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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)

077:魔界太子(一)

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 次の日。客棧きゃくさんの前に停まった馬車を見て煬鳳ヤンフォンは度肝を抜かれた。
 どこの皇族が乗るのかという、豪華な作りの馬車。御者の装備も『いかにもな皇家直属』と分かるような立派なもので、周りには護衛の従者が十数人ほど囲んでいる。

 魔界まかいの皇太子が迎えを寄越すとは言っていたが、ここまで大げさな出迎えをする必要があっただろうか?
 次の日まで待たせるなんて、などと思ったがここまで丁重なお迎えとなればそりゃあ準備に時間がかかるだろうし、礼儀を考えたら一晩泊まらせることは妥当だろう。

 面倒なことにあまりに仰々しい出迎えだったため、またもや野次馬が客棧きゃくさんの周りに集まってくる。これ以上人が増えたら魔界まかいどころではなくなってしまう。
 食べかけの朝餉を放り出して煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと共に客棧きゃくさんの外に飛び出した。

「これは一体どういうことなんだ!?」

 彼らを率いてきたと思われる、彼らよりいくぶんか立派な身なりをした男が煬鳳ヤンフォンに向かって拝礼をする。しかし、なぜ彼はそんな仰々しい挨拶を煬鳳ヤンフォンたちに向かってとるのだろうか?

「お初にお目にかかります、ヤン公子。私は魔界まかいの皇太子殿下にお仕えする、劉鋼雲リウガンユンと申します。殿下に代わって公子をお迎えにあがりました」
「はい!?」

 一体彼がどのような身分なのか、煬鳳ヤンフォンにはピンとこなかったが、とにかくそれなりに偉い人間であるということは理解できた。それにしても、『ヤン公子』などという呼び方をされるのは、五行盟ごぎょうめい雷閃候レイシャンホウにどこかの公子と間違えられて以来だ。しかし、いくらなんでも初対面の魔界まかいの人間たちにそこまで恭しくされるとなんだか不気味で仕方がない。

「お、俺、そんな丁寧に挨拶されるようなもんじゃないよ」

 慌てて劉鋼雲リウガンユンに訂正したのだが、劉鋼雲リウガンユンは気にする様子もなく柔らかく煬鳳ヤンフォンに笑いかける。魔界まかいの人間とは言うが、やはり外見を見ても煬鳳ヤンフォンたちとなんら変わることはない。煬鳳ヤンフォンに向けた笑顔もまた然り。

「そう仰いますな。皇太子殿下はヤン公子のことをずっと探しておられたのです。よもやこのような場所で貴方様を見つけることができるとは、なんたる幸運でしょう。まさにこれは運命というもの……」
「ちょっと、話がよく分からないんだけど……」
「いまここで全てを申し上げるわけには参りません。どうかお乗り下さい。すべては魔界まかいに着いてからお話しいたしましょう」

 確かに魔界まかいの話を堂々と人前でするわけにはいかない。周りには既に沢山の野次馬がいるのだ。
 食べかけの朝餉のことを思い出しながら、煬鳳ヤンフォンは背後にいる凰黎ホワンリィを見た。苦笑しながら凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの肩に手を乗せる。

「……まずは馬車に乗りましょう。ずっとここにいても人は増えるばかりです」

 凰黎ホワンリィの言う通りだ。これ以上人が増えるくらいならさっさと乗ってしまった方がまだマシだ。

「そうだな。じゃあ、乗せて貰うよ」

 煬鳳ヤンフォンが答えるとさっと従者が二つに割れて馬車までの道をあける。

凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを頼んだ」
「言われなくても」

 鸞快子らんかいしの言葉を凰黎ホワンリィは軽く受け流す。煬鳳ヤンフォンはそんな二人を不思議な気持ちで見ているだけだったが、馬車に乗り込む前にふと振り返り、見送る鸞快子らんかいしの姿を見た。

『必ずまた会える。それまでさらばだ』

 声こそ届かなかったが、口元は確かにそう動いていた。煬鳳ヤンフォンは頷き軽く手をあげると、馬車の中に入っていった。

「良かったのですか? 別れの言葉くらい、言っても良かったのに」

 馬車の中から外の様子を窺っていると、隣に座る凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに囁く。

「うん。もう昨日話したいことは話したし。多分伝わったと思うから大丈夫だ」

 答えたあと煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの手を握る。これから魔界まかいに行くのだと思うと緊張しないわけはない。
 せめて昨日のうちにサラっと魔界まかいに入っていたら、ここまでの緊張はなかっただろう。魔界まかいの一行が急にやってきたことは本当に計算外だった。

「先ほど霧谷関むこくかんを超えました。もう魔界まかいの領域ですよ」

 馬車の外から入ってきた劉鋼雲リウガンユンはそう言うと煬鳳ヤンフォンたちの向かいに座る。

「それで、俺たちは王城でも行くのか? 魔界まかいの皇太子殿下に会うんだろ?」
「はい。皇太子殿下は貴方がたをさる場所でお待ちしています。――ただ王城はいま都合が悪いので、もう少し話すのに不都合のない場所をご用意しました」

 そういえば魔界まかいの皇族事情は複雑だった。
 現皇帝である鬼燎帝きりょうていと皇太子とは権力争いの最中であり、それゆえに彼らは恒凰宮こうおうきゅうの頼みを聞いている余裕はなかったのだ。

(でも、それでも俺たちに会うってことは?)

