ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇

文字の大きさ
29 / 69
第三.五話:夢と現実の狭間とカレー

3.5-3:カレー戦争(2)

しおりを挟む
 僕とヴィクターが掃除を終えて厨房にやってくると、アインさんとジェドさんの二人は既にカレーの準備に入っていた。

 冷蔵庫を開ければ冷えたサラダが大量に準備されている。どうやら他の仕込みは既にある程度終えているらしい。
 カレーを作り始める為の準備は万端って事だ。
 冷蔵庫の確認をしていた僕は、ボウルの中にある謎物体に気づく。黄色くて白い謎の液体と、何かが入っている。

「あ。なんだろ、これ?」

「どうしたの? ……ああ、それバターチキンカレー用の鶏肉だよ」

 のぞき込んだヴィクターが、僕に教えてくれた。

「え?」

 もう一度見ても全然カレー用って感じがしない。鶏肉を何に漬け込んでいるんだろう?

「それは、ヨーグルトとカレーのスパイス各種、それからショウガを混ぜたものですよ。鶏肉と一緒に漬け込むと、肉が柔らかくなりますから」

 作業の手を止めて、ジェドさんが僕に教えてくれた。
 ヨーグルトとカレーって、意外といえば意外な組み合わせだ。
 それにしても、カレーのスパイスっていったい何だろう。カレー粉のことだろうか。

「あー、今日使うのはターメリック、クミンシード、カルダモン、カイエンペッパー、ガラムマサラ、それにシナモン、コリアンダーとかですよ。この辺どれ入れるかは結構人によってまちまちですけどね」

 僕の微妙な表情を察してか、ジェドさんが細かく種類を教えてくれた。シナモン以外は正直初めて聞くような名前だった。

「随分いっぱいあるんですね……」

「やっぱりカレーと言えばスパイスが決め手ですから。……まあ、全部一つになったカレー粉も売っているのでやり方によってはそこまで手間ではないんですが。……今回は全部一から入れましたけど、場合によってはウチもカレー粉を使う時もありますし。必須のもの以外は概ね好みでしょうか」

 つまり、今のスパイスを合わせたものがカレー粉みたいなものってことなんだろうか。多少誤差とかはあるんだろうけど。

「ふふふ……そんなわけで、今日の為に、昨日から鶏肉をそのスパイスに漬け込んでおいたんです。きっと美味しいバターチキンカレーが出来ると思いますよ」

 信じられない顔で見つめる僕に、にこりと微笑むと、ジェドさんは再び元の持ち場に戻る。
 そして、ジェドさんもアインさんも時々後ろを向いたりはするけれど、基本まな板や鍋と睨めっこしたままだ。

 手伝いを頼むと言われたけれど、僕たちは一体何をしたら良いんだろう。既に二人の炒めるフライパンからは玉ねぎの香ばしい匂いが漂い始めている。
 他にも何か混ぜているのか、微かにシナモンの香りが香ってきた。
 そして多分これは、飴色になるまで炒めているのだろう。玉ねぎを極限まで炒めたとき特有の美味しそうな香りがお腹を刺激する。

 今度は飴色玉ねぎのフライパンの中身を鍋に移し替え、さらにその中にミキサーにかけたトマトを入れた。
 業務用の、底の深い大きな鍋だ。きっと結構な分量が入るに違いない。

「……ふう」

 鍋で煮込みながらようやく一息ついたのか、ジェドさんは額の汗を拭った。玉ねぎを飴色にするまでの労力はどんなにショートカットをしてもそれなりに体力を使うものだろう。

「お疲れ様です。……少し休憩しますか?」

「いや、他の仕込みがあるから大丈夫ですよ」

 どうやら休憩する気はないらしい。
 すぐにジェドさんはあれやこれやと他の仕込みに取り掛かった。
 その傍ではアインさんもシーフードカレーを作る作業を続けている。

 僕は火の確認と、かき混ぜ係。
 暫くするとトマトに熱がいきわたってポコポコと煮立ってきた音がする。時折ジェドさんに頼まれたようにへらで掬うように鍋をかき混ぜ、暫くしたらまたかき混ぜてを繰り返す。
 頃合いになってきた頃にもう一度、仕込みを続けるジェドさんを呼んだ。

