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然后鳳凰抱鳳雛(そして鳳凰は鳳雛を抱く)

169:情永不絶

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 玄烏門げんうもんの大門を潜り抜け、幼子が息せき切ってやってくる。

煬爹ヤンとうさま凰爹ホワンとうさま~!」

 体にぴったり合うように繕われた藍色の衣をなびかせながら、腕には格桑花を掻き抱く。走るたび、高く結い上げられた髪に結ばれた銀の髪飾りが上下して、涼やかな音色を奏でる。

 殆ど飛び込むようにして煬鳳ヤンフォンの胸の中に収まった幼子は、顔に笹の葉をつけながら煬鳳ヤンフォンの胸に頬を寄せた。煬鳳ヤンフォンはそんな幼子を掻き抱くと、幼子の額に己の額をくっつける。

阿鸞アールワン!」

 阿鸞アールワンと呼ばれた幼子は嬉しそうに微笑み、煬鳳ヤンフォンに格桑花の花を見せる。白や桃、色とりどりの美しく開いた格桑花は、愛らしい幼子によく似合う。

「みてみて煬爹ヤンとうさま! いっぱい咲いてたの!」

 凄く綺麗だ、と言いながら煬鳳ヤンフォンルワンの頭を撫で繰り回す。

「鯉の爺さんはどこいった? 一人で帰ってきたのか?」
「いっしょだよ! でも、鯉のじいじは階段のぼるのが大変だから、先にルワンだけ走ってきたの」

 ルワンの振り返った先を見れば、今にも死にそうなほど息を切らせた老人が門の前に立っている。煬鳳ヤンフォンルワン廊廡ろうぶに座らせると「ちょっと待ってろ」と言って鯉仙人こいせんにんの元へと走った。
 背中を丸めて未だ息を切らす老人を背負うと、煬鳳ヤンフォンルワンの元へと歩き出す。

「ちびの相手して貰って悪いな、爺さん」
「いやいや、最近の若い者は元気で宜しい」

 息も絶え絶えになりながら、鯉仙人こいせんにんは答える。
 鯉仙人こいせんにんはただの喋る鯉だと思っていたが、意外にも彼は『龍鯉仙りゅうりせん』と言って本当に鯉が化身した仙人だった。彼は煬鳳ヤンフォンたちの生活を迷惑にも頻繁に覗いていたが、最近は時折こうしてルワンの遊び相手をしてくれる。もはやルワンにとって彼はただの『鯉のじいじ』であり、仙人であるという考えは毛頭ない。

阿鸞アールワン、お帰りなさい。それに龍鯉仙りゅうりせん様も。お菓子とお茶をご用意致しましたので、どうかこちらでお休みになって下さい」

 茶盆を持って顔を出したのは凰黎ホワンリィだ。盆の上には茶碗のほかに艶やかで甘そうな蜜煎金橘が盛られた皿が載っている。

凰爹ホワンとうさま! 食べたい!」

 凰黎ホワンリィの足にルワンがしがみ付くと、苦笑しながら凰黎ホワンリィが「いま置くから少し待って」と言って卓子たくしの上に茶碗を置いた。

 天帝から賜った鳳凰の卵――その卵から生まれたのがルワンだ。鳳凰の卵にもかかわらず、中から赤子が出て来たときは、流石に二人とも面食らってしまった。
 はじめは本当にこれが鳳凰の雛なのか?とも思ったが、凰黎ホワンリィはしたり顔で、

「間違いなく、天帝様の仰る通り『』『』の『雛』ですよ」

 と満足げに頷く。

 どことなく煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに面差しが似ている赤子は、鸞快子らんかいしから名を貰って「ルワン」と名づけることにした。
 それまで清瑞山せいずいさんの小さな小屋で暮らしていた煬鳳ヤンフォンたちだったが、ルワンのためにもう少し快適な暮らしをしようかと、玄烏門げんうもんへ戻ってきたのだ。

 清瑞山せいずいさんにある二人の小屋は、鯉仙人こいせんにんに留守番がてら貸し出している。
 煬鳳ヤンフォン掌門しょうもんの座を夜真イエチェンに譲り、自分は師と同じ長老の座に落ち着いた。大した理由ではないのだが、煬鳳ヤンフォン掌門しょうもんについたのも夜真イエチェンより若い頃だったし、いまはルワンを育てることに集中したい。自分が幼い頃に両親と死別してしまったこともあり、せっかく授かったルワンのことは凰黎ホワンリィと二人で大切に育てていこうと話し合った。

