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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)

093:首都探索(七)

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神羅石しんらせきが皇族の血と引き合うことは本当だ。しかしお前さんの言うような都合よく霊力を分けるために使うのは難しいじゃろうな。なにより、その魂魄の残滓とやらは完全に小僧の一部となっているようじゃからのう。引き付けるとしたら両方の意識がくっついてくるじゃろうよ」
「そうですか……」
「己の目で見て見ぬことには信じられぬか? いいじゃろう。…そこの小僧と鳥。近くに来い」

 来いと言われた煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウは二人で顔を見合わせ、恐る恐る沌混老とんこんろうの元まで歩み寄る。怖いと思ったことはさらさらないが、ただこの老人が一体なにを考えているのかが分からなかった。沌混老とんこんろうは懐から筆を取り出すと煬鳳ヤンフォンの手と黒曜ヘイヨウの身体にその筆を塗り付ける。

「怯えることはない。これは神羅石しんらせきを砕いて水に混ぜたものじゃ」

 拝陸天バイルーティエン神羅石しんらせきをたいそう貴重な鉱石だと言っていたが、それを砕いて粉にするのは勿体ないような気もする。そう思った煬鳳ヤンフォンだったが、敢えてそのことは口にしなかった。
 煬鳳ヤンフォンたちに筆を走らせた沌混老とんこんろうは、何やら呪文のような言葉を唱え始める。

「その呪文!」

 煬鳳ヤンフォンはすぐにそれが何であるかに気づく、何故ならついぞ先日、拝陸天バイルーティエン煬鳳ヤンフォンに滴血を試したときに言った言葉だったからだ。
 同時に煬鳳ヤンフォンたちに塗られた筆跡がうすぼんやりと紫に光出す。

「驚いたか? 本来は血を垂らして石を翳すのだが、血に近い場所ならある程度は神羅石しんらせきは輝くのだよ。そして今の言葉は呪文でも何でもない。この国を作った皇帝が民の前で盟誓した――皇帝としての誓いだと伝えられておる。ゆえに神羅石しんらせきは言葉と皇家の血に反応し、光るというわけなのじゃ」
「そう聞くと、なんだかちょっと不気味だな」

 なんだか神羅石しんらせきに込められた、皇帝に殺されたものたちの執念がそうさせているように思え、少し気味が悪かったのだ。

「その通り。神羅石しんらせきはかつての皇族であった者たちの血からできたと伝えられ、だからこそ神羅石しんらせきもこの言葉に反応を示し、己を殺した一族を指し示すということじゃな。しかし、所詮言い伝えはただの言い伝えでしかないし、そのような呪われた鉱石の存在を、儂は信じてはおらぬがの」

 煬鳳ヤンフォンの不安を感じたのか、沌混老とんこんろうは真面目な顔で語り始める。

「そもそも、真実であるならば神羅石しんらせきは皇族にとって有害であるはずだし、長い年月の中で取り殺された者がいても不思議ではないが、当然そのようなことは一切無い。あくまで伝承は伝承だ」
「じゃ、じゃあ……」

 神羅石しんらせきに纏わる話はただの伝説ってことだな――と、煬鳳ヤンフォンは言いかけた。

 ――が、沌混老とんこんろうが続きを話そうとしているのを見て、いったん言葉を引っ込める。

「ただ、事実として特定の言葉を口にしたとき、神羅石しんらせきの力を通して血は光る。つまり……これはある意味、特定の咒を増幅する力を持っているとも考えられる。まあ、だからといって、そこに害があるわけではない。伝説のほうに関しては所詮ただの言い伝えじゃからの」
「よくわかんないんだけど。結局どういうことなんだ?」
「恐らく神羅石しんらせきは、いにしえの頃に皇族の誰かが元々作り出した鉱石なのではないかと思うのだ。戦いに勝つためにより強い鉱石を求め、己の力を鉱石に込めた。そういうことではないかと――」

