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無常因果的終結(終末)
155:屍山血河(三)
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暫しの休憩も終わりが近づき、再び山頂を目指すために各々が徐々に元の持ち場へと戻り始める。
「煬鳳。具合はどうだ?」
煬鳳が再び馬車に乗り込もうとすると、鸞快子に呼び止められた。彼の傍には清粛と、もう一人見知らぬ青年が立っている。
「大丈夫、悪くないよ。……それより、瞋熱燿の隣にいるのは誰なんだ? 初めて見る顔だけど……」
琥珀色の衣袍に身を包んだ青年は柔和な微笑みを浮かべ、煬鳳たちに軽く会釈をした。銀糸の如く流れる髪が優雅に揺れ、美しい相貌を際立たせる。穏やかで品のある態度は、どこか高貴さを感じさせた。
「ああ、こちらは――」
鸞快子が青年を紹介しようとしたそのときだ。青年が突然煬鳳と凰黎に走り寄り、両手で二人の手を握った。これには煬鳳も凰黎も、驚いて目を瞠る。そんな二人の驚きもどこ吹く風で青年は喰いつかんばかりに煬鳳たちに迫った。
「煬様! それに凰様! お久しぶりです! 鼓牛です!」
「は!?」
記憶の中を遡り、その名をどこで聞いたのかを必死で思い出す。けれどすぐに出てはこず、
「……ええと? 何だって?」
もう一度聞き返してしまった。
「煬鳳! もしかして彼は、清林峰で索冥花を求めていた牛の彼、なのでは……」
煬鳳の袖を引き、凰黎が神妙な面持ちで言う。
――いや、まさか?
確かに清林峰に現れた空飛ぶ牛は自分のことを鼓牛だと名乗っていたような気がする。しかしだ。しかし、いくら何でも目の前の高貴そうな青年がまさか……煬鳳はもう一度己の手を握る青年を見る。
――どこからどう見ても、牛には見えないな。
しかし煬鳳の結論はすぐに打ち砕かれてしまった。
「さすがは凰様、よく覚えていて下さいました! そうです。あのとき清様やお二方の優しさに助けられ、索冥花を譲っていただいた鼓牛です!」
「えーっ!? だってお前、どう見たっていま、人の姿じゃないか!」
「牛だって人の姿になるときもあります」
煬鳳の言葉に平然と鼓牛は言ってのける。
考えてもみれば、鼓牛は空を飛ぶ牛なのだ。帰るときも空を飛んでいずこかに帰って行った。
ならば、人の姿に変ずるくらいは造作もないことなのではないか?
そう考えたら「まあ、いいか」という気持ちになってしまった。
「実はあのときのご恩を返しに参りました」
鼓牛がいずこからか用意した豪華な馬車に吾太雪を寝かせ、煬鳳たちは乗ってきた馬車に乗り込んだ。清粛も吾太雪と同じ馬車を希望したのだが、鼓牛が話がしたいと頼んだため、暫くの間門弟に吾太雪の世話を頼むことにした。
「恩返しなんてそんな……ですが、貴方の持ってきて下さった霊薬は吾谷主の体を著しく回復してくれました。感謝してもしきれません」
このご恩は必ず――その言葉の通り、鼓牛は煬鳳たちの助けになるものを沢山運んできてくれたのだ。
吾太雪を寝かせたまま運べる馬車に貴重な霊薬。そして薬草の類も様々だ。
聞けば清粛が薬草を探しに森の奥に行ったときに、鼓牛が彼を見つけて声をかけてきたらしい。
「我々が受けたご恩に比べれば、このようなことは極めて僅かな恩返しに過ぎません。どうか遠慮なく受け取って頂ければと思います」
「ということは、貴方の主は無事に回復されたのですね?」
凰黎の問いかけに鼓牛は少し困った顔で「実は……」と頭を掻く。