 夜真イエチェンは多少渋ってはいたが、別に煬鳳ヤンフォン玄烏門げんうもんから消えるわけではないと分かって承諾してくれた。善瀧シャンロンとの仲も相変わらずであるし、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォン夜真イエチェン善瀧シャンロン。二組の関係を考えるといずれ蓬静嶺ほうせいりょう玄烏門げんうもんとが一つになる日も来るのかもしれない。
 ……と、これは煬鳳ヤンフォンの勝手な想像ではあるが。

瑤姑娘ヤオねえね!」

 ルワンが叫び、蜜煎金橘を放り出して中庭へ飛び出した。中庭には美しい襦裙を纏った天女のような女性が佇んでいる。たったいま空から降りてきたような彼女の手には瑞々しい果物が抱えられており、煬鳳ヤンフォンたちを見ると頭を下げる。

瓊瑤チョンヤオ、いらっしゃい」
ホワン様」

 瓊瑤チョンヤオ凰黎ホワンリィを見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。

「公子様に、これを」
「有り難うございます。良かったら阿鸞アールワンと一緒に待ってて下さい。彼も貴方にとても会いたがっていたのですよ」

 彼女は抱えた果物を凰黎ホワンリィに預け、代わりにしがみ付いてきたルワンのことを抱き上げる。
 重明鳥ちょうめいちょう瓊瑤チョンヤオは、いつしか人の姿を取るようになり、そして煬鳳ヤンフォンたちの前に時折姿を見せるようになった。あるときはルワンの遊び相手となり、あるときは勉強相手にもなり。ルワンもそんな彼女によく懐き、彼女を姉のように慕っている。

 鸞快子らんかいしが経営していた盈月楼えいげつろうは、いまは彼女が女主人として代わりに取り仕切っているようだ。もともと盈月楼えいげつろうで給仕や楽師をしている女性たちは本をただせばみな奏詠荘そうえいそうという門派の出身で、その顔触れもほぼ女性だけ。瓊瑤チョンヤオがそんな茶楼の女主人となることはある意味収まるべきところに収まったのだといえよう。

「あのね。この前じいじがね、勉強したくなったらじいじのところに来なさいって言ってたの」

 ルワンの言う『じいじ』とは蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅ静泰還ジンタイハイのことだ。彼は煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィが孵化させたルワンを孫のように可愛がり、しょっちゅう会いにやってくる。彼の言う『勉強したくなたら』というのは、習い事をさせるときは蓬静嶺ほうせいりょうに通いなさい、という意味である。

 学のない荒くれ集団の集う玄烏門げんうもんではまともな勉強などできるはずもなく、仮にルワンに何かを学ばせようと思った場合は恐らくそうするしか選択肢はないだろう。
 ただ……。

阿鸞アールワンはまだ勉強するほどの歳じゃないぞ!? 気が早すぎないか!?」

 実のところ、ルワンが生まれてから季節はまだ二巡りほど。多少成長は早く感じるが、様子を見に来た鼓牛グーニゥ曰く『恐らく育った環境と相まって精神的な成長が早いだけで、実際の年齢は普通の子供と変わらない』のだそうだ。だから、勉強をさせるにはまだ少し早い。

「いまの阿鸞アールワンは、まだ好きなように鯉のじいじと遊んだり、瓊瑤チョンヤオと花摘みに行ったり、好きなことをして良いのですよ。もう少し大きくなったら、じいじに教えて貰いましょう。きっとお友達も沢山できるでしょうから」
「ほんと?」
「ええ、本当ですよ」

 瞳を輝かせたルワンに、凰黎ホワンリィはにっこりと微笑んだ。
 蓬静嶺ほうせいりょう玄烏門げんうもんはかなり近いが、魔界まかいは遠い。おまけに皇帝としての政務が山積みの拝陸天バイルーティエンはなかなかルワンに会いに来ることができず、悔しがっていることだろう。

(これで蓬静嶺ほうせいりょうに勉強するために通う、なんて言ったら陸叔公りくしゅくこうは凄く悔しがるんだろうな)

 悔しがる拝陸天バイルーティエンの姿がまざまざと脳裏に浮かぶ。
 実は悔しがっているのは拝陸天バイルーティエンだけではない。

 恒凰宮こうおうきゅう凰神偉ホワンシェンウェイもまた、ルワンに頻繁に会いにやってくるのだ。しかし、恒凰宮こうおうきゅう徨州こうしゅうから最も離れた場所にあるため、訪れる回数にも限度がある。燐瑛珂リンインクゥにも窘められてここ暫くは渋々星霓峰せいげつほうに籠もっているのだそうだ。
 彼にとって凰黎ホワンリィはたった一人残された肉親であり弟。その弟に面差しがよく似た幼いルワンは、彼にとっても可愛くて仕方のない存在らしい。

