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然后鳳凰抱鳳雛(そして鳳凰は鳳雛を抱く)

163:多生曠劫(四)

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 四季折々の花々が至るところで花開く。湖の周りに植えられた桃の木の枝には、いくつもの桃花が咲いていた。風は桃花の豊かな香りを遠くまで運び、人界にんかいでは久しく見ることのない珍しい鳥が空を渡り、彼方のほうへとまた消える。

 霞のかかった山々に囲まれた広大な湖には、高山流水こうざんりゅうすいの才腕で楽器を弾きならし語らう者たちがいた。
 滝には美しい虹霓こうげいが姿を見せ、滝壺からは龍が飛びあがってゆく。

 幼いころに書物で読んだ言い伝えを思い出しながら凰黎ホワンリィは感慨深い気持ちになった。
 まさに山紫水明の光景が眼前に広がり、遠くには陸地の果てが見える。そこから見下ろせば空を覆うほど厚く雲が広がっていて、二つの世界を隔てていると伝え聞く。

 万古千秋を生きる仙人たちは、この美しい理想郷から雲の隙間を垣間見て人界にんかいを望むそうだ。


 湖畔を一望できる水榭すいしゃの上。
 白い袍を纏う老人は椅子に腰を下ろし、凰黎ホワンリィ淡青たんせいの衣袍を纏い、彼の正面に立っていた。

「ようやく儂の元に来てくれたわけじゃな」

 満足げに蓬莱ほうらいは髭を撫で、彼と相対する凰黎ホワンリィはそんな彼に対して冷たい視線を投げかける。

「私がここに来た理由。それは……貴方がたの犯した罪を問うためです」
「罪、とな?」

 その通り、と凰黎ホワンリィは小さな石を取り出した。

「ここに来る前に、兄から受け取りました。原始の谷へ続く通路に敷いていた迷陣の要としていた石碑です。黄鋼力士こうごうりきしたちに破らせたのは、貴方ですね?」

 もとより彼以外には迷陣を解くことなどできないだろうと踏んでいた。原始の谷へ続く道を隠したのは、恒凰宮こうおうきゅう翳冥宮えいめいきゅうが生まれたのとほぼ同じころ。当時の高度な陣法の形成方法は既に失われて久しく、使う者も破る者も人界にんかいにはいない。

「ふふふ……儂は機嫌がいい。答えてしんぜよう。その通り。いかに儂とて原始の谷の封印だけはどうやってもこじ開けることができなんだが、他の奴らに原始の谷の在り処を気づかせるため、せめて道だけは示してやったのじゃ」
「わざわざ翳白暗イーバイアンの身体を作り直したのは、原始の谷を開くためだったのですよね?」
「察しが良い。さすがは儂の見込んだ若者じゃ」

 満足そうに蓬莱ほうらいは何度も頷いている。
 凰黎ホワンリィはそんな蓬莱ほうらいが腹立たしくて仕方なかったが、怒りを抑えて言葉をつづけた。

「お伺いします。なぜそのようなことを、なさったのですか?」
「決まっておる。そなたのような、才能のあるものを見出すため、より多くの者に万晶鉱ばんしょうこうを触れさせるため」
「ならばなぜ――翳冥宮えいめいきゅうが滅びる切っ掛けを作ったのですか? 貴方は全ては閑白シャンバイの仕業だと仰いましたが、彼一人であのようなこと全てできるわけがありません。鬼燎帝きりょうてい――当時の魔界まかいの皇太子を唆すには、少なくとも貴方自身が出向かなければ彼は計画に乗ることは無かったでしょう」
「ほう、全ては儂が仕組んだと?」

