【完結】鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~

銀タ篇

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海誓山盟明和暗(不変の誓い)

116:翳桑餓人(四)

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 周囲の様子を探っていた凰黎ホワンリィは、顔色を変えて走り出す。

凰黎ホワンリィ!?」

 凰黎ホワンリィが走って行った先は翳黒明イーヘイミンのもとだ。怪我をしたのか、彼は屈みこみ震えているようにも見える。

翳黒明イーヘイミン。大丈夫ですか?」

 気づかわし気に凰黎ホワンリィ翳黒明イーヘイミンに声をかけた。翳黒明イーヘイミンはいまの状態を受け入れることができず、極度の興奮状態に陥っているようだ。息遣いも荒く、足取りもどこか危うい。返事を返せないところをみるに、恐らく大丈夫ではないはずだ。
 心配になって煬鳳ヤンフォンが肩に乗る黒曜ヘイヨウを手繰り寄せれば、黒曜ヘイヨウもまたぶるぶると震えている。

(不味いな、過去のことを思い出して不安定になってる……)

 翳黒明イーヘイミンよりも冷静な黒曜ヘイヨウがこの状態なのだ。翳黒明イーヘイミンはもっと危険な状態になっているだろう。
 これは不味い状況だ――。
 誰もがそう思い、何かできることは無いかと考えた。

大哥にいに曜曜ヨウヨウしっかりして」

 呼び掛けたのは小黄シャオホワンだった。驚いたことに、小黄シャオホワンの呼び掛けにびくりと反応した翳黒明イーヘイミンの表情は先ほどの鬼気迫る表情とは打って変わって普段通りの翳黒明イーヘイミンに戻っている。冷や汗をかいてまだ何が起こったのかも分かっていない様子だったが、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとした顔だ。

『クエェ?』

 黒曜ヘイヨウも怪訝な顔をして首を傾げているが、小黄シャオホワンの声で我に返ったことだけは理解したらしい。再び小黄シャオホワンの肩に飛び乗ると、恐らく感謝の気持ちを込めて――一声鳴いて嘴で頬をつんとつついた。

黒曜ヘイヨウ、大丈夫なのか?」

 戻ってきた黒曜ヘイヨウ煬鳳ヤンフォンは小声で尋ねる。

『平気だ。さっきは陰気に引きずられて危なかったが……小黄シャオホワンのお陰でとても気分が楽になった』

(やっぱりちゃんと言葉を話せるじゃないか……)

 などと思いつつも黒曜ヘイヨウが正気に戻ったことに煬鳳ヤンフォンは安堵する。恐らく翳黒明イーヘイミンも大丈夫だろう。

「ここに長く滞在するのは危ないだろう。少しでも早くこの不可解な陰気の原因を突き止め解消しなければ。急ごう」

 凰神偉ホワンシェンウェイの言うことはもっともだ。あまり長居をしては翳黒明イーヘイミンたちに影響が出かねない。煬鳳ヤンフォンたちは顔を見合わせて凰神偉ホワンシェンウェイのあとに続いた。

「でも陰気を何とかするっていっても、どうしたらいいんだ? 余程恨みの念が強かったり事情が無ければ百年以上経っているのにこれだけ淀んだ状態が続くのはただ事じゃないだろ」

 この地が黒冥翳魔こくめいえいまが初めに滅ぼした場所であるので、そのせいで恨みの念が残っている……というのも無くはない。しかし、翳黒明イーヘイミン黒曜ヘイヨウの話を聞く限りは百年も続く恨みとしては説得力に欠ける。
 苦しみという点でもそれは同様で、事情を鑑みるならば未練や悲しみの念のほうが強いかもしれない。

「それについては心配は無用。この翳冥宮えいめいきゅうが危険な状態にあるということは、以前より噂になっていたので知らなかったわけではない――宮主ぐうしゅ殿」

 そう言ったのは鸞快子らんかいしだ。鸞快子らんかいしから目くばせをされた凰神偉ホワンシェンウェイは呪符を取り出すと剣訣を按ずる。

「東方に青龍、西方には白虎、南方に朱雀、北方に玄武を配すれば、然らば此処には麒麟あり。安寧を妨げる鬼神、破る悪鬼、自らその殃を受けん。急々として太上の勅命が如くせよ」