 沌混老とんこんろうはそこまで言って――次の瞬間に大きく目を見開いた。煬鳳ヤンフォンは彼がなににそこまで驚いているのか分からずに「どうしたんだ? 爺さん」と尋ねる。
 しかしよくよく見れば凰黎ホワンリィ翳黒明イーヘイミンも、金貪ジンタン銀瞋インチェンも何故か煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウを凝視していた。

「おい、みんなして一体どうしたっていうんだ? 俺になにかついてるか? それとも黒曜ヘイヨウか?」

『クエェ?』

 黒曜ヘイヨウも何がなんだか分からずにキョトキョトと周りを見回す。けれどやっぱり二人とも何故なのかは理解できない。

「いえ、煬鳳ヤンフォン……」

 凰黎ホワンリィがやっとの思いで声を絞り出した。

「その、小鳳シャオフォン坊ちゃま。貴方が背負われている永覇ヨンバが……」
永覇ヨンバ?」

 不思議に思って煬鳳ヤンフォンは背後を振り返り、剣の様子を確認する。しかし次の瞬間、

「あっ!?」

 煬鳳ヤンフォン自身も声をあげて驚いたのだった。何故なら、煬鳳ヤンフォンの背にある永覇ヨンバから紫の光が漏れていたからだ。
 煬鳳ヤンフォンは咄嗟に永覇ヨンバを手に取った。明らかに鞘の中から光が漏れ出している。凰黎ホワンリィたちが鞘から持ち手から全て入念に布を巻き付けてくれたはずなのだが、それを突き抜けて光は漏れている。

「ど、どういうことなんだ!?」

 驚きのあまり震える声で煬鳳ヤンフォンは口にする。恐る恐る鞘から剣を抜いてみると、強い紫の光が剣から溢れていた。
 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの手の中にある永覇ヨンバをまじまじと見て、そして沌混老とんこんろうに尋ねる。

沌混老とんこんろう大人たいじん……。先ほど『皇家の血が流れるものはこの咒に血が反応する』と仰いましたね」
「い、いかにも……」
「ならば『咒は皇家の血に反応する』という可能性はあるのでしょうか?」
「……十二分にある」

 そう答えた沌混老とんこんろうの声は苦し気だった。つまり、この剣には皇家の血がついている、ということになるからだ。
 しかも、鞘から光が漏れ出すほど強く。

「ちょっと、待て! それって、どういうことなんだ!? この剣は神羅石しんらせきでできているんだろ? 神羅石しんらせきが殺された一族の血からできたっていうのなら、それで光ってるだけなんじゃないか?」
「残念じゃがそれはない。血からできた、とは伝えられているが神羅石しんらせきはそれでもれっきとした鉱石だ。言葉によって血を見定める力は増幅するが、あくまで反応するのは血であって神羅石しんらせきではない」
「じゃあ、どういうことなんだ……? だって、陸叔公りくしゅくこうはこの剣は一度も使ったことがないって……。祭祀用の剣だって……」

 それがどういう意味なのか、何故剣は光るのか。答えを出せずに煬鳳ヤンフォンは戸惑いを隠せない。凰黎ホワンリィ金貪ジンタン銀瞋インチェンも分かっているのは『一度も使われたことがないはずの永覇ヨンバには皇家の血がついている』ということ。当然それ以上のなにかが分かるはずもない。

「つまり、誰かがこの剣を使って誰かを斬った。そういうことだろう?」

 口を開いたのは翳黒明イーヘイミンだった。

沌混老とんこんろう。あなたは五百年生きていると聞いている。ならば、なにか知っていることはあるのでは? この剣は誰でも持ち出せるものだったのか?」
「いいや。これは先帝が国の安泰を願って四百年前に儂に鍛えさせた剣。皇家の廟壇びょうだんである皇魔壇おうまだんに祀られていたはずじゃ」

 煬鳳ヤンフォンの心臓が跳ね上がる。翳黒明イーヘイミンが言っているのは、もし誰も皇魔壇おうまだんから永覇ヨンバを持ち出していないのだとしたら、永覇ヨンバを持ち出したものが、皇家の誰かを斬ったということ。

