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幕間:桜隠し
幕間02:兄、戻る
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「へっくし!」
迂闊だった。
二人の邪魔をしないようにと、遠慮がちに階に座ったりなんかしたのがいけなかったのだ。お陰ですっかり体は冷えてしまい、このままでは本当に咳病になってしまう。
どうやらそれは桜も変わらないようで……。
「くしゅん!」
昂明は急いで御簾を下ろすと蔀戸を閉じる。邸に出入りする者も少ないのでこういったことは大体全部昂明か銀の仕事だ。
「銀。火桶に炭を入れてやってくれ」
「うっかり長く吹きすぎたな。悪かった」
そう言った銀も少し声が震えているのだから世話はない。
「こういう時はじっと火桶の前にいるに限るな」
やがて火桶が暖まってくると、わあっと桜が火桶の前に手を翳す。危ないからあんまり近くは駄目だぞ、と銀が咎める様子はさながら兄妹のようで微笑ましい。
「桜。銀のことは皆には内緒だぞ」
昂明は唐櫃の奥から袿を取り出すと、それを桜に掛けてやった。
「どうして?」
「桜。僕の見た目は少しばかり人とは異なっている。そして、本来ならば死ぬはずの人間だったんだ。だから刀岐氏の……死んだ爺様の『うそ』に乗っかって『式神』だってことにしているのさ」
「そんな、だって銀はこんなに綺麗なのに……」
綺麗だから、というのは理由にはならない。美しさでも、違う場合でも、人と違うという事はそれだけで好意にも畏怖にも変わる。
しかし、銀の言葉に桜は納得がいかない様子だ。
そんな桜を、銀は暖かい眼差しで見つめている。
「桜だけでもそう言って貰えるなら幸せだ」
銀の笑顔に真っ赤になって、慌てて桜は俯いた。
「そ、そういえば! 昂明さまが掛けてくれた袿ってどなたのものなの?」
「ああ、それは……俺の母上のものだよ」
意外なところをよく見ているものだ。流石女子だな、などと思わず感心してしまう。
「昂明さまのお母さま?」
「そう。今はもういないけどな」
それが何を意味することなのか、桜にも分かったらしい。はっとした顔の後でしゅんと俯してしまった。
「もうずっと昔のことだから、気にすることないって」
桜の頭を撫で思い出したのだが、もう十年以上も前の話だ。時の流れの速さを改めて噛み締める。
母は昂明が五つのころに流行り病で亡くなった。当時のその凄惨さは凄まじく、あっという間に平民も貴族も分け隔てなく沢山の人の命を奪ってしまったそうだ。奇跡的に銀を含めた男兄弟は何とか無事に生き延びた。
兄弟が多いわりにさほど裕福でも無かったので、母の衣などは殆ど売ってしまったそうなのだが、あの袿と何枚かは残しておいたらしい。年月を感じさせない、どれも美しい衣ばかりであったが、他の女の為にそれを持って行かなかったのは、やはり父も母への想いがまだあるからなのだろう。
火桶の中でばちりと墨が爆ぜた。
「そういや腹減ったな。なんか食うか」
厨へ向かおうと立ち上がったところ、鉢合わせたのは『上の兄』こと晶朝だ。酩酊していない様子から、宴の後でないことは見て取れる。
「兄上!」
「昂明か。あまりの寒さに思わず帰ってきてしまったぞ。近衛中将さまには申し訳ないことをしてしまったが、土産にと草餅を頂いた」
「わー! 草餅!? たべたい、たべたい!」
真っ先に反応したのはやはり桜だ。
破籠を取り出した晶朝はその蓋を開けて昂明達に中身を見せた。確かに破籠の中には旨そうな草餅が敷き詰められている。
あの一件の後、時折晶朝は輝く君の私的な宴に呼ばれることがあるらしい。出世を目指すそんな晶朝が宴を辞して邸に帰るとは。余程寒かったとみえる。
「宴で騒いだ方があったまったんじゃないですかね」
「寒いものは寒い。こういう時は動かずじっと火桶の前にいるに限る」
こういう所は我が兄ながらよく似ていると常々思う。
「折角なので香煎でも淹れましょう。今、湯を沸かします」
尚も語ろうとする晶朝を押しやって、昂明は厨へと向かった。
「待て! それ、去年のやつじゃないか。大丈夫なのか?」