 蓬莱ほうらいの声音が低くなる。彼の目は布で覆われていて、細やかな表情を窺うことはできないが、微かな声の変化から彼の感情を読み取ることができた。

「違いますか?」

 きっぱりと言葉にした凰黎ホワンリィに、蓬莱ほうらいは嬉しそうに笑う。

「その度胸、見上げたものだ! やはり凰黎ホワンリィ。そなたはこの仙界せんかいに相応しい人間だ。いかにも。かつて皇太子であった鬼燎帝きりょうていに交渉を持ち掛けたのは儂じゃ。……奴は鬼神の如く強かったが、本当にそれだけじゃった。にもかかわらず皇帝の座は欲しておった。儂は、我々に協力することを条件に、彼に力を貸してやろうと持ち掛けた――」
鬼燎帝きりょうていのことは分かりました。……ですが、なぜ翳冥宮えいめいきゅうを害するために、鬼燎帝きりょうていを唆したのですか?」
翳冥宮えいめいきゅうを乗っ取るためには魔界まかいの人間の力が必要だと思ったからだ。翳冥宮えいめいきゅうの人間に成り代わるためには、最低限魔界まかいの者でなければならぬ。ただ魔界まかいの人間を攫っても良かったが、せっかくならこの機に魔界まかいの皇帝を上手く使うことができれば好都合だと思ったのよ」
「なぜ! 翳冥宮えいめいきゅうの人々にあのような酷いことをしたのですか!」

 凰黎ホワンリィは声を荒げた。
 彼らに非など無かったはずだ。にもかかわらず、翳冥宮えいめいきゅうの末路は本当に酷いものだった。
 仲違いするよう仕向けられ、最後は両親まで手に掛けた翳白暗イーバイアン。そして大切な弟を殺めなければならなかった翳黒明イーヘイミン
 彼らの魂が慰められることは永遠にないのだ。
 譬え、願いが叶って二人が一つになったとしても、失ったものは戻ってはこない。

「なぜとな? 決まっておる。万晶鉱ばんしょうこうを扱う奴らが邪魔だったからだ」

 矛盾したその言葉に、凰黎ホワンリィは愕然とした。

「貴方は、ご自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
「無論。……人界にんかいの奴らは力もないのに万晶鉱ばんしょうこうを使って神に匹敵する程の代物を作りよる。おまけに、万晶鉱ばんしょうこうから知識と力を得ようとするものもいた。それらは全て、仙界せんかいの脅威になりうるというもの! 許しておくわけにはいかぬじゃろう! ああいう力は我等が管理してこそ、秩序が保たれるというもの」

 他人を顧みぬ蓬莱ほうらいの自分本位な言い分。
 そのあまりの身勝手さに開いた口が塞がらぬほど凰黎ホワンリィは呆れ果て、彼が語り終えたあとすぐには言葉が出てこなかった。

「……ならばなぜ、今回は原始の谷に皆がやってくるように仕向けたのですか? 今お話ししたことと全く真逆のことをされているのでは?」
「そう。真逆のことを言っておる。当時は万晶鉱ばんしょうこうと原始の谷の存在が心底邪魔で憎かった。――しかし、今は違う。正直に言うが、仙界せんかいはなかなかその高みに辿り着くものがおらず、力を増強し辛い。ゆえに万晶鉱ばんしょうこうの力に適合できる有能な人材を選び、少しでもはやく仙界せんかいに昇ることができるよう助けようと考えたのじゃ」
「横暴すぎる!」

 堪らず凰黎ホワンリィは叫んだ。普段の彼のふるまいから考えれば乱暴すぎる物言いだろう。しかし、それでも言い尽くせぬほど、凰黎ホワンリィは憤りを覚えていた。

「どこまで貴方がたは自分本位なのですか? まるでご自分がこの世界全ての頂点であるかのような行い。なぜ貴方のために踏みにじられた人々を僅かでもも顧みようとしないのですか?」
「そなたには分からぬ。儂も背負うものがあり、守らねばならぬものがある」
「そのために誰かを犠牲にしても良いと?」

 敵意をむき出しにした凰黎ホワンリィに、蓬莱ほうらいは穏やかな声で「まあ、待て」と宥める。

瞋九龍チェンジューロンを乗っ取った火龍に入れ知恵をしたのも、貴方でしょう?」
「いかに人の皮を被っても、所詮は龍。しかも、神には届かぬなりそこないの龍。『彩鉱門さいこうもんはお前を傷つけた万晶鉱ばんしょうこうの宝器を作ることができる。いずれ脅威になるぞ』、そう教えてやったら、面白いほど狙い通りに動きよった。鬼燎帝きりょうていよりも簡単であったのう」
彩鉱門さいこうもんで原因不明の疫病が流行ったのは?」
「脅しも兼ねて少々厄介な疫鬼を撒いてやっただけ。万晶鉱ばんしょうこうを扱えるのは生意気だが、奴らには利用価値がある。それゆえ脅すだけに留め、生かしておくことにしたのじゃ」

