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海誓山盟明和暗(不変の誓い)
117:翳桑餓人(五)
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「小黄……さっきは、有り難うな」
彩藍方が勢い込んで他の部屋へと向かったあと、翳黒明がおずおずとやってきて小黄に言った。先ほど小黄が声を掛けてくれたことで我を忘れかけていたところを正気に戻ることができたのだ。言い辛そうに恥じらう翳黒明の姿は、初めに会ったときの彼の様子が嘘のようであったし、魔界で煬鳳たちに襲い掛かってきた人物とは思えない。
小黄は鉄鉱力士に抱き上げられたままだったが、翳黒明の言葉に嬉しそうに微笑むと、彼の頬に手を当てる。
「大哥、もう平気?」
小黄の行動に驚いた翳黒明だったが、ぎこちなく笑顔を作り小黄の手に己の手を重ねた。
「ああ、もう大丈夫だ。お陰でとてもすっきりした」
「良かった。心が乱れると、だいじなものが見えないから。……だから、自分を忘れないで」
「……」
小黄の言葉に翳黒明は暫し呆然とする。
「凄いんだな、小黄は……」
感心したような、驚いたような翳黒明の声。
(黒明も子供には弱いんだな)
二人の微笑ましいやり取りを見ながら、つられて煬鳳も目を細めた。
「なにせ百年以上経っているから自信はないが……俺にも心当たりがある。急いで探してくるから、みなはここで待っていてくれないか」
翳黒明はそう言うと、足早に広間から奥の回廊へと向かっていった。
――はずなのだが。
「……なんでお前たちまでついてくるんだ? 手分けするんじゃなかったのか?」
部屋に入ろうとして……立ち止まり振り返った翳黒明が不服そうに問いかける。
「いや、なんていうか……」
きまり悪そうに煬鳳は頭を掻く。
手分けをするとは言ったものの、翳黒明を一人で行かせるのは、やはりこの場所が翳冥宮であることを考慮しても捨て置けない。結局気になった煬鳳は翳黒明のあとをついて回り、そして当然凰黎は煬鳳の傍を離れるわけもなく。
何故か三人一塊となって探索を続けているというわけなのだ。
「翳黒明。いま貴方の感情は、とても揺らぎやすく危険です。その原因は当然ながら翳冥宮での一件にあります。そしていま貴方は、煬鳳と同じように力を自由には使うことができません。ですが煬鳳も貴方同様に一人にしておくなんて出来ないでしょう? ですから、煬鳳と貴方の二人纏めて私が付き添おうと思ったのです」
「……」
凰黎はうまく弁明できなかった煬鳳のために言ったのだろうが、身も蓋もない。しかしながら、これに対しては言い返す言葉もない。そして煬鳳の隣に立つ翳黒明もまた、言い返すことができないのだ。
「……はあ、好きにしろ」
「そうします」
笑顔で引く気の一切ない凰黎に諦めたのか、翳黒明はそれ以上何も言うこともなく、無言で部屋へと入っていく。
中に入った煬鳳は、あまりの簡素な部屋に驚いた。そして、先ほどと打って変わって空気に淀みがないことに気づく。
単に天井が崩落したせいで、太陽の光が差し込んでいるせいなのかもしれない。光が集まりやすい場所ならば、自然に陰気の濃度が薄れてゆくかもしれない。
殆ど原型を留めてはいないが、かつて壁には美しい装飾が施されていたことが窺える。崩落した天井に潰されたであろう寝台は、寝台であると理解しがたいほどに腐り落ち殆ど屑のような状態だ。
静けさも相まって、時が止まった部屋――そのような印象を受ける。
「随分こざっぱりとした部屋だな」
思わず思ったままに煬鳳は口にする。
「俺の部屋だ」
「もしかして百年の間に泥棒が?」