 しかし永覇ヨンバ皇魔壇おうまだんにずっと保管された状態であり、それを持ち出したのは拝陸天バイルーティエンであった。これについては煬鳳ヤンフォン拝陸天バイルーティエン自らが説明したから間違いはない。
 問題は……拝陸天バイルーティエンがこの件で皇家の誰かを傷つけたのではないか、もしくは殺したのではないかということだ。

(そんな、そんなことって……)

 煬鳳ヤンフォンの脳裏に心からの笑顔を見せた拝陸天バイルーティエンの姿が浮かぶ。ようやく会えた母の兄。あれほど煬鳳ヤンフォンのことを想い、優しくしてくれた。恒凰宮こうおうきゅうへの協力も惜しまないと言ってくれた人。

(それなのに、そんなことって……)

 目の前が真っ暗になりそうだった。思わずよろけてたたらを踏むと、背後で凰黎ホワンリィが支えてくれた。

煬鳳ヤンフォン、しっかり。……殿下への信頼はそんなことで崩れるようなものですか?」
凰黎ホワンリィ……っ、ごめん。俺、不安で……」

 煬鳳ヤンフォンがどれほど不安に思っているか、察してくれているのだ。抱きしめられた凰黎ホワンリィの腕の中、煬鳳ヤンフォンは潤んだ目を袖で拭う。

「ま、待って下さい! 我々の話を聞いて下さい!」

 叫んだのは金貪ジンタンだ。

「殿下が永覇ヨンバを持ち出すよう仰せになったのはごく最近のことです。それも、止むに止まれぬ理由があってのこと。そして持ち出す前もあとも、殿下は一度たりとも永覇ヨンバを抜いてはおりません! 大切な祖父であらせられる先帝が造られた剣であるからと厳重に別邸の宝物庫に仕舞ったのです。それ以降で皇家の誰かが傷つけられたなどという話は一度もないはず!」
「そうだ! 皇帝陛下が、永覇ヨンバの代わりに新しい剣を祀るから永覇ヨンバは破棄するって言って……! 先帝が願いを込めて造られた剣をそんな扱いにはできないって殿下が! それで仕方なくすり替えて皇魔壇おうまだんから移動させるしかなかったんだ!」

 銀瞋インチェンも慌てて弁明した。
 彼らの言い分は概ね理解できるものだ。特に拝陸天バイルーティエン鬼燎帝きりょうていより先帝のほうをはるかに慕っている。もしも先帝が願いを込めた大切な剣を破棄されるくらいなら盗み出してしまったほうが良いと思うだろう。

「ごく最近というのは、どれくらいなのですか?」
ホワン殿。僅か半月ほど前の話です」
「皇家の血を引くものは皇帝陛下、皇太子殿下、それに煬鳳ヤンフォン。他にはおられるのですか?」
「いいえ。特に皇帝陛下は自らの敵になるものは一族であろうと全て排除してしまったため、魔界まかいの皇家の血は本当に限られた人間しかいないのです。陛下、殿下、小鳳シャオフォン坊ちゃまだけのはずです。当然ながら皇家の誰かが傷つけられたなどという話もありません」

 金貪ジンタンの言葉を聞いて凰黎ホワンリィは考え込む。

「では、殿下が別邸に永覇ヨンバを移したあとで剣を使った、という線は無理がありそうですね。ならば、皇魔壇おうまだんに祀られている間に何者かが永覇ヨンバを使う機会があったのか、ということ」
「仰ることはよく分かります。しかし皇魔壇おうまだんは皇家のものしか立ち入ることを許されない、神聖な場所です。しかも皇家のものでも帯剣して入ることはできません。更に言うなら永覇ヨンバが祀られていた場所は皇家の者しか立ち入ることができない結界が張ってあります。そして廟壇びょうだんの周りの警備も強固ですから、おいそれと部外者が立ち入ることはできないでしょう……」

 金貪ジンタンの言葉に皆が黙り込んでしまった。
 誰も入れぬというのなら、そこで推理は行き詰まってしまうからだ。


「ただの一度だけ、ある。皇魔壇おうまだんで血が流れたことが……」
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