 呆れるほどに自分勝手な彼の言葉に、呆れ果てて言葉も出なかった。彼は本当に、自分だけが特別だと思っているのだ。
 永遠にも等しい時を生きるなかで、人々が目まぐるしく生きて死ぬさまを見続けると、人への思いやりが失われていくのだろうか。もしもそのようなことがあるのなら、自分は決して彼らと同じ存在にはなりたくはない。

「なぜいつでも誰かを利用して、踏み台になさろうとするのですか」

 心底、この男とは絶対に相容れないと思う理由はここにある。

「やはり若いのう」

 蓬莱ほうらいは溜め息をつく。

「大義の前には犠牲はつきもの。それは皆おなじ」
閑白シャンバイもそうであったと?」

 少なくとも、閑白シャンバイ蓬莱ほうらいの忠実な弟子であった。ときおり荒々しい素顔を見せることはあったが、彼は恐らく自分のために動いていたわけではないだろう。
 多少の難はあったかもしれないが、それでも閑白シャンバイ蓬莱ほうらいの指示のもと動いていたはずだ。

「せっかく鳥から昇仙することができたというのに、本当にあやつは愚かだ。色々好き放題やった挙げ句、最後は惨めなものであった。仙界せんかいを未来を担うための貴重な人材であったというのに、惜しいことをしたものよ」

 他人事のように語ってはいるが、傍で見ていたにもかかわらず、灰に帰す閑白シャンバイを見捨てたのは他でもない蓬莱ほうらいだ。
 彼にとっては弟子すら他人も同然、利用価値が無くなれば捨ててしまう。
 しかもあろうことか、彼は消える寸前の閑白シャンバイを自らの足で踏みつぶした。これを非情と言わずしてなんと言えば良いのか。

 かつては己も人であったはずだ。
 人界にんかいで人として暮らし、誰かを助け助けられて過ごしていたに違いない。
 なのにどうして目の前の自称尊者は、何かを語るときに、誰よりも高みにいるかのような言葉を語るのだろうか。

「これを見なさい」

 蓬莱ほうらいはおもむろに己のこめかみに手を添えると、目を覆っていた布を解く。

「まさか……っ!?」

 驚き、凰黎ホワンリィの声は上擦った。
 彼の両方の瞳は閉じられているが、完全には閉じ切っていない。僅かに開いた隙間から見えるのは真紅の闇。
 何故そうなったのか、考える前に凰黎ホワンリィの脳裏にはある予測が浮かぶ。

「それは、まさか……万晶鉱ばんしょうこうで……?」

 驚きのあまり、声が上ずってしまう。よもや仙界せんかいの五仙が一人である蓬莱ほうらいが、万晶鉱ばんしょうこうによって両方の目とも奪われていようとは。

「少々驚かせてしまったようだのう。左様、儂はかつて万晶鉱ばんしょうこうに触れ未来を垣間見た。恐ろしい未来を変えたくてのう、懸命に万晶鉱ばんしょうこうに触れ続け、より多くの未来と知識を得ようとした結果がこの有様じゃ。さしもの儂も衝撃に耐え切れず、両の目を抉り取ってしまったというわけじゃな」

 彼がそこまでの状態になるまで、どれだけの時間万晶鉱ばんしょうこうに触れたのだろう。どれ程の情報を、未来を得たのだろうか。
 凰黎ホワンリィは掠れた声で蓬莱ほうらいに尋ねる。

「そこまでして……貴方は一体どのような未来を見ようとしたのですか」

「いずれ仙界せんかいの序列や構造が、神の手によって大きく作り替えられてしまう未来。この美しい仙界せんかいが別のものに生まれ変わる未来。儂はそれを何とかして防ぎ、守りたいと思った。何故なら、儂はこの地をこの上なく愛し、大切に思っていたからじゃ」

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