 凰神偉ホワンシェンウェイの体が淡い翠の光を放ち、それまで重かった空気が一気に軽くなる。周囲の陰気が均衡を取り戻したのを察知して凰黎ホワンリィ凰神偉ホワンシェンウェイに駆け寄った。

「兄上、陰気は鎮まったようですね」
「一時的に鎮めたまでだ。時間と共にもとの状態に戻るだろう。だからあまり悠長にはしていられない」
宮主ぐうしゅの言う通りだ。ここまで陰気が満ちていたのには何かしらの理由がある。それを突き止める前に無理やり退けても意味がない。我々はこの翳冥宮えいめいきゅうで何が起こったのか、陰気の満ちる理由を突き止めて憂いを晴らすために来たというわけだ」

 凰黎ホワンリィに語り掛けた鸞快子らんかいしは、同時に煬鳳ヤンフォン翳黒明イーヘイミンを見る。凰黎ホワンリィに向けての言葉ではあったが、鸞快子らんかいし翳黒明イーヘイミンに言い聞かせたように煬鳳ヤンフォンには思えた。

(そうか。この件を解決しなかったら、翳黒明イーヘイミンはまた何かの拍子に我を忘れ自分を見失う可能性もある。それに、あの陰気が翳冥宮えいめいきゅうで死んだ人たちの想いなら、それを解決してあげなかったら翳冥宮えいめいきゅうの復興なんてありえない)

 だから敢えて強制的に排除はせず、彼らの意思を汲み取ることを鸞快子らんかいしは選んだのだ。
 陰気が一時的に晴れたことで、煬鳳ヤンフォンたちは改めて己の周囲の状況を確認する。翳冥宮えいめいきゅうの内部は激しく争ったからか本当にひどい有様だった。翳黒明イーヘイミンはゆっくり歩き始めると、戦いの傷跡を一つ一つ撫でながら己の思い出を吐露してゆく。

「一度目――白暗バイアンの様子がおかしくなったときは、ここまで酷い状態じゃなかった。そりゃ卓子たくしや椅子は倒れてバラバラになったし、父上が大切にしていた壺も粉々になった。でも俺が我を忘れてどこかを暴れ、彷徨ったあとで戻ってきたときは本当に綺麗に何もなかったような状態だったんだ」
魔界まかいの……鬼燎帝きりょうていが寄越した者たちが成り済ますために全て修繕したのでしょうね」
「むかつく話だけどな」

 吐き捨てるように翳黒明イーヘイミンは言ったが、先程のように怒りで我を忘れるようなことはない。凰黎ホワンリィは崩れかけの壁にそっと触れると「ではこれはそのときに貴方が?」と尋ねる。

「恥ずかしい話だが――その通りさ」

 困った顔で翳黒明イーヘイミンは笑う。それはとても寂しそうな笑いだ。

「そんな顔するなよ。俺だって自分の身内に化けたやつが平然と歩いていたら絶対に自分を見失うほど怒ったと思うよ」

 これは煬鳳ヤンフォンの本当の気持ちだ。翳黒明イーヘイミンにはその前に様々な事情があって狂ってしまったそうだから、同じように語ることはできない。
 ただ、自分が大切にしている人が死んだにもかかわらず、乗っ取るために別人が大切な人たちに成り済ましていたら、それは許せるはずがない。
 だから、怒りで我を忘れた翳黒明イーヘイミンの気持ちが分からないわけではないのだ。

 ――特に、大切な人が昔より増えたいまは尚更に。

「これからこの翳冥宮えいめいきゅうで何が起こったのかを調べたいと思う」
「どうやって?」

 調べる、と簡単には言うが、百年以上前の出来事を、この陰気に溢れた場所で一体どうやって調べるというのか。鸞快子らんかいしの目的が分からずに煬鳳ヤンフォンは尋ね返す。

「過去の出来事を調べるのなら、過去を垣間見れば良い」

 さらりと「過去を垣間見れば良い」などと言われてしまったが、一体何をどうしたらそんなものが見えるのか。

万晶鉱ばんしょうこうを使う気か? 止しとけ、それは危険だぞ!」

 鸞快子らんかいしが何をする気であるか察したのか、彩藍方ツァイランファンが叫ぶ。だが、彼は「そうではない」と首を振る。

(でもなんでいま万晶鉱ばんしょうこうを使うなんて思ったんだ? なんで危険なんだ?)