「正直に言えば索冥花は主の怪我を癒やすために多大な効果をもたらして下さいました。ですがそれでも索冥花だけでは、主の根本的な治療はままならなかったのです。……ですが色々ありまして、結果的に皆様のお陰で僥倖にも主は回復されました」
なんとも奥歯にものが挟まったような説明だ。
索冥花は補助的に役に立ったが完治には至らず、しかし主はとにかく回復した。ということだろうか。
「まあ、回復したなら良かったな。主を大事にしろよ」
「はい!」
元気に鼓牛は返事を返す。
但し疑問点はいくつかある。まず鼓牛の持って来た霊薬は、それだけでも相当凄い代物だった。彼の霊薬のお陰で吾太雪の顔色は土気色から桃色に変わり、それまでまともに歩くこともままならなかった彼が、短時間ではあるものの自力で歩けるようになったのだ。
彼がこれまで拘束されてきた年月を考えれば、驚くほどの効能だといえよう。
索冥花を知る人々はその薬を『神薬』などと呼ぶが、それはあくまで五行盟や一部の場所だけの話だ。恐らく鼓牛の主は、彼が持って来たような素晴らしい霊薬すら効かないほどの重症だったのだろうが、それ以上の方法を見つけることができず、藁にも縋る思いで索冥花を頼ったに違いない。
索冥花だけでは全てを解決することはできなかったが、結果的に鼓牛の主を救うことができたのならそれはそれで何よりだ。
「後ほど主も改めて皆様にお礼を申し上げに参ります」
「そんな、そこまでして頂いては申し訳ありません。どうかお気遣いなく……」
「いえ! これは主の意向でもあらせられるのです」
「で、でも……」
清粛と鼓牛とのやり取りは続いている。
(いや、俺たち瞋九龍と戦いに行くんだよな……?)
呑気な二人のやり取りに、一瞬自分たちがこれから何をしに行くのかを忘れそうになった煬鳳だった。
(そういえば……)
ふと煬鳳は、鸞快子のことを思い出す。
先ほど現れた鸞快子は、鼓牛のことを紹介するために来たわけではなかったのだ。煬鳳たちが鼓牛との挨拶を済ませたのを見届けると、彼は煬鳳たちに声をかけた。
「五行盟で彼の戦いぶりを見てきたが、束になってかかれば勝てる相手ではない。そこで我々はどのように瞋九龍と対峙するかを嶺主様と彩鉱門の掌門とで話し合ってきた。……それで、君たちにも協力して欲しいと思っている」
煬鳳にとって、瞋九龍との戦いは避けようもないこと。本来は火龍を鎮めるだけで良かったはずが、彼が火龍に乗っ取られていることが分かり、瞋九龍と戦わざるを得なくなってしまった。
だから、鸞快子の提案に応じるのは当然のことだと思っている。
「もちろんさ。凰黎も、そうだろ?」
凰黎はそんな煬鳳の言葉に多少の躊躇いを見せたが、結局溜め息を一つついて、
「そうですね。この山場を乗り切らないことには我々の安寧もあり得ませんから」
と、観念したように承諾した。
鸞快子は二人の返答に安心したようで口元を緩める。
「感謝する。……もちろん、凰黎の懸念である煬鳳のことは、何を差し置いても守ってみせる。安心して欲しい」
「貴方に守って頂かなくても、私がちゃんと守ってみせます」
対する凰黎は、鸞快子の言葉に対して幾分か棘のある返答を返す。言われてしまった鸞快子は苦笑しながら、
「それも当然ながら理解している」
と凰黎に言ったのだった。
鸞快子の相談ごとはほんの僅かな時間で終わり、鸞快子は隊列の先頭に戻るために別れを告げる。煬鳳たちも馬車へ戻ろうと踵を返すと、鸞快子が煬鳳の名を呼んだ。
「煬鳳」
「なんだ?」
別れ際に呼ばれ、振り返った煬鳳の頭に鸞快子の掌が載せられる。
「有り難う」
鸞快子はただ一言――そう言って、隊列の先頭へと戻っていった。
(なんであんなこと言ったんだろう。あんな……)
そんなはずは絶対にない。
けれど煬鳳には……彼がどこかに行ってしまうような、そんな言葉に聞こえたのだ。
ときおり馬車の中から外の様子を確認していた煬鳳は、山頂が近づいてきたことを悟り「そろそろ降りるよ」と御者を務めていた門弟に呼び掛けた。
清粛と鼓牛も煬鳳の呼び掛けを聞いて、手早く身支度を調える。
「お二人とも、お気をつけて」
清粛と鼓牛は戦いに直接加わることはないため、後方で瞋九龍との戦いを見守る手筈だ。それでも彼らが馬車の中で待機しないのは、馬車の中からでは外の様子が見えず、万が一攻撃が飛び火した際に避けることもできないからだ。
(鼓牛はこのまま俺たちに付いてきていいのかな……)
恩返しに来た鼓牛は、なぜかちゃっかり煬鳳たちの馬車に乗り込んでしまった。特になにも言ってはいないのだが、どうも彼は煬鳳たちと共に山頂へ向かうつもりらしい。
――とはいえ、彼を戦いに加えるわけにもいかないので、清粛と共にできるだけ戦いの影響を受けないところに居て貰うことになった。
「煬鳳。瞋九龍は火行使いであり、火龍でもあるわけです。……翳炎の炎とは多少異なってはいても、戦いにおいて近しい性質は有効とはいえません。どうか無理はしないで」
心配そうな凰黎の声に、煬鳳は微笑みを返す。
「分かってるって。あいつとは瞋砂門で一度戦った。凰黎の言うことは十分理解してるつもりだ。だから、瞋九龍と直接戦うのは蓬静嶺に任せるからさ。頼んだよ」
いくら煬鳳とて、五行相克は理解しているつもりだ。強大な瞋九龍と戦うならば水行の蓬静嶺が主戦力になるのは当然のことであるし、逆に火と火の力がぶつかり合えば火行の勢いが増し、黒炎山の噴火が早まってしまう可能性がある。
そういったことを危惧して鸞快子は先ほどの戦略を立てたのだろう。
彼の意図が分からぬ煬鳳ではない。
「蓬静嶺の威信にかけても、瞋九龍との闘いは制してみせましょう」
「うん、任せたよ。凰黎。……まあ、俺の翳炎は翳冥宮の炎であって、正確には普通の炎とは違うから火行じゃないんだけどな。でも、この山自体が翳炎の影響を受けている以上、用心するに越したことないよな」
肝心なところを人任せにするのは心残りではあるが、煬鳳は煬鳳で重要な役目を任されている。だから、文句などを言っている場合ではないのだ。
「ここからは隊列を変えて進む。蓬静嶺の門弟は前に。彩鉱門は彼らのあとに続くように。……清林峰は最後尾について進むこと。私と煬鳳の二人、そして鉄鉱力士は最後尾につき、清林峰を含む支援部隊を守る。……とはいえあくまでこれは瞋九龍と遭遇するまでの話。乱戦状態になったら各々の判断で行動するように!」
鸞快子の玲瓏たる声が響く。恐らくここが相手に気取られぬ、ぎりぎりの範囲なのだ。
「煬鳳。くれぐれも気を付けて」
「分かってるって。凰黎もな」
先頭へ向かう凰黎、そして清粛たちと後方に移動する煬鳳。凰黎は別れ際に煬鳳の額に軽い口付けを落とす。
「………………………………!」
あまりにも可愛らしい、ささやかな行為に不覚にも動揺し、煬鳳は凍り付く。
頬の熱さを感じながら、驚きと戸惑いで歪む顔を必死で押さえると、逃げ出すように煬鳳は「い、行ってくる!」と走り出してしまった。
暫く走ったあとで振り返ってみれば、風にたなびく淡青の袍服の袖が垣間見える。生憎と顔は人の波で隠れてしまったが、彼なら煬鳳のことを見ていてくれただろうか。埋もれ行く淡青の人影に何度も呼び掛けたい衝動を抑えながら何度も振り返り、煬鳳は清粛たちの方へと走って行った。