 少なくとも多少の興味を持って貰えているということだろうか、と煬鳳ヤンフォンは考えた。

煬鳳ヤンフォン、緊張していますか?」

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンのことを心配そうに見ている。

「少し。……でも別に平気さ。人と会うだけだし、五行盟ごぎょうめいへ行ったときに比べたら全然気楽だよ」

 馬車の外から聞こえる人の声が、俄に増えてくる。どうやら少しずつ人の多い場所へと動いているらしい。外の様子が気になる煬鳳ヤンフォンのためにか、劉鋼雲リウガンユンはここが一体どのような場所であるかを説明してくれた。

「皇帝陛下のお膝元である昏坑九十一京こんきょうきゅうじゅういっけいは、かつての九十一の国が一つになって出来上がった都なのです」
「噂では聞いたことがあったけど、随分と豪快な話だな」
「まったく持ってその通りです」

 歯に衣着せぬ物言いの煬鳳ヤンフォン劉鋼雲リウガンユンは苦笑する。

「ですが――九十一もあった国を一つに纏めるというのは本当に凄いことだと思います。寧ろかなり無茶をしたように思えるのですが……」

 凰黎ホワンリィの言葉に、劉鋼雲リウガンユンは「仰る通りです」と頷いた。皇帝と皇太子が争う状況で、皇太子の使いとしてやって来た彼は、やはりどちらかといえば皇太子側の人間なのだろう。

「馬車から降りる前に話しておいた方が良いでしょう。凰様が仰った通り、この都にはさまざまな国の、さまざまな種族の者たちがかなり不自然な状態で暮らしています。当然、不満もかなり溜まっているというわけです。見えないところでの犯罪も多く、夜はかなり危険な状態です。――くれぐれも、外を歩くときはお二人とも離れぬよう、必ずなにがあったときも己の身を守れるようにお気をつけ下さい」

 給仕の青年も話していたことではあるが、やはり魔界まかいというのは気楽に行けるような場所ではなかったようだ。
 そうこうしていると御者の声が聞こえ、緩やかに馬車が動きを止めた。

「さあ、皇太子殿下がお待ちの場所に着きました。降りるときは足元にお気をつけて」

 先に降りた劉鋼雲リウガンユンが外にいる従者たちに道をあけるよう指示を出している。そのうちの一人が走っていったので、恐らく皇太子の元に煬鳳ヤンフォンたちが到着したことを伝えたのだろう。

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに向かって手を差し出す。その手の上に己の手を載せるのはいささか恥ずかしかったのだが、迷っているうちに手を掴まれて強引に引き寄せられてしまった。
 当然ながら、勢い余って凰黎ホワンリィの腕の中に煬鳳ヤンフォンは収まってしまったわけだ。

魔界まかいの人たちが見てるんだけど!?)

 すぐに離れようとしたが、涼しい顔で凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを離そうとはしない。結局ひとしきり従者たちの注目の的になったあとで、ようやく二人は劉鋼雲リウガンユンに向き直ったのだった。

 凰黎ホワンリィの腕から解放され、煬鳳ヤンフォンは 改めて魔界まかいの空を見る。まだ朝のはずなのに空は薄っすらと紫を帯びていて、赤い月が浮かんでいた。遠くでは微かに羅刹鳥らせつちょうの鳴き声が聞こえ、この世界全体の陰気の強さを表しているようだ。

「ではお二人とも、こちらへ」

 劉鋼雲リウガンユンは門の中へと歩き出す。門をくぐって見上げてみれば、立派な屋敷が視界に入る。やや昔に作られた建物のようだが、隅々まで彫り込まれた装飾や手入れの行き届いた庭園を見るに、いまに至るまでそれなりの手間暇をかけているのだということが分かった。

「劉将軍、ご苦労様でした」

 中庭を抜けた先に立っていたのは白髪の老人だ。ゆったりとした長袍を着ているが、動きはどことなく気品があって、かつては高い地位にいたことを思わせる。劉鋼雲リウガンユンとのやり取りから類推するに、彼と同じか少し上の立場のものだろうか。
 もしかしてこの人が魔界まかいの皇太子なのか?
 一瞬そんな考えも浮かんだが、違っていたら大惨事だ。どうすべきかとおろおろしていると、老人のほうが先に名乗った。

「儂は皇太子殿下のお世話をしている翁汎ウェンファンと申します。この度は遠路はるばる魔界まかいにようこそ。……ささ、殿下がお待ちです」

 煬鳳ヤンフォンたちは名乗る間もなく翁汎ウェンファンに奥へ行くよう促される。彼は煬鳳ヤンフォンたちの名前より、皇太子に会わせることを優先させたいようだ。煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィは大人しく翁汎ウェンファンのあとについて歩く。やがて風雅に竹が生い茂る場所の向こう側に、部屋が見えてきた。

 よくよく見れば、部屋の中には青年が一人。
 しかし椅子に腰かけ物静かに書を読む青年の脇には、端正で穏やかな横顔とは裏腹に物々しい剣が立てかけられている。よく見れば青年の出で立ちも思った以上にいかめしく、甲冑こそ身に着けていないものの、纏っているのは軍服のようだった。

「あちらが魔界まかいの皇太子殿下のおわす……」

 老人が言いかけたところで、部屋の奥にいた人物が勢いよく立ち上がる。凰黎ホワンリィより年上には違いないが、随分と若い男だ。男はぱあっと華やかな笑みを浮かべると、凄まじい足音を立ててこちらに向かってきた。
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