 別のところで煬鳳ヤンフォンは疑問が残ってしまったのだが、誰もそのことを指摘する者はいない。

「そのようなものを使わずとも、当時の状況を知るものがあれば良い。例えば、木であったり物であったり……特別な思い出の品であれば尚良いだろう。幸い丁度この場所は広く、幻を呼び出すのに適している。この広間に当時の状況を投影するのだ」
「なら、中庭に生えている木はどうだ?」
「先ほど見たが、陰気の影響を強く受けていて危険だ。やむを得ない場合は使うことも考えるが、できれば違うものが望ましい」
「贅沢だなぁ」

 煬鳳ヤンフォンが文句を言うと、

「半分鬼に食われたような木に触れながら、過去を垣間見るのは嫌だろう」

 と、鸞快子らんかいしは言う。その光景を想像しかけて、煬鳳ヤンフォンは途中でぶるりと身震いをした。

「うっ……確かに」

 そんな不気味なものに触れたくないし、何が起こるか分からない。

「しかし、こうも広いと何を探して良いのやら……」

 恒凰宮こうおうきゅうに勝るとも劣らぬ広さの翳冥宮えいめいきゅうをぐるりと見回し、鸞快子らんかいしは溜め息をつく。いちどは陰気を鎮めたものの、あくまで一時的な処置に過ぎないのだ。もたもたしていてはまた先ほどの状態に戻ってしまうだろう。

「制限時間は……余程の事態が無ければ一時辰は持つだろう。危ないと感じたらもう一度陰気を鎮める。それで我々が逃げる時間は確保できるはずだ」

 凰神偉ホワンシェンウェイはそう言うと「だから焦らず、しかし急ごう」と付け加えた。

「よし! なら俺は手早くめぼしい場所を探してくるぜ。鉄鉱力士てっこうりきしはここに残しておく。俺は一人で回ってくるから、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに付き添ってやってくれよ」

 真っ先に名乗りを上げたのは彩藍方ツァイランファンだ。しかし頼りの鉄鉱力士てっこうりきしを置いて一人で行くという彩藍方ツァイランファンに、煬鳳ヤンフォンは驚いた。

「おい、お前ひとりで大丈夫なのか? 何かのときに戦えるのか?」
「誰に言ってるんだ、俺は彩鉱門さいこうもんの二公子なんだぜ? いいか、これをよく見てみろ」

 彩藍方ツァイランファンはそう言って、一枚の鏡を取り出す。それは装飾が少し古めかしくもあるがきれいに磨かれていて、不思議な光を湛えている。

「目ん玉かっぽじって見やがれ! これは照神鏡といって……」

 勿体ぶった言い方で語り始めた彩藍方ツァイランファンの言葉を煬鳳ヤンフォンは遮る。

万晶鉱ばんしょうこうでできた鏡、なんだろ?」

 軽快な音が翳冥宮えいめいきゅうに響く。彩藍方ツァイランファン煬鳳ヤンフォンの頭を叩いた音だ。

「痛ぇ!」
「ちげーよ! 何でも万晶鉱ばんしょうこうでできてると思うな!」

 彩鉱門さいこうもんが出してくるものといえば大概万晶鉱ばんしょうこうじゃないか、と思いつつも煬鳳ヤンフォンは「じゃあ何なんだ?」と尋ねる。

「ごほん。これは彩鉱門さいこうもんに代々伝わる照神鏡という宝器で……まあ、ありていにいえば『真実しか映さない鏡』だ」
「真実を映す、じゃなくて真実しか映さないのか? 全然違いが分からないけど」
「大差はないが、少し違う。真実の姿も映すが、それ以外に……真実でないものは映らないんだ。例えば幻はこの鏡には映らないから、幻覚なんかにも有効だ。つまるところ、俺は大丈夫だから気にしないでさっさといけってことだ」

 それでも今ひとつ、二つの言葉の差がピンと来なかったのだが、彩藍方ツァイランファンがそう主張するのだからもうそれでいいのではないか、と煬鳳ヤンフォンは思うことにした。
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