「煬鳳。具合はどうだ?」
煬鳳が再び馬車に乗り込もうとすると、鸞快子に呼び止められた。彼の傍には清粛と、もう一人見知らぬ青年が立っている。
「大丈夫、悪くないよ。……それより、瞋熱燿の隣にいるのは誰なんだ? 初めて見る顔だけど……」
琥珀色の衣袍に身を包んだ青年は柔和な微笑みを浮かべ、煬鳳たちに軽く会釈をした。銀糸の如く流れる髪が優雅に揺れ、美しい相貌を際立たせる。穏やかで品のある態度は、どこか高貴さを感じさせた。
「ああ、こちらは――」
鸞快子が青年を紹介しようとしたそのときだ。青年が突然煬鳳と凰黎に走り寄り、両手で二人の手を握った。これには煬鳳も凰黎も、驚いて目を瞠る。そんな二人の驚きもどこ吹く風で青年は喰いつかんばかりに煬鳳たちに迫った。
「煬様! それに凰様! お久しぶりです! 鼓牛です!」
「は!?」
記憶の中を遡り、その名をどこで聞いたのかを必死で思い出す。けれどすぐに出てはこず、
「……ええと? 何だって?」
もう一度聞き返してしまった。
「煬鳳! もしかして彼は、清林峰で索冥花を求めていた牛の彼、なのでは……」
煬鳳の袖を引き、凰黎が神妙な面持ちで言う。
――いや、まさか?
確かに清林峰に現れた空飛ぶ牛は自分のことを鼓牛だと名乗っていたような気がする。しかしだ。しかし、いくら何でも目の前の高貴そうな青年がまさか……煬鳳はもう一度己の手を握る青年を見る。
――どこからどう見ても、牛には見えないな。
しかし煬鳳の結論はすぐに打ち砕かれてしまった。
「さすがは凰様、よく覚えていて下さいました! そうです。あのとき清様やお二方の優しさに助けられ、索冥花を譲っていただいた鼓牛です!」
「えーっ!? だってお前、どう見たっていま、人の姿じゃないか!」
「牛だって人の姿になるときもあります」
煬鳳の言葉に平然と鼓牛は言ってのける。
考えてもみれば、鼓牛は空を飛ぶ牛なのだ。帰るときも空を飛んでいずこかに帰って行った。
ならば、人の姿に変ずるくらいは造作もないことなのではないか?
そう考えたら「まあ、いいか」という気持ちになってしまった。
「実はあのときのご恩を返しに参りました」
鼓牛がいずこからか用意した豪華な馬車に吾太雪を寝かせ、煬鳳たちは乗ってきた馬車に乗り込んだ。清粛も吾太雪と同じ馬車を希望したのだが、鼓牛が話がしたいと頼んだため、暫くの間門弟に吾太雪の世話を頼むことにした。
「恩返しなんてそんな……ですが、貴方の持ってきて下さった霊薬は吾谷主の体を著しく回復してくれました。感謝してもしきれません」
このご恩は必ず――その言葉の通り、鼓牛は煬鳳たちの助けになるものを沢山運んできてくれたのだ。
吾太雪を寝かせたまま運べる馬車に貴重な霊薬。そして薬草の類も様々だ。
聞けば清粛が薬草を探しに森の奥に行ったときに、鼓牛が彼を見つけて声をかけてきたらしい。
「我々が受けたご恩に比べれば、このようなことは極めて僅かな恩返しに過ぎません。どうか遠慮なく受け取って頂ければと思います」
「ということは、貴方の主は無事に回復されたのですね?」
凰黎の問いかけに鼓牛は少し困った顔で「実は……」と頭を掻く。
「正直に言えば索冥花は主の怪我を癒やすために多大な効果をもたらして下さいました。ですがそれでも索冥花だけでは、主の根本的な治療はままならなかったのです。……ですが色々ありまして、結果的に皆様のお陰で僥倖にも主は回復されました」
