4 / 69
第〇話:真夜中の迷子
0-4:オニオングラタンスープの温かさ
しおりを挟む「そうだ。気づくのが遅れて悪かったね。お腹空いているんじゃないかい? 冷めないうちにどうぞ。まかないで作ったオニオンスープなんだけれどね」
アインさんが、僕の前に置かれたスープを勧めてくれた。
色んなことがあって忘れていたけれど、そういえばお腹がとても空いていたんだ。
思い出した途端にお腹がぐうと鳴ってしまう。
「ふふ。遠慮しないで、ね?」
僕の前に座ってにこにこと見つめるアインさんの視線が悩ましい。綺麗な顔であまり見つめられると恥ずかしくなってしまう。
なるべく視線を合わせないようにしてスプーンを手に取ると、スープに顔を近づける。食欲をそそるスパイシーな香りが僕の鼻腔を抜けていった。
どきどきしながら黄金色のオニオンスープを一掬いすると、そのまま口へと運ぶ。
「美味しい……」
ふわふわ伸びるチーズの隙間から溢れたとろとろの玉ねぎが、口の中でじゅわっと溶け、濃縮された旨味が口の中に広がった。これが玉ねぎなんて嘘みたいだ。
だって、舌が触れただけで液体に変わってしまう。
「今日煮出したばかりの手作りブイヨンを使った、特製のオニオングラタンスープだよ」
アインさんの説明が終わるか終わらないうちに、僕は二口目を放り込む。
スープがたっぷりしみ込んだ何かがじゅわりと崩れた。
「うわぁ、美味しい! これは……フランスパンですか?」
「そう、良くわかったね。……うちの贔屓にしてるパン屋から仕入れたフランスパン。トースターで少し焼いたものを入れているんだよ」
嬉しそうにアインさんは細かに説明をしてくれた。
スープだけでも美味しいけれど、お腹がぐうぐうだったからパンが入っているのは嬉しいかも。
語彙力が乏しくてこういう時本当に恥ずかしい。……でも、あまりに美味しくて「美味しい」という言葉しか出てこなかった。たっぷりスープがしみ込んだフランスパンに程よく細かなチーズが絡みついて、次の一口を運ぶ手が止まらない。
「暖かい……」
不意に僕の目からほろりと熱いものが零れ落ちる。
記憶がすっぽりと抜けていて、自分が誰なのかわからなくて、ずっと不安だった。
行き倒れ同然の状態のところを助けてもらって、スープをご馳走になって。
……とてもそれが美味しくて。
急にやってきた安堵感と一緒に涙が溢れてどうしても止まらない。このなんともいえない溢れる気持ちを、僕は抑える事ができない。
正直、いきなり泣いてしまったのでびっくりされるかと思った。
けれど顔を上げた先に居たアインさんは、少しだけ眉を上げたあとで穏やかな微笑みを浮かべる。
その手が僕の方へと伸びたかと思うと、ふわりと頭に乗せられた。
「些細な事でと思っているかもしれないけれど。何気ないと思っていることで涙が出てしまうのは、無意識に君がその温かさを求めていたからなのかもしれないね」
アインさんに言われてはたと気づく。
そういえば、僕は誰かにこうして頭を撫でて貰いたかったような気がする。暖かさが欲しかった気がする。
泣いてしまうのは、求めたけれど手に入らなかったからなんだろうか。
「……君に何が起こったのかは私にはわからないけれど。けれど君はずたぼろの身体で店にやってきたんだ。きっとそれなりに辛いことがあったのかもしれない。もしも不安なら、暫くここに居て構わない」
僕は泣きながら、ぐしゃぐしゃの顔でその言葉に頷く。
オニオンスープの温かさが、僕の体の中でじんわりと残っている気がした。……けれど身体だけではなく、僕の心まで温かくなったような気がする。
それはきっと、この人たちの僕を想ってくれるその気持ちが、間違いなく暖かいものだったからに違いない。
気づけば、号泣しながらオニオングラタンスープを完食してしまった。
「ご馳走様でした」
手を合わせた後で顔を上げると、周りで皆が心配そうな顔で見守っていたことに気づく。
「あの……?」
「いえ、泣いていたから少し心配しましたけれど……。完食するくらい美味しく食べて貰えたならきっと大丈夫ですね」
思わず尋ねた僕に、ジェドさんが優しい顔で微笑んだ。
「あの、ほんとに美味しかったです。有難うございました」
僕は三人に向かって深々と頭を下げる。
完食したことが余程嬉しかったのか、ジェドさんとヴィクターさんが小さく「イェーイ!」とハイタッチをしていた。
……そしてハイタッチの後ヴィクターさんの腕がぼとりと落ちた。
そんな二人を目で追った後で、アインさんが僕のことを見る。
「それで……この後の事なんだけれど。どうするにしても、今日の所は遅いしこのまま泊っていくといいだろう。警察に知り合いが居るから、明日にでも君の身元が分からないか聞いてみるよ」
本当にアインさん達にはお世話になりっぱなしだ。
「ありがとうございます」
意地を張ったとしても記憶がなければどうしたらいいかも分からない。
僕は有難くアインさんの申し出に甘えさせてもらうことにした。
「それじゃ、おやすみ」
まだ喜んで騒ぐジェドさんとヴィクターさんを部屋の外に押し出すと、アインさんは部屋を後にした。
静かになると一気に疲れと眠気の両方が僕に襲い掛かる。僕はもう一度温かい布団に潜り込むと、そのまますぐに眠りに落ちた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜
くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。
味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。
――けれど、彼らは知らなかった。
彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。
すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、
復讐ではなく「関わらない」という選択。
だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……
潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい
葉方萌生
ライト文芸
淡路島で暮らす28歳の城島朝香は、友人からの情報で元恋人で俳優の天ヶ瀬翔が島に戻ってきたことを知る。
絶妙にすれ違いながら、再び近づいていく二人だったが、翔はとある秘密を抱えていた。
過去の後悔を拭いたい。
誰しもが抱える悩みにそっと寄り添える恋愛ファンタジーです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】
暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」
高らかに宣言された婚約破棄の言葉。
ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。
でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか?
*********
以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。
内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる