ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇

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第二話:見えない猫とコンポート

2-8:桃のコンポート

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「おはようございます」

 眠い目を擦りながら、既に厨房で仕込みを始めているアインさんに僕は挨拶する。
 上衣が白、下衣は黒のズボンに白いエプロンと、既に身支度を整えたアインさんの後姿はいつもと同じかそれ以上に凛々しくて、そして綺麗だった。
 綺麗な人は何を着てもきまるものだなぁ、なんて思わず思ってしまう。

「おはよう、きょっぴー」

 ぼんやりそんなことを考えていたら、アインさんが振り返った。
 厨房に甘酸っぱい、いい香りが充満している。
 これは……。

「もしかして、桃のコンポートですか?」

 漂ってくる香りは間違いなく桃のものだ。

「ご名答。特製桃のコンポートだよ」

「特製?」

 いつの間にか桃のコンポートは『特製桃のコンポート』になっていたらしい。一体何が違うんだろう?

「まあ見ててよ」

 片目を瞑ると、アインさんは桃と包丁を手に取った。
 鮮やかな手つきで洗った桃を皮のまま器用に回転させながら包丁を一周入れていく。二つに桃を割った後は片側についた種を取り除く作業だ。
 コンロの上に乗せた大きめの鍋は、ふつふつと煮立っている。

「これ、お湯が入ってるんですか?」

「いや、グラニュー糖を温めて溶かしたシロップだよ。レモン汁は今入れたところ」

 僕の言葉に少し笑って答えながら、作業の手は緩めない。
 アインさんは切った桃を手早く鍋の中に詰めていく。切り口が上になっているからなんだかパイナップルか何かみたいにも見えなくないかもしれない。
 暫くの後で、じきに火を止めた。

「特製桃のコンポート、なんですよね?」

「そう。……今はまだ、桃のコンポートを作っている所だけどね」

 僕の問いかけに、アインさんはウィンクで答える。
 今は、って事は、これから何かひと手間加えるのだろう。

「せっかくならもう少しアレンジして、より喜んで貰えるようなものにしたいなって考えたんだ」

「アインさんらしいですね」

 相変わらず、お客さんの笑顔の為に一生懸命なアインさんに僕は思わず微笑んでしまう。
 暫く談笑の後、桃が冷めたのを見計らってアインさんは再び鍋に向き直った。
 鮮やかな手つきで桃の皮をスルリと向くと、そのまますぐに大きめのバットへと移す。これを何度も繰り返していき、あっという間にバットの中は桃で一杯になってしまった。

「あとはこれをね……」

 先ほど剥いた皮をバットの中に入れる。
 更に桃を煮込んだシロップを、ひたひたになるまで注いだうえで、上からラップをかけた。

「あとは一旦冷蔵庫に冷やして、それからかな」

 業務用の大きな冷蔵庫の中にバットを入れる。完全に冷えるまでどれくらいかかるんだろう。それに、特製って言うからには多分、この後何かひと手間加えるに違いない。
 一体どんなものが出来上がるんだろう。アインさんの腕に間違いはないだろうけど、少し気になった。

 そんな事を考えながら厨房を出るとチロが歩いていた。

「チロ」

 僕が思わず名前を呼ぶと、チロは顔をあげて「ナ~ォ」と鳴く。
 どうやら僕の声に反応してくれたらしい。

「きょっぴー、チロに覚えて貰ったんだね」

 僕とチロのやりとりを見て、ヴィクターが言った。

「そうなんですか? でもどんな覚え方されてるんだろう……」

「さあ、ね」

 くすりとヴィクターは笑う。その笑いにはどんな感情が込められていたんだろう。
 ヴィクターは子供っぽく見えて、案外達観していて、それでいて少し抜けていて、なのに結構しっかり者だ。

 チロも良く分からないけど、ヴィクターも猫みたいによく分からない。
 人造人間だって言っていたけど……一体どれくらいの時間をヴィクターは生きてきたんだろう。
 子供っぽい仕草の中にもどこか大人びた仕草をする事がある。
 だからたぶん……僕が思っているよりは長い年月を過ごしてきたような、そんな気がした。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 そうこうしているうちにやがてディナータイムの時間がやってきた。
 オープンと同時にいつものように続々とお客さんが訪れる。そして時間ぴったりに来るのはだいたい常連さんばかりだ。
 だから、どの人も多少なり顔に覚えがある。
 僕とヴィクターは慌ててお客さんを出迎えると、それぞれの席へと案内してまわった。

「大谷さん、来るかな」

 すれ違いざまにヴィクターがぼそりと僕の耳元で囁く。
 大谷さん、来るんだろうか……。
 大谷さんにチロの事、気づいて欲しい一心だったけれど。
 まだ迷いの中の僕は、少しその言葉にどきりとする。


 オーダーを届けに厨房に戻ると、丁度アインさんが冷蔵庫からバットを取り出している所だった。

「もしかして、完成したんですか?」

「うん。どうかな? 見てよ」

 アインさんは僕の言葉に満足そうに頷くと、バットの中身を見せてくれた。

「わああ……!」

 昼間はシロップ漬けの桃が入っていた筈なのに。いつの間にかバットの中身は桃のゼリーへと変わっていた。

「桃のコンポートをゼリーにしたんだ」

 綺麗にカットされた桃が、バットの中でゼリーと一緒に固められている。きらきらと輝くそれは、宝石みたいにも見えた。

「これって漬け込んだシロップですか?」

「うん。さっきのシロップに桃のコンポートで作ったピューレを混ぜ込んで、それで固めたんだ」

 間違いない、絶対に美味しいやつだ。

「凄く美味しそうです! これならきっと、お客さんも喜びますね!」

 期間限定とはいえこんな美味しそうなゼリーが無料で食べられるなんて。
 お客さんも絶対喜ぶに違いない。

 僕の言葉が余程嬉しかったのか、アインさんは満面の笑みを見せた。笑った顔もまた眩しくて、ただの地味な一般人の僕には刺激が強すぎる。
 綺麗な人の綺麗な微笑みは、一撃で人を殺す凶器にも等しいと思う。
 僕は慌ててアインさんから視線を外すと、準備を急ぐフリをした。

「じゃ、じゃあこれ食事の終わる頃にお客さんに運ばないとですね!」

 そんな僕の動揺に気づかないアインさんは

「うん、よろしく頼むよ。きょっぴー」

 と言って頷くと、ガラスの器を取り出して大きなスプーンで掬い入れ始めた。無造作にスプーンで掬ったゼリーが、厨房の照明に照らされて涼し気に光る。
 不定形な形もまた、宝物の山に似ていた。

「はいはい、お客さんはどんどん来てるんですから。二人ともよろしくお願いしますよ」

 厨房の奥からジェドさんの声が響く。
 どうやら僕たちのやり取りにしびれを切らしたらしい。
 僕とアインさんは顔を見合わせて苦笑した後で、再びそれぞれの持ち場へと戻った。
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