なんとも奥歯にものが挟まったような説明だ。
索冥花は補助的に役に立ったが完治には至らず、しかし主はとにかく回復した。ということだろうか。
「まあ、回復したなら良かったな。主を大事にしろよ」
「はい!」
元気に鼓牛は返事を返す。
但し疑問点はいくつかある。まず鼓牛の持って来た霊薬は、それだけでも相当凄い代物だった。彼の霊薬のお陰で吾太雪の顔色は土気色から桃色に変わり、それまでまともに歩くこともままならなかった彼が、短時間ではあるものの自力で歩けるようになったのだ。
彼がこれまで拘束されてきた年月を考えれば、驚くほどの効能だといえよう。
索冥花を知る人々はその薬を『神薬』などと呼ぶが、それはあくまで五行盟や一部の場所だけの話だ。恐らく鼓牛の主は、彼が持って来たような素晴らしい霊薬すら効かないほどの重症だったのだろうが、それ以上の方法を見つけることができず、藁にも縋る思いで索冥花を頼ったに違いない。
索冥花だけでは全てを解決することはできなかったが、結果的に鼓牛の主を救うことができたのならそれはそれで何よりだ。
「後ほど主も改めて皆様にお礼を申し上げに参ります」
「そんな、そこまでして頂いては申し訳ありません。どうかお気遣いなく……」
「いえ! これは主の意向でもあらせられるのです」
「で、でも……」
清粛と鼓牛とのやり取りは続いている。
(いや、俺たち瞋九龍と戦いに行くんだよな……?)
呑気な二人のやり取りに、一瞬自分たちがこれから何をしに行くのかを忘れそうになった煬鳳だった。
(そういえば……)
ふと煬鳳は、鸞快子のことを思い出す。
先ほど現れた鸞快子は、鼓牛のことを紹介するために来たわけではなかったのだ。煬鳳たちが鼓牛との挨拶を済ませたのを見届けると、彼は煬鳳たちに声をかけた。
「五行盟で彼の戦いぶりを見てきたが、束になってかかれば勝てる相手ではない。そこで我々はどのように瞋九龍と対峙するかを嶺主様と彩鉱門の掌門とで話し合ってきた。……それで、君たちにも協力して欲しいと思っている」
煬鳳にとって、瞋九龍との戦いは避けようもないこと。本来は火龍を鎮めるだけで良かったはずが、彼が火龍に乗っ取られていることが分かり、瞋九龍と戦わざるを得なくなってしまった。
だから、鸞快子の提案に応じるのは当然のことだと思っている。
「もちろんさ。凰黎も、そうだろ?」
凰黎はそんな煬鳳の言葉に多少の躊躇いを見せたが、結局溜め息を一つついて、
「そうですね。この山場を乗り切らないことには我々の安寧もあり得ませんから」
と、観念したように承諾した。
鸞快子は二人の返答に安心したようで口元を緩める。
「感謝する。……もちろん、凰黎の懸念である煬鳳のことは、何を差し置いても守ってみせる。安心して欲しい」
「貴方に守って頂かなくても、私がちゃんと守ってみせます」
対する凰黎は、鸞快子の言葉に対して幾分か棘のある返答を返す。言われてしまった鸞快子は苦笑しながら、
「それも当然ながら理解している」
と凰黎に言ったのだった。
鸞快子の相談ごとはほんの僅かな時間で終わり、鸞快子は隊列の先頭に戻るために別れを告げる。煬鳳たちも馬車へ戻ろうと踵を返すと、鸞快子が煬鳳の名を呼んだ。
「煬鳳」
「なんだ?」
別れ際に呼ばれ、振り返った煬鳳の頭に鸞快子の掌が載せられる。
「有り難う」
鸞快子はただ一言――そう言って、隊列の先頭へと戻っていった。
(なんであんなこと言ったんだろう。あんな……)
そんなはずは絶対にない。
けれど煬鳳には……彼がどこかに行ってしまうような、そんな言葉に聞こえたのだ。
