ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇

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第〇話:真夜中の迷子

0-4:オニオングラタンスープの温かさ

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「そうだ。気づくのが遅れて悪かったね。お腹空いているんじゃないかい? 冷めないうちにどうぞ。まかないで作ったオニオンスープなんだけれどね」

 アインさんが、僕の前に置かれたスープを勧めてくれた。
 色んなことがあって忘れていたけれど、そういえばお腹がとても空いていたんだ。
 思い出した途端にお腹がぐうと鳴ってしまう。

「ふふ。遠慮しないで、ね?」

 僕の前に座ってにこにこと見つめるアインさんの視線が悩ましい。綺麗な顔であまり見つめられると恥ずかしくなってしまう。

 なるべく視線を合わせないようにしてスプーンを手に取ると、スープに顔を近づける。食欲をそそるスパイシーな香りが僕の鼻腔を抜けていった。
 どきどきしながら黄金色のオニオンスープを一掬いすると、そのまま口へと運ぶ。

「美味しい……」

 ふわふわ伸びるチーズの隙間から溢れたとろとろの玉ねぎが、口の中でじゅわっと溶け、濃縮された旨味が口の中に広がった。これが玉ねぎなんて嘘みたいだ。
 だって、舌が触れただけで液体に変わってしまう。

「今日煮出したばかりの手作りブイヨンを使った、特製のオニオングラタンスープだよ」

 アインさんの説明が終わるか終わらないうちに、僕は二口目を放り込む。
 スープがたっぷりしみ込んだ何かがじゅわりと崩れた。

「うわぁ、美味しい! これは……フランスパンですか?」

「そう、良くわかったね。……うちの贔屓にしてるパン屋から仕入れたフランスパン。トースターで少し焼いたものを入れているんだよ」

 嬉しそうにアインさんは細かに説明をしてくれた。
 スープだけでも美味しいけれど、お腹がぐうぐうだったからパンが入っているのは嬉しいかも。

 語彙力が乏しくてこういう時本当に恥ずかしい。……でも、あまりに美味しくて「美味しい」という言葉しか出てこなかった。たっぷりスープがしみ込んだフランスパンに程よく細かなチーズが絡みついて、次の一口を運ぶ手が止まらない。

「暖かい……」

 不意に僕の目からほろりと熱いものが零れ落ちる。
 記憶がすっぽりと抜けていて、自分が誰なのかわからなくて、ずっと不安だった。
 行き倒れ同然の状態のところを助けてもらって、スープをご馳走になって。

 ……とてもそれが美味しくて。
 急にやってきた安堵感と一緒に涙が溢れてどうしても止まらない。このなんともいえない溢れる気持ちを、僕は抑える事ができない。

 正直、いきなり泣いてしまったのでびっくりされるかと思った。
 けれど顔を上げた先に居たアインさんは、少しだけ眉を上げたあとで穏やかな微笑みを浮かべる。
 その手が僕の方へと伸びたかと思うと、ふわりと頭に乗せられた。

「些細な事でと思っているかもしれないけれど。何気ないと思っていることで涙が出てしまうのは、無意識に君がその温かさを求めていたからなのかもしれないね」

 アインさんに言われてはたと気づく。
 そういえば、僕は誰かにこうして頭を撫でて貰いたかったような気がする。暖かさが欲しかった気がする。

 泣いてしまうのは、求めたけれど手に入らなかったからなんだろうか。

「……君に何が起こったのかは私にはわからないけれど。けれど君はずたぼろの身体で店にやってきたんだ。きっとそれなりに辛いことがあったのかもしれない。もしも不安なら、暫くここに居て構わない」

 僕は泣きながら、ぐしゃぐしゃの顔でその言葉に頷く。
 オニオンスープの温かさが、僕の体の中でじんわりと残っている気がした。……けれど身体だけではなく、僕の心まで温かくなったような気がする。

 それはきっと、この人たちの僕を想ってくれるその気持ちが、間違いなく暖かいものだったからに違いない。
 気づけば、号泣しながらオニオングラタンスープを完食してしまった。



「ご馳走様でした」

 手を合わせた後で顔を上げると、周りで皆が心配そうな顔で見守っていたことに気づく。

「あの……?」

「いえ、泣いていたから少し心配しましたけれど……。完食するくらい美味しく食べて貰えたならきっと大丈夫ですね」

 思わず尋ねた僕に、ジェドさんが優しい顔で微笑んだ。

「あの、ほんとに美味しかったです。有難うございました」

 僕は三人に向かって深々と頭を下げる。

 完食したことが余程嬉しかったのか、ジェドさんとヴィクターさんが小さく「イェーイ!」とハイタッチをしていた。
 ……そしてハイタッチの後ヴィクターさんの腕がぼとりと落ちた。


 そんな二人を目で追った後で、アインさんが僕のことを見る。

「それで……この後の事なんだけれど。どうするにしても、今日の所は遅いしこのまま泊っていくといいだろう。警察に知り合いが居るから、明日にでも君の身元が分からないか聞いてみるよ」

 本当にアインさん達にはお世話になりっぱなしだ。

「ありがとうございます」

 意地を張ったとしても記憶がなければどうしたらいいかも分からない。
 僕は有難くアインさんの申し出に甘えさせてもらうことにした。

「それじゃ、おやすみ」

 まだ喜んで騒ぐジェドさんとヴィクターさんを部屋の外に押し出すと、アインさんは部屋を後にした。

 静かになると一気に疲れと眠気の両方が僕に襲い掛かる。僕はもう一度温かい布団に潜り込むと、そのまますぐに眠りに落ちた。

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