凰黎が問いかけると、とても言い辛そうに顔をそむけたあと、
「……もとからこの状態だ。もちろん完全に、というわけでもないが、大体あるものに関して言うなら昔と何ら変わりない」
と言う。
「若者の部屋としては、かなり質素な部屋ですね。無欲というかなんというか……」
凰黎がそう言ったのも無理はない。天井は崩落し壁は剥げ、風雨にさらされてあちこちが腐り落ちている大きな寝台に簡素な机。筆一本に硯ひとつ。炭は……もはやどこにあるのか探しようもない。棚はスカスカで数冊の書物しか入っていない。
もう少し自分の好きな物であったり、家具やら置物やら置きそうなものだが、翳黒明が自らの部屋だといったこの部屋は本当に必要最低限以下のものしか置いていないのだ。
しかし、凰黎の部屋は一体どうだっただろうかと気になって煬鳳は凰黎を見る。
「なあ、凰黎の部屋はどうだったっけ?」
「毎朝何人かが花を届けてくださるので、それを飾っていましたよ」
「他は?」
「嶺主様から頂いた本がありましたよ」
「……」
どうやら凰黎も翳黒明とそれほど変わらない気がする、と煬鳳は思った。もしかすると跡継ぎというのは日々やらねばならないことが多すぎて、自分の身の回りに物を増やすということを考えられないのかもしれない。
などと思う。
そんな煬鳳たちのやり取りを無視して、翳黒明は何か探しているようだ。部屋自体に物は少ないのだが、いかんせん天井が崩落してしまった影響か、棚の一部が岩壁の下になっていた。
「手伝います」
「済まない」
手早く凰黎が翳黒明の傍に寄ると、二人で壁を脇に避ける。何もなければ力任せに吹っ飛ばせば済む話だが、思い出の品を探さねばならない以上、無茶はできない。
翳黒明は潰れた棚の奥に手を突っ込んで慎重に中のものを取り出してゆく。
重なった瓦礫の下から翳黒明が取り出したのは、本の間に挟んだ一枚の絵だった。
「……幸いにもまだ残っていたようだ」
どうやら下敷きになっていたことで最小限の損傷で済んだらしい。本の間に挟まれていたその絵は、百年以上経ったいまでも色を鮮明に残している。艶やかな牡丹やだれもが知っているような花々ではなく、草むらにひっそりと咲くような白い花。
「この花の絵に、何かあるのか?」
およそ絵にすることも無いような、どちらかといえばだれも気に留めることのない花の絵。にもかかわらず、翳黒明はその絵を大切に仕舞っていた。
色のない部屋の中でそれだけが唯一、異彩を放っている。
「約束の花。……俺と白暗はそう呼んでた」
翳黒明は愛おしそうにその絵を抱き、口にした。
絵を見つめるその瞳には、とてつもない後悔と哀愁とが映し出されている。
「約束の花? 初めて聞く名前だ」
「そりゃあそうだ。俺たちもこの花の名は知らなかった。だから、そう呼んでいた」
しかし『約束の花』というからには、何か約束があったのだろう。翳黒明と、彼の弟である翳白暗の間に。
「とにかく、これで鸞快子が必要としていたものが見つかったわけですよね?」
すぐに普段の表情に戻ると、翳黒明は頷いた。
「そうなるな」
もう少し花の話を聞きたくもあったが、翳黒明はあまり触れられたくないらしい、ということを凰黎は敏感に感じ取ったようだ。
「では、もとの場所に戻りましょう。時間も限られていることですし」
すぐに話を変えると、煬鳳と翳黒明にそう言った。
「おーい、見つけてきたぞ!」
鸞快子たちの待つ広間が見えて、煬鳳は手を振る。先ほどと変わりなく、小黄は鉄鉱力士に抱き上げられ、その傍には鸞快子と凰神偉が立っている。
二人はただ無為に時間を潰していたわけではなく、周囲に怪しい気配や変化がないか絶えず気にかけてはいたらしい。
その証拠に、広間の周囲を凰神偉の放った神侯が絶えず巡回している。
そして鉄鉱力士の横にいるもう一人。それは意気込んで一人奥に消えていった彩藍方だ。彼は煬鳳たちが戻ってきたのを見るなり、余裕の表情を浮かべた。
「なんだ、お前ら。遅かったじゃねえか」
そのなんだか妙に腹の立つの物言いに、思わず煬鳳は言い返す。
「こっちは崩れた天井を避けたり大変だったんだよ! でもちゃんと目的のものを見つけて持って来たんだからな。そんなことよりお前はどうだったんだよ?」
「俺? 俺はもちろん見つけてきたに決まってるだろ! ほら!」
懐から細長い箱を取り出すと、彩藍方は高く掲げる。
何故かその箱を見た翳黒明が顔を曇らせたのを、煬鳳は見逃さなかった。
「黒明? どうかしたのか?」
「いや……何でもない」
煬鳳の言葉に翳黒明は顔を逸らす。全くもって『何でもない』ようには見えない。
「それ、中には何が入っているんですか?」
凰黎は彩藍方の手の中の箱をしげしげと見て尋ねるが、彩藍方は首を振る。
「それが錆ついてるのか鍵がかかってるのか、全然開かないんだ。無理やり壊そうとしたんだけどよっぽど頑丈なのか、とにかく俺じゃ開けることはできなかった」
「ならそれは諦めて捨て置け」
ほっとした顔で翳黒明が言い捨てた。ほぼ間違いなく彼はこの箱の中身を知っていて、それを開けたくはないのだ。そして先ほどからの反応を見るに、翳黒明にとってそれは嫌な思い出を呼び起こすものなのかもしれない。
それが何かは分からないが。
「それより、早いところやることを済ませよう。時間も限られている。……これで構わないか?」
そう言って翳黒明は鸞快子の前に白い花の絵を差し出す。
「ほう。綺麗な絵だな」
鸞快子はその絵を見て目を細めると「大丈夫だ。これでいこう」と頷くが、それを止めたのは凰神偉だった。
「待ってくれ。このまま幻をこの広間に投影したら、幼い子供にまでこの場所で起こった惨劇を見せることになる。一旦別の場所で待たせて……過去を垣間見るのは当事者である翳黒明と恒凰宮の宮主である私と、そして鸞快子。そなたの三人で良いのではないか」
「お待ちください、兄上。我々も翳黒明と共にここまでやってきたのです。それに煬鳳は翳黒明と少なからず縁のある身。我々にもここで何が起こったのか知る権利があると思います」
そして、それに対して異を唱えたのは彼の弟である凰黎だ。もちろん煬鳳とて凰黎と意見は同じ。ここまで来ておいていきなり爪弾きになるのは御免被りたい。
「そうだ。俺もここまで来たからには、しっかり見届けたいんだ。一緒に過去を見たら駄目か?」
煬鳳の言葉に凰神偉は困った顔をする。こういったとき、普段の凰神偉ならば煬鳳たちの願いなど一蹴して厳しい言葉を浴びせるだろう。しかし、凰黎の言葉にも一理あることは否めない。
返答に詰まった凰神偉は、結局鸞快子に助けを求める。助けを求められた鸞快子は暫し考えを巡らせた後きっぱりと言った。
「悩むのも時間の無駄だ。このまま全員で見る」
「いや、小黄が……」
「小黄は頑張れるな?」
それでも食い下がった凰神偉を遮って尋ねた鸞快子の言葉に、小黄は元気よく「うん!」と応える。
黒曜が小黄の腕の中に飛び込むと『クエェ』と鳴いた。一緒にいるから大丈夫だ、ということらしい。
「なに、所詮は幻。現実に起こったことを映し出すのみ。どんなに叫んでも変わることはないし、逆にこちらに影響は及ばない。――心を落ち着けて、目を逸らさずに全ての事実を見届ける。それが我々にできることであるし、そこから先に糸口が見えることもあるのだ」
鸞快子の言葉は、呪いのようでもあり、これから過去を垣間見る煬鳳たちへの提言のようにも聞こえる。
果たして過去を垣間見ることでいまを変えられる何かがあるのか。
それこそ、鸞快子の言うように、目を逸らさず見届けなければと煬鳳は強く思った。
彩藍方が勢い込んで他の部屋へと向かったあと、翳黒明がおずおずとやってきて小黄に言った。先ほど小黄が声を掛けてくれたことで我を忘れかけていたところを正気に戻ることができたのだ。言い辛そうに恥じらう翳黒明の姿は、初めに会ったときの彼の様子が嘘のようであったし、魔界で煬鳳たちに襲い掛かってきた人物とは思えない。
小黄は鉄鉱力士に抱き上げられたままだったが、翳黒明の言葉に嬉しそうに微笑むと、彼の頬に手を当てる。
「大哥、もう平気?」
小黄の行動に驚いた翳黒明だったが、ぎこちなく笑顔を作り小黄の手に己の手を重ねた。
「ああ、もう大丈夫だ。お陰でとてもすっきりした」
「良かった。心が乱れると、だいじなものが見えないから。……だから、自分を忘れないで」
「……」
小黄の言葉に翳黒明は暫し呆然とする。
「凄いんだな、小黄は……」
感心したような、驚いたような翳黒明の声。
(黒明も子供には弱いんだな)
二人の微笑ましいやり取りを見ながら、つられて煬鳳も目を細めた。
「なにせ百年以上経っているから自信はないが……俺にも心当たりがある。急いで探してくるから、みなはここで待っていてくれないか」
翳黒明はそう言うと、足早に広間から奥の回廊へと向かっていった。
――はずなのだが。
「……なんでお前たちまでついてくるんだ? 手分けするんじゃなかったのか?」
部屋に入ろうとして……立ち止まり振り返った翳黒明が不服そうに問いかける。
「いや、なんていうか……」
きまり悪そうに煬鳳は頭を掻く。
手分けをするとは言ったものの、翳黒明を一人で行かせるのは、やはりこの場所が翳冥宮であることを考慮しても捨て置けない。結局気になった煬鳳は翳黒明のあとをついて回り、そして当然凰黎は煬鳳の傍を離れるわけもなく。
何故か三人一塊となって探索を続けているというわけなのだ。
「翳黒明。いま貴方の感情は、とても揺らぎやすく危険です。その原因は当然ながら翳冥宮での一件にあります。そしていま貴方は、煬鳳と同じように力を自由には使うことができません。ですが煬鳳も貴方同様に一人にしておくなんて出来ないでしょう? ですから、煬鳳と貴方の二人纏めて私が付き添おうと思ったのです」
「……」
凰黎はうまく弁明できなかった煬鳳のために言ったのだろうが、身も蓋もない。しかしながら、これに対しては言い返す言葉もない。そして煬鳳の隣に立つ翳黒明もまた、言い返すことができないのだ。
「……はあ、好きにしろ」
「そうします」
笑顔で引く気の一切ない凰黎に諦めたのか、翳黒明はそれ以上何も言うこともなく、無言で部屋へと入っていく。
中に入った煬鳳は、あまりの簡素な部屋に驚いた。そして、先ほどと打って変わって空気に淀みがないことに気づく。
単に天井が崩落したせいで、太陽の光が差し込んでいるせいなのかもしれない。光が集まりやすい場所ならば、自然に陰気の濃度が薄れてゆくかもしれない。
殆ど原型を留めてはいないが、かつて壁には美しい装飾が施されていたことが窺える。崩落した天井に潰されたであろう寝台は、寝台であると理解しがたいほどに腐り落ち殆ど屑のような状態だ。
静けさも相まって、時が止まった部屋――そのような印象を受ける。
「随分こざっぱりとした部屋だな」
思わず思ったままに煬鳳は口にする。
「俺の部屋だ」
「もしかして百年の間に泥棒が?」
凰黎が問いかけると、とても言い辛そうに顔をそむけたあと、
「……もとからこの状態だ。もちろん完全に、というわけでもないが、大体あるものに関して言うなら昔と何ら変わりない」
と言う。