『クエェ』

 聞きなれた声が頭上で聞こえた。廊廡ろうぶから顔を出すと、屋根の上に黒曜ヘイヨウが留まっている。

黒曜ヘイヨウ、帰ったのか?」

 煬鳳ヤンフォンが呼び掛けると黒曜ヘイヨウは『大分あっちも落ち着いてきたからな』と言って羽ばたき煬鳳ヤンフォンの肩に留まった。

「あ! 曜曜ヨウヨウだ!」

 目ざとくルワン黒曜ヘイヨウを見つけ、煬鳳ヤンフォンに両手を突き出した。黒曜ヘイヨウを貸して、という意図らしい。
 黒曜ヘイヨウは『クエェ』と鳴くと、いつものようにルワンの腕の中にすっぽりと収まる。以前から思っていたことだが、黒曜ヘイヨウは子供に甘い。

曜曜ヨウヨウ、おかえり! 阿鸞アールワンはね、曜曜ヨウヨウのこと待ってたの!」

 抱きしめ頬を寄せるルワン黒曜ヘイヨウも頭を何度も擦り付けた。

黒曜ヘイヨウもお前に会いたかったって言ってるぞ、阿鸞アールワン
「ほんと?」

 煬鳳ヤンフォンの言葉にルワンは目を輝かせ「だいすき!」ともういちど黒曜ヘイヨウを抱きしめる。嬉しそうに小さく黒曜ヘイヨウが鳴いたのを、煬鳳ヤンフォンは聞き逃さなかった。

「ねえねえ。曜曜ヨウヨウにね、ずっと見せたいものがあったんだ。このまえ探検してたときにね、見つけたの。……瑤姑娘ヤオねえね、いまから一緒に行ってくれる?」

 ルワンが懇願すれば瓊瑤チョンヤオは微笑を浮かべ「公子がお望みなら」と手を差し伸べる。

「なあ、凰黎ホワンリィ

 瓊瑤チョンヤオと手を繋ぎ、黒曜ヘイヨウを抱えながら歩いてゆくルワンを目で追いながら煬鳳ヤンフォンは呼び掛けた。

「何でしょう?」
「あのさ。お前の垣間見た未来は、どこまでがその通りになったんだ?」

 突然投げかけられた疑問に、暫し凰黎ホワンリィは目を伏せ考える。
 煬鳳ヤンフォンは『答えてくれるよな?』という期待の眼差しを凰黎ホワンリィに向け、彼が口を開くのを待つ。

「そうですね……一つだけ……」

 ルワンの横顔を見つめる凰黎ホワンリィの眼差しは、幸せに満ちている。

「あの子が我々の元にやって来ることは、私が見た未来にはありませんでしたよ」

 万晶鉱ばんしょうこうはもう存在しない。これから先のことは、誰にも分からない。
 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの手をとり指を絡ませ、いつぞや凰黎ホワンリィが言った言葉を思い出す。

『もう未来も過去も見る必要はないのですから。これからは貴方と共に歩む幸せな未来がある。それだけ分かっていれば十分です』

 彼の言葉はいつだって的確だ。幸せないまであるからこそ、その言葉の意味が良く分かる。

「そうだな。ほんと、その通りだ」
「何がですか?」

 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと……それに愛しい幼子と。
 三人で歩んでいける未来がある。仮にどんな困難が現れたとしても、絶対にあきらめることはないはずだ。
 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィがそうであったように。

「いや、なんでもないよ。……やっぱり凰黎ホワンリィには敵わないなって思ってさ」

 凰黎ホワンリィを抱きしめようと手を回すと、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを抱き上げる。
 煬鳳ヤンフォンはそんな彼の首に腕を回すとぴったりと体をくっつけた。

「ほら、言った通りだろ?」

 頬と頬とが触れ合う温かさを感じながら、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに笑みを向ける。
 凰黎ホワンリィは同意する代わりに――煬鳳ヤンフォンの唇にその答えを残した。



<鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~ 了>




    * * *


 仙境に三神山なる神山あり。

 蓬莱、方丈、瀛州。

 元は五山なれど今となっては三山を残すのみ。

 それらもまた、いずれは伝承の中に霞となりて消えゆかん。




※後日、番外編を公開するかも予定。(一つは今日公開)

(1/18追記)
週末くらいに短編(といいつつ既に1万字超えている)公開予定です。


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