「ジェドさん、そろそろみたいです」

「有難うございます。……きょっぴー、もう一つ頼んでいいですか?」

「は、はいっ!」

 呼ばれて僕は、慌ててジェドさんの傍に行く。

「さっきの鶏肉をこの中に入れて欲しいんです」

 鍋には先ほどの飴色玉ねぎとトマトを煮込んだものが入っている。
 ここにさっきの鶏肉を入れるようだ。一人で全部入れるには、ボウルのサイズが大きい。

「分かりました」

 僕は冷蔵から大きな鉄製のボウルを取り出す。鉄なのでひんやりと冷たさが手から伝わってきた。

「これ、ヨーグルトも入れちゃうんですか?」

 まさかヨーグルトをカレーに入れるとは思わなくて、僕は驚いてジェドさんに訊いた。
 ジェドさんはにこにこと笑ったままだ。

「勿論です。これがバターチキンカレーの秘訣の一つですから」

 全然想像がつかない。でも、自信満々に言うくらいだからきっとそうに違いない。

「じゃあ、入れますよ」

「お願いします」

 ジェドさんが入れやすい位置に鍋を調整して、僕はボウルを傾ける。
 僕がボウルを支えている間に、ボウルの中に残ったヨーグルトまで全部、鍋の中に入れてしまった。

「うん、ばっちりですね。有難う」

 煮込んだトマトの中に投入されたヨーグルトと鶏肉を、鮮やかな手つきで混ぜ始める。鼻歌交じりでノリノリだ。
 厨房の中はカレーの匂いが充満している。同じカレーでも種類によって全然匂いが違うんだと、その時初めて僕は気づいた。

 今日のバターチキンカレーは乳製品も入っているからなのか、特別濃厚な香りがする。
 カレーって、奥が深い。

「ここからじっくりに混んで……あとは生クリームを混ぜたら完成です」

「じっくりってどれくらいです?」

 僕の問いかけに「う~ん」と暫く考えた後でジェドさんは一言。

「短くて二〇分、長くて一時間ですかね」

「そんなに!?」

 驚く僕を見て面白そうにくすくすとジェドさんは笑う。
 笑う姿も気品があって優雅で……こう、品格がある人は何をやってもサマになっていてある意味ずるい。地味な僕からすると、もうあり得ないくらいの場所に存在する人に思えてしまう。

「短くても良いんですけど、煮込んだ方が美味しいですから」

 確かにそれは一理あるのかもしれない。
 普通のカレーも二日目からが美味しいなんていうくらいだし。

「ちょっと味見してみます?」

 小さな器に、ジェドさんがカレーを入れてくれた。僕は「失礼します」と、カレーの味見を一口。辛いのに、凄くクリーミーでまろやかだ。
 トマトもヨーグルトも入れた筈なのに、酸味を全く感じない。逆にトマトの味がカレーといい感じに混ざり合っていて、辛さも程よく優しい味わいになっている気がした。

「凄く、まろやかで美味しい!」

 そんな僕をジェドさんは満足そうに見つめている。

「なんか、カレーなんだけど僕が今まで食べたことあるカレーのどれでもない、初めての味です!」

 興奮気味に僕はジェドさんに伝えた。
 ビーフカレーもキーマカレーも知っているけど、バターチキンカレーのこの味は、きっと初めて食べたものに違いない。
 記憶を手繰るまでもなく、自分の舌の記憶がそうだと言っている。

「ふふ、実はカシューナッツもミキサーでペースト状にして入れているんです。口当たりも良いし、食欲をそそりますよね。シーフードカレーとはまた美味しさの方向が違うから、両方食べても二度美味しいですよ」

 流石に一度に二皿食べる人はなかなかの猛者だとは思うけど。いや、逆に考えて小皿に二つセットとかもありなのかも。
 いずれにしても、カレー好きには堪らない日々になりそうな気がする。

「これはお客さんも喜びそうですね!」

 僕の言葉にジェドさんは嬉しそうに頷くと、

「勿論です。またお手伝いを頼むかもしれないですが……ひとまず手伝ってくれて有難う御座います、きょっぴー」

 後の煮込みは任せてとばかりに、にこりと笑った。

「きょっぴー、アインさんの方もカレーの作業は一段落したみたい。もう一度ホールに戻って掃除に取り掛かろう」

 どうやらアインさんのシーフードカレーもなんとか終わりに近づいたようだ。
 僕が様子を窺うと、アインさんが振り返ってにこりと笑う。

「分かりました、じゃあホールの方に行ってきます!」

 僕はヴィクターの言葉に頷くと、厨房を後にした。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい

葉方萌生
ライト文芸
淡路島で暮らす28歳の城島朝香は、友人からの情報で元恋人で俳優の天ヶ瀬翔が島に戻ってきたことを知る。 絶妙にすれ違いながら、再び近づいていく二人だったが、翔はとある秘密を抱えていた。 過去の後悔を拭いたい。 誰しもが抱える悩みにそっと寄り添える恋愛ファンタジーです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】

暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」 高らかに宣言された婚約破棄の言葉。 ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。 でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか? ********* 以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。 内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

処理中です...