「若者の部屋としては、かなり質素な部屋ですね。無欲というかなんというか……」
凰黎がそう言ったのも無理はない。天井は崩落し壁は剥げ、風雨にさらされてあちこちが腐り落ちている大きな寝台に簡素な机。筆一本に硯ひとつ。炭は……もはやどこにあるのか探しようもない。棚はスカスカで数冊の書物しか入っていない。
もう少し自分の好きな物であったり、家具やら置物やら置きそうなものだが、翳黒明が自らの部屋だといったこの部屋は本当に必要最低限以下のものしか置いていないのだ。
しかし、凰黎の部屋は一体どうだっただろうかと気になって煬鳳は凰黎を見る。
「なあ、凰黎の部屋はどうだったっけ?」
「毎朝何人かが花を届けてくださるので、それを飾っていましたよ」
「他は?」
「嶺主様から頂いた本がありましたよ」
「……」
どうやら凰黎も翳黒明とそれほど変わらない気がする、と煬鳳は思った。もしかすると跡継ぎというのは日々やらねばならないことが多すぎて、自分の身の回りに物を増やすということを考えられないのかもしれない。
などと思う。
そんな煬鳳たちのやり取りを無視して、翳黒明は何か探しているようだ。部屋自体に物は少ないのだが、いかんせん天井が崩落してしまった影響か、棚の一部が岩壁の下になっていた。
「手伝います」
「済まない」
手早く凰黎が翳黒明の傍に寄ると、二人で壁を脇に避ける。何もなければ力任せに吹っ飛ばせば済む話だが、思い出の品を探さねばならない以上、無茶はできない。
翳黒明は潰れた棚の奥に手を突っ込んで慎重に中のものを取り出してゆく。
重なった瓦礫の下から翳黒明が取り出したのは、本の間に挟んだ一枚の絵だった。
「……幸いにもまだ残っていたようだ」
どうやら下敷きになっていたことで最小限の損傷で済んだらしい。本の間に挟まれていたその絵は、百年以上経ったいまでも色を鮮明に残している。艶やかな牡丹やだれもが知っているような花々ではなく、草むらにひっそりと咲くような白い花。
「この花の絵に、何かあるのか?」
およそ絵にすることも無いような、どちらかといえばだれも気に留めることのない花の絵。にもかかわらず、翳黒明はその絵を大切に仕舞っていた。
色のない部屋の中でそれだけが唯一、異彩を放っている。
「約束の花。……俺と白暗はそう呼んでた」
翳黒明は愛おしそうにその絵を抱き、口にした。
絵を見つめるその瞳には、とてつもない後悔と哀愁とが映し出されている。
「約束の花? 初めて聞く名前だ」
「そりゃあそうだ。俺たちもこの花の名は知らなかった。だから、そう呼んでいた」
しかし『約束の花』というからには、何か約束があったのだろう。翳黒明と、彼の弟である翳白暗の間に。
「とにかく、これで鸞快子が必要としていたものが見つかったわけですよね?」
すぐに普段の表情に戻ると、翳黒明は頷いた。
「そうなるな」
もう少し花の話を聞きたくもあったが、翳黒明はあまり触れられたくないらしい、ということを凰黎は敏感に感じ取ったようだ。
「では、もとの場所に戻りましょう。時間も限られていることですし」
すぐに話を変えると、煬鳳と翳黒明にそう言った。
「おーい、見つけてきたぞ!」
鸞快子たちの待つ広間が見えて、煬鳳は手を振る。先ほどと変わりなく、小黄は鉄鉱力士に抱き上げられ、その傍には鸞快子と凰神偉が立っている。
二人はただ無為に時間を潰していたわけではなく、周囲に怪しい気配や変化がないか絶えず気にかけてはいたらしい。
その証拠に、広間の周囲を凰神偉の放った神侯が絶えず巡回している。
そして鉄鉱力士の横にいるもう一人。それは意気込んで一人奥に消えていった彩藍方だ。彼は煬鳳たちが戻ってきたのを見るなり、余裕の表情を浮かべた。
「なんだ、お前ら。遅かったじゃねえか」