遠くで銀の不安げな声が聞こえたが、昂明は無視を決め込んだ。
迂闊だった。
二人の邪魔をしないようにと、遠慮がちに階に座ったりなんかしたのがいけなかったのだ。お陰ですっかり体は冷えてしまい、このままでは本当に咳病になってしまう。
どうやらそれは桜も変わらないようで……。
「くしゅん!」
昂明は急いで御簾を下ろすと蔀戸を閉じる。邸に出入りする者も少ないのでこういったことは大体全部昂明か銀の仕事だ。
「銀。火桶に炭を入れてやってくれ」
「うっかり長く吹きすぎたな。悪かった」
そう言った銀も少し声が震えているのだから世話はない。
「こういう時はじっと火桶の前にいるに限るな」
やがて火桶が暖まってくると、わあっと桜が火桶の前に手を翳す。危ないからあんまり近くは駄目だぞ、と銀が咎める様子はさながら兄妹のようで微笑ましい。
「桜。銀のことは皆には内緒だぞ」
昂明は唐櫃の奥から袿を取り出すと、それを桜に掛けてやった。
「どうして?」
「桜。僕の見た目は少しばかり人とは異なっている。そして、本来ならば死ぬはずの人間だったんだ。だから刀岐氏の……死んだ爺様の『うそ』に乗っかって『式神』だってことにしているのさ」
「そんな、だって銀はこんなに綺麗なのに……」
綺麗だから、というのは理由にはならない。美しさでも、違う場合でも、人と違うという事はそれだけで好意にも畏怖にも変わる。
しかし、銀の言葉に桜は納得がいかない様子だ。
そんな桜を、銀は暖かい眼差しで見つめている。
「桜だけでもそう言って貰えるなら幸せだ」
銀の笑顔に真っ赤になって、慌てて桜は俯いた。
「そ、そういえば! 昂明さまが掛けてくれた袿ってどなたのものなの?」
「ああ、それは……俺の母上のものだよ」
意外なところをよく見ているものだ。流石女子だな、などと思わず感心してしまう。
「昂明さまのお母さま?」
「そう。今はもういないけどな」
それが何を意味することなのか、桜にも分かったらしい。はっとした顔の後でしゅんと俯してしまった。
「もうずっと昔のことだから、気にすることないって」
桜の頭を撫で思い出したのだが、もう十年以上も前の話だ。時の流れの速さを改めて噛み締める。
母は昂明が五つのころに流行り病で亡くなった。当時のその凄惨さは凄まじく、あっという間に平民も貴族も分け隔てなく沢山の人の命を奪ってしまったそうだ。奇跡的に銀を含めた男兄弟は何とか無事に生き延びた。
兄弟が多いわりにさほど裕福でも無かったので、母の衣などは殆ど売ってしまったそうなのだが、あの袿と何枚かは残しておいたらしい。年月を感じさせない、どれも美しい衣ばかりであったが、他の女の為にそれを持って行かなかったのは、やはり父も母への想いがまだあるからなのだろう。
火桶の中でばちりと墨が爆ぜた。
「そういや腹減ったな。なんか食うか」
厨へ向かおうと立ち上がったところ、鉢合わせたのは『上の兄』こと晶朝だ。酩酊していない様子から、宴の後でないことは見て取れる。
「兄上!」
「昂明か。あまりの寒さに思わず帰ってきてしまったぞ。近衛中将さまには申し訳ないことをしてしまったが、土産にと草餅を頂いた」
「わー! 草餅!? たべたい、たべたい!」
真っ先に反応したのはやはり桜だ。
破籠を取り出した晶朝はその蓋を開けて昂明達に中身を見せた。確かに破籠の中には旨そうな草餅が敷き詰められている。
あの一件の後、時折晶朝は輝く君の私的な宴に呼ばれることがあるらしい。出世を目指すそんな晶朝が宴を辞して邸に帰るとは。余程寒かったとみえる。
「宴で騒いだ方があったまったんじゃないですかね」
「寒いものは寒い。こういう時は動かずじっと火桶の前にいるに限る」
こういう所は我が兄ながらよく似ていると常々思う。
「折角なので香煎でも淹れましょう。今、湯を沸かします」
尚も語ろうとする晶朝を押しやって、昂明は厨へと向かった。
「待て! それ、去年のやつじゃないか。大丈夫なのか?」
遠くで銀の不安げな声が聞こえたが、昂明は無視を決め込んだ。
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