。

「はい。どうぞ」

 川辺の岩に腰かけた小黄シャオホワンは、凰黎ホワンリィが差し出した水筒を受け取ると、一心不乱に水を飲みはじめた。

黒炎山こくえんざん翳炎えいえんの影響で地熱が常に高いからな。子供じゃきついだろう」

 そんな小黄シャオホワン煬鳳ヤンフォンは目を細める。
 鍛冶を生業としていた鋼劍こうけんの人々と同様に、彩鉱門さいこうもんがここに拠点を置いた理由もまた同じ。そのお陰で煬鳳ヤンフォンは幼馴染みを失わずに済んだのだから感謝しなければ、と思う。

「ねえ小黄シャオホワン、貴方のことを聞かせてくれませんか?」

 そう切り出した凰黎ホワンリィの言葉に、小黄シャオホワンの手が止まる。煬鳳ヤンフォンも傍に腰かけて二人の様子に注視した。

「僕、のこと?」
「そう。貴方のこと。……いつまでもこうしていては、ご両親や貴方の身の回りの人たちが心配するのではないですか?」

 小黄シャオホワンは俯く。

「私たちは貴方にできる限りの協力をしたいと考えています。もし信じて頂けるなら――この黒炎山こくえんざんで一体何がおこって、貴方は一人になったのか。貴方はどこから来たのか。可能な範囲で私たちに教えてくれませんか?」

 嫌な役を押し付けてしまった、と煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに申し訳なく思う。こういうことが下手な煬鳳ヤンフォン小黄シャオホワンに尋ねたら、きつい物言いをして泣かせてしまっていたかもしれない。その点凰黎ホワンリィの語りは穏やかで、質問も無理やりな感じはない。

「…………の……」

 俯いた小黄シャオホワンが小さな声で何か言った。

小黄シャオホワン? もう一度言って貰えますか?」
「わから、ないの……」
「分からないって、何が?」

 凰黎ホワンリィ小黄シャオホワンの顔を覗き込もうとして動きを止める。ぼたぼたと大粒の涙が小黄シャオホワンから零れていた。

「僕、何も分からないの。なんでここにいたのか、家族が誰なのか、周りにいた人も、みんな分からない……」
「じゃあさ、小黄シャオホワン。お前が『ホワン』って言ったのは?」

 驚いた煬鳳ヤンフォン小黄シャオホワンに尋ねる。小黄シャオホワンはビクリと体を竦ませて、小さな声で煬鳳ヤンフォンに「なんとなく、浮かんだから……」と答えた。

 ということはつまりだ。
 彼の『ホワン』という名すら、怪しいということ。

(これは、どうすりゃいいんだ……?)

 煬鳳ヤンフォンはまたも頭を抱える羽目になってしまった。

五行盟ごぎょうめいには小黄シャオホワンのことは伏せておきましょう」
「なんでだ凰黎ホワンリィ? 黒冥翳魔こくめいえいまのことと、小黄シャオホワンは無関係だし、五行盟ごぎょうめいに頼んで小黄シャオホワンの身内を探して貰ったほうがはやく見つかるんじゃないか?」

 急にそんなことを凰黎ホワンリィが言い出したので煬鳳ヤンフォンは驚く。

「ええ、そうかもしれません。ですが、五行盟ごぎょうめいは我々に対しても先日の一件ですら正面から拘束しようとせず、人目を忍んで我々に危害を加えようとしました。彼らに小黄シャオホワンを託し、情報を与えるのは良くないような気がするんです」
凰黎ホワンリィの勘ってやつか?」
「う~ん、勘というより……。例えば、万に一つ小黄シャオホワンが睡龍の外にある国の皇子だったりしたら、五行盟ごぎょうめいは彼を利用して貴族に近づこうとするでしょう。仮に彼が王族でなくとも、身なりから推察すればそれなりの良家の出身である可能性が高いですから、やはり油断はできません」

 何故凰黎ホワンリィが睡龍の外まで話を出したかといえば、小黄シャオホワンの置かれていた状況があまりにも特殊だったので、そういった事情を加味しているようだ。侍従ものすら一人とも見えず、死体すら残らない。争った形跡もないが、幼い小黄シャオホワンは何故かたった一人、高貴な袍を纏ったままの姿で黒炎山こくえんざんの中腹で泣いていた。

 あまりにも不自然、ということらしい。

 五行盟ごぎょうめい含め、大きな門派はそれこそ国家とまでは行かずとも、州刺史くらいの力は持っている。そして幸いにして特殊な土地の事情もあり、他国の権力が及ばぬ場所でもある。しかし、門派の者たちが外部の国と関係を持ちたくないかといえば、それは違う。
 彼らは他の国と対等な存在として、いつの日か肩を並べたいと考えているものも少なくはない。
 そのように考える野心家も数百年のあいだにおいて全く存在しないわけではない、という話なのだ。

「う~ん、それなら俺たちが五行盟ごぎょうめい本部に行ってるあいだ、蓬静嶺ほうせいりょうに預けるか?」
蓬静嶺ほうせいりょうでも良いでしょうが、やはり蓬静嶺ほうせいりょう五行盟ごぎょうめいです。嗅ぎつけられて因縁をつけられても面倒でしょう。やはり善瀧シャンロン夜真イエチェンもいる玄烏門げんうもんが最適かと」

 そうはいっても煬鳳ヤンフォンは素直に「そうだな!」と同意し辛い。しかし、蓬静嶺ほうせいりょう五行盟ごぎょうめいの一つである以上、そして嶺主りょうしゅの負担になることを思えばやはり五行盟ごぎょうめいとは無関係の玄烏門げんうもんがいいだろう。
 何より、玄烏門げんうもんの門弟たちはみな屈強な男ばかりで、掌門しょうもんのような余程の高手が出てこない限り、彼らの敵ではないはずだ。

(ただ……)

 もう一つ、煬鳳ヤンフォンが懸念していることがある。

「あいつら顔が怖いんだよな……」

 玄烏門げんうもんの荒くれものたちを一人一人思い浮かべる。いまはみな心を入れ替えて憎めない奴ばかりだが、とにかく見た目が山賊だ。
 こればかりは、どうにもならない。


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