そのなんだか妙に腹の立つの物言いに、思わず煬鳳は言い返す。
「こっちは崩れた天井を避けたり大変だったんだよ! でもちゃんと目的のものを見つけて持って来たんだからな。そんなことよりお前はどうだったんだよ?」
「俺? 俺はもちろん見つけてきたに決まってるだろ! ほら!」
懐から細長い箱を取り出すと、彩藍方は高く掲げる。
何故かその箱を見た翳黒明が顔を曇らせたのを、煬鳳は見逃さなかった。
「黒明? どうかしたのか?」
「いや……何でもない」
煬鳳の言葉に翳黒明は顔を逸らす。全くもって『何でもない』ようには見えない。
「それ、中には何が入っているんですか?」
凰黎は彩藍方の手の中の箱をしげしげと見て尋ねるが、彩藍方は首を振る。
「それが錆ついてるのか鍵がかかってるのか、全然開かないんだ。無理やり壊そうとしたんだけどよっぽど頑丈なのか、とにかく俺じゃ開けることはできなかった」
「ならそれは諦めて捨て置け」
ほっとした顔で翳黒明が言い捨てた。ほぼ間違いなく彼はこの箱の中身を知っていて、それを開けたくはないのだ。そして先ほどからの反応を見るに、翳黒明にとってそれは嫌な思い出を呼び起こすものなのかもしれない。
それが何かは分からないが。
「それより、早いところやることを済ませよう。時間も限られている。……これで構わないか?」
そう言って翳黒明は鸞快子の前に白い花の絵を差し出す。
「ほう。綺麗な絵だな」
鸞快子はその絵を見て目を細めると「大丈夫だ。これでいこう」と頷くが、それを止めたのは凰神偉だった。
「待ってくれ。このまま幻をこの広間に投影したら、幼い子供にまでこの場所で起こった惨劇を見せることになる。一旦別の場所で待たせて……過去を垣間見るのは当事者である翳黒明と恒凰宮の宮主である私と、そして鸞快子。そなたの三人で良いのではないか」
「お待ちください、兄上。我々も翳黒明と共にここまでやってきたのです。それに煬鳳は翳黒明と少なからず縁のある身。我々にもここで何が起こったのか知る権利があると思います」
そして、それに対して異を唱えたのは彼の弟である凰黎だ。もちろん煬鳳とて凰黎と意見は同じ。ここまで来ておいていきなり爪弾きになるのは御免被りたい。
「そうだ。俺もここまで来たからには、しっかり見届けたいんだ。一緒に過去を見たら駄目か?」
煬鳳の言葉に凰神偉は困った顔をする。こういったとき、普段の凰神偉ならば煬鳳たちの願いなど一蹴して厳しい言葉を浴びせるだろう。しかし、凰黎の言葉にも一理あることは否めない。
返答に詰まった凰神偉は、結局鸞快子に助けを求める。助けを求められた鸞快子は暫し考えを巡らせた後きっぱりと言った。
「悩むのも時間の無駄だ。このまま全員で見る」
「いや、小黄が……」
「小黄は頑張れるな?」
それでも食い下がった凰神偉を遮って尋ねた鸞快子の言葉に、小黄は元気よく「うん!」と応える。
黒曜が小黄の腕の中に飛び込むと『クエェ』と鳴いた。一緒にいるから大丈夫だ、ということらしい。
「なに、所詮は幻。現実に起こったことを映し出すのみ。どんなに叫んでも変わることはないし、逆にこちらに影響は及ばない。――心を落ち着けて、目を逸らさずに全ての事実を見届ける。それが我々にできることであるし、そこから先に糸口が見えることもあるのだ」
鸞快子の言葉は、呪いのようでもあり、これから過去を垣間見る煬鳳たちへの提言のようにも聞こえる。
果たして過去を垣間見ることでいまを変えられる何かがあるのか。
それこそ、鸞快子の言うように、目を逸らさず見届けなければと煬鳳は強く思った。
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