ときおり馬車の中から外の様子を確認していた煬鳳は、山頂が近づいてきたことを悟り「そろそろ降りるよ」と御者を務めていた門弟に呼び掛けた。
清粛と鼓牛も煬鳳の呼び掛けを聞いて、手早く身支度を調える。
「お二人とも、お気をつけて」
清粛と鼓牛は戦いに直接加わることはないため、後方で瞋九龍との戦いを見守る手筈だ。それでも彼らが馬車の中で待機しないのは、馬車の中からでは外の様子が見えず、万が一攻撃が飛び火した際に避けることもできないからだ。
(鼓牛はこのまま俺たちに付いてきていいのかな……)
恩返しに来た鼓牛は、なぜかちゃっかり煬鳳たちの馬車に乗り込んでしまった。特になにも言ってはいないのだが、どうも彼は煬鳳たちと共に山頂へ向かうつもりらしい。
――とはいえ、彼を戦いに加えるわけにもいかないので、清粛と共にできるだけ戦いの影響を受けないところに居て貰うことになった。
「煬鳳。瞋九龍は火行使いであり、火龍でもあるわけです。……翳炎の炎とは多少異なってはいても、戦いにおいて近しい性質は有効とはいえません。どうか無理はしないで」
心配そうな凰黎の声に、煬鳳は微笑みを返す。
「分かってるって。あいつとは瞋砂門で一度戦った。凰黎の言うことは十分理解してるつもりだ。だから、瞋九龍と直接戦うのは蓬静嶺に任せるからさ。頼んだよ」
いくら煬鳳とて、五行相克は理解しているつもりだ。強大な瞋九龍と戦うならば水行の蓬静嶺が主戦力になるのは当然のことであるし、逆に火と火の力がぶつかり合えば火行の勢いが増し、黒炎山の噴火が早まってしまう可能性がある。
そういったことを危惧して鸞快子は先ほどの戦略を立てたのだろう。
彼の意図が分からぬ煬鳳ではない。
「蓬静嶺の威信にかけても、瞋九龍との闘いは制してみせましょう」
「うん、任せたよ。凰黎。……まあ、俺の翳炎は翳冥宮の炎であって、正確には普通の炎とは違うから火行じゃないんだけどな。でも、この山自体が翳炎の影響を受けている以上、用心するに越したことないよな」
肝心なところを人任せにするのは心残りではあるが、煬鳳は煬鳳で重要な役目を任されている。だから、文句などを言っている場合ではないのだ。
「ここからは隊列を変えて進む。蓬静嶺の門弟は前に。彩鉱門は彼らのあとに続くように。……清林峰は最後尾について進むこと。私と煬鳳の二人、そして鉄鉱力士は最後尾につき、清林峰を含む支援部隊を守る。……とはいえあくまでこれは瞋九龍と遭遇するまでの話。乱戦状態になったら各々の判断で行動するように!」
鸞快子の玲瓏たる声が響く。恐らくここが相手に気取られぬ、ぎりぎりの範囲なのだ。
「煬鳳。くれぐれも気を付けて」
「分かってるって。凰黎もな」
先頭へ向かう凰黎、そして清粛たちと後方に移動する煬鳳。凰黎は別れ際に煬鳳の額に軽い口付けを落とす。
「………………………………!」
あまりにも可愛らしい、ささやかな行為に不覚にも動揺し、煬鳳は凍り付く。
頬の熱さを感じながら、驚きと戸惑いで歪む顔を必死で押さえると、逃げ出すように煬鳳は「い、行ってくる!」と走り出してしまった。
暫く走ったあとで振り返ってみれば、風にたなびく淡青の袍服の袖が垣間見える。生憎と顔は人の波で隠れてしまったが、彼なら煬鳳のことを見ていてくれただろうか。埋もれ行く淡青の人影に何度も呼び掛けたい衝動を抑えながら何度も振り返り、煬鳳は清粛たちの